今日は、ユニット長の運転で、同じ系列の特養にいった。「ちょっと寄ってコーヒーのましてもらおうぜ」ということで。
足腰、元気なばあちゃん2人と入ったばっかりのばあちゃん乗せて。
そこには、半年前、うちから引っ越した、みんなからみっちゃんとよばれる、小さなばあちゃんがいた。のってきた車は夕方の送迎に使うデイサービスの借り物なので、時間がかなり押していたが、ユニット長がいいよ!といってくれたので、逢いにいった。
半年振りにあった彼女は、特養の広いフロアで半分泣いていた。徘徊する彼女は転んだばっかりなのだという。
下を向いている彼女に近づいて、いつかのように英語で話しかける。
「Hello? How are you?」
「…… 」
「アーユーオッケー? 大丈夫?」
「イエース」(蚊のなくような声で)
「よかったねみっちゃん、きれいなとこすんでるね」
「うん…」
驚いたのは、一緒にきたばあちゃんが、彼女のことを思い出し、名前をよんで、手を握って、泣き出したのである。もう忘れているのではと思っていた。
ユニット長が、俺のこと覚えてる?ときくと
「覚えてるよ」。
聞き取れないくらいの小さな声でそういうんだ。
たくさんの老人の中で埋もれそうになっているけれど、ちゃんと僕はあなたのことを知っています。
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2010年12月28日
2010年11月12日
今日は休みであったが、なんかへんてこりんな一日だった。
昼間は肺炎で入院したおじいさんの見舞いに行く。壁に「〇〇様はミトン可だが抑制は禁止」という張り紙があった。チューブや点滴をつけられていたが、熱も下がり元気そう。しかし認知が進み会話は半分も成立しなかった。
まえに肺炎で入院していたときは暴れて四肢を紐で縛られていたというから、ちょっと心配していたが。拘束もされず静かに寝ていらしたので安心した。
そして何回か息子の名前を呼んでいた。
それをみた反対側のベットの、比較的元気なおじいさんが僕に話しかけてきた。僕のことを見舞いにきた息子と思ったらしい。「いいねだんなは、見舞いに来てくれる家族がいて」
僕は肉親ではなく、ただの職員だが、ただ笑ってうなずくだけにしておいた。
バラの鉢植えを置いて帰る。
***
夕方は、職場に顔をだして、管理者や、上司に明日の昇進試験で提出する論文を添削してもらう。働き盛りの大人たち・・・・・・
* * *
暗くなって、リサイクルショップにいき楽器を見ていた。すると小さな女の子が、一人でやってきて人懐こく話しかけてきた。天使みたいな子だった。その子は僕がするように、弾けもしないギターの弦をぽろんぽろんはじきながら、なぜか僕にまとわりついていろいろ話しかけてくる。
子ども「ひなっていうの」 「ふうーん」
子ども「これ小さいね」 「うん、かわいいギターだね」
子ども「ひなはこれ弾けるんだ」 「へえ、すごいね」
子ども「ひなはこんなオレンジ色が大
好きなの」 「そう、きれいだもんね」
「お父さんお母さん一緒なの?」 子ども「うん」
人生の夕刻をとうに迎えたおじいさん、働き盛りのお父さん、そしてこれから生きていく小さな女の子。
同じ時代を生きて、たまた出会いすれ違っただけなのだけど、どうして皆、こんなに親しく、いとおしく感じられるのか。
2010年10月30日
以前は毎日のように更新していたこのブログ。
日常生活で、ふと心にとまった出来事や、ささやかな感動や、ときにはみみずくの、不安定な感情を書き連ねることで、自分を客体化し、精神の安定をはかってきた。実際どれほと、気が楽になったことか。
いままでは、よほどプライベートなことを除き、みみずくの心の恥部も包み隠さずさらけだすことができていた。だからこそ書いて気持ちが楽になれた。
けれども最近、自分のなかで、他人には共有できない秘密が心の中で肥大してきている。
秘密というと、なにかやましい、罪深い感じがする。けれどもコミュニケーションをはかるとき己の本心をときに隠すことが、円滑な人間関係を育むことになるのは誰でも経験のあること。
ようするに、みみずくも狡猾になったものだ。
そしてそれは、自らを生きづらくしている気がする。
素直になりたい。誰にも隠しごとをしたくない。
………だから辞めようとも思ったが、もうちょっとブログを続けてみようと思った。
2010年10月3日
テーブルに広げた。
最後に正月の暖かい家族の呼吸と温もりをすってから、どれくらい暗い倉庫にしまわれていたのだろう。
描かれている貴族やお姫さま、ぼうす、みんな疲れているように見えた。
もともと、この百人一首は、さるご入居が自宅から取り寄せたものだった。しかし、
一度も使われることなく、いまや、もう持ち主の認知の度合いも麻痺も進んでしまった。
それを、ふと取りだし、昼食後の不穏な、そしてけだるい雰囲気のリビングに持ち出した。
物には命が吹き込まれている。
生きているということは、それが、世界に影響を与えるということだ。
だから生きている。
花の色は・・・適当にとった札の、上の句を読む。小野小町の有名な句……
すると…
…うつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
次々と下の句が……、一分前の短期記憶すら怪しいお年寄りの口に、流れるように……
それは魔法だった。
いにしえの歌人が残した魂の結晶。
家族や子どもたちに囲まれた、正月のひと時の幸せな記憶は時空を越えて…
テーブルを囲む人たちを、ほんわかと明るく照らしだした。
2010年9月18日
モカ:雄、もうすぐ1歳 |
ヤギの散歩をしたり、沼にはまって動けなくなったり、最近の映画のシャーロックホームズみたり、子犬…一年たったからもう大人か……と遊んだり本を読んだり。
丸太小屋や、作品や、書棚を見ていたら、あ、最近仕事しかしてなかったな…と気づいてしまった。忙しくて本すら読んでいないし……何ヶ月も思考停止していたような気分……
秋の虫の合唱、朧月夜、テント泊。
薬も辞められたし、そろそろ、生活に軌道修正かける頃だ。
そう思ったけれど、なにからはじめればいいか?錆び付いた頭はなかなか働いてくれない。
ヤギとひょうたん |
夜の囲炉裏 |
モカ |
東京湾フェリー |
調理は焚き火 |
小屋の前 |
2010年9月13日
疲れてるはずなにに不眠。原因がある。
自分の日記だから、それを書いてもいいやと思って。
書くこと、それがいまのみみずくの精神安定剤。
よーし書くぞ!
こんどばっかりは書いても後悔しない。恥ずかしいなんて思わない。
たとえ誰かがこれを読んで、そのあまりに大きすぎる負のエネルギーをじかにかっくらって真っ青になって、ぜーったいに後悔しない。
いまこここに、ふだん社会生活を営む上では絶対口にしない、仕事に対する、不満、愚痴、意見、主張、弱音なんでもかんでも、当たりかまわずいーっぱい書いてやるぞ。
世の中に対する、怒りと哀しみ、慟哭もたくさん書かなくては。
そうだ、このさい人間に対する不信だって書いてしまおうか!
憎しみだってそりゃ人間だからあるさ。
人間の思考回路は、0と1の羅列ではない。きれいごとだけでは、ありえない。
どんなに立派な聖職者だって例外はなく、よどみによどんだ、くらぁい、それは暗くて陰湿で醜悪なものを秘めている。
みみずくの、合成甘味料を一切使わないショ糖1トン分と、ブドウ糖1トンを、これでもかというくらい、工場一つ分の大なべで煮て混ぜて、硬くした、甘い、脳みそが腐るほどの甘い考えもかいてしまおう・・・
・・・うん、ここまで書いたらもう満足しました。
どうもありがとう。
2010年9月11日
渋滞を予想しておらず。順調に遅れている。
明日はホームの秋祭りで
早朝から準備に入らなければならない。
わずか3時間滞在で、再び夜行バスに乗り、横浜に帰る。
でも一目でも顔が出せればよいと思う。
そういうもんだ。
2010年9月1日
沖縄では、もう長生きされた方の葬儀はお祝い事なのだというけれど。でも、それは沖縄の話。いま、職場の御入居者のお葬式から帰ってきた。なんか気が抜けたといいますか・・・やることもなくここへ・・
職場の先輩の助手席に載って、斎場に向かい、ああ前のお葬式のときも助手席だったと思った。一緒の建物に住んでいた、親しい先輩がなくなった日。鮮明に思い出せる。
あの日は、ほんとに信州は雪解けの春先でした。偶然、神奈川から母がきて善光寺までという許可をもらって外出していた。病院内では携帯持禁止だったので、久しぶりに受信をしたら、なんか妙なメールが来ていた・・・外出していなかったら、もっと知るのが遅れていた。故人の意思が働いたのだと信じている。
知ったその日が命日だった。母は新幹線で帰った。夕方の診察で(僕は病院に拘束されていたので)、お通夜にいきたいと、医師に泣いて頼んだ。責任があるので自由にできないといわれる。あと追いなんかされることもありますからねと聞いて僕は怒ったが、いまおもえば当然のこと。
けれども、新幹線で帰った母が、翌日また長野まで来てくれて。母には、一緒に葬儀に参加してもらって。
あの時初めて親のありがたさを感じた。いざというとき見方になってくれるのは家族なのだなと知ってまた泣いた。
翌朝、寮の先輩の助手席に乗って、山に向かう。
もう焼かれていて。
そんなことを思い出した。
ばあちゃんと娘。面識はないけれど、気が合いそうだから、二人の故人が天国で出会えますように。
2010年8月29日
夕方出勤すると、ユニ長から訃報を聞く。
ご入居者が亡くなられた。
みみずくのユニットではなかったが、一緒に数ヶ月暮らしたばあちゃん。
天ぷらが好物で、食後、「まだ食べてないぃぃぃ」という声が頭から離れない。
よく僕は、ぽかぽか殴られた。力の入らないその手でめいっぱい。
素敵な人だった。
天寿をまっとうされたにちがいない。
どうぞ安らかに。
2010年8月26日
たまあにくる、なんにもない一日。
前日までの仕事で疲れきって、昼過ぎまで寝てしまった休日の夜、きまってあいつはやってくる。
極度の憂鬱状態。
時間は止まり、世界のすべてが色あせ、いままで生きてきた年数のすべてが無駄であったように思われる。
ここ最近、頑張り過ぎたのだ。能力以上に働いたのだ。
病院の世話になるまえに、ちょっとここいらで怠けようぜ。
明日も雑用で呼ばれ休日出勤しちゃうけど。
2010年8月24日
ってなにか考えてる。
愛情
その人のため、ではなく、自分がその人と接している時間が尊く思えるような気持ち。
寛容
善悪社会規範ににとらわれず、その方のもつすべての世界を受け止めること。
忍耐
常に成果を待ちつづけ、よりよいケアを模索しつづけること。
使命感
自分にしかできない、と思えるくらいの仕事をすること。
観察力
どんな小さな表情やしぐさにも、その方の意思を汲み取れること。
創造性
形にとらわれない自由な発想で、常に最先端の介護福祉を実践すること。
2010年8月19日
山梨から帰ってきて、休みなく仕事の日常に戻って、また一人になっちゃうなと思っていたら、職場の仲間に、飲み会に誘ってもらった。勤務時間がばらばらなので、一般の会社とは違って、なかなか飲み会は出来ない。今日のことも、数ヶ月前から話にでていてやっと実現したという感じで。
職場の周りは住宅地で、居酒屋なんてなく、でも唯一、お好み焼き屋さんがあった。今回は、おばちゃんぬき(なんとも失礼な言い方ですね)、やっぱりそれはそれで、面白い。いろんな世代の人と話すことは楽しいし、ためにはなるけれど、やっぱり、年齢が近いと共感できることも増えてくる。
二次会のカラオケなんて、大学でこそ、しょっちゅうだったけれど、こうして一人になってからは、初めてのことだった。
仕事場では知らない、同僚の一面を少しだけ知る。
それぞれが、それぞれで、いままで生きてきて、明日のために生きている。
そんな当たり前のことを知れただけで、なんだか励まされてしまった。
要するに、こんなことを感じるくらい、久しぶりの飲み会ということだった。
2010年8月12日
明日一年ぶりのキャンプに参加。みずがきキャンプ。
前日の晩、応急セットをごちゃごちゃ整理してみたり、キャンプインストラクターの冊子を眺めたり…
早朝に横浜から山梨へむかうけれど、遅刻しないだろうか?!
先日の採用試験の遅刻が、完全にトラウマになっている。ああ。
2010年8月11日
退院されホームにもどられたあるかたは、目に見えて身体も精神も劣ろえてしまった。
普通食を自立で召し上がれ、不安定ながらも自立歩行されていた方が、数晩にしてミキサーの食事介助と車いす移動に。
一週間、多くの自立機能が失われ、そしてそれは、みみずくが 初めて目にする 階段状の 低下だった。少なからず衝撃的な……
今日の夕刻、みみずくは、退院のさいたちあったご家族からの電話をうけとった。
……その後 一晩経ちましたかいかがですか? ミキサー食はどうでしたか……
まず、退院後の一夜目の長い夜にあった、事実をありのままに伝えた。
実は、電話中、経験の浅いみみずくは、今後どういう生活の変化がその方に起こるのか予測がついていなかった。
電話を切るさい、余裕がなくて考えていなかったことばが、思わず口から出た。
……でも徐々に穏やかな生活を取り戻していきますし、スタッフは24時間、全力で支援を致しますから、ご安心下さい。大丈夫ですよ。大丈夫です。
一番、伝えておくべきことを、言えた。ああ、よかった。このことばを無意識が忘れていなくて。
2010年8月9日
2010年8月4日
今日は採用試験の面接と模擬授業の日であった。
そして僕は・・・・・・今年の試験を棒に振ってしまった。
昨晩、勤務が終わって帰宅したのが8時、それから、残った授業の準備や提出物の最終確認をはじめ、結局、朝までかかった。どうして、いつも早く、終わらせておけないのか。
七時に家を出た。京浜急行線の駅まで原付、逗子経由で大船、それから湘南モノレールに乗って、そのあたりで時間が迫っているのに気がついた……最後は知らない街の住宅地を走り・・・・・・
結果的に着いたのは集合時間の8時15分を3分すぎ。
女性の会場係の人は、急いで校舎に入れてくれようとした。
もう一人の男性の会場係の人はそれをみてこういった。
「外の受験生に公平にしないといけませんから申し訳ありませんがお帰りください」
「……」
試験で落とされるならまだしも、それ以前に社会人として当たり前のことができなかった・・・・・・!
もう、恥ずかしい以上に自分が情けなくて。
24歳の第一日目の出来事だった。
2010年7月29日
あの時は仲間がいた。大学でも、学生寮にも。でも今は一人しかいない。暗いアパートの中で、孤立無援だ。
まずは模擬授業だ。テーマは小学校、「子どもたち一人ひとりが、学習活動に興味・関心を持ち、学習意欲の向上につながる授業」
みみずくが学生の頃、鬼無里の小学校に行った時のことを思い出した。あの時、子どもたちは、われを忘れたように顕微鏡に熱中していた。顕微鏡の中に、彼らにとって未知の世界が広がっていた。
実習や研究会で何度も学校に足を運んだが、あのときの理科室は、その中でもとびきり尊い時間だったと思う。
みみずくは、大学の受験のときこそ文系であったが、理科室にこもって一人で興味の思いつくまま実験していた時間の長さは、誰にも負けない。
だとすれば理科の授業か。
切羽詰っているとき、一人電話相談をする。
相談相手も回答者も自分という・・・
パーソナリティ
「はい、今週もやってまいりました。人生相談。このコーナーでは、心理学者であり、精神科医であり、また作家でもあられる、 川獺(かわうそ)が、皆さんの心の悩みを解決します。川獺先生は、現在、精神病院の医師として勤務する傍ら、自らもアルコール中毒症と戦っておられます。」
カワウソ
「はい、よろしく。多少ロレツガ回りませんが」
パーソナリティ
「では今週の相談者からの電話に切り替えます、月夜のミミズクさん、どうぞ」
ミミズク「こんばんは・・・」
カワウソ「はい、こんばんは。どのような御相談ですか?」
ミミズク「あの、試験がせまっていてプレッシャーに押しつぶされそうなのです・・・」
カワウソ「ほう」
ミミズク「このままではいけないと・・・」
カワウソ「ふむ」
ミミズク「一週間後なんですが、でも自信がなくて・・・」
カワウソ「どのような試験ですか?」
ミミズク「とある会社の採用試験なんですが。面接も心配なんですが、もう一つ、模擬プレゼンというものがあって。」
カワウソ「何を売るんです?」
ミミズク「はい。それが・・・ 子どもたちに“夢”を売る商売なんです」
カワウソ「ほう、それは珍しいビジネスですな」
ミミズク「限られた時間のなかで、子どもたちの興味と感心を持たせ、購買意欲の向上につながる話をしなきゃなんないのです」
カワウソ「まず聞きたいことがある」
ミミズク「はい」
カワウソ「あなたには売るような”夢”があるのですが?」
ミミズク「・・・・・」
カワウソ「ない?」
ミミズク(小さな声で)「あります・・・・・・でもそれが、なんなのか、まだはっきり言葉にできなくて」
カワウソ「あなたの中で、いまだはっきりとした形になっていない」
ミミズク「ですから、僕は、この試験が心配なのではなくて、受ける資格があるのかどうか、悩んでいるみたいです」
カワウソ「なるほど、お悩みが具体的になってきましたね。それで?」
ミミズク「それでって?」
カワウソ「あなたは試験を受けるんでしょ?」
ミミズク「はい」
カワウソ「だったら受ける資格があるかないか考えないで、残された時間を、あなた自身にある力を表現するための準備に当てればよいです。その会社があなたの力を大丈夫と思えば、大丈夫なんです。使い物にならないと思えば、落とすだけです。あなたが決めることではない」
ミミズク「そうか」
カワウソ「結局、悩んでいる様に見えて、答えは決まっているものです。悩みとは、ためらいに外なりません」
ミミズク「そのとおりでした」
カワウソ「ためらいは、障害です。早いうちにぶっ潰さねばなりません。自分の力を飾らず、ありのままを表現できるよう願っています。そちらのほうが大事で、試験の結果など、考えなくてもよろしい」
ミミズク「わかりました。」
カワウソ「そもそも、夢なんて自分が抱き、実現していくものであって、売るようなものではないのですから。試験はあくまで、形式にすぎないということを、申し添えておきます。」
2010年7月26日
昔、日本は遠い南の海と空に出ばって、世界を相手に戦争をしていた。
戦後40年以上たってから生まれたみみずくにはそれは、知識であり、実感を伴った体験ではなかった。
しかし最近、認知症高齢者に、あの戦争の存在を感じざるを得なくなってきた。
みみずくの祖母は子どものころ戦争を直に体験した世代だ。グループホームではその祖母より年上、大人として戦争に巻き込まれた年代の人もいる。
一対八。大胆そんな男女比。女性が多いのは、生物学的な要因だけではない。夫を戦争で失い、戦争未亡人として、焼けの原から一家を支えた女の、想像を絶する努力、苦悩。
「助け合って生きてきた」
それだけではあるまい。
「自分」と「家族」が生き残るためには綺麗事だけでは済まされなかったと思う。貪欲さ、浅ましさ、狡さ、生き残るための武器だったのではないか?
配られた均一の茹でトウモロコシが他の人より小さい!と激怒した事のことを前回書いたが、その行為の背後には、いまいったような時代や束縛があるのではないか……
2010年7月15日
みみずくのいまの介護は「役者」だ。
例えば……ここは家なんだ という雰囲気を守るために……
「ただいま帰りました」
と出勤をし、
「出かけてきます」
で退社する職員がいてもいいと思う。グループホームはご入居者にとって本当の家なのだから。
しかし……世の中はおそろしいもので、数少ないが、"役者にならない"職員もいる。演技はなく、心から、無条件の愛情を注ぎ、人生の先輩(ご入居者)に対する尊敬を片時も忘れない……
こういう仕事をしている職員には頭が下がる思い。この福祉の仕事の境地なのかもしれない。
さて。
告白するが、みみずくは
あのくそ爺 くそ婆 とこっそり思う場面が、一日数回ある。
認知症のお年寄りは、人間の醜い性質が顕著にあらわれることがある。ときに理不尽で、自己中心で、それは、仮の話として、均等に配られた三時のおやつのトウモロコシに、
「周りに比べて小さいではないか!馬鹿にしとるのかぁ!!!」
と怒鳴ったり拗ねたりするおばあ様がいたりすると、
口には出さぬが、「なにお、このゴーヨク婆が!」、とヒヨッコのみみずくは思う。
けれど、そういう 怒りのエネルギーが、あること自体が素晴らしい、と嬉しそうに語る職員もいる。
そういう考え方かたができることに、みみずくは頭が上がらぬ。
2010年6月7日
2010年6月4日
20時就寝のはずが、0時前にやっと、最後の人を寝かせ…………ひといきつくまもなく朝食の準備をしていると、がさこそ音が……
音をたどり居室へいくと
「こんちわ」
み「まだ夜中ですけどね……」
寝る気配もなく。部屋に放置しておくと、壁の電源が壊されたりするばかりでなく、感電されるおそれもあるから仕方なくリビングへお連れする。
申し訳ないが、車椅子のフットレストをつけ、布団をかけておく。法律上禁止されている「拘束」にあたるが、安全上、やむを得ずということで。(みみずくはひとりでこの方を含む九名に、生きて朝を迎えさせる義務がある)
み「はい、おはようございます」
後日記;安全上、やむなくというのが拘束する上での一番のいいわけであり、それは介護者中心の理由であることは頭でしか理解していなかった。もっと別な方法があったはず。少なくともそれを考える余地はなかったのか、と反省している。
複数のセンサーが暗闇のなか煌々と光っている。鳴ればかけつけ、鳴らなくても物音がすれば駆け付け、物音がしなくても気配さえあれば駆け付け、失禁の時は洗濯機をまわし、徘徊の時は一緒にそって歩き………………
ああ、もうすぐ3時になる。
ちなみに1時から4時は夜勤者は仮眠とされており、給与はでない。
後日記:この記事を読んでみみずくに失望したかたもあるかもわからない。でも、間違いなく、そのとき思ったことを書いた。この日記では飾ったり嘘を書きたくない。後日記事のひどさに削除しようかと思ったが、みみずくの影の部分も、残しておくべきと思って残しておくことにする。
2010年5月31日
今年も、山梨の北杜市で、小さな森のコンサートが開催されました。
地域の作業所や授産園、社会福祉施設で働く人たちが集まって、出店を出したり、演奏したり。
前日の夜、仕事をおえ、かずきさんに新宿から車に乗せてもらい、久しぶりにシュラフとウクレレを持って、みみずくも参加。かずきさん、ありがとうございました。
山梨はまだ、春という感じで、新緑が鮮やかで、それだけで嬉しくなりました。
コンサート中、自然に人がステージの前に集まってきて、自然に輪ができて、音楽の力って改めてすごいなって思います。みみずくは、コンサートの司会をさせてもらったのですが、思わず、前に出てきて踊っておりました。
こんな機会なんて、なかなかないです。
小さな森のみなさん、今年も素敵な企画ありがとうございました。
2010年5月26日
朝〜夕方 ヘルパーの講習そのまま夜勤に突入。
しかも20時までいてくれる遅番さんが、訳があるのかないのか、疲れているのか、とにかくあまりにも仕事をしないので、少しいらいらしていた。
台所には昼間の職員さんが余らせていてくれた夕飯。本当はいけないのだけど……
二つ足して足したら0。
感謝されたり反対に死んでやるなどいわれたり、時間はかかるがなんとかなるはず……
全員の入床を確認したら、センサー3台に耳をすませつつ、タバコを一本吸ってからの業務をこなし始める。
なにも起こらない 静かな夜であれと 祈りつつ……
猫ちゃんに別れを告げた。
月夜のみみずくに相方は重荷だった。
友だちに戻った。
* * *
以下本文とは関係ないリンクです。
ペットと人間のかかわりを綴ったドキュメンタリーです。
http://www.youtube.com/watch?v=LOSoFSAxDyc&feature=related
2010年5月24日
夕方暗闇ゴミ捨て場で、手袋をしながら、なくなった「義歯」をさがしていた。
ここ数日、薬は切らしていないのに、憂鬱な時間が(精神的に苦しい時間が)多い。
職場のおばちゃんが緑茶がうつの予防にきくってTVでみたって教えてくれた。
少し調べてみた。以下そのページへのリンク。
http://www.rda.co.jp/topics/topics4573.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%B3
http://blog.kenko.com/nakayama/2004/11/post_9585.html
たぶん、つづく
2010年5月20日
オイルもバッテリもプラグもなにもかも異常なし
。
近所のバイク屋にいったら、エンジンを分解されたあげく、見積もりなして一万円を取られた。もちろんばらばらなまま。
エンジン内部が破損しており、手のほどこしようがないという。あまりのショックで抗議すらできずとぼとぼ押して帰る。
そして今晩、新しい中古のリトルを割と安く譲ってくれる人の元に電車で向かっているのだが…
追記:新しいリトルカブは順調に始動し外装も綺麗で、今日から仕事場へ向かうために使い始めた。
黄緑が壊れたカブ、銀ブラウンが新しいカブの写真。
2010年5月17日
親友がブログで自分を最低だといっていたから、「月夜のみみずく」+「最低」で検索してみた。
2007.10.03
こんな私をどう思いますか?
外には鈴虫の音、窓から吹き抜ける風に秋の深まりを感ず。書物を片手にしばし学問の世界に身を任せ、ふと窓の外に目をやると、ああこれが中秋の名月か、うす雲の中におぼろげに輝き・・・・・・
あ、電話が鳴っている。これは彼女からに違いない、「今すぐ逢いたい」 おおよそ内容は見当がつく。そう直感して、、、そう直感して、、、ん? あれれ?
ふと我に返る。 外から聞こえるのは、どっかの部屋で飲み騒ぐ男たちの叫び声、ないしはマージャン牌のガチャガチャという音。窓のから吹き込む冷たい風はタバコのヤニの香りで部屋をいっそうかき乱し、数学の問題集にもともと素養のない頭は疲れ果て。ふと窓の外を見やると、月の影カタチすらみえぬ。むしろもう新月だ。それだけならまだしも、ぶんぶんと窓を開けた瞬間、進入してくる蛾やら蜂やら蝿やらやら。
・・・・・電話は確かに鳴った。内容は要約すると「遊んでないで、勉強せい、帰ってこないと、どうなるかわかるな、覚悟しろ?」 実家からである。 あー? それになんだ、だれだ“彼女”って? おまえは何様じゃ。戯けたことを言っるヒマがあったら、数学の問題を解け。なに? 二次関数の解の公式? おぬしはそんなとこまで忘れ朽ちたか!!!(答弁)それでも昨晩は机に向かったのだ。そうしたら、飲み会に引っ張られ、それでもだ、今日という今日はは2時間机に向かったのだ。そうしていると、昔の悪い癖、普段はなんもやる気がないのに、この場に及んで本が読みたくなったり、絵を無性に書きたくなったり、なんか飲みたくなったり食いたくなったり、風呂にはいりたくなったりするのである。
結局、欲望の思い浮かんだ順を逆にたどり(それも忠実に!)風呂にはいって、飯食って、画材をあちこちから引っ張り出してきて机の上に広げたまではよいものの、いっこうに絵どころか落書きすら書かず、気づけ最近食堂で拾ってきたテレビなんかを見てほくそ笑んでいる自分・・・・・・
最低だ。
僕はまっとうな人間になれない。
これはエジソンだかソクラテスだか、荻生徂徠に言わせるところの<たい落>だ。ええい、「タイ」の字まで忘れてしまった。
アナウンサー:「ええ今月のラジオなんちゃって電話人生相談は、長野県長野市の<月夜のみみずくさん>から、自分の部屋で
勉強が手につかないというご相談です。ははあ、これは大学生さんからですかね。ねー、最近の大学生は、ちっとも勉強しない。私なんかの頃は自分で学費を稼ぎ、これでもかというくらい苦学しましたけれどね。」
月夜のみみずく:「僕は意思が弱いのです」
アナウンサー:「意志が弱い、なんでもこういって言い訳するんですよね、口だけでなにもやらない人間は。おまけに<意志>という字も間違えてる。どうでしょう、先生、ご回答をお願いします。いやくれてやってください。」
心理相談家:「うーむ。処置なしですね。はい、次の相談は?・・・・・」
季節の移り変わりに伴い、かようにして僕の精神状態は不安定である。最低な私、最低な僕、時にはそう思えるくらいが、普通だと思う。
2010年4月27日
もっと書くべきことがいっぱいあるのに……
またもやパキシルを切らしてしまった。時間が合わず病院にいけない……
パキシルを切らしたあと必ず起こる禁断症状。離脱症状といえばいいのか……頭に電気が走るように、シャリシャリ音がでる。体が絶えず痙攣し、鼓動がおかしい。
ささいなことでも涙が止まらず、感情が閉塞的になる。
悪夢をみた。
僕は、スカイダイビングをしようとしている。インストラクターに、防寒着をつけられる。
何の間違いか、僕はこの時点でヘリから突き落とされる。
高度数百メートルの大気に僕は放り出され、ぐるぐる回転している。
落下していく僕にヘリの中からインストラクターが叫ぶ「すんません、まだ肝心のパラシュートつけてませんでした!」
死に物狂いでインストラクターがヘリから飛び出し、落下していく僕に近づき、パラシュートを装着させようとするがうまくいくはずもなく。
みみずくは平然という「いいんですよ、慌てないで。僕、生きることにそんなには未練ないですから……」
自然とこんな言葉が出て、自分でも驚く
霧に包まれた視界のなかで、眼下に森が見えてくる。
僕は落ちていく……
「それより、あなたが致命的なミスをして、僕を殺したことを、どうか重荷にしないで生きてください」
夢のなかの意識が途絶え、現実に目覚める……汗が…止まらない。
2010年4月25日
今日は……予定なら猫ちゃんとの散歩の約束の日だった。
猫ちゃんとみみずくは 八重桜の咲き乱れる頃、つまりごくごく最近、お付き合いを始めた。<彼女さま>とかくのが恥ずかしいし、慣れないので<猫ちゃん>と書く。
みみずく23年間の法則は突然の彼女の出現によって、覆された。
まさか、みみずくが誰かを好きになるなんて。好きになるだけでなくて、お付き合いするなんて。考えても見なかった。夢想はしたけれど、いつも寂しかったけれど、そんなことはもうないと、諦めていたのに……
さて……
今日は二回のデートだった。猫ちゃんも働いているから、なかなか会えない。この日を待ちわびて、みみずくは働きに働き、猫ちゃんも楽しみにしていてくれた。
空は晴れ渡り、みみずくは考えごとで徹夜の朝だった。
猫ちゃんから、待ち合わせの直前になって電話が……
猫「ごめんみみずく、今日、行けなくなった・・・」
み「(……行けなくなった!?えっ??えっ??×△◇○??)」
急にかわれない仕事がはいったという。
僕は電話を切る。
一瞬でも疑った僕を彼女は許してくれるだろうか……
もう一度電話がかかってきた。
猫ちゃんは泣いていた……
いままで一人で虚勢をはって生きてきたみみずく。
猫ちゃんはそんな僕に突然舞い降りてきた天使。
それも不器用で世界一愛くるしい……
2010年4月24日
みみずくも数回だけ、イベントやキャンプに参加したことがあり、今年の5月30日は、………なんとコンサートの司会の役を仰せつかってしまいました。
何百人もくるだよ!?
みみずくがしていいの?みみずくにできるの?
僕はいったい……!?
頭はいま真っ白です。
とにかくやることだけが決まっている……
……先ほど、小学校の演劇の舞台の天井で照明をいじっていたら、転落、いきなりライトを浴び、隣の女の子の踊りを見よう見真似で、「練習しないでごめんね」といいわけしつつ冷や汗たらたら・・・でたらめに踊り、そのあとマイクをもって司会をしている夢をみた 汗
どえりゃーことだよ
これは、いったい・・・
木の実の森
http://www.kinominomori.com/
大学の先輩が描いた絵本のページもあります。 http://www.kinominomori.com/mizugaki2009/book1.pdf
追加報告します。
2010年4月14日
こんばんは。
今日の仕事が終わりました。就職して以来いちばん長い日でもありました。
昨日今日、職場で僕は大きなミスをし、その対応に早朝から追われていましたが、誰一人責める人なく、逆に励まされ、本当に申し訳ない気持ちと、こういう職場で働けていることに感謝しています。
さて、ですけど。あなたと最後に会ってから、早いもので2年が過ぎます。こうしてあっという間に人の一生の時間は過ぎてゆくのでしょうか。それはわからないけれど、僕はなんとか、一人でやっています。これもあなたのおかげです。
こうして手紙を書いているうちにも、親しい友だちからメールが来たりして、筆をとめてしまいます。
僕は前ほど、あなたのことを、そう頻繁には思い出さなくなりました。あなたが消えてからの夏、親しい人にタロット占いをしてもらう機会がありました。そうしたら、、「一人の女性の存在が、あなたに大きな影響を与えている」っていわれてそのとおりだと、びっくりしたものです。でも今は、ときより、あなたを感じ、思い出すくらいです。だからって寂しがらないでね。僕はずっとあなたと一緒にいますから。。
去年の秋に、一人暮らしを再開したんですけど、新しいアパートの一室に、まっさきに飾ったのが寮祭の時の写真です。善光寺の参道を、雑巾がけして、そのあとに「電車ごっこ」をした時のだよ。僕は映っていないけれど、その写真ではあなたは紐で結ばれて、みんなと一緒に笑ってる。茶色のおおきいマフラーをして、両手は前でつないでいる。朝日が、顔を照らしていて、みんな幸せそうな表情をしていてね。僕の一番好きな写真です。写真の前においたハイボール、飲んだかな。最近、はやっているらしいよ。僕はすぐ自分のを飲んでしまって、あなたのを飲んでしまうけれど。
あなたがお酒が好きだったかどうか、飲める人だったか、それすらも全然知らないほど、藍さんのこと、知らないんだ。だって一緒に住んでいたけれど、たまにしか話さなかったから。お互い・・・・・・いやあの頃の・・・・・・いまもそうだろうけれど・・・・・・「家族」はみんな夢に向かってまっしぐらだったし。忙しい毎日だったもんね。
僕は、好きな人にしか、手紙やメールをよこさない。僕はあなたが好きでした。あなたにとって最期の大晦日も、一緒に事務室で飲んでいましたよね。そのとき、いうべきいわないべきか迷っていたんです。いまだからいえることだけどね。
そのあと僕は、苦しかったです。信州の自然は、いっせいに芽吹く頃だったけれども。病院に通って、入院して、それが地球上での、僕と君との最期の隔絶。
あなたは死後、お父さんや、僕の前に、何度か形になってあらわれてくれたね。千葉の森の中で、深夜、あなたの話をしていて、きっと蛍になったんだって・・・そうしたら、本当に蛍が一匹、僕の頭の上を通り過ぎていきました。・・・・・・僕は想像します。僕たち人間には想像もできないような、生き物たちに囲まれ慈愛に満ちた美しい世界に生きているのでしょうね。
きっとそうだと思います。
東京は昨日、何十年ぶりの降雪を記録したそうです。これが最後の冬だと思います。これから、あなたの住んでいた信州の高原でも、一気に雪解けが始まるのでしょう。いつか一緒に筍をとりに行った日が懐かしい・・・・・・・あのときは厳しい季節を乗り越えた新緑がみずみずしく輝いていました。世界中が幸せであるような気持ちでした。
そういう僕も、初めての職場で、初めての春を迎えています。小さなグループホーム。なんとか、という感じで、まだまだ頼りない存在ですが、ようやく誰かの支えになれていると実感がわいてきています。
そして、あなたと過ごした日々が、本当にごくわずかなものだけれど、いまの僕を大きく支えてくれてる。ありがとう。
教師になる夢はまだまだ叶えられません。でも、あなたの思いをついで、少しでも今の世界がよいものになるように、小さな喜びを糧にして、働いていこうと思います。
本当にありがとう。
また逢いましょう。いつでも、逢える、のだから。そうどちらかが望めば、ね。
僕たちをそっと見守っていてください。遠からぬ将来そのうちまた逢える日がくるまで。
2010年4月12日
みなとみらいの某有名ホテルにて……
日本一の社会福祉法人を目指すと意気揚々の挨拶。みみずくのように、末端の介護現場で働くものから、理事長、はてまた政治家や医師、銀行の頭取、地元の有力者が顔をそろえていた。
少なくとも、給与の低い分、ビールをしこたま呑んで穴埋めしようと企んでいたら、なかなかどうして、新入社員の演奏あり、政治家の出馬協力要請あり、職員の表彰あり、拍手をする時間の方が長くなってしまった。
ジョッキは片手でもたねばならないが 拍手は両手を使うので 呑めない……
これは誤算であった。
たぶん法人で一番、闘志のない職員はみみずくだと思った。
民間企業には向かない。
2010年4月7日
弄便(ろうべん)とは、自分の排泄物を、手でつかんで、もてあそぶこと。
弄便という行為だけをとらまえると明らかに異常な行動です。しかし、認知症の高齢者は無意味に便をいじっているわけではないのです。誰でも、オムツに排便すれば気持ち悪くなります。気持ちが悪く不快になればオムツをはずそうとするのも当然です。きちんとオムツをはずして、処理ができれば問題がないわけですが、これがうまくいかずに手や衣類、寝具や周囲を汚す結果となってしまうわけです。いわゆる弄便の動機は健康で正常な日常生活行動ですが、この目的をうまく達成できない日常生活行動障害といえます。このように、問題行動の多くは、目的をもった正常な日常生活行動ととらえることができます。したがって、認知症高齢者はその目的をうまく達成できない日常生活行動障害者と定義できるわけです。この弄便を防ぐために、上下つなぎ服を使用する場合がありますが、正常な日常生活行動を抑制する身体拘束にあたると思います。弄便や不潔行為は汚れたらすぐに変えてあげれば防げることですので、その工夫をすることが第一であり、安易に抑制をすることは介護の放棄であり人権侵害にあたると考えます。http://www.chihou.net/kaigo/care/mondai/home.html「認知症ネット」より部分引用
ようするに認知症が進むと、それを便とは理解できない。
みみずくが初めてその行為をみたときは複雑な心境だった。もちろん汚いと思ったのは、正直な思い。だってふつうそんなもの触らないもん。そのあと絶対だれにも非難させないぞ!という気持ちになった。
弄便をさせたのは介護するものの責任。 本人はすでに失禁をしていて、それを介護者が見逃していたからだ。
オムツが汚れたから、その不快なものを、取り除こうとしている。当然の行い。ただしその方法が障害によってわからない。
汚物が手について、それをきれいにしようと壁や布団で、拭おうとしたり、恥ずかしいから箪笥にしまったり、それが便であることも忘れれば、食べ物と誤って認知することもある。
問題は実はそのことではない。
そのあと便まみれになった机と椅子を 消毒している際に 他のかたが 近寄ってきたのだ。
みみずくは手をだして、「現場」にその方が入るのを制した。弄便をみたことで、変わる人間関係があってはならないと思ったからだ。 これをきれいにして差し上げるのは、介護者のだけでよい。
翌日。近づこうとした方は みみずくの制止した訳を気にしたよ、と大きな声でたずねてきた。食事中だった。みみずくは混乱した。先輩職員に目配せする。(紙に書いて渡したら?)
“失禁して・・・です”
その方は煮え切らないみみずくを怒った。
「はっきりそのときにいってくれればいいに!」
板ばさみの状態とはこのこと。
何が正しいのか。
桜がさいたとはいえ、寒空のなか、庭を駆け回って。
子どもどうしってすぐに仲良くなれるみたい。
ベランダの洗濯バサミをみて唖然……
雑草がぶら下げられている。
なんでも、干してからスープに入れて食べるんだとか。
遊びは、なんでも意味があるし、それが大人になっいく勉強になっていくんだと思う。
2010年3月24日
最近ニュースで連載が終わったときいた「かわぐちかいじ」の『ジパング』を見つけてしまった。http://www.youtube.com/watch?v=hYts2YRgiT0
閑話休題、ようするに、休日は、その「ジパング」を読みふけってしまっておわったのだった。内容が第二次大戦なので、かつて日本史専攻だったが、頭の悪いみみずくは一冊読むのに2時間かかった。三冊読んで、いま、ぐったりとしてしまった。むかし寮に、漫画部屋と称する、居室をまるまる漫画で埋め尽くした部屋があった。歴代の先輩たちが、おそらく後輩のためにおいていったのか、あるいは引越しの際に捨てていったのか、とにかく、そこには床から天井まで漫画で埋め尽くされていた。
そこでたまたま揃っていた(たいていは各巻ばらばらに天井から床まで散っている・・・)「沈黙の艦隊」を読み、かわぐちかいじの描く絵が好きになったのだか、さいきんまたYOUTUBEで「ジパング」をみつけ、ちょっと興味を持っていた。
一人暮らしを始めたころから、うちには昔からテレビがない。
だから、たまに映像?が観たいときは、朝までかけて、とことん観る。
こんな感じで休日は終わったが・・・それがでも、ドクターのいう休養なのだろう。
三週間……
薬も切らしたし、いこういかなきゃと思って、いかなかった。
病院にいく。
「あなた直す気があるのか」と主治医からいわれるのが怖くて、遅れるたび、ますます足が遠のいていた。
薬は1日に飲むべき量を2日にわけて飲んでいたので、まだ、鼓動がおかしくなったり、めまいというような心臓離脱症状?はでていないけれど…
「いまは大丈夫でも、また波が来るから、仕事を減らし、なにもしない日を作ってもいいよね」
先生は優しかった。
1ヶ月分の薬をいただく。
さてさて
「今日はマンガでも読んで、ひたすら、ゴロゴロしよ……」
そう思って古本屋にいったのだが……
2010年3月17日
強欲な人をいさめるために「あの世にはお金も何ももっていけない」とよくいうが、最近みみずくは、
「あの世どころか!」
と思う。
「あの世の手前まで持っていけるかどうか」
自分が自分をはっきりと認識できなくなった時から、人はもう、何も持てないと思える。
だったら余計なものは持ち歩かない方が賢明だとも。
……Mさんはもうだいぶまえからボケてしまった。そしていまはボケボケになってしまった。言葉が悪いなら、認知症の末期を迎えた……持ち物はおろか、家族の名前、自分の名前すら覚えてはいない。
みみずくが言う。「シャンプーしますね」
その人は笑顔で聞きかえす「サンプン待ち、し、ます?」
「顔洗って下さい」といえば、便器の水をすくおうとするし、「これ美味しいから食べて」といえば、みみずくの口へ入れようとする。
みみずく「あったかいいうどんと冷たいうどんどちらが好きです?」
「そうね、やっぱしあったかいうどんの方が好きだね」
みみずく「冷たいうどんとあったかいうどんどちらが好きです?」
「そうね、やっぱし冷たいうどん」
「あっちいってみてきよ(こよ)」といってはカーテンを引きずりおろし、「こっちいってみてきよ」といえば台所の洗いものを、ゴミ箱にいれ……
人形をもてば、服をぬぎおっぱいを飲ませようとし、座布団をもてば背中に背負い、あやしたり……
やることなすことがすべて、トンチンカンなのに、一生懸命、母親の時代に戻り仕事をしようとするMさん……
そんな状態が不幸か?
とんでもない!!
名前を 忘れても 会いにきてくれる人、名前を呼んでくれる人、住んでいる場所は常に心地よく、お風呂にも入り、ささやかながら美味しいものを食べ……ゆったりしながらニコニコつながらない会話を楽しんでいるのだから。
自分が幸せかどうかは自分が決めるものだが、みみずくからみる限り、Mさんはピンピンコロリに勝る幸せな余生を送っている。
今日みた光景は職員みんな、あっと息をのんでしまった。
前傾斜(自然と体がまえのめりになってしまう)方のとなりに座っていたMさんは「どっかわるいの?」とおでこをささえて持ち上げていたのだ。
人はいつしか心だけ持っていくんだと思った。
やがて体すら置いてゆく日がくる……その心、どんな心にするかは、自分の生き方しだいである。
2010年3月12日
まだ雛だった。
ペットショップに行って、介抱の仕方を聞いたり、スポイトで、鍋で煮た粟粒を餌付けをしたり。いろいろあった後のことだから「生きていてほしい」その一心だった。
実家の窓際に置いていたら、明け方、外から聞こえるメジロの鳴き声に応じて、ないていたので、僕は反射的に窓をあけた。
すると、飛べないと決めつけていた雛は、飛びたち、ないていた成鳥のとまる電線へひとっとび。頼りない羽ばたきで……
彼らは会話していた。 一列に並んで。雛を真ん中にして。
職場から自宅は、かなりの距離があったので、あれは血のつながらない、親鳥のつがいであることは間違いなかった。 信じられないことに!
きっと僕が、数年前から庭の梅の木で、餌付けしていたつがいが、みみずくの拾った、ひとつの命を救ってくれた。
そう信じている。
あれから半年。彼らの音沙汰はないけれども。
2010年3月8日
って時々もらしていたお年寄りが、今日の夕方、
「もうちょっと生きてみたい」とつぶやいたのを、みみずくは聞き逃さなかった。
3日連続で別々の子どもが来訪してくれた後のこと。
どんなにサービスのよいグループホームでも、親しい人と一緒に生活できればそれに越したことはない。でも、現実、それがかなわないことが多い。そんな時、最大の励ましは、肉親の思いやりなんだと思う。
疲労を忘れて、QOL(生活の質)の向上ため昼夜働く。それでもかなわないのが、肉親の力。
みみずくは、もし、老いたとき、だれかそばにいてくれるのかな・・・・・・
2010年3月2日
春の本格的な訪れ。
そして長い冬の終わりでもある。
冬の間に力を温存して、花を咲かせるものもある。力尽きてしまうものもある。年間でもっとも自殺者が多いのも、この3月だ。
そんなニュースを複雑な思いで聞いている。
明日は雛祭り。
生まれてきたことを皆に祝福され、幸せを願われたのなら、大人になって誰も知らずに死んでゆく人がいるのは、悲痛の限りだ。
この人間の世の中はどこも歪んでいる。
その歪みを直す、そのために僕は働けるか。
2010年2月28日
http://www.youtube.com/watch?v=wVTLhcTAnvw 予告
みなとみらいのワーナーマイカルシネマズ で映画を観た。
「ラブリーボーン」・・・この邦題は、ボーンは「骨」であるのか「生まれる」なのか最初わからず、まぁさかいくらなんでも「骨」ではないだろう。
そう、勝手に決め付けていた。「よくある恋愛映画の類。ラブリーなんとかってことは、要するに恋愛のなにかだ」、そうみみずくは思った。
上映が始まってしばらくして、実際のストーリーは、最悪で悲惨なものであることが予想された。14歳の主人公スージーが、連続少女殺害犯の男に目をつけられ、殺され、ばらばらにされてしまうという、阿鼻叫喚の実写と展開。
「これほど観て落ち込む映画もない・・・」・・・直後の感想はそうであった。そして今日という日にこの作品に出会えたことの意味を考えざるを得なかった。
というのも、映画を観たのはみみずくひとりではなくうら若き、年下の女性が隣にいたのである。
下調べもなく映画を観た。 グロテスクな作品だった。それはようするに致命的であるように思えた。
もはやこっちがコメディの主人公だ。
けれども、帰り道、一人でとぼとぼ歩いて帰る道のり、思い返せば、見ごたえのある作品だったと思い返す。主題は、「猟奇的殺人」だとか「推理」ではない。主人公は、死にながらも生きていて、天国まで浮遊するあいだ過去を回想する。そのあどけない主人公の美しくそして明るく描写された「死後の世界」からの声に、作品は救われている。
死後の世界からの声、みみずくはそれを実体験として持っていた。だから本当は、生と死の越えられない壁に対峙して、叫び涙する、スージーと父親をみて、隠しつつ涙が止まらなかった。
目をつぶりたくなる残酷さだった。犯人も醜悪、最悪を演じきっていた。しかし「幸福 」だけでは、作品にはならない。
2010年2月21日
ひんやりとしたアパートの一室で、自分の生い立ちを示すダンボール4箱をクローゼットから引きずり出す。
小学校の連絡網に始まりわずかな中高の記録、大学、寮で過ごした日々の写真…
記憶から確実にきえはじめている。必死にダンボールを抱えこむ。これが燃えたら、自分はいなかったも同然……。
一匹の蝶の羽ばたきで、世界が気象攪乱することもあるが、一匹のみみずくの鳴き声は、闇夜に吸い込まれていく。
あなたはなんの為にそこにいる(存る)のだろうか。
みみずくはなんの為に、ここにいるのだろうか。
果てしなく深い海溝……
2010年2月18日
それがなくなりつつある。
今日は5連続勤務の4日目。20時のタイムカードを押した後、もろもろの混乱があり、暗い庭を回ったり、警察を呼ぶよばないの問答をしたり、なだめたり、激怒されたり、結局、もう帰るのが面倒くさくなり22時過ぎくらいまで、職場にいた。サービス残業というのだろうか。
たいして仕事はしてないし、うちに帰っても寒いだけなので、落ち着いてからは介護本をよんでいた。
守秘義務を気にしてしまうと、何もかけなくなってしまう・・・
認知症の面白い仮説がある。(ナオミ・フェイル「バリデーションセラピー」)それは、人が人生の異なった段階を生きていく時に、それぞれの段階で解決しなければならない課題があり、それを解決しないまま人生の最後を迎えることがある。再そのような人は4つの解決のステージを迎える。
1 認知の混乱
2 日時、季節の混乱
3 繰り返し動作
4 植物状態
今晩一人の方が突如(前触れもなく)、混乱し、目に入るスタッフを強盗や暴漢とののしり、寝ている人の部屋のドアをたたいてまわった。「助けて逃げなくちゃ!」「警察をよばなくちゃ!」
就寝時間をすぎ、静かになったホーム全体が騒がしくなり、数人の人がおきてこられたりして・・・
昔、肉親に億単位の詐欺にあったという彼女の過去は知っている。その最悪の状況がよみがえってくるのだろうか。どうすれば、その棘にさされた過去を乗り越えることができる?
2010年2月14日
雪の降る横浜まで、ヘルパー養成の実技講習に参加した。
教室には高校生から還暦を迎えたひとまで、異年齢のひとたち20人ほどが集まっていた。
スキルアップのため、転職のため、実母の介護のため……さまざまな動機の方たち。
介護現場で働くひとも中にはいて、職場から助成金をもらってきたひともあった。
みみずは自主参加だから全額自己負担だったけれど、もう一度介護の基礎を勉強したいと思い参加してみた。
初日の午後はインスタントシニア体験。白内障ゴーグルをつけ、からだ中におもりをつけ、耳栓もして……ゴーグルから見る世界はぼんやりと黄色の光につつまれて、くらいところだと、ほとんど何も見えない。
販売機でジュースをかわなければならなかった。でも手袋をした手では小銭がうまく財布から出せず、それよりも後ろに別のひとがならんでいたので、焦りは相当なものだった。
バリアフリーにかんして、エレベーターに車椅子用のボタンがあることはよく知られているが、そもそもボタンのランプが光っていないと、どこを押せばいいのか見えない。
エレベーターには鏡がついていることがあるが、あれも実は車椅子のかたが背後を確認するためのもののようだ。
ビル入り口にちかいエレベーターは、普通のエレベーター、奥はバリアフリーのエレベーター。なぜ奥がバリアフリーなのかというと、ビルの裏てには駐車場があり、しかも段差がないため、車椅子利用のかたにとってちかいからなのだ。
健常者が知らない設計のさりげない工夫が街にはもっとたくさんあることを知った。
2010年2月4日
アバター
まったく内容を知らずに見たので衝撃的だった。
映像が幻想的でリアル、とにかくきれいだった。一コマ一コマがポスターになるくらい。
うまくことばにできればいいけれど、まだ見てまもないので、ことばにできない。
是非、おすすめです。
2010年2月2日
今日は北風吹きすさぶ、寒い1日だった。都心でも明日の朝にかけて積雪が予想される……
そんな1日、蒸気と湯気にめがけをくもらせ、たみみずく。風呂当番であった。
「いい加減コンタクトにしねえと……さて今日は…どなたを……」
……一週間入浴を断固拒否したAさん。
目に入るものすべてをいじりつくすBさん。
そして、最早アルツハイマーが進みことばを話せなくなり辛そうなうめき声ばかりあげている半寝たきりのCさん。入浴は機械やリフトなどつかわず、素手で、イスから体を移動させ湯船に浸かっていただく。転倒リスクも高く、一瞬の気のゆるみが命とりになるから必死だ。
さて、いつものようにCさんの入浴介助をしたとき、大発見があった。
それは 童謡を耳元で歌うとその間だけ目をパッチリあけ、うめきが消えるということ! 苦悶の表情が消えること!
しかも確実に反応がある。
大発見したみみずくは、入浴中ずっと、歌っていた。
「しょ、しょ、しょじょじ、しょじょじの庭は、つ、つ、月夜だみなでてこいこい♪」
すると。
ほんの数秒、Cさんは、右手で拍子をとったのだ。
さらにさらに小さな小さな声で「アリガト…」
意志疎通が出来たかもしれないことを、みみずくは嬉しく思った。
以上、最近あったことで一番よかったこと。
2010年1月22日
みみずくの夢は不思議なものが多い。
最近の夢。
犬たちが住宅地の中を西の方角に走っていく。五十匹いや100匹、野犬なのか飼い犬なのかわからない。
天災の兆し。
僕は勘が働き、家族に知らせる、今すぐ西の方角に逃げて!
家族は相手にしてくれない。みみずくは避難装備をかき集め、一人西へ向かうことにした。
何日か歩いたあと、ゆっくり大地が揺れた。東の方向から煙が上がっている。
2010年1月14日
今朝、みみずくの法人の本部である特養がフジテレビで紹介されていた。はなまるマーッケトじゃなくてなんていう番組だったかわすれたが。
ポリシーとして高齢者を拘束しない法人と、転倒防止のため拘束してほしいと希望する家族のやりとりが主な内容だった。
拘束とは、なにも紐で縛り付けたり、独房にいれたりすることではない。
例えばミトンという指のない手袋をつけて指の動きを封じたり、弄便といって自分の排泄物を触るのを防ぐために、つなぎの服を着せたりすることも拘束にあたる。
ふつう車椅子の足の部分にフットレストという足おきがあるが、これを倒したままでも拘束にあたる。
拘束をすることは、介護とはいえない。しかし、拘束の反対すなわち自由にさせることは、とてつもない負担を介護者に与える。
かなり近い将来、拘束しなければ手におえないと言われる日がくるかもしれない。人口に対する高齢者の割合は毎年、確実に増大している。
生命ばかりが重視されていて尊敬が無視されていてはいけない。人間は心臓が動いているから生きてるんじゃない。
2010年1月7日
2010年1月3日
今日は年があけて初めての休日だったが、職場でお寿司をごちそうなった。お客様がきていたので、こっそりお盆をもってベランダから抜け、事務所で一人で食べた。味がしない。
ちょっと情緒不安定でもあった。
午後は、あまり気が進まなかったが、両親、祖母、いとこへのお年玉をもって、2ヶ月ぶりに実家帰りを果たした。
社会人一年目の封筒は軽かったけれども、祖母は大喜びして泣いた。母は元日から愚息の夢をみたという。そこまで心配かけていたかと、申し訳なくと思う。あえて2ヶ月連絡をよこさなかった両親の思いに帰り道、涙する。確執みたいなものがあって、こちらからも音沙汰なしであった。
馬鹿な子どもですみません、と思え、涙がとまらない。
誰にも話していないが、最近の精神状態についてちょっと書き残しておこうと思う。
じつは、年末から忙しくて病院にいけず、またいくのも面倒で、またもや抗うつ剤を切らしていた。12/12くらいから薬を飲んでいない。いけないと思いつつ、病院は年末年始の休みに入ってしまった。
前もそうだったが、薬を切らすと、なんだか、もう長く生きられないようなひどく重苦しい感覚に陥る。人に会うたび、どういうわけか、これを最後に会えないような妄想を抱いてしまう。
たわいのない会話をしていても、それをすごく重く感じてしまう。まるで<その人が死んでしまって、その人のいない世界でテープに残されたメッセージを聞いているうな感じ………>と書いてわかる人がいるだろうか。
しかも、それが"薬の離脱症状としてそう思える"だけではないような気がしてしまうからなお怖い。そして辛い。
"実際、だれだって今日遭ったうちの誰かと、もう二度と会えない可能性を秘めている。だれだって、今日温かくても、明日の朝には冷たくなっていないとは限らない"
こうみみずくの素寒貧な頭は警告してくる。病的で、滑稽ですらある超マイナス思考だと思う。非現実ではないが、限りなく非現実に近い。
思ってしまうのは仕方ないこと。病気だか離脱作用だか知らないが、みみずくの無意識かなにかが発する正直な感覚。内なる声、と書くと怪しい宗教みたいだが。
であるならば。
後悔しないよう明日も精一杯、最善を尽くして人と関わろう。
そう思えば、済むこと。