今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2011年5月24日
2011年5月18日
直接深く関わった人が亡くなった。
…さん、…さん、…さん、…さん、そして今日…さん
仕事をはじめて二年余り、これで5人目だ。
どの人もまだまだ生きると思っていたのに。
年齢からすれば天寿を全うしたかもしれない、でも…
一人の人間が死ぬということは、その人が生きた途方もない月日の歴史が消えることだ。
たぬき坂、キラク煎餅、へいらく小学校、みんなて私をいじめるの、伊勢崎町のあたりでね、犬がいてね、すぐげんこつが飛ぶの、ももちゃん、ありがとう、お世話になります……
最期の日常を共にし関わった人でなければ、肉親ですら、わからない言葉が、消えていく。消えていく。
介護は夕方の仕事かもしれない。いつまでたっても夕方の仕事。夕日であり、落日であり、それが、外で遊ぶこどもたちにとって最も楽しい時間であったように。そうなるように、日々、仕事をしなければ。
そうしなければ。
2011年5月17日
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山梨県内の授産園や作業所が、八ヶ岳のふもとの農場に集まって、日ごろ作っている製品の販売をしたり、バンドを招いてコンサートをしたり、踊ったり、シャボン玉飛ばしたり、みんでわいわいがやがや。
五月の空はどこまでも青くて、緑が都会のそれに比べ、まぶしいくらいみずみずしくて。日焼けをしてしまうくらい日差しが強くて。
何より、こんな時期まで雪が残るくらいの山。
中央線に乗ると、なんだかこころも気持ちも、昔に戻った気がする。
昔といっても信州に住んでいた数年間のことだけれど。
* * *
帰ってきて、朝早く仕事に出かけ、ちょうど朝食の忙しい頃、テレビでは「おひさま」が流れている。http://
脚本 http://www9.nhk.or.jp/ohisama/special/okada/
柔らか食事がどれ、減塩がどれ、糖尿がなんだと、一人任されたユニットをくるくる回っているから、毎日流れていてもどんな話なのかわからないけれど
どうも、ヒロインは信濃大町で、なりたての教師で、戦中か戦後の貧しい時代の話らしい。先生のおすそ分けをもらいたくて、わざと弁当を忘れた子どもたちが、野草を集めて粥を作っていたりしていたから…
戦争に突き進んでいった時代の捻じ曲げられた教育であるけれど、どこかそれは今の教育より健全というか、生き生きとしていた。(ドラマはドラマだが、そうではなくって、昔信州が誇った信濃教育のこと)
kokiaは「おひさま」の主人公が行った長野師範学校の後身である学校に行き、たぶん根っこは同じの学生寮に住んでいた。
でも教師にはならず(なれず)、介護のシゴトをしている。
だから、
ちょっとまぶしい「おひさま」でもある。
ことに山梨で連なる山の残雪をみたあとは。
2011年5月5日
日記に書かないとどうかしてしまいそうなので、書く。
人は言い訳や正当化をしなければ、潰れてしまう。
以下はあくまで空想の話として。
* * *
一件目
おとといある介護者は、
入居者に雑用を頼まれ居室に入ったわずかの間に、
別の人が立ち上がり、ばったりと転倒し頭部を強打、場所は不明だがどうも臀部あたりを打ち付けた。
過去に転倒があり、リスクが高いならば、必ずマーク(常時見守り)をしたのだが、異動してから得た少なくない情報では、すくなくともその人のリスクは予測が困難なものだった。これは言い訳だ。
明朝出勤の看護師に再度のボディチェックを申し送ってその晩日付が変わる頃帰ったが、事態は危惧すべき最悪の事態、すなわち救急搬送され入院と手術となった。
事故のあとこきあに引き継いだ夜勤の人はさぞかしいやみを言われたであろう。
「この病院にまともな医者はいないのか」
「○○を呼んで、文句をいいつけてやる」
ひょっとしたら平手打ちもばしばし食らったかもしれない。
特別養護にお金を払って入るということは、お金で介護の困難を委託するということだ。対応が極めて困難な利用者がいて、はじめて経営が成り立つといわざるを得ない。
さて事故現場にいた発見者はその介護者であり、責任を負わなければならない。当然のことだが、施設内の報告書をはじめ、行政にも届出、ミーティングの議事録など、とても業務内では終わらない仕事が、うわづみされる。
原因と対策は無数に挙がる。
しかし、それを煮詰めて煮詰めて、最良の事故報告書をかいたとて、
結局福数人を一人だけでで見ることに限界があることに、
触れる人はいないし、それは、責任転嫁のいい訳になってしまう。
仕事が増えることが不満なのではなく、
人を転ばせ、その人の歩く能力を永遠に奪ってしまうかもしれない恐怖と重圧・・・
だれしもがが、同じ状況にいたら、同じ事故は起きたと、なぐさめの言葉をかけてくれる同僚がいるのは救いだった。
だが、その場にいたのは紛れもないその人ひとり。じぶん。
介護の仕事において、過失によって人を殺すこともある。何千万円という賠償責任をおうことも実例として身近にある。
しかし、せめて休日返上して見舞いに行くことしかできない。
* * *
二件目。
今日、早朝から通常業務と、加えて昨晩の事故処理に追われて、ようやく帰ろうとしたら、すれ違いに「こきあさん、今朝Aさんの入れ歯入れましたよね」
?
こきあ「入れたと思います…(断言できないが95%くらいの確率でまず間違いなく自分が入れたと思います)」
義歯は見つからなかった。職員7名が二時間かけてありとあらゆる場所を探した。
「最後に義歯を見たのはあなただよね。あなたが来てからほんとトラブル起きるよね」
そういわれると責任は自分にあるらしい、ないしは負うべき運命にあることが感じられた。
集積所に出したごみを漁る。
生ゴミにまぎれている可能性が高いので、同僚は生ゴミを漁る。
自分はこれで義歯がみつからんければ、いよいよ自分の責任だと思い、
転倒の件もあって心苦しかった。
何かあるたびに自分の過失にされるのではないか・・・
同僚が手をつけず去っていった袋を見る。
手のつけられなかった、汚物の入った袋を一つ一つ開けていった・・・
* * *
汚物とは排泄物である。オムツであるとかそういった類の。
汚物といえば上品だ。相当の言葉をつかうと、過度の下剤投与によってもたらされた下痢便の山、うんこまみれのごみの山である。便を処理することは介護職にとって日常茶飯事であるが、無秩序に集積された便の山を相手にすることはそうない。
ここで気づいたのは、ハエは、汚物の袋よりも生ごみの袋のにおいをかぎつけ集まってくるということだった。確かに栄養学的に見れば、排泄物より、台所の生ゴミのほうが、消化吸収されていない分栄養価は高いはずだ。自然のことわりである。
どのくらい時間がたっただろうか。
義歯は見つからなかった。
異動してから間もないのに、早くも3件目の事故異常事態報告書の構想を練る。
* * *
別に疲弊しているわけではなく、むしろ、単調な業務や、おとといの転倒事故にに比べれば、気が楽だ。
けれども憔悴していた。ここ数日働きづめであったから。
帰宅してまもなくして、電話が鳴った。
* * *
同僚「あったよー」
こきあ「あった?」
同僚「袖の下にはいってた。みたんだけど確認しきれてなかったみたい」
「それはよかったです、はい本当に」
* * *
教訓。
1 経験から入れ歯紛失事件は、当事者から半径1メートル以内で見つかる可能性が90パーセント、初期段階でそれに気づかず、多大な時間を浪費するケースが90パーセントということ。
2 毎回比較的初期の段階でゴミ漁りをするが、それは、収集車に持っていかれるという最悪の事態を想定してのことだと思われるが、過去の事例から、ゴミにまぎれる可能性は、非常に少ないということ。
3チームワークにおいて事故の責任が一人になることはありえない。責任は全員にあり、最終的には上司や管理者が負う。しかし当人は自責の念に駆られることが多いので、もし仲間が事故を起こしたら、全力をもってその人を、フォローする。
仲間が責められていたら、自分にも責任がある、といいたい。
2011年5月4日
社会に出て3年目の春。
職場も変わり、規模も人数も増えた会社の中で働いている。
社会福祉法人といえど、その中身は特殊ではあるが会社組織であり、
みみずくのような介護職にも、介護にとどまらず、様々な雑務が加えられる。
そしてその3年目の春に思うことは、仕事が・・・介護という仕事が、人間関係というつまらないもので、ますますやりづらいということだ。はっきりいって、仕事を辞めたい。現実は辞められないのだが。
今日は月一の全職員のミーティングの日。
休日の人間も出てこなければならないが、前の職場グループホームと違うのは勤務時間には該当しないため、給与は出ないという暗黙のルールがあるということ。私服で参加する人がいるのはそのためだ。世間一般で介護の世界、とりわけいまの会社の労働環境がどうかなんて、他の仕事をしていないからわからないけれど、控えめにいっても悪いほうの部類に入るのは確かだと思う。
さて。その会議の議題の一つに、利用者の物品購入における際の領収書の切り方、処理の仕方の説明があった。
簡単に言えば本来事務がやるべき仕事が、人件費をケチっているため、介護職がこなさなければいけないということだ。
その手続きはとても煩雑で、長きに渡って2人の事務職から説明がなされたが、その二人の説明のやりとりに、唖然としてしまった。
これまで勤めていたおばちゃんが、説明しようとする。隣の新しい事務職のおっさんは、話が途中なのに口を挟む。マスクをして、腕組みをしているはげたおっさんである。二人とも違うことを言う。おばちゃんは、男事務の「それはまだ正式に決まっていないことだからと」口を挟むと、おっさんは
「黙って!」
「ちょっと黙れ」
などと強引に自分本位の説明をする。
事務といっても、介護職より地位は高い。組織では幅を利かせている。
学校の授業にたとえれば、二人の教師が生徒の前で意見の相違でけんかしているようなものだ。
直接介護という仕事を一緒にしない人間でさえこうである。
* * *
現場で一緒に勤務する人間にも、やりづらい人間がたくさんいることに、一ヶ月目にして気づき始めた。(Iあるいは自分が他の人にとってやりづらいのかもしれない)
そしてそれが、いま一番の辛い。こんな仕事いつか辞めてしまいたい、と毎晩思う。
絶対負けない、毎朝つぶやいて出勤する。
絶対負けない。
・・・・・・
けれども負けそう。
ある夜勤の日。夜勤は2ユニットを一人朝まで見る。特別養護の9人と、ショートステイの8人との、排泄介助(おむつ交換や転倒リスクの高い人の手引き誘導)、不穏な人への対応、見守り、巡回、日中の様々な記録の取りまとめ集計入力、起床介助などが主な仕事だが、ナースコールは同時に鳴り響き、動態センサーも鳴り響くし、不穏な老人は17人の状況関係なしに罵り、平手打ちを食らわせる。
しかしそれはもうGHで経験したこと。仕事であり、多少あたふたはするが慣れている。
問題なのは朝の早番との引継ぎだった。
一方的な罵声で、引継ぎとはいえないかもしれない。
「まだこれだけしか着替えてないの!」
「さっさとこの机の上の書類かたづけてよ!」
要するに夜勤業務と早番業務の間にある仕事が残っていることを怒った人がいた。自分と同じく異動になってここにきたが、自分と違うのはさまざまな施設を経由した経験豊富らしい人だということ
(弁解するなら以前、その人が夜勤のとき、早番できたみみずくは誰も起床介助をしていなかったが、黙って仕事をこなした)
それにとどまらず、その早番は、みみずくの仕事がまるでぜんぜん終わっておらず、さっさと帰ったように、他の職員にいいふらした。(言い訳なのかもしれないけれど、別の業務で、勤務あと二時間職場にいた。)
その批判の言葉は、別のあまり信頼していないユニット長を通して告げられた
「あなたはコミュニケーションがうまく取れない」というおまけつきで。
いい人なののだ。真面目で。勤務年数は同じ。年も同じ。正社員で入ったか、アルバイトで入ったかの違いで、彼女は自分の上司だった。
コミュニケーションがうまく取れない!?
「前のグループホームがどうだったか知らないけど、ここはここなので」
それは確かにそうだ。郷に入れば郷に従えというのだろう。
しかしおかしいことは山積で、あなたは何のために介護の仕事をしているのか、と思う。
コミュニケーションが取れないといわれてしまった。
そういわれてみると
どんな気持ちがするだろうか。
暗雲が立ち込める。
味方もいるが明らかな味方はいない。
絶対負けない。
自分もまだ足りないところはたくさんある。
それを修正しつつ、
この施設の悪しき慣例を全部ぶっ壊してやる。
たった二年の。それも大卒の新入社員で構成された施設で、(業務だけが仕事で、ボランティアでくる人間は厄介で、それにしては緻密な記録を要求する)たとえ悪く言われても、自分の正しいと思ったことは、遠慮なくさせてもらう。
自分は間違っているだろうか。