今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

抹茶クッキー

2008年12月20日

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2つの研究室合同のクリスマス会。今年も先生のお宅にお邪魔する。

抹茶クッキーを焼いてもっていく。教授はクッキーの配合はむつかしいといったが、フーコーよりは断然、簡単である。

Fw:こんばんは

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ニョロ久しぶり。
元気にしてた?
俺は、しばらく元気だったけど、先月風邪を引いて仕事を休んでたよ。
すっかり治って、先月の中旬から普通に行ってるよ。

後わずかで今年が終わるけど、ニョロにとってどんな一年だった?

たまには、俺から手紙を送るよ。
***********

…… 「月夜のみみずく」、たまにふとしたきっかけで、「にょろ」になる。いろんな名前を持つといいかもね。切り替えがうまくできて、「らしさ」を発揮しやすくなる。問題はだんだん素顔がわからなくなることだけど、そもそも人間なんて、心臓が動いているうちは、常によそゆきの顔なんだ。

「にょろ」は、「月夜のみみずく」がいつもかつも調子が悪い、誰がわるい彼が悪い、などと嘆いてばっかいるせいで、今年一年ほとんど登場せず日の目をみないまま年末になってしまった。通算3日くらいかな、「にょろ」だったのは。


「月夜のみみずく」は、頭んなかでごちゃごちゃ考えて、口ばっかりでほとんどなにもしないみたいだ。しようとしても、できないと思いこんでいるため、できない。いつも満月の晩を待ち焦がれて、欠けた月の晩はぼやき、昼間は寝てばかりの駝鳥。満月の晩はいつもうっかり寝過ごしてしまう。


「にょろ」は、ようするに臆病なちびへびで、だけども、たまに果敢になにかにぶちあたっていくものの、あとから「あーこうじゃったわい、やってもうた」とあわてて家にもどって鍵をかけて引きこもり、「みみずく」に化けてしまう。

だからね、今年一年、「にょろ」としてはほとんどなにもしなかったと言うほかないんです。

どうでもいいことかもしれないね。そうだ、面白い夢をみたのでそれをかこうかな。

いまさっき、夢をみたんだ。中学校に遅刻する夢だった。電車にのるたびに行き先が間違ってる。しまいに走っている特急列車の外壁に飛びついてみたりして、ようやく学校のある駅にたどり着いた。するとどうだろう。遅刻した仲間の群集で前に進めないんだ。人をかき分けてみようとして、それでも学校にはたどり着けない。

でもふと、いま自分が大学生だってことに気がついたんだ。こんな時間に学校に行かなくてもいいってね。いつも寝ている時間じゃないかってね。

そうするとどうだろう。僕は、ほかに行くところもないので、行き交う中学生たちが、学校に行けないよう邪魔しはじめたのさ。

なんのために必死になって学校に行こうとしたんだろうね。

さて、仕事は順調ですか?家族は元気ですか?
今年一年、ありがとう。
これから、どうぞよろしく。年賀状書きます。

にょろより

ココロ この複雑な問題

2008年12月15日

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寝ている時間が多いが、寝ても覚めても卒論である。こころの教育である。

調べれば調べるほど胡散臭いことばだ。曰わくいまの子どもは生と死の境の意識が希薄だ。それは核家族化によって死に接する機会がないなどの生活体験の不足、生物の生き死に接する自然体験の不足による。命の大切さを子どもに伝えるためには、自然体験をさせたり介護体験をさせればいい、ペットを飼って、つまりは死なせればよい、はてはクラスメイトの父母の死を授業で扱えばいい。


……これが正気なら、残酷である。確かに死を扱うことは、極端にタブーになっているかもしれない。しかし、誰もがそんな簡単に扱えるものではなかろうに。まして意図的に教えるられるものなのか。


真剣に会議や懇談会を開いてギロンするのは結構だ。しかし、いくらなんでもこんな提言はなかろうよ。日本の教育行政や有識者といわれる人たちの考えをくむことができない……「こころのノート」を作って、実際自分でも授業をして賞賛している河合隼雄さんは、心底それがいいと思っていたのだろうか。なぜ臨床心理学の権威がこんな右ならえの教材を作ってしまったのか。もしかしたら身を削ってまでの皮肉なんじゃないのかとも思う。そうだとしたら偉大な人だ。


人間の奢りか。名誉教授だの文化庁長官などという権威を手にすれば人はだめになるのか?せめて嘘ツキクラブの部長ぐらいでいたら、もっと違っていただろうに。


生きているなら、京都大学までこのことを本人の前でいいたい。

卒論が複雑怪奇になってしまうのはあなたのせいです、なんていったら、どう返されるだろうか。

お墓参り

2008年12月13日

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朝から食堂でクッキーを作る。

午後から後輩の車で飯綱へ。

二時間くらいご両親と話しただろうか。辺りが暗くなるころお墓へ。三回目かな、ここにきたのは。たまたま月命日だったので、ご両親は墓前で般若心経を唱えた。

飯綱山からそよ風が吹いてきた。

生前、もっとたくさん話をしたかった、と痛切に思う。

夜は夜のつぶやき

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●本日は診察。「とりあえず生きていられるから大丈夫」、「簡単に治らないから、我慢してあきらめなさい」といわれ、笑ってしまう。パキシル10mg減薬へ。五千円近い医療費用は、この程度の助言と製薬会社に支払われている。


●帰ってそうそう寝る。夢を見る。亡き先輩らしき人?(髪型や面影が違った)が亡霊になって出てきて、僕は仲間と一緒にその人を囲んで楽しく話している。お父さんはたまらなくなって泣いている。なぜかお父さんには見えないのだ。僕は亡霊の様子を伝える。明日寮の仲間と飯綱に行くからきっとこんな夢をみたんだろう。


●深夜、目覚めて卒業論文、子ども死生観について書いているところ。死んだ人が生まれかわると思っていることが、命の軽視に繋がるなんて単純なことはいえない。問題は、このような意味の薄い調査をして、道徳教育で心を扱うことが、問題の解決に繋がると考える思考だ。こころは直接的な働きかけで変わる部分もなくはないが、大部分は日頃の生活の経験の収束であるからだ……と、こんなふうに文章がひとり歩きして、思考の過程を記したもので終わりそうな気がする。それは果たして論文といえるか。まだ数ページしかかいていない。間に合うかやや不安で気が重い。


●愛しい、と書いて「かなしい」と読む。なんとなくわかる気がする。かなしむことは必ずしも悪いことではない。かなしみは隠すべきではなく、共有してこそ、そこに癒やしが生まれるものかもしれない。

伊那行き

2008年12月10日

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伊那の名物、"じゃんかつ"というものを食べた。ゼミの同期と。

ご飯三合のうえに、二人前くらいのカツがどかんとのっている。これだけ食べれば、一週間なにも食べなくても平気な気がするほど、もったいない量なのであった。


4人注文したが、体重の一番軽いみみずくだけ完食した。油がふつふつと体をめぐっている気がした。最近、玄米と野菜ばかり食べていたからよけいに。……ごちそうさまでした。もうこれ以上も新しく望むものは、なにもないです。


食べた以上、そのエネルギーを有効に使わなくては豚さんに申し訳がたたぬ。だから、……今はお腹が苦しいから……明日から、頑張ろう。

それに今日は、いろんな人たちと接して、自信をもらえた。伊那と長野の往復、話せる時間はたくさんある。


いただいて生きている。与えられて生きている。支えられて生きている。と、感謝しつつ眠りにつく、夜でした。

Just what you need. Cookie Break!

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今日は寮の集まりがあったので、土曜日に飯綱へ行く人を呼びかけた。


そして何をもっていこうか話した結果、クッキーを焼こう、ということになった。クッキー。なんだか明るい感じでいい。作ったことないけれど。クッキーだって!!考え
ただけで楽しくなる。いいアイデアだと思う。


寮の仲間の力、大きい。一人では、できないことが、できる。


きっとよろんで下さると思う。そして元気がでるよ。みんなでクッキー食べれば元気がでるよ、きっと。


とことん甘いのをつくろう。頭が甘さでいっぱいになるくらいの。よし。

22歳

2008年12月8日

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最近、感謝することを忘れている自分。
自分のことばっかり考えている自分。
レポートを書きながら、進路の事をもやもや考えていて、何とはなしに22歳と検索してみた。

晴海22歳の闘病日記 ~死ぬまで生きた~
http://ameblo.jp/toubyou/
11月25日、僕は癌だと告知を受けました。長ければ半年もつそうです。やりたいこととかまだ、思いつかないけど、何か記録をつけたいと思いました。


同じ歳で、こんなことを考え、生きていた人がいたことを知る。
はっとさせられた。

飯綱町から

2008年12月3日

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夕方、見慣れない番号から電話。先輩のお父さんからだった。


たくさんの野菜とリンゴを寮に届けて下さった。なんてお礼をいったらいいか。


昔の事務当番日誌があったから、お見せした。たくさんの書き込み。なにかもう字のかたちだけで、わかる。間違いなく、生きていた証。


今度お会いするときまでコピーしておきますね、と言った。やっぱり欲しいそうだ。あたりまえだよ。かけがえのない娘のものだもの。

「いつでも遊びに来て」といって下さった。寮をでていく時、お父さんの後ろ姿は、すごく寂しくて切なかった。もう、僕はどうしたらいいかわからない。


先輩、いま、どこにいるの? なにをしてるの?


お父さんの姿をみると、なにもしないではいられなくなる。けれど、自分に、なにができる?


なにができますか?


それは、これからもずっと先輩の家族と関わりを持ち続けていくこと、なのかもしれない。

君津から長野へ帰る

2008年11月30日

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昨晩、上総の山のなかの一軒家で夜を明かした。雨が降ったので、結局テントは使うことなく終わった。シュラフも。余計なものを装備していて肝心なものを忘れることがある。


昨晩、夜中にてひどい発作をおこしてしまった。あいにく薬を持っていなかったので、息ができず、死ぬ思だった。過呼吸か、喘息だと思う。喘息のばあいまえの医師はためらわず救急車を呼べといっていたが、さすがに、できなかった。


今朝、鴨川まで降り、救急病院へ連れていってもらう。救急外来は大学にはいって二回目。前はバイト中に指をつぶした時。絆創膏をはっただけですんだが。


喘息のほうは噴霧した薬剤を吸って、ステロイドの点滴をうったら、すぐ症状が収まった。


ひどい喘息の場合、噴霧がきかないことがある。小学校のとき下の学年の女の子が、救急車のなかで亡くなったのを思いだす。常備薬は常に持ち歩く。野外での基本事項を、僕は、忘れていた。


いまから長野へ帰る。

きさらづのねこ

2008年11月29日

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夜更けの汚れた街に、猫一匹と、一人。


猫はちゃっかり荷物の上に乗っかって、動こうとはしない。じっとしてなにかに耳をそばだてている。


猫はノラだが毛並みもよく、少し太って幸せそうだった。「幸せ」という概念をもたないからこそ、幸せそうに見えるのかも知れない。


逆に不幸を嘆いている猫なんかいない。むかし病気で歩けなくなった猫を家に持って帰って介抱したことがあったが、あのとき猫は、歩道橋の下で、通りがかった僕に何度も鳴いた。鳴いたのはそのときだけだった。自分を助ける行為として、鳴いたわけで、まるで、嘆くという、およそ現実を変ることのない行為は生きぬくために他に必要な努力のために省かれているかのようだった。

金曜日の思いつきと木更津の明けない夜

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また金曜日がきた。明日は寮祭の最終日で、善光寺の参道を雑巾がけするのが寮のならわしだが……
衝動的にどこか遠くへいきたくなり、夕方の高速バスに飛びのってしまった。いま千葉にいる。今日のうちに君津にいけるだろうか。
街のいちばん大きな交差点で騎馬戦ができるのも学生のうちだけだが、こうも無計画に行動できるのも、おそらくは、いまのうちかもしれないと思った。
とにかく、いま、姉ヶ崎にいる。右にいくも、左にいくも、勝手きまま。



久留里線、わずかな差で終電……木更津どまり。

駅で夜をあかす気力もなく、ビジネスホテルをさがすことに。これじゃ明日の朝、新幹線に乗っても、そっちのほうが安かった……てか、なんのために三キロもあるテントとシュラフをもってきたんだ?


木更津駅前にらしきものがない。さまようこと二時間。よくあることだ。


……ラブホテルがたくさん(汗) かつてのユースホステラーが、ここに甘んじていいのかと思ったが、僕ももう年だ、ええい、入ってしまえ。


一件目。入り口にたつとごごごご……という音をたてて巨大なカーテンが自動的にあく。なかには怪しげなネオンが輝き、車がびっしり。無人。なおかつ満室。きっと必死になって少子化対策に貢献してるんだろう。別をあたる。


二件目。ここも駐車場がいっぱい。出会いがしらに手をつないだ、若いカップル。みみずくはテントを背負い、ジャージ姿。あからさまに気まずいぞこりゃ。


ここはフロントに人がいた。


みみずく「…あ、あの一人なんですけど、泊まれますか? 電車逃しちゃって……てへへ」


なにがてへへだ。


受けつけのお姉さん
「すみませんね。週末で混んでて、7000円のお部屋ならありますが」


みみずく
「……あ、え、あのう、そんなに……てへへ」


厚かましくも、安いビジネスホテルの場所を教えてもらいましたとさ。


くそ、無駄金つかった。いつもの二番の深さで寝てやる。

ウイルス感染

2008年11月26日

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どうも、軽い風邪をひいてしまったらしい。僕はまず喉のいたみから始まることが多い。今は頭がぼーっとする。


風邪の原因は、ウイルスの感染である。寒さとか栄養不足は二次的な原因であって、それだけでは風邪にならない。ウイルスは自然発生しないから、特殊な場合をのぞき、人から直線的、間接的にうつされたことになる。

これが新型インフルエンザだったら……


WHOの試算だと確か新型インフルエンザの致死率(どの型か忘れた)はこれまでのインフルエンザよりはるかに高い、60%台だったように思う。


感染が爆発的に広がることをパンデミックというそうだか、これは近い将来、確実に起こるといわれている。パンデミックが起これば、最悪のばあい、社会機能が停滞し、人々のあいだで食料確保などの目的で暴騰や略奪がおこるといわれる。


危機に直面した時、仮面をつけない人間の素顔がみえてくる。


自分が生きるために、自分がどこまで悪になるのか、考えてみるだけで、ぞっとする。


風邪対策はしっかりしよ。

2008年11月23日

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ははあ。今日も無駄な1日を過ごした。生まれてから指おりに数えられるほど、じつに今日は有意義な時間を浪費した。


しかし、うっかり小説なんか読んでしまったので、場合によっては、もっと無駄にできる余地はあった。

時間をなにもしないで過ごすのは、思うに、最高の贅沢である。


「寝るより楽はなかりけり。浮き世のばかは、起きて働く」


のこり数時間あるが、間違っても机にむかってはいけない。卒論のことなんて考えてもいけない。外にでてだれかと話そうなんてもっての他!


無駄な時間を与えたもうた神に感謝し、きたるべき困難に備えて惰眠をむさぼるべし。

なにもない日中

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部屋の奥まで、冬の日差しがとどく。

漠然とした不安。

高校生のときに買った、大江健三郎の本をひらく。知識人のことばは、平易に書かれていても理解できない。

なにもする気がおきない。

鏡をみる。生気のない醜い顔。

ウクレレをかき鳴らしてみる。陽気なはずの楽器がどことなく陰鬱な音をたてる。

窓をみる。雲が東西方向にがゆっくり流れている。

遠くで犬の吠える声。部活動をやってる声。天井のボイラー管を伝わってかすかに機械音。

鳥が少しなく。風がそよぐ音も。

時間は刻一刻とすぎ、日は傾いてゆく。広大な時間の流れに、身もこころも溶けてしまいそう。そうだ、溶けてしまえばいいのに。

何か危機的なことが、こうしているあいだも、じわりじわりと迫ってくるような気がする……

タバコをのむ。悪しき習慣。しかし結局人はだれしも慢性的に死にむかう病にかかっているともいえる。

だからどうというわけでもないのだけど。

昼だけど寝ようか。それがいまできるもっともうまい時間の過ごし方。

寮祭だよ

2008年11月21日

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今年も、みみずくの住む寮の祭の時期がやってきた。 去年は善光寺の参道を雑巾がけしたり、町を練り歩いたり、スクランブル交差点で騎馬戦したりしたっけ。 元気だったから、たくさん仕事もしたし、楽しかった。

今年は休学しているあいだ、顔の知らない仲間がずいぶん入ってきて、うまく溶け込めるかどうか。それに、ばか騒ぎする元気が、もう、ない。べつに精神的に大人になったからでもない。単に歳をとってしまったからか。悲しいことだ。

大人数の飲み会は、というより大人数のなかにはいることは、かなり苦手だ。
そういう人は、じつは結構多いらしいけれど、数日前から、そのことを考えるとおなかが痛くなるくらいだから、よっぽど苦手らしい。ビオフェルミンを飲んでもきかない。飲み会が毎週あれば、一年中腹痛ということになる。

明日から、部屋にひきこもらないで、できるだけ、参加しよう。一歩踏み出さないと、なにもはじまらない。あまり深く考えないで、とりあえずは、外に向かおう。

・・・てなことを考えているくらいだから、やっぱり負担なんだよな。
いつから、こんなふうになっちまったのか。

魔女鍋?

2008年11月18日

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冷蔵庫の一斉開放。

野生のナメコ、エノキタケ、イカまるごと一匹、泥ネギ半分、本来処分されるの牛のどこかの肉を少々、キャベツの芯を最後にいれ味噌でぐつぐつ煮込む……。

赤いスープから、面妖キッカイな香りがたつ。

白いエノキが赤くなる。
海の軟体動物と山の菌類の組み合わせも……ただならぬ妖気を発している。

これを食べれば万病もたちどころになおるか、もしくは、たちまち頭が錯乱して、踊りだしてしまうかのどちらかであるように思われた。


食す。


……別になにも起こりはしなかった。


野生のナメコは、長野ならでは。本当に良い香りがして美味しいです。

人生長いのですから……

2008年11月17日

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教師を志望し、採用の決まった教育学部生の熱いスピーチを聴き、ひそかに凹む。気概も能力も、はるかに劣ってるような気がして……


…帰ると、祖母から手紙が。


「人生長いのですから、気を大きくもって進んで下さるよう…」


御年八十二歳。八十年はさぞ長いことであろう。……うぬ。こちらもなかなか説得力がある。


精神の病をきたすから、バイト先のコーヒーで中毒にならないように、ともあった。


うぬ。もう、なにもいえぬ。


明日のことを気に病むのは、すこし寝てからにしようか。

安曇野の庭で

2008年11月16日

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自ゼミ企画。自転車で穂高町から豊科の廃線後、白鳥湖をまわる。


高い木の梢にとまるさぎの白い翼が、安曇野に冷たい冬を運んでくるよう。


柿や野生の、のびるなどを採取した。のびるなんて最近はめったに見かけなくなったし、知っているひともほとんどいなかった。


小2の時、担任先生に連れられて、学校の裏山をのぼって、湘南の海が見える公園にいき、みんなでしいの実やサクランボ、のびるなんかを探して食べたっけ。


あの頃が懐かしい。新鮮な驚きは、時を経ても鮮明に覚えているものである。いま、当時のみんなはどうしているだろうか。今となっては、それを知る手がかりもない。


みみずくは、来年、自分が生まれた逗子に戻ろうと思う。もしかしたら、クラスメートの子どもにあうかもしれない。

金曜日の朝

2008年11月14日

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金曜日は終わりの日。


旭山の紅葉が燃えるよう。ここに来たばかりのとき、あの中腹まで登ったっけ。


明け方、あの山に月が沈むころ、あそこから鹿らしき動物の鳴き声が聴こえる。時々、フクロウか、ミミズクの鳴き声も。

さすがにそんな時間は寮もひっそりしていて、夜更かし好きの彼らに親しみを覚えたりする。


千年まえもあの山があったように、千年たっても、あの山も空も、月も星も、きっといまとたいして変わりはしないだろう。あと千回、木々が赤や黄色に染まるあいだ、人間は、この山の麓で、目まぐるしく、現れては消えていく。


そのなかにはきっと一人くらい、あの紅葉をみて同じことに思いを馳せる人もあるかもしれない。

助けてくれ〜 なんていえないね!

2008年11月12日

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また病院へ(泣)

「これで、薬を減らすと、どういいうことになるか、わかった?」

「……もうどうしていいかわかりません」

「一朝一夕でなんとかなるもんじゃないよ。苦しいからといって、それを一瞬でとりのぞけるなんて都合のいい方法は、ないよ」

「……はい」

かくして三環系は結局、もとの量のに戻された。


ある先輩から手紙をもらった。弱さをだす、"強さ"もあるって。確かにそうだけれど。同じ気配をもつこの人を巻きこみたくない。絶対巻きこんでしまう。そしたら、ともだおれだ。

ほんとは構ってほしい、素直に助けてもらいたい。何時間も一緒にいてほしい!!

でも、もう構わないで欲しいといってしまった。

みみずくは今日までいろんな友達に頼り助けてもらった。でも、人を道ずれにするほど、巻きこんでまで、頼れるはず、ないじゃないか!

んなことは、間違っている。つらいけど、ここに書くことで我慢する。 なにも死ぬわけではない。いつかはなんとかなるように地球はできていると、たぶん、思う。

このことを本人に伝えたいけど、それも我慢すべきと思う。まちがいなく、伝えた瞬間、甘えがどっと、押し寄せてくるはず。ああ、気がついてよかった。


そうしたら、あとは自分を頼りにするしかない。しかし頼りにならねんだなあ、こいつがいちばん!

駝鳥になったわけ

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悲しさとか淋しさとか、底知れない不安とか、そういったみみずくの心のわだかまりを、ともすれば人に押し付けようとしてしまう、嫌な自分に気がついた。

背負っているのは自分だけではないのに、そんなことはお構いなしで、自分だけが助かりたいと思っていた。

だからみみずくは、いつまでたっても闇夜のみみずくは、駝鳥で、飛べないんだよ!

こんなざまで、これからも生きていきたいとは思わない。教師になんてなっていい訳がない。どうして子どもの心の痛みがわかる? それを受けとめられる?

撤回したい。これまでのことぜんぶ。1からでなおしたい。こんな嫌な自分を通して生きていたくない

実験の考察および予後の経過の観察状況

2008年11月11日

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結局、あの晩は何も起こらなかった。
ただ、カフェインのせいで、余計、眠れなくなるだけであった。
<まったくの時間の無駄>これが実験の結果、というよりは、代償か。
けだし、調子の悪くないときは、悪い時のぶんだけ、すべき事をすべきだ。

今晩は、せめて、一時間でも、三十分でも、たまった仕事をこなそう。
できるときにやらないと、あとで、取り返しのつかない事態になる。
そのとき、たぶん、僕は、あわてて余計なにもできなくなり、だめになるだろう。
そんなことは、いままでしょっちゅうあった。

今宵は、至って平穏なのだから・・・それなりに、一人でいる自信もある。

「なすべき勤めをなしたるは果てに
身を立て道を尽くして後に・・・」てな歌を、そういえば、昔よくうたいました。

おそるべき人体実験

2008年11月9日

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どうも先日の発作は尋常でなかった。
いろいろ調べてみたら「パニック障害」というのに行き着いた。

これ以上自分の病名を増やしたくないが、
極度の不安、動悸、息切れなど症状の幾つかが当てはまる。

それにあの晩、僕はやたら濃い珈琲を飲んだ。
カフェインが発作を誘引するとあった。
珈琲を飲むのは、それによって一時的に気分が上向きになるからだが、
それが反作用を起こすという。
ニコチン、アルコールも同じ。
気管支拡張剤をたまに使うが、それも原因になるという。

あれから、またいつおかしくなるかと思うと、こころ穏やかでない。

医者に相談すべき? それとも、しばらく様子をみる?


・・・・・・ここでおそろしい妙案がみみずくの脳裡に浮かび上がった。すなわち、もしこの前のが、パニックであるならば、わざとそれを起こすことも可能なのではないか。

いまから高濃度のカフェインを摂取し、様子をみることにする。もし、その後極度の動悸や不安感に襲われれても、これは「実験」と割り切って、耐えよう。そして、すべては「勘違い」なのだと。

で、もし異変があったら、後日、医者へいこう。

めちゃくちゃに濃い珈琲を飲む(22:40)




発作がおさまった

2008年11月7日

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突然、まえぶれもなく不安がおさまった。


不思議なくらい、1が、0になった。胃のあたりにおもたい感じをのこして、嫌な感覚はなくなった。このまま苦痛がつづけば、救急車をよぼうかとおもった。辛かった。

いったいなんだったんだろう……久しぶりに訪れた、魔の時間だった。


冷静に考えて、最近、身の回りのことで不安要素が増えていた。にしても、こう発作的におかしくなるのは、最近なかった。

だれかが助けてくれたのかもしれない。


これから先も、今日みたいなことがあるかもしれない。そのときは、時間が、たてば、おさまることを思いだそう。決して下手な行動にでないで、じっと時を待とう。

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夜中、いきぐるしい。苦痛。入院前と同じ。いてもたってもいられない。どうしたらいい? くそ。くそ。くそったれ。よりによってなんで今日?
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、あたまをぐしゃぐしゃにかきまわす。
絶望。

これはほんとにうつ病なのか? なんかちがう病気なんじゃないのか? 呪いなんじゃないか?

頓服薬をもらっとくべきであった。とにかく朝まで布団にくるまってまてばいい……


大丈夫だから!
大丈夫だから!

すべての絶望は勘違いであると、だれかがいってた。病気はなおさなくてはいけない

診察日 減薬へ

2008年11月6日

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神経科のまえに朝いちばん立っているっていうのは、やっぱりあまり人に見られたくないものだ。

昼間の眠気がひどいので、三環系のほうを減らすことにしてもらった。


ほんとうは抗うつ薬より、不安薬をもらいたかったのだが、依存したらこわいから止めた。


減薬して、不安がいまより強まったら、また考えよう。なにも、無理して耐える理由はもうどこにもないのだから。


とにかく先生のいうには、この病気は、他の病気と同じように考え、特別に考えないこと。そして、自分には「免疫」がないと考えたほうがいいこと、だそうだ。

救世主

2008年11月5日

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そこでなかば、アホらしくなりつつ、みみずくは妙案を思いつく。


(狼が一匹……)


さあ、羊をまるのみにしてしまえ!


すると狼いわく「おれ、かわいそうで喰えないです」とぬかしよる。


かわいそうって、どうやって生きてくんだね?


狼いわく「草、喰う」


あほか! お前は、ホームセンターで売ってる「猫が食べる草」を喰う猫か!


んなことを考えていたら、もう外は明るくなっていた。

羊の大群

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眠れない。眠れないぞ、こりゃあまったく、じつに悪意にみちた、手ひどい眠れなさだ。


眠くて眠くて仕方ないはずなのに、眠れない。羊がもう500匹も通りすぎたというのに。


英語じゃないといけないのかな。シープ、シープ、シープ。スリープ。迷える子羊。


しかし羊が500匹になるまで、なにもうたかわずに数えつづけたみみずくは、根気づよい。見込みがある。地道な努力であった。


頭んなかの、羊が500匹は、好き勝手にあばれはじめた。歌うもの、踊るもの、こら、静かにせんか!


そのうち、羊たちは勝手に恋愛して、さらには子どもをばんばか作りやがって、みるみるうちに増えいく……


なに? 頭んなかが狭いだって? 勝手に主張しやがってこのやろ。ここはいやしくもみみずく様の土地であるぞ。


今日という今日こそ、卒論をかかなくちゃいけないんだから、どうかみみずくに眠りを与えてください。


そのうち、羊は子どもを連れて一匹、一匹と消えていく。マイナス一匹、マイナス二匹……


あと498匹と数えないと、僕は眠れない。

電話・遺伝子の宿命・パンデミックフルー

2008年11月2日

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めったに着信のない携帯電話に、2日にいっぺんくらいの頻度で、さる女性から電話がかかってくる。もうここ最近、ずっと。

みみずくはわざと五回に一回しかでない。


今日はでた。


悩みごとを聞く。その人は「お金が盗まれた」、という。


雑音から察する……電話の向こうには、きっと、他に一緒住んでいる人たちがいるだろう、と。そしてとっさに思う。わざと電話のみみずくに、盗難のことを話すことで、背後で聞いている人に疑いの目をかけ、様子をうかがっているのだと。


みみずくはいう。「周りの人を疑いすぎても、気まずくなっちゃいますね……今度から、鍵をしめるなり、気をつけないといけませんね……」


それぐらいしか、いってあげられない。


それが、みみずくの、その人の為にしてあげらる、せいいっぱいのこと。

生き物ははどうしてコミュニケーションをとるのだろう?

人はどうして言葉を手繰るようになったのか。

それは、仲間を危険から身を守るため? 感情を表現するため? 人を愛するため? いずれにせよ、進化の過程で、言葉を手繰るようになったからこそ、人間という生き物は、繁栄した。

じゃあ、どうして生命は繁栄を目指すのか。どうして生命の遺伝子は、他の種を、時には仲間を滅ぼしてまで、自分の種を、後世に残そうとするのか。

そう考えると、なにもかも虚しくて、やりきれない。

そういうときは、部屋にこもって、布団をかぶって、じっとしているに限る。まったく、そうするに限る。

・・・ただ、自分の命を賭しても、自分以外の命を救うことがある。種に関わらず。それは生命の進化の常識からいって、例外的な行為だ。しかし、人間は、時にそういうことをする動物だった。

鳥インフルエンザの感染を扱った、NHKスペシャルの「パンデミックフルー」ドラマを見た。爆発的な感染の広がりをみせるなか、病院は新型インフルエンザ患者の受け入れの選択を迫られる。ワクチンもできておらず、自身の感染のリスクを抱える中で、医師は患者の治療をうけいれる。もちろん、病院を逃げ出す医師もいる。

やがてその病院は、飽和状態に陥る。そんななか、一人の老患者は、延命を拒否したことで、別の一人の患者が救われる。

種を残す、云々の議論ではない。もし、目の前に、生きるか死ぬか、あるいは救うか見殺すかの選択肢があれば、ひとは往々にして前者を選ぶこともある。

極限状態にある人間が垣間見せる人間性と非人間性。

はたして自分はどちらだろうか。それはだれしも、そのときになってみないとわからない。

たまに眠れない夜

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寮の先輩から、ご飯食べいく約束をした。


親しいといえど、女の先輩だし、ほかはこない。最近本当に親しい人いがいと話をしていないし。

会話に詰まったらどうしよう?


そもそもどうやって並んで歩けばいいんだ?


店のドアはどっちが開けりゃいいんじゃぁー…


真剣に悩むみみずく。


悲しきかな、ただ一緒にご飯を食べにいくだけなのに、どうしてこう、嫌なことばかり考えてしまうのだろう。みみずくはいつから人を疑うようになってしまったのか。


悲しいけど、これがいまの自分。

残寮体制にはいります

2008年11月1日

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今日は残寮当番。残寮とは文字通り、一日中、寮に残って当番・・・といってもほとんど事務室にいて暇してればいいのです・・・だ。卒論が進むといいのだが。今日はなるべく寝ないように努力しよう。考える一日にしよう。そう誓って一日が始まったのでした。

AM5:00 卒論執筆、断念
ってまだ早いよ? まだ暗いよ? 当番始まる前にまたねてまうでないか! 頭の体操に、いまの大学生を斬る。


1 朝のニュースをみていて
▼大学生の間で大麻がはびこっていて、逮捕者が出たとのことだ。みみずくと年の近い学生が、薬物に手を染めているとは、少なからずショックなことだった。受験を突破し、一流大学に入って、さあこれからというときに道を誤ったこと、留置場にのなかで彼らはどう思うのだろう▼心に隙間があると、悪はどこからともなく忍び寄ってくる。心の隙間とは思うに、将来に向かって勉強したり、将来にそなえて遊んだり、お金を稼いだり、恋愛をしたり、スポーツにうちこんでいれば、できないものかといえば、そうでもない▼メディアが騒ぐ要因は、それが“名”のある大学であったこと、つまりスキャンダル的な要素が、情報を浪費する側にとって“うけ”がよいことが、当然考えられる。お茶の間で「ああ〇〇大学も、地に落ちたわね」と、学歴コンプレックスをもつ大人が、眉をちょっとひそめて、内心(自分の大学でなくてよかった)(自分の息子・娘の大学でなくてよかった)と思うひともいなくはないだろう▼けれども、問題はもっと深刻だ▼(ここから暴論)今日、大学という場所ほど、ある意味、世の中から離れている場所もない。だからこそ、学ぼうと思えば、明日の事を心配しないでも、勉学にもしようと思えば熱中できる。かつて学生が社会に影響力を持った時代もあった。学生運動である。みみずくの住む学生寮など類は、格好の地下組織の場として機能していたらしい。信大は、寒させいか、キャンパス同士の地理的な障壁のせいか、あまり学生運動がはやらなかったそうだが、それでも古い教授の話を聞くと、なんでも当時、大学側と学生がわかりあうために山に登ったそうだ。それが、今日もなごりとしてある必修の授業残っており、学生は志賀高原ののぼらされる▼それはさておき、いまの大学には、そういった反体制、反抗的主張、社会批判精神は影を潜めてしまった。殺人や暴力まで発展した学生運動は、そのご忌まわしき歴史の事実として刻まれる。 けれどもその後、大学が純粋に教育機関として働くようになったかといえばそうでもない。こんどは学生が前ほど議論しなくなり、社会に疑いをもたなくなり、おとなしくなっていった▼学生は、かつて社会の病理と矛盾に闘っていた。いまは、世の中の病理に飲み込まれてはじめている。みみずくは、この先もっとこういった事件が明るみになっていくと思う。




書いてみたものの・・・・・・なんかこう、いまいち説得力のある文章が書けなくなってきた。具体性に欠ける。むかしはもうすこしましなことを書いた気がする。第一、自分で書いていうが、読んでいて面白くない。話題の選択からして面白くなるはずもない。文章の最後はお世辞でもいいから希望を書くべきだと思う。それが、読み手への配慮だ。これじゃ、まるで近い将来、日本中の大学生が麻薬に手をそめ、社会が根底から崩壊するみたいである。そんなことはまず、ないだろう。

PM18:00
だいぶ寝ました。卒論も本のすこししだけすすみました。先行研究に終始。といって論文を2つ読んだだけ。はたしてこんなんでいいのか? いいわけない。正直申し上げると、論文なんてかける身の程ではない。これからだいぶてこずりそうだ。

PM19:45
誰も来ない。ここは廃墟のよう。まるで長期休業中。この寮に人はいるのですか?と(不安に)思って駐車場にまわって窓の明かりの個数をみた。階に1人はいるようだ。こんなんじゃボイラーわかすのがもったいない。



ちと、南半球へ、いってみた

2008年10月31日

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浅い眠り。
目覚めれば変わりばえのない現実。夢想する。


標高数百メートルのこの地から、このまますとんと落ちてゆき、固い地盤を通りこし、灼熱のマグマを通りこし、地球の反対側の、夏の海に浮かべばいい。


そしたら数年かけて、日本に帰るから。ずたぼろになって、鍛えられて帰ってくるだろうな。あるいは帰れないかもな。


現実はいま、日本で10月さいごの朝。金色に輝く銀杏の木の上にオリオン座がみえます。虫たちの音はいつのまにか聞こえなくなりました。葉が落ちればいよいよ冬きたる。


どうも、なぜだか、今冬は、例年にまして、厳しく、なりそうな、予感が、する。

真夜中の迷言集

2008年10月30日

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・・・眠いぞ。このままでは冬眠してしまう。
寝過ごして、朝飲むべき薬を夜に飲んでしまったのがいけなかったか。
とにかく、がっくり、眠い。


減薬について、次回こそ、きいてこなくちゃいけない。
いまは寝ていられる環境だからまだいいが、
いつまでもそういうわけには行かないだろうし。


さて、久しぶりに、大昔の日記が発掘され、読み出したのはいいが・・・

◆いっしょに仕事をしているけれど、みんな本当は一人。わたしも一人。自分が誰からも気にかけてくれないことを思って、淋しさでどうにもならない時もあるんだろうか。人間だもの、きっとそう思ったこともあったに違いない。程度に差こそあれ。
◆大変なのは自分だけではない。友に幸あれ。(友の浪人の報をうけ)
◆相変わらず、人参はえばっていやがる。
◆瞬間的に迷ってこういった。「飲んだほうがいいですよ」と。「ほうがいいですよ」というあいまいな言い方、さえない言い方に自分であきれて、すぐに眠たいフリをはじめ、そのうちほんとうに眠ってしまった。翌朝すごく感謝されて、ここ数年間も感じたことのないくらいにうれしく思った。(深夜、出雲行き夜行列車にて、隣のオヤジとの会話)
◆自分の頭の中よろしくわけがわからない。仕方ないから見入っているフリをする。・・・さんは私とあまり話をしたくないらしい。きっとまるで芸術とは無縁な人に映ったからかもしれない。・・・さんも変な人だと思った。でも完全に変な人ではない。(ある芸術家の個展にて)
◆YさんとHさんは私のために神に祈ってくださったが、宗教を信じない私にとって、この人たちは不思議であるとしか思えない。(教会にて)

・・・・なんだかよくわからないことが、米粒ほどの字でびっしり書かれている。ん? 教会・・・そういえば、思い出した。あの日、僕はある人の誘いで、生まれて初めて礼拝に行ったのだった。いま、あの人はどうしているだろう。

人は私にそういう外見の傷や、その人が気にしていることには触れずに、あたかも気がつかないように接するべきだと教える。しかし、・・・さんのは顔で、しかも女性が一番気を使う部分が、はじめて見た人ならぎょっとするほど醜く傷ついているのだ。このやけどの跡がこれまで・・・さんをどれほど苦しめたかのか想像を絶する。けれどもこの人は底抜けに明るく、笑顔もたえない。告白すると、・・・さんはそのやけどの跡がなければ美人な人なので、私はピアノを教わりに教会へ行ったのかもしれない。私は人を心で水に外見を見ている。この目が、・・・さんの傷を心よくないものとして避けようとしている。それでいて笑顔で、・・・さんと話を交わしているのは、それが偽善でなくてなんであろう。


・・・さんは・・・歳で一人身、両親ももうおらず、心底から愛してくれる男性もなく、淋しいでしょう?と聞くと淋しいとこたえた。私は教会へ赴いてピアノを習ってみようかと思う。それがこの人を苦しめるようなことになりませんように。でも本当にそうなるだろうか。


ああ、そんなこともあった。結局僕は、ピアノを習いに行かなかった。もうだいぶ昔のことである。以来、キリスト教とも縁がない。あの人はいまどうしているだろうか。神様がそばにいるのだとしたら、きっと幸せでいるだろうか。

昔の日記を見ると、あれから自分がほとんど成長していないことに気付く。案外、変わらなかったところに、自分の大切にしているものがあるのかもしれない。

秋の森遊びへ行く

2008年10月28日

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日曜日は長野県キャンプ協会主催の秋遊びへ参加してきました。八ヶ岳のふもとの富士見町にある森の中で、近くの子どもたちといっしょに、クラフトをやったり、バームクーヘンを焼いたり、焼き芋を焼いたりして、一日を過ごしました。久しぶりに、「野外活動」をして、なんだか昔の調子が戻ってきたような気さえしました。
引きこもりの「みみずく」は、ひさしぶりに「にょろ」になり、<ビー玉焼き>なるものをやりました。色とりどりのビー玉を、炭火の中に投入して、じっくり焼き、水の中に入れると、中にヒビがはいり、ちょうどトパーズのような、きれいな石に変化するんです。喜んでやってもらってうれしかった。彼らが大人になったとき、火を見て、思い出してやってくれれば。
行きと帰りの車で、ゼミの先輩であり、いまは小学校の先生をやっている先輩といろいろお話をしました。授業研究や校務に追われ、想像以上に過酷な職場のようです。

久しぶりの松本

2008年10月24日

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今日は自ゼミにいきました。
今年2月以来。はじめて見る新しい一年生がたくさん入っいて、教室いっぱいだった。机を輪にして意見している姿をみて、ああ、変わらない、自ゼミだなと思う。


一年生! 目に入るものすべてが新しく映るのが一年生だと思う。迎える季節もはじめて。あの時は今にくらべたら、ずっと未熟なところもあったし、もっと世間知らずだったかもしれないけれど、未知のものへの憧れや探求心、行動力はいまよりずっと大きかった。一回だけ過ごした松本の秋は、本当に短かったけれど、下宿から見る山々の風景は、色鮮やかに、記憶に残っていて、それを思いだすと、不思議なことに、切なくなる。(それほど遠い昔の話でもないくせに)


そして四年前、うすら寒い下宿で頑張っていた自分に、会えるものなら、ちょっかいをだしにいってみたい。


「後ろなんて見てる暇があるなんていいですね、先輩!」 なんていわれたら、たちなおれないな。

ともだちとよるのさんぽにでかけるのまき②

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「考えかたひとつで、生き方がまるっきりかわる、なんて思ってるのは、おまえさんかね?」

みみずくは、ふとそんなこえをきてぎくりと飛びのきました。
声の主は見当たりません。ただ、雑草が生い茂った柵の向こうに建物らしい壁があるだけです。ちびへびは銀木犀の香りに誘われ、もう先へ行ってしまいました。

みみずく:「だれ?」

冷たい一陣の風が、山から吹き降ろしました。木の葉が一気に舞い落ちてきて、からからと乾いた音をたてました。みみずくは、きっといまのは空耳であろうと思い、また一本の細い道を、壁に沿ってあるき始めました。

建物の入り口にさしかかったとき、みみずくは、さびついた鉄の門が、風にあおられてぎいと音を立ててあいたのに、ぎくりとしました。「食肉加工場 関係者以外立ち入り禁止」

ちびへび:「〇〇ハムの工場だよ。さいわいへびとみみずくは扱ってないようだけどね」

みみずくはさっきの声の主がなんとなく、気のせいではなかったことを思いました。



   
   * * *


さて、ちびへびと別れ、飛翔したみみずくは、自分がここ数日なにも食べていないことに気付き、巣に帰る途中に、せめておなかを満たしておかねばならないと、だしぬけに考えたのです。みみずくの目は、すぐに、木の根元で、同じく餌をあさっている野鼠の子どもを見つけました。


こねずみ:「!」


みみずく:「ごしょう!」


こねずみ:「まってください!」


みみずく:「なんだい?」


こねずみ:「ぼくはしょうねんです。まだこどもです。児童です。子どもの権利条約で保障されています。この国で効力を発揮する国際条約ですから、当然この森のなかでも効力を発揮し、ぼくの人権をほしょうしています」


みみずく:「・・・?・・・それはわかる。だけど、こちらも君を食わないことには生きていけない。心は痛めている。信じてくれ。だが、一回一回、それをためらっていては、飢えてしまうのはわかるね?」


こねずみ:「そういっていつの時代も大人は子どもを食い物にするんだ。子どもを商品にして私腹をこやしている。ずるいやりくちだ。ずるい!ひきょう!ろくでなしぃ!」


みみずく:「そうはいっても、きみを生んだご両親だって、大人だろう・・・?」


こねずみ:「問題を一般化するのはフェアじゃないと思う。僕の両親はそんな大人の仲間じゃない。ぼくはあなたの良心を信じますよ。」


みみずく:「じゃあ、あんたの両親をくわせてくれ。」


こねずみ:「・・・・・・」


すると、茂みに隠れていた、両親が出てききました。


ちちねずみ:「どうぞ、おたべください。わたしたち、じゅうぶんいきましたから」

みみずく:「いや、や、いくらなんでも、お子さんの目の前で、とはいくらなんでも・・・」

こねずみちちねずみ:「それ、いまだ!!」

* * *

月夜のみみずくは、おうちに帰って、内側から厳重に鍵をかけ、傷だらけになった羽に、ヨードチンキを塗りました。ヨードチンキで赤く染まった羽を包帯で巻くと、もう東の空は明るみ始め、街のほうからは、煙が立ち上りはじめているのがみえました。なにごとも明るい一番鳥たちも鳴き始めました。みみずくとはもう何年も縁がない仲間たちです。長い、惰性な朝が始まる前に、みみずくは、とにかく今日一日が、無事で終わったことを神に感謝し、明日の晩は、夜間病院にでも行くべきなか、それとも、食料調達に行くべきなのか、ちょっと迷い、案外ころっと寝てしまったのでした。              おわり









ともだちとよるのさんぽにでかけるのまき①

2008年10月23日

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月夜のみみずくは、あまりに「うつ」が酷いので、散歩にでかけることにしました。森をでたところで、友達のちびへびと会いました。ふたりはいっしょにならんであるき始めました。秋も深まった晩、青白く輝いた月が、深い森をひんやりと照らしています。


みみずく:「どうもね。ここんとこね。調子が悪くってね。いけないね。実にいけない。」

ちびへび:「ふーん。」

みみずく:「・・・」

みみずく:「なんというか、胸の辺りが、こう、ふさがれるような、重い感じがして・・・、薬はもうずっとのんでるんだけど・・・」

ちびへび:「ふーむ。」

みみずく:「なんなんだろうね」

ちびへび:「幼児期の偏った生育環境から生じたいまの君の性格の歪みから生じている問題だね。でも、それはだれの責任といったようなことではすまされない。協力するよ。」

みみずく:「・・・・・・話は飛ぶんだけど、毎晩思うんだ、ちびへび、人は死んだらどうなるの。」

ちびへび:「どうにもならないんじゃないの? まさか生まれ変わるとでも?」

みみずく:「いやまさか・・・

みみずく:「なんというか・・・ようするに、最近、理由も無いのに、しんどいばっかりで、こんなに苦しいのなら、何のためにいきてるんだろうって思うんだよ。なんのために? いったいどれだけ生きたいと思っているひとがいるっていうのにね! 不謹慎だと思う。でももし命が電池みたいに交換できるのならあげちゃってもいいかなと思う。でもできない。だから生きてる」

ちびへび:「(ばくっ)」

みみずく:「?」

ちびへび:「(むしゃむしゃ・・・)・・・ぼくはそう思ったことはないなあ。人生はなんてすばらしいんだろう!って思う。今日が終わるのが実に惜しい、明日が来るのが待ち遠しい。ああ神さま、ちびへびを生んでくれてありがとう。ちびへびを生かしてくれてありがとう。みみずくにあわせてくれてありがとう。よよよよよ・・・(涙)」


みみずくはタメイキをつきました。タメイキをつくと同時に、ここ二、三日にあった嫌な出来事を思い出し、またタメイキをつきました。 (考えかたひとつちがうだけで、いきかたっていうものはまるっきりかわってきてしまうんだな。)

さて、それからも、二匹はたわいのない話をしながらぶらぶらとあるき続けました。夜は更けていきます小川の橋を渡り、麦畑をこえ、牧場を抜け・・・いつのまにか人家のなかにまぎれこんでいたのでした。(つづく)

幸せとは

2008年10月22日

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誰かが不幸である限り、私は幸せにはなれない、といった人があるという。つまりは生命ぜんたいの幸福が実現するまで自分の幸せというものは有り得ないのだと。


「苦しい」という言葉と「苦しんでいる人」という言葉を検索してみたら、後者のほうがはるかに多くヒットした。病気、貧困、差別、災害、苦しんでいる人たちは語られる方が多いということだろうか。


この地球上でいまも、想像を絶する数の人たち、あるいは子どもたちがなにかに怯え、飢え、震え、痛んでいるのかと思うと、みみずくの、このちっぽけな息苦しさごとき、と思う。でも耐えがたい。情けない。すみません。元気になったら、きっとせめてそのぶんいじょうは世の中がプラスになるように働くから。

追記:
「人間は自分が与えられた不幸ゆえに幸せになり、その幸せゆえに、他のひとをも幸せにできる」(「カラマーゾフの兄弟」)というのもある。幸せの真逆、不幸せを実感しない限り、本当の幸せは実感し得ないものだし、他者の不幸を理解し救うこともできないということだろうか。ならばいまは、がぜんマイナスを味わわなくては・・・ なんていきごんだりしてみたり・・・

なかったことに…

2008年10月21日

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よしよし……いまさっきあったことは、なかったことにしよう。

悪い夢だった。
悪い夢だった。
悪い夢だった。


悪い夢から覚めれば、みみずくは普通だ。
悪い夢から覚めれば、みみずくは大丈夫。
悪い夢から覚めれば、みみずくは、みみずく。


さあ、いつもと世界は変わらない。月は輝いているし、虫たちは鳴いている。ちょっと悪い夢をみただけ。もう絶対わすれた!!!!!!!

僕はもう死ぬ

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なんてことばいうんだ

卒発中間表会
最後のトリ
自分で何をいってんだかわからなくなり、もいっかいやらせてくださいと司会に泣きつき、また何をいってんだかわからなくなり、途中で終わる。「すみません、人前は慣れてなくて」


てめえは何年間、学生やってんだ。ひとなみのことができない。ひとなみのことができない。ひとなみのことができなくなった。なぜ? 大恥をかいた。阿呆だと思われるのはなれてるが、くやしい。もう、なにもかも捨てて誰もしらない土地に消え去ってしまいたい。

季節性うつ病

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特定の時期、ことに秋から冬にかけてうつの症状を訴える季節性のうつ病がある。自分がそうであるかはわからない。今年は夏だって、ひどく重苦しい気分だった。このブログに向かうときは最近いつもそうだけれど、やっぱりここ最近、調子がおかしい・・・

昼間はとにかく眠い。一日一回あるかないかの講義に出て、あとは部屋に帰ると寝てしまう。外に出るとしたら買い物くらい。夜中におきだし、明け方まで眠れないで、本を読んだりなんだりで起きているが、この時間が、辛い。


どう辛いのかというと、誰にもわかってもらえないような気もするのだが、胸のあたりが、すごく重くなり、とにかく滅入るのである。明日やらなきゃいけないことがあっても到底無理な気がする。思考の問題ではなく、体をよじってもひねっても、呼吸を正してもとめても、仮に逆立ちしても、いてもたってもいられない苦しさが数時間、つまり寝るまで続く。


こんな状態では外に出て人と会うのも嫌だし、逢うと緊張して体が震える。だから病院にも行きたくない。ましてこれから先のことなんて・・・・・・明日は午後から卒論の中間発表があるし、夜は寮の集会がある。でもこれがなかったら僕は、誰とも接する機会をなくしてしまうのだろうと思う。


もしこれを読んでいて、あなたがみみずくの立場だったら、どうしますか。だれか、助けてください。また精神科に入院するのは嫌です。八方塞がりです。ちなみに服薬中です。パキシル40mgと、テシプール4mg。はっきりいって、眠くなるだけな気もします。頓服や抗不安薬は長野に来てなくなりました。

明け方まで悪くなる一方だったら、明日午前、医者にいってこようとも思うんだけど。

ふところ入る風もいつしか秋めいてまいりました

2008年10月13日

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善光寺平もこの時間になると冷え込む。去年の寒さを思いだし、そろそろ冬じたくをはじめなくては。


話はぜんぜん変わるのだか、首都圏のATMに警官隊を配置するらしい。振り込め詐欺対策とは表向きの口実で、預金封鎖による取り付け騒ぎの混乱対策の演習だったりして……。


噂やデマが広がると、本当のことになってしまうから気をつけないといけないが、なにしろ毎日のように兆単位のお金が流れる経済ニュースを見ていると、あながち有り得ないことでもないような気がする。


ま、みみずくの口座には○○○円しか入ってないからね。万が一銀行が破綻してペイオフになっても、逆に割愛されそうなくらいの金額だもんね。ふんだ。


いや、いや、安心ではない。明日こそ残りの給料支払ってもらわないと。なにせ六十歳年上の雇い主、みみずくのくちばしでははぐらされかねない。魔性をもった女鷹(笑)だから。この前は危うく賄い代をさし引かれるとこだった。


ふところにも、涼しい風が吹く季節になった。

つまみぐい

2008年10月12日

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なにやってんだかね!

朝の女神湖

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なにもないからこそ

2008年10月11日

女神湖まで、暗がりのなかとぼとぼ歩いていく。山と空と月しかない。


ネコ、二匹にであった。そこに一泊3000円との看板があった。暗くてなにも見えない。とにかくかなり古い家。


屋久島の廃屋の経験もあるし、みみずくがこれまで住んだ下宿も、相当あばらやだったから、気味か悪い点に関しては、もう躊躇しなくなった。


そこそこ安全で、衛生的なら、屋根の下で寝られることだけで、よい。


虚しさとは想像力の欠如から生まれる。机しかない畳の部屋の中にいると、案外ものにかこますぎた日常よりも、心がみたされている気がする。


明日は女神湖と、黒曜石を探しに"星糞峠"をめざす予定。綺麗だかそうでないんだかわからい名前である。

本命はここだ!

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ここはちゃんと調べてきた。白樺湖ユースホステル。

しかし……様子が……?

扉を開けたら廃墟みたいになってた・・・

四件目

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薬屋さんだ。トンボ玉を売っているらしい。人影はない。

三件目

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これは、お馬さんのお家である。正確には「だったお家」である。

二件目

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草木にかこまれ、文字通りの森林浴ができそう。

いくらで泊まれるかな・・・?

でもなんだか納骨堂みたい……。
ごめんなさい、他あたります。

次のお題

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宿探し。一件目はここ…「安眠ゾーン」という標識は、オカルトチックで魅惑的だ。

ん? いっかいまんなかのドア、「乾燥室」とはなんだ?
ミイラ?……


霊の方、いらっしゃいましたら、失礼しました。別を探してみます。

ありました

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親切に気遣ってくれた、ふくろう細工のお土産やさんのおばちゃん、バス会社のお兄さん、感謝です。


おばちゃんから割引で、ふくろうの御守り(いましめ?)を購入しました。もうなくさないと……

災い難し

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…で、バスを降りる。


まもなく自分が財布を持っていないことに気がつく。


ないことを知りながらザックの中を七回確かめ、ふはぁ(タメイキ♯)


みみずくは大切なものを無意識に手に握りしめる癖がある。たとえば試験の時、消しゴムが左手にないと、落ちついて考えられなくなる。そのうち別のことを考えはじめ、筋肉は弛緩し、持っていたものを落とす。


只今の所持金0円。長野の山中。(といっても白樺湖はリゾート地だけど、金銭をもたざるものにとってその恩恵を消費することはできん)。


ああ、夜の寒さを物語る、紅葉の、なんと悲しく美しいことよ。


災難はリアルタイムで進行中。なんとかなる…かなぁ(涙)

上諏訪から茅野まで

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ひたすら歩く。茅野からは白樺湖までバス。

ホームで会議?

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……するのかな?電車を待っていると急にイスとテーブルが運びこまれてきた。たまには外もいいのだろう(松本駅)

免許なんてまったく!

2008年10月10日

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大学からの通知で、幼稚園教諭2種免許取得が今期中ではむりであることが発覚した。


たった4単位不足。中学もむり、幼稚園もむり、か。いままでとってきた多くの中学、保育の授業は、ひとことでいうと、水のあわになってしまった。でも、学費を払っているのだから授業を沢山とることは、授業単価を安くするわけであって……云々


(本音……最初からいかなければよかった!)


免許といえば、心配なのはいつ原付免許を再取得しにいくか、ということ。期限が過ぎると免許が抹消されるなんて知らなかった。幸い、講習をうければいいことになっているらしい。


が問題なのは、免許センターまでカブでいっていいのかということ……
あそこは警察の人がやっている。


警察官:「ところで、きみ、今日はなにできたの?」


みみずく:「あ、あそこのカブですけど…きみどりの珍しい……」


警察官:「うん。無免許ね。(無線)えーこちら長野南警察なんまるまる、免許センター受付にて、何時何分、現行犯で逮捕…」


平穏だった市街地に突如パトカーのサイレンが鳴り響き、免許センター駐車場の出入り口は、完全に塞がれる。みみずくは手錠をかわし、急いで97年製リトルカブのもとに走った。エンジンを始動。免許センターの建物をつっきり、いりくんだ練習用コースを回り、裏口からの逃走をはかる。

……技能講習をうけている人たちから悲鳴。事態の重さを認識した警察官が、講習を放棄し、練習用の大型二輪でおいかけてくる。が、それも諦めざるを得なかった。なぜならすでにそのとき、みみずくは免許センターの門を突破していた。彼らのバイクは練習用なのでナンバーがついてないから、公道を走れないのである。


空上には機動隊のヘリがみみずくをとらえ、後方から追いかけてくる。長野県は、自衛隊への出動を要請したようで、遠く東のそらから、地対空ミサイルを装備したF15戦闘機が姿を表していた。

長野市で原付を、無免で運転しているとの情報はまたたくまに官邸につたわり、政府は同18分、官房長官を通じて危機管理対策本部を設置し、みみずくのカブを全力で阻止するためには、アメリカ空軍および海軍、および全国のガソリンスタンドの協力要請も辞さないかまえであることを表明した。


歩いていくか。

めんえき

2008年10月9日

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昨晩はどかんと落ちた。ソラナックスが余ってたので余分に飲んでみたら頭がくらくらした。

で病院行き……
「あなたは抵抗力がないんだから」とおこられた。……精神に抵抗力なんかあるのかいくそ。


パキシルを数日中断しただけでこんなにおかしくなるとは思いもしなかった。みみずくの頭はあんな数粒の錠剤に支配されてんのか?


苛立たしいやら悲しいやらで泣きたいけど、精神病院の前でびーびーないてたら、それこそお巡りさんが来かねないので(いま無免許だし)、しぶしぶかえろ。


あれ、薬買うお金ないぞ…。


午後は先週さぼった研究室のゼミだ。さすがに今日はいかないと…ー


それよりパキセチロンの血中濃度を早くあげないと自分でもなにするかわからないからいそいで財布を取りにかえらないと。みみずくは薬物依存…。

パキシルの血中濃度

2008年10月7日

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パキシルがきれて3日くらいたった。そのせいかしらないが、喫茶店の衝動的に二階から駐車場に飛び降りたり、過食して洗面器いっぱい吐いたり、なんだかおかしい。明日こそ、薬もらいにいかないとまずい(>_<)


今日は寮の集まり。人の多さにすこし、しりごみしてしまう。突然、みみずくの名前が呼ばれた。去年、僕が作った寮祭のムービーを貸してくれという。同期が部屋に4人くる。断る。無神経だと思う。あれをみれば、悲しいことを思いだし、つらい思いをする人が少なくとも数人はいるはずなのに、そんなことも忘れてしまったのか。


自分が楽しく生きているのはかまわないけれど、他者のことを思いやることを忘れたひとは許せない。……許せないというより悲しい。


とにかく、明日は病院にいこう。あれほど薬をきらしちゃいけないといわれてたのに…

朝になりまして

2008年10月6日

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結局、一読するのに朝までかかった。そして、予期していたが、一読したくらいでは、現段階のみみずくの教養では、まず理解できそうもないことが、唯一の発見だった。「デカンショ」の「デ」の時点で早くも挫折か。

そうして仮に「方法叙説」のおよそ三分の一を理解できたとしても、その思考法に関して僅かな記述をのぞいて、どうやら"卒論"に絡ませることはできそうになかった。そもそも、なんでデカルトなのか? ルソーならまだしも…


やることなすこと、もう破天荒だ。だいたい徹夜するといつもこの時分は頭が狂気じみてくる。


前から考えていた子どもや教師の精神疾患については、やっぱり扱えない。みみずくが精神病院に入院したあの鉄格子のなかの苦い記憶が蘇ってくるのは間違いないし、第一、それを客観的に扱うことができるのは、自分の病気が完全に治ったと実感できるまで、無理だ。


構想をもっていく次のゼミまであと3日の猶予がある。いっそ課題が与えられたほうが、どんなにか楽だろう。


日頃から問題意識をもたず、惰性にこの一年を過ごしてきたことを痛感する。しかし5月までは絵本の活字すら理解できなかった自分を思い起こすと、いまさらながらこの遅れは仕方ないようにも思う。そう、確かにあのときは、みみずくは活字に触れることすら恐怖だった。

山ずみの本に囲まれて

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卒論のテーマがいまだ決まらない! それが苦でとうとう最初のゼミから休んでしまった! 情けないことこのうえなし。


中間発表は今月のなかば。……みみずくはあちこちから仕入れてきた、およそ役にたちそうもない社会学関係の本に埋もれ、この世の中は、すでに先人たちによってほとんど語りつくされており、しかもそれが現実の社会にどう役にたっているのかが、見えてこず、いったいぜんたい、何から手をつければいいのかもよくわからなくなる。論文とは世界でいまだかつて誰も考えなかった見解にいたるものでなくちゃならないことと思うと、最近なにひとつ、新しい問題にぶちあたってさえいないみみずくには到底その作業をこなすのは無理なことと思われた。


自分には研究対象にできるフィールドもなければ人脈もない。(作ればいいのだけど、告白するといま、情けないことにそれをする元気と自信がない)


とすれば残された道は文献をあたるしかない。文献は山ずみでどれも関心があるといえばそうだし、ないといえばない。なんて中途半端な。


ならば開きなおって、山ずみになった本を売りはらって、飯の足しにしてしまい、古典一冊に対象をしぼってしまったらどうか?


ということになり、偶然買ってあった、卒論でもなければ一生読まないはずであろうデカルトの「方法叙説」を、鉛筆でぐしゃぐしゃにしながら、一文字一文字解読しはじめた。


これからどういう方向にいくのか、まったくもって予想できない時ほど、悲観的になってしまうけれど、別に卒論を書けなくても死ぬわけでなし、もし書けなかったら、それが今の自分の力量、もう一年、やりなおせばいいことだ。

生活に追われず

2008年10月1日

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明け方の大気は夜の雨につつまれ、窓の外から、虫たちの鳴き声が響き、静けさを増している。北信州の秋はこれからますます深まっていく。短い紅葉の時期が過ぎれば、すぐに四度目の凍てつく白い季節が訪れる。


今日から大学がはじまるというのに、寮の中はそんな気配がしない。たしかに今日からだっただろか? 自分が大学生だったということが、なんだか思いだせない。大学生と自称することすら、何もかも忘れてしまったいま、とても恥ずかしい。「とりあえず、まずは図書館にいけばいいのか?」


卒業したあと臨時採用の教師をやる自信がなくなってきた。自分が何も知らず、未来に希望をもたず、理想ももたず、漠然とした価値観だけをもって、どうして子どもたちの前に立つことができるだろう? 「生活のため」だけに教師になることはできない。みみずくには、まだ、多くのことが欠けている。


信念をもてるようになる為には、あと、どこへ行き、何をすればいいのだろうか。それはどんな書物にも書いていないし、誰も教えてくれない。


きっと、生活にそこまで追われていないから、みみずくはこんなことを考えられるんだろう。それは幸せな悩みなのかもしれない。

闇夜のみみずく

2008年9月29日

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そして、やぎ科でないヒト科のミミズクは、いま、早朝の千葉駅にいる。

一晩、駅で明かした。悪夢を見ているようだった。監視カメラがびっしりある地下道で寝てると、「直ちにに移動しなさい」と放送が流れる。


むくむくと起き上がった隣の女性と目があった。新潟からきて、体を売って、日々暮らしているのだと平然と話す。


みみずくは思わずいった。「女はいいですね」……なんと残酷な言葉であったか。でも自分の本心なのを知って嫌気がさした。僕も、彼女も醜悪だった。


夜の駅はホームレスのひとたちが集まる。その脇を着飾った若い男女が、通りすぎていく。なんなんだろう?この世界は?なんのために、みんな生きているのだろう?


「ヒトなんて、滅びてしまえばいいのに」


ぐむはあああぅ、我ながらいつにもまして暗い。ますます希望をうしないそうになる、そんな長い夜が明けていく。早く夜が明けてしまえと思う、闇夜のみみずく。

おりんはやっぱり仔やぎだった

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仔やぎは、みかけは小さな大人のやぎ。でも、草村の中をはしゃいぎまわる様子、母親が見えなくなると悲しいそうに「めぇー」と鳴く様子、やっぱりまだ赤ん坊だ。


おりんは、やんちゃなくせに、夕方、母親が見えなくなると、まるでこの地球上の孤独と悲哀のいっさいすべてを背負ったような切ない声で何度も鳴くのだ。


動物たちはときに人間よりも人間らしい……親子のやぎを見ていて、思った。……ほんとに人間よりずっと。

子やぎのおりん

2008年9月27日

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最後の土日、仔やぎのおりんに会いにはるばる千葉まできてしまった!


おりんのふたごの兄弟はもう、しんじゃってた。

夜に着いたのだが管理人さん宅には誰もいなかったばかりでなく、荷物もないようだった。電気も水道もないもっと山奥に引っ越してしまったのだ!


母屋の鍵をあけてもらい、今晩は一人ここでとまる。明日は、テラスを作る作業を手伝う予定。


みみずくも、山のなかで暮らしたい。

さあ苦しむなら苦しめ!

2008年9月26日

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木曜日から日曜日まで喫茶バイトが休みだし、夏休みも最後だから、どこかいこうかと思ったけれど、結局でずじまいだった。長野市から新潟はすぐだし、直江津から佐渡へわたろうとも思ったんだけれど・・・なんだかしり込みしてしまった。うつのどん底の時は屋久島まで行ったくせに。


一ヶ月ぶりにインターネットにつながった。今処方されているなぞの薬「トピナ100mg錠」という薬を調べてみた。抗てんかん薬だった。なぜだろう? それにうつ患者には処方に注意することみたいなことが書いてあった。


最近の調子。ここ数日ちょっと重苦しい気がする。抗うつ薬は減らしていないのに。いやだな、もう治ったと思っているつもりだったのに・・・・・・気のせいだと思いたい。もう後期がはじまるんだよ? 復学するんだよ? その焦りだろうか? しかし、だとするとたかだかそれくらいのストレスで、みみずくの頭はどうして調子が悪くなるんだ? たぶん、どこかで故障したのだろう! 



始終元気でやっていられるひとと比較することはやめよう。すぐ不安になって、憂鬱になってしまう自分を責めるのはやめよう。むりに明るくなろうとしなくたっていい。苦しい時は悲壮な顔をして、この世を呪い、生まれたことを呪えばいい。死にたいと思うだけなら思ってもいいのだ。

なので、最近、みみずくはいつも悲壮な顔をしている。

こうかくとじつに安っぽいロマン主義的イロニー?だが、この厄介な病気は、喘息のそれに匹敵するほど苦しい・・・。

無免許運転

2008年9月23日

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昨日、寮友の車を少し運転させてもらった(もちろん公道ではなく)。ここのところ無免許つづきだ。


あんな重い物体が、手と足の操作で動くなんてびっくりした。老人にとって杖が体の一部になるように、身体の範囲が広がる、不思議な感覚であった。トラックの運転手、さらには飛行機の操縦士は、広大な身体を、ふだんは一人分の体を動かす精神で制御するのだから、すごいと思う。もちろん慣れもあるのだろうが。


この構図は権力者、政治家や官僚、資本家にちょっと似ている。すごい、とばかりはいっていられない。慣れとは、どちらの場合にせよ、往々にして恐ろしい過ちを犯すこともある……


みみずくは、車はまだ、いいや。

動物たち

2008年9月20日

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原付の免許を更新しに、篠ノ井までいったが、休みだった。かれこれ、無免許運転、一カ月。


松代のほうまで走った。適当に舗装されていない林道に入ったら三時間くらい出口がみつからなくなった。途中、シカくらいの大きさで頭が白と黒の四つ足の動物をみかけた。 みたことない。


やっと舗装された道にでたら二匹の小さな雑種犬に出会った。小さいほうの雄がメスをしつこ追いかけ回し回り、拒絶されていた。首輪をしたメスがよってきたので、抱きかかえて原チャにのせ、一緒にふもとまで一気に下る。


「じゃーね!この仔はみみずくが預かった!」


すると、オスはだらしない格好でどこまでも追いかけくる……足で軽くけとばしたら、腕をかまれた!


執念に負けて、メスを下ろしてあげた。メスはトコトコ逃げる。オスも後ろ足を引きずるようにだらしない格好で追っかけていく。


あとは知らない。

何もかも日常

2008年9月19日

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はっきりいってしうと、僕は、春に入院してたとき突然大切な人を失って、半年たったいまも、まだ整理がついていない。毎日、毎晩、彼女を思いだす。哀しみが大半、ときたま憤り、諦め、自暴自棄になることもある。みみずくの部屋に置き手紙と役たたずのツーサイクルのエンジンオイルだけ残して、それから原因もわからず、逝ってしまった彼女のことで、まだもやもやしている。わだかまっている。


叶うなら、自分の命を引きかえにしたいくらい。……でも、そう思う自分をなぜか情けなく思う。

原因を突き止めに、彼女の最後の言葉を頼りに、生前を探りにいこうかとも思った。気にかかることはいくつかあるのだ。でも、自分のすべきことじゃないような気がして止めた。退院して、実家に行ったときご両親もそうらしいことを察した。もう、遅いんだ。命は一度きりしかないのだから。


寮はあたりまえだが、日常だ。どこかしこで若者の元気な声が聞こえる。もう少したてば寮祭の時期がくる。こうして、一人の命が忘れ去られていくかもしれないことが、たまらなく、悔しい。

奈良堂

2008年9月17日

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みみずくはイトーヨーカ堂の前にある喫茶店でアルバイトをしている…路面電車が走っていた頃からあるというからこの店は権藤界隈でもかなり古いほうだ。喫茶店はバラの木に囲まれ、あるいは守られているかのようにたたずんでいる。あたりは県下もっとも物騒な街だ。


今宵も客は10人くらいしかこない。半分は馴染みのお客さま。みみずくはたくさんの実をつけたバラという植物が、冬になるとどうなるのかが気になる。この時期にも花を咲かせているのだから、ひょっとすると、冬まで咲くのかも知れぬ。客の残したお冷やをかけ、たいくつまぎれにバラに話かける。先月分の給与がまだ未払いなこと。クビにされそうな顔の知れぬもう一人の信大生のこと。寝ても覚めても眠たいこと。これじゃ来月からやってけるのか心配なこと。エトセトラ、エトセトラ。

ときたま……チケットを入れた帳簿の黄ばみ具合からして、ここのお店はあの世の中のお客さま、具体的にはもうくたばってしまったお客さまのほうが多いのかもしれないと思い、誰もいない二階にも気を配るようにする。失礼のないように。ここが常に安らぐ場所であるように……


あと数十年もすればここの店もなくなくなるだろうか。半世紀もすれば真新しいビルが立っているだろうか。いや存外、いまとはそんなに変わっていないのかもしれない。なにしろ、半世紀後、みみずくが生きていたとしても、まだここのマスターより10も若いのだから。

美的実存の断崖絶壁

2008年9月16日

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……株価は暴落の兆しを見せはじめ、世界経済が瓦解し、食料危機が訪れんことを憂い、みみずくは畑に秋野菜の種を蒔いた。大根、レタス、芋類、エトセトラ。


それが半分しか芽を出さんとはどういうことなんだろうか!


そんなことより、もっと現実的に卒論にとりかかるべきなのではないか。卒業後の就職先も、未定。羅針盤は半年前に壊れてしまったからしかたない。しかたないことは、生きている以上いくらでもある。もはや叶わぬことなんてゴマンとある。

でも、芽が出たものは、なんとか育てよう、と寝そべりながら考えるみみずくであった。

2008年9月14日

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カブを取りに、あと、病院で紹介状を書いてもらうために、一週間横浜に帰っていた。


山梨経由で長野につく。ここしばらく、なんだか調子が悪い。なんだか頭にもやがかかっているようで…… 毎日が実に意味のない繰り返し。なぜ生きてるのと問われれば、いつか死ぬためにと答えられそう。だれでも結局はそうなのではないか。


そういえば、薬を止めたら再発は30パーセントといわれた。もう、脅されるのもうんざりだ。

日々

2008年8月26日

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言語教育論の最終日。朝から夕方まで、連日の講義。ほとんどの時間みみずくは「ソフィーの世界」を読んで、宇宙や時間を飛び回っていた。私たちはどこからきたのだろうか。死後の魂なんてあるのだろうか。

「人生は悲劇的でおごそかなものさ。ぼくたちはこのすばらしい世界に招かれ、出会い、自己紹介しあい、少しのあいだいっしょに歩く。そして互いを見失い、どうやってここに来たのか、そのわけもわからないうちに突然いなくなる」

先日、白馬の大雪渓で二人が亡くなった。うち、登山ガイドの男性は、つい先月上高地で結婚式を挙げたばかりだった。男性はもうひとりをかばうようなかたちでなくなっていたという。
みじかな人がなくなると、「わたし」が、生き長らえていることが不思議でしかたなくなる。なぜ、僕は生きてるの?

寮に帰るみち、弱った鳩を拾った。部屋でエサをあたえ看病して、僕は眠った。羽音がして、目覚めるともういなかった。あれはだれかの生まれかわりだろう。すくなくとも、体の一部は。

夜、母から電話。担当医が三巻系とパキシルの副作用を心配しているらしい。つまり衝動的な自殺だ。ことにアルコールと摂取することは本人の理性や意思とは無関係に、行動を起こすという。
みみずく、それじゃ、自分の体を縛って寝りゃいいんかと思う。みみずくは、いやでもしがみついて生きてやる。副作用ごときで死んでたまるかくそ。
ソフィーの世界より。

<三千年を解くすべをもたない者は 闇のなか、未熟なままに その日その日を生きる> (ゲーテ)
まだみみずくは闇もいいところだ。知らぬことがおおすぎる。少なくとも恥をさらしてでも、あと二十年は欲しい。

みずがきキャンプ

2008年8月17日

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下の写真はクリックすると大きくなります。

今年もみずがきキャンプに参加した。

<きゃんぷ in ざ ふぉれすと みずがき キャンプ 2008>

みみずくは体にハンディをもつひとたちの一班のパートナー。淑徳大学の学生さんたちとまざって、音楽にかこまれ、山のなかで過ごす。久しぶりにキャンプネームで「みみずく」は「にょろ」になった。 二泊三日、どえらく疲れたけれど、あー、いい思い出になりました。最後の夏休みになるかもしれない。

去年と違うのは、“自分もちゃんと支えていないといけない存在”だということ。キャンパーは皆、薬を飲む。いちばん多いのがみみずくだったりした。障害者、健常者そんなわくぐみなんてない。だれもかれも支えあって生きてるんだ。

キャンプの前に

2008年8月14日

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朝、薬を飲んで夕方の出発まで寝ようとしていたら、今年卒寮寮した長老から突然電話。「ノブキ、お墓参りに行かないか」って。一度は断ったものの、やっぱりいくことにした。


寮の近くにあるアラキで仏花と線香を買う。寮のおばちゃんに会い、ミカンを買ってもらった。

同期のsちゃんと三人で飯綱へ。ハナはちょっと元気がなかった。

もう笑って話せるけれど、やっぱりお墓を前にすると、ぐっとしてしまう。「すぐ、こっちの世界の用を済ませたら、いくから。そのときまでお幸せに」


みみずくは死ぬことはそんなに怖くない。だってもう、みじかな人がやってのけたんだから。だから、安心して生きていける気がする。

夕方、障キャンの舞台、山梨へ向かう。いただいたトウモロコシとキュウリ満載のザック。みんなにおすそ分けだ。

幽霊でもいい、よっていってくださいな

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今日はお盆だね。Iさん、長野に帰ってきたのかな。
夕方、旭山に向かって夏川の涙そうそうを聴いていたら、涙が止まりませんでした。
悲しんじゃいけないって言われるけれど、僕が死んだら、誰にも悲しまれないなんて寂しいと思うよ。

今宵もN堂にバイトに行きました。雷がゴロゴロ、大雨。お客もぜんぜん。
マスター、「このお得意さんの帳簿ね、もう亡くなっちゃった人もいるけどね」といった。

しばらくして雷がまたゴロゴロといった。店内は誰もいない。
マスターは「二階で足音がした?」と僕に聞いた。
みみずく「お盆ですからね。混んでるんでしょう。」

ふたりでは、は、は、と笑う。
横浜で統合失調症の井口さんからうつされた笑い方。
は、は、は。

雨が降った。

なんて、気持ちのよい晩なんだろう。
狂い咲きしたバラの花が、僕をみて笑った。
明日は山梨。二回目の障害キャンプ。今度は、マネンジメントスタッフ!

夜の繁華街 お使い

2008年8月12日

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みみずくが「ミントソースをのせたスプモニアなんかもございます」なんて余計なことをいったら注文が4つもきて、アイスクリームがなくなってしまった。マスターから買出しの命が下る。

夜9時過ぎの権堂界隈は、やくざやら風俗店の客引きやらで、普通に歩いていればとって食われてしまいそうなこわいところである。が、そんな界隈をアイスクリームを探して飛び回っているみみずくも夜の街の同業者なのだと思うと、なんだか見張り役のあんちゃんにも妙な親しみを覚える。接客業にはかわりなし。

喫茶は月、火、水、と立て続け。そのあとは、山梨で障害キャンプのボラ。背中に不発弾を背負っているから無理はしないことね。楽しいからやっているのであって、それを超えたらみみずくは、堂々とさぼろうと自分に言い聞かせている。まだ病み上がりなのですから。

喫茶 N堂

2008年8月11日

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先週の土曜日、夜。緊張しつつ喫茶店のドアをあけるなり、

ママ「あら、O型の学生さんって聞いてたけど、ずいぶんね」
みみずく(・・・「ずいぶん」ってなんだろう???)

薄暗い店内の一席で、交渉が始まる。


ママ「うちは創業50年の老舗だからね。そこらの喫茶とは違うよ」
聞くところによるとこの喫茶店は戦後まもなく、画材店からはじまり、そのご、この長野の地で、いわば芸術家のサロン的な場所として長年愛されている店なのだそうだ。店内の壁にはいたるところに、映画のポスターやら作品やらがかけてある。柱も棚も、確かに半世紀という時間にじっくりといぶされたかのように黒く光っていた。

ママ「・・・で? いくら欲しいの?」

みみずく「はっぴ・・・、いえ、はじめは、ななひゃく何ぼで結構です。僕も病み上がりで人並みに勤まる自信がありませんから、そのときはいつでもクビにしてください」
いったいなんていうアルバイトだろう。主人は笑った。

「あたしは、いうときはいうからね。」

アルバイトの主婦らしき人が「ママ」と呼ぶ女主人。みみずくの祖母より若いくらいだろうか。渡された名紙にはコーヒーのしみがついていたが、みみずくが結んでいたネクタイをやおら「あんたいいのむすんでんじゃない」といった。これは先輩からもらった、わが家唯一の絹のネクタイ、綿とは違う。むむ、やはりマスターである。


土曜日の晩は混雑して、二回フロアまでお客が入っていた。突っ立っているわけにも行かず、手伝うことに。飲み物一つ一つに決まった記号があり、それを注文表に記入しなければならない。アイスクリームなら「スプ」、紅茶なら「ペコ」。幸い、醤油は無かったので、出し間違えることはなさそうだった。

夏眠、惰眠

2008年8月9日

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★7月26日に君津、かずさの森で静さんと一緒にワークランドの作品を展示をした写真がNPO地球学園のHPに載っていました。
http://www.chikyu-gakuen.jp/


 あけぼの寮に帰って、冬眠中のくまのように二日間、ずっと寝ていた。とにかく、なにをやっていいかわからなくて・・・・・・横浜にいれば作業所にいったり、フリースペースにいったり、千葉に行ったりでいろいろすることもあったし、居場所もあったけれど、こちらに来るとなんだか外に出るのが怖いような・・・人に会って声をかけられるのもちょっと苦手だ。とって食われはしないだろうけれど。

 寮の後輩の紹介で、今晩、権堂の喫茶店でバイトをすることになった。正確に言うと、面接しに行くことになった。なんでも60年の老舗で、男子学生急募という。みみずく、飲食業は、大学一年の生協食堂きりで、どうも自信が・・・。コーヒーとまちがえて醤油を出してしまうかもしれない。実際、生協では、並べてあったソースを適当にかけて客に出し、「こんなメニュー、ウチにはない」と叱られた。かと思えば友人に豚肉をこっそり大盛りサービスしこれまた焼きをいれられたりした。大学の屋上で飲み会があれば、店長が階下に消えた時を見計らい、ここぞとばかり余ったビールをこっそり飲み干し(これは先輩もやっていた)、なかば酔っ払って浅間温泉の下宿に帰ったものである。懐かしい、けれどもまだ3年前のことだ。

 とにかく帰ってきてしまったんだから仕方がない。生活の糧をどうにかしないと。講義は盆休みが明けてからなのでそれまで寮に寝ているわけにも行かない。新しい病院も探さないといけない。薬はいまだ最高値で、6月と何のかわりもない。むしろふやされている。不安不安といっていても、現実はもう目の前にきている。とりあえずは、1歩踏み出そう。だめだったら、また考えよう。

帰る

2008年8月6日

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今夜帰る。新宿からバスに乗った。帰りたくない。帰りたい。昨日、ワークランドの人たちと劇の練習をした。Dさんの舞う姿は生きてたころのlさんにそっくりで涙がでた。その日はどしゃぶりの大雨。ここはいつまでもいたい場所だった。でもここにいつまでもいちゃだめだと知ってる。みみずくは悲しい。今日、お別れをしてきた。劇の本番は今月21日にある。


ちゅらかさのまつり
2008年8月21日(木)◆大倉山記念館
◆午後16:00〜21:00
音楽劇の公開ワークショップ、愛と平和の音楽劇〜ワークランドPWLと遊び人〜 他

ちゅらかさ「美し痩」天然痘さえも美しい……病さえ神であり讃え、迎え送りだす、沖縄の人のことば

年越し

2008年8月2日

朝、はじめてIさんが夢にあらわれた。「部屋かたずけてなくって……」みみずくがいうと「いいよ」と笑顔。元気そうでほんとうによかった。あっちの世界でやっと落ちついたのだろうか。ほんの一瞬の出来事だった。


千葉のかずさの森でこどもたちと川あそび。千葉にくるのも、これでしばらく途絶える。


21歳。本当に波乱の年だった。身近かな人が死んだ。放浪もした。精神病院にもはいった。みみずくの人生がぐるぐるとかき回された。一年前の晩、こうなることなんて思いもしなかった。


耳をすませば、虫の声。夜に研ぎ澄まされ、鳥たちの寝息さえ聞こえる気がする。とりあえずは、生きて、23年目の朝日を迎えることができそうだ。みみずく、齢22。

つきまたぎ

2008年7月31日

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なんとなくここ数日、憂鬱。鬱ではなく憂鬱。先週から不安薬のソラナックスを減らしたのが原因か。それとも大学へ復帰する日が近いからか……

沸き立つ世の中への漠たる不安。消せぬ己への猜疑心。(……どうせいつものことだから、そのうち消えると相手にしないからだいじょうぶだけど)


以下、記録のために
現在処方されている薬
・テシプール1mg×2
・トピナ100mg
・パキシル40mg×4


だいぶ減ったが、24歳以下はまれに重篤な副作用として「自殺する」畏れがある(……と明記することが義務づけられている)というパキシル。まっこと怖いお薬だ。みみずくはあと数日で22歳。

いちにちのおわり

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「今日はなんもせず、無駄な1日を過ごしてしまった……」とつぶやいて床につく日は実際、無駄にして過ごしてしまった日である。

ああ、停滞。

森の画廊

2008年7月26日

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障害を持つひとが描いた絵、森の木に一枚一枚貼っていく。今日も千葉の森にきた。


昨日、入院していた精神病院で親しくなった患者さんから手紙。「いっしゅん一夜の思いでありがとね なんだか元気になれた自分に気ずきます。くもうすこしおつきあいしたいと思いました。」

「しずかにではなく「すこやかによろこんではたらきますっての」


「清水先生が来て色に二Fえだって強せい入院にしますかだって自分が強制的に私もにんい入院をしたよはじめてだとおもってうそをついてもだめだ顔も亡き人うそ元気がたりないがりないきがしたんですに」


いつかいた手紙だろう。だいぶ病状が悪くなったみたい。外はカエルの大合唱。雨はずっと降らないのに。

友だちと横浜を巡る

2008年7月20日

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信州からきた親友2人が横浜に遊びにきた。一緒にランドマークタワーに登る。今日はみなとみらいの花火大会、混雑していたけれど、いい思い出になったかな。


花火をみて、すっかり夏になったことを実感した。もうすぐ、本当に復帰できる日がくる。

2008年7月19日

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久里浜港

神さまからの言葉

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<消えたものより、残されたもの>岸壁で寝ていたらふとこの言葉がみみずくのなかで何度も繰り返され、目が覚めた。


消えたものより、とは不遜なものいいかもしれない。けれども、亡くなった人への最大の供養とは、彼や彼女の間違いなく生きたという証を、自らの生に生かすことではないか?


そして彼女の夢は、一人前の教師になることではなかったか?


<故人の意志を継いで弔いとす>


ああ、やっと乗り越えた。

やけ走り

2008年7月18日

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松本から連続14時間、360キロ走った。こんなにこきつかってリトルカブに申し訳ない。いまにもエンジンが燃えそうだ。なんだかもうやけだ。目的もなにもあったもんじゃない。


金谷行きフェリーターミナルについた。こんな時間に船はでているのか?お金は足りるのか?


ここまできた以上、なにがなんでも千葉へわたってやる!!

南へ南へ

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長野から原チャでついに横浜まできちゃったよ。実家を通り過ぎて三浦半島へ向かってる。自分でも意味がわからん。

2008年7月17日

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愛犬のハナ。前きた僕のこと覚えてるだろうか。

ご両親と、いろいろ話す。在りし日のこと。みみずくも覚えいる限りのことを伝える。お墓の前で、オカリナをふく。どうかこの音が、天国に届きますよう。お父さまから短歌をいただいた。


<命終いし吾子の掌にのこされしもの わが生あるかぎり永遠に解らず>

<二週間たしかに藍は先生なりき鉛筆手向ける晴れわたる朝>


夕方まで農作業を手伝って、再訪を約束して、高原を後にした。いただいたブルーベリーとレタスは寮に置いておくことに。寮にかえってまる2日間眠りつづけた。


いまはカブで松本をめざしている。この現実感のなさ……現実から遊離しているような感覚。


<なぜという問いの果てのらせん渦尽きることなきこれは修羅道>


いまはなにもかも色褪せて見える。が、寿命あるまで迷いながら生きよう、と思った。

弔問 飯綱高原へ

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<野良しごと終えて帰りし車庫の隅原付は主無く佇みおりたり>


火曜日、眠らぬまま先輩の実家へ向かった。仏間には僕と先輩が山のなかで映った写真。線香たむける。日本テレビの久能アナウンサーが後ろに控えていた。近所に住んでいるという。

3ヶ月ぶりの帰宅

2008年7月15日

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写真は13日、千葉の森で管理人さんとヤギと。

(NPO地球学園 http://www.chikyu-gakuen.jp/


14日、およそ3ヶ月ぶり、長野の寮に戻ってきた。告別式の日以来だ。一週間、ここで過ごしまた横浜へ戻らなければならない。静まり返った寮一階のみみずくの部屋は、古い旅館の匂いがしてなんだか懐かしかった。


以前と変わったところといえば、僕の知らない後輩が入ってきたこと、そして先輩たちがいなくなったこと。このおんぼろ寮は何十年ものあいだ、巣立っていく学生たちを見送り続けてきたのだ。そしてこれからもおそらくは相当の間。そう思うとすごくいとおしい。

雌鹿

2008年7月12日

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先週かけた罠に雌の鹿がかかった。いまから解体しにいくという。みみずくはやぎと留守番……。

鹿の肉はやぎの匂いがした。台所でばらばらにして、体中に野生の匂いがしみつく。もちろん無駄なくすべてをいただく。

夜はヒルの実験。

泳げない湘南ッ子

2008年7月11日

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北鎌倉の喫茶店、笛で画家のSさんと会ってお話をする。手作りの木の家にところ狭しと並べられた楽器や作品。いくつもの古時計がこちこちと時を刻む。ひとつひとつの時計が<一人ひとりの時間が違ってもいい>、と教えてくれているように。みみずくの時間は、淀んで見えない川面のように、そっと流れている。ゆっくりと。なにか大切なものを見落とさないように。


月夜のみみずく、生まれは湘南。人はかつてこの界隈に集う若者を湘南ボーイと呼んだ。サーフィンはおろか浮き輪で泳ぐのさえあやういみみずくだが。理想は仰ぐ富士の峰、希望は広き相模灘、とはみみずくがまだひよっこだった小学校の校歌である。今日は何年かぶりにこの地を訪れた。といっても通り過ぎただけだが。懐かしい友だちがそのままの姿ででてきそうな気がした。


空想は過去未来と巡ることができる。が、川の水がいつしか海へたどり着くように、人の命もしかり、決して時の流れに抗うことはできぬ。


ならば時の流れに身を任せることに、なぜみみずくはそんなに恐れるのか。

2008年7月6日

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ほたるともうひとつ印象的だったのは、やぎの手術。原因不明で左前味を骨折したメスやぎのギブスを一時間くらいかけて外した。足は腫れ上がり、出血していて、見ていられなかった。自分の足を見つめるやぎ。痛みに耐えかねて、ときどき悲鳴をあげる。が決して暴れまわらない。


「こいつは自分がなにされてるかちゃんとわかってんだ」


これだけ情をかけた動物をかりそめにも殺すことなんてできるだろうか。ましてその肉を食べられるだろうか。みみずくは哺乳類をしめた経験はまだない。


かわいそうと思いながら、そのくせだれかがしめた肉を平気で食べているみみずく。食べものを粗末にすることなんてできない。米ひと粒。魚の骨まで。

ほたると人の魂

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土日を君津亀山の森で過ごした。ログハウスに使う間伐された杉の木をころで運び出したり、作品に使うため、伐採されたさくらの大木を探しにいったり。二日目は、害獣対策会議のメンバーとシカの罠をかけ講習に出かけ、実際に罠を仕掛けてきた。よいことなのか、わるいことなのか、みみずくにはわからない。国際法で戦争において散弾銃はたしか認められていなかったと思う。それがシカやイノシシなどの野生動物にはいいという。今日も近隣の山で散弾銃を使った猟が行われている。


昨晩、民家の近くで、画家のSさんと、はじめてここにきた会社員のお兄さんと話をしていた。自然と人間について。教育についてなどなど。みみずく、本来ならばいまは採用試験を受けているころだ。それがいま、神様のいたずらが、明かりのない田んぼのなかにいる。不思議だ。


一匹のほたるがこちらへふわりと飛んできた。仲間からはぐれ、新しい水辺を探しているのだろうか。たったいっぴきで。話題は「人間の死」へとむかっていった。この自然を死んだIさんに見せてあげられたらと思うと涙がでてきた。叶わないことだから。


Iさんはほたるの名所、辰野町で亡くなった。精神病院のなかでみみずくは、数日間天国のその人へ手紙を書いた。
「Iさんは辰野のほたるになるのかな?」


夕べ見たいっぴきのほたる、まるでなにかを伝えたかったかのようにあらわれた。ひょっとしたら、と思う。

卒業アルバム

2008年7月5日

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土日は千葉にいく。夜が明けたらまた森へ行ける。図書館にいってヒルの生態についてばっちりおさえた休学中の大学生。

帰宅し、ダンボールのなかからカンナをさがすと記憶の隅に追いやられた思い出の品々が出てきた。


ためらいながら深夜、一人でこっそり開く小学校の卒業アルバム。"10年後の私へ"のページを見て息をのむ。1999年度にかかれたもの。このうちの何人かは、少なくとも一人は……ああ… もう旅立ってしまった。


文集もついていた。自分のは小学校生活をざっとまとめたものだった。
「これから自分の生き方を変える大きな山があるかもしれません。」
……いまはきっとその山のどこかだろうか。


「つらいことでも深く考え過ぎず、前向きに生きよう。」
……君のいうとおり。今は焦らず、いい方向に考えていかなくっちゃね。


「何十年先の自分もきっとこの文章を読んでくれているはず」
……読んでるよ。忘れてないよ。ちゃんと僕は僕のことを覚えてるよ。


「小学校卒業するほんの少し前のぼくは健康で楽しい生活を送っています……そちらもがんばって」


……うぐ、泣かせてくれるじゃねえの。過去から他でもない自分への応援メッセージ。頑張ります。頑張ります。うつ病はがんばっちゃいけないんだけど、治すことにみみずく、全力をかけます。

文集のタイトルのようにもういちど"はばたき"! するだ。

ひぐらし 生を全うするということ

2008年7月3日

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夏から秋にかけて、その日一日の始まりと終わりを鳴く蜩(ひぐらし)……

過ぎ去ったことを嘆き、まだ見ぬ行く先を憂い、みみずくは神さまから与えられた一日、一日を無為に苦しみながら過ごしている。


4月に先輩が亡くなった日、何も知らぬ僕は精神病院の鉄格子の中にいた。朝、一日三本までのたばこをもらいにいくと、もうなかった。若い女の看護士さんが「じゃあ、それが最後の一本だと知らずに吸ったのね」と笑った。妙な暗示になってしまった。


「……けだし人命も同じようなものだ。明日が来るとは誰にもいいきれない。」そう思いしらされたのはそれから数日後のこと。通夜の晩、「この"くそ格子"から今すぐだせ! もうまにあわないんだ!!」と医師、看護士と喧嘩をし、叶わないと知ってくらくらした。今から思えば、病院を責めることはできない。


"ひぐらし"は、短い成虫のあいだ、一日一日を精一杯鳴きながら生きる様子からきたのかもしれない。みみずくも皮をぬがなければならない時期にきた。

家に閉じこもり

2008年7月1日

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千葉からの帰り道、東京湾の海中を横断するアクアラインを通った。人間はかくも壮大なものを作る高度な科学技術をもちついには海の下まで人間の領域を広げたのだ。東京湾に浮かぶ人工の島、海ほたるの上にたち、月夜のみみずく、唸る。人間ってなんていう生き物。


しかし、と思う。地球規模で一人ひとりの人間をみてみるとやっぱり、人間もはかない存在にすぎぬ。人間は自然との関係性のなかでしか生きられないのは自明だ。それに気づきはじめたのがいまの時代かも知れない。


そんな偉そうなことをいっているが、千葉から帰って二日間、家に閉じこもってようやく行き着いた結論がこれなのである。君津の森にいたときからずっと、画家のSさんとヒル談義をしていた。(あわよくば、ヒルを寄せつけない素材を開発し特許をとって、活動資金にしようと……) ヒルの生態、性質、繁殖の原因、危険性、駆除法、有効利用の道……しゃくとりむしのようなそれは、地球の生物とは思えなかった。根本の原因は、人間にある。人間がかつてオオカミを殺し、その結果シカが繁殖、シカの蹄に寄生し、こんなにもヒルが増えすぎたのだ。


シカにも、ヒルにも、実はなんの罪もない。人間が自然の領域を犯しすぎたことが過ちだったのに、ヒル研究に夢中になるみみずく、シカを殺せば問題が済むと思っている住民たち。考えてみれば愚かだ。


洞爺湖サミットが今週末開かれ、地球温暖化対策が重要懸案として掲げられている。いつの時代も先が見えないのは同じだが、人類史上もっとも先が見えない時代、そして生き残りをかけた人間の英知が試される時が今なのかもしれない。


夜に先の心配をして考えこむな。生きることはまず大変なことなんだと思っていれば間違いない。亡き祖父はこういっていたのを思いだし、そろそろ薬のんで寝なきゃだ。あー、てめえのことでせいいっぱいなのに、人類の心配までしてたらみみずく、くたばってまう(笑)。

君津の森で

2008年6月28日

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竹を刈り、やぎやにわとりたちに会い、ヒルのわく森を滝をめざし、あるく。ヒルはしぶとく、塩水で湿らすたバンドを長靴にまいて防御する。シカが増えすぎそれにあわせ、近年大繁殖していて、ここでは夕方はヒルを捕まえてきて水槽のなかにいれ、毒草やら薬草やらためすが、効果があるのは木酢液と塩水だけだった。


夜はひたすら木を彫る。カエルの大合唱。明日は大雨。

明日は君津へ

2008年6月27日

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祖父の形見のナイフ、ノコギリかばんにつめこんで、明日は君津の森へゆく。


明日は川崎駅まで父が送るという。そこまで心配しなくていいと思う反面……

長い1日 森へいけるかも

2008年6月24日

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帰りみち、バスで作業所の二人と一緒に帰る。懐かしい感じがした。まるで4年前に戻ったよう。

知的障害のお兄さん、聴覚障害の女の子、気分障害のみみずく。三人がいちばんうしろの席にならび、駅まで帰る……うち2人はほとんど手話ができない。そこで持っていたスケッチブックで、お絵かきゲームをした。文字通りのバスレク。


三人がコミュニケーションをとるためには共通するの視覚が頼りになる。

五感、そして第六感、神さまは人間に6つの感覚器官をあたえたもうた。そのうちの一つがなくとも、尊敬をもって生きていけるいまの日本の福祉は素晴らしいと思う。もちろん差別や偏見、見えない影もあるだろう。


生命は生きるためにできている。死ぬために生きているのではない……音も光のない世界で生きる東大の教授もある。みみずくには想像もできない苦しみをのりこえた人だ。


みみずくは、文字を見るだけで苦痛だったころと比べ、ずいぶん元気にはなったけれど、あの底知れない"魔の時間"はときどきやってくる。明けない夜を信じてしまう日もある。トンネルは出口に近い気はする。これは第六感、勘、かもしれないが。


そんなこんな考えて駅につくと、帰り道の電車賃金が足りないことが発覚。結局さいごは歩いて帰ったのだが、途中ある人を見かけた。このことはいずれ書こうと思う。思えば、これも運命的としかいいようがない。


あまりに偶然が多い最近。明日は二週間ぶりの診察……

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じつは今日作業所にいったのは、千葉に土地を借り、山小屋をもつある芸術家の方に相談したいことがあったのです。


気分障害のみみずく、編み目のように監視の目が張り巡らせてある実家からしばらく離れたい。といって入院するのもこりた、と両親を説得した。

家族が心配なのはアルコールのこと。千葉にいって監視がきかなくなるのを恐れている。とにかく詳しい話しをきいてきなということで、作業所へ出かけたのだ。


驚いたことに、その芸術家の方は、市立大学のアルコール依存を診ていた元部長さんと知りあいでタッグを組み、千葉で"木工"で断酒会をやっているという。ははあ、これを聞けば、家の許可がでることは間違いない! なんという巡りあわせ、神さま、ありがとう(/_;)


明日の診断で入院をうながされないかぎり、土日に千葉へいけるかもしれない。千葉にはやぎ、にわとり、(山ビルもいる)そして、森が待ってる。食料も現地調達。ああ、どうしてもいきたい。

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図書館からバスに乗り、乗り間違えて、「馬の博物館」のある根岸台に……バス停に警戒中の若い警察官がちょうど立っていた。マスクをしたいかにも怪しげなみみずく「あの……ここどこですか?」道を教えてもらう。お金がないから、一時間ほどてくてく歩き。やっと作業所へ。横浜は暑い(汗)……聴覚障害の女の子が熱〜いお茶をいれてくれた(笑)

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みみずく、高校時代に通った横浜市立中央図書館へ。ここで多くの本やよみ、ちょこっと受験勉強をした。草木染めの図鑑を借りる。

アルコール依存

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今日はセンターは休み。午前、苦しさに負け、隠してあった合成酒を少し飲む。


匂いでばれ、激怒される。アルコールは一時しのぎにはなるが結局は憂鬱になるだけでなく、薬の作用を強め、自殺衝動にもつながるらしい。


自業自得、飲んでしまったという罪悪感からか、夕方、パニックになり、死ぬかと思うくらい、重苦しい感覚に落ちいった。髪の毛をかきむしり悶えてくるしむ。


隠し酒の持ち主の父いわく「死ぬしかないな」


嗅覚障害なのに酒の匂いを感知した母いわく「うちは金がないから臭い"鬼ころし"なんだ」


兄「薬か酒かどっちかにしろ。薬で始めたのならアルコールは飲むな」


統合失調症のお姉さんはみみずくを軽く叱ったあと「酒で自分をいじめちゃだめ。自分にごめんねっていってあげて」意外だった。


文豪三島は太宰治を「病気を治そうとさないやつに病人の資格はない」と嫌ったという。断酒できないみみずくは、弱い。親父のいったとおりこのままいけば「死ぬしかない」のは自分でもわかっている。