悩みは、
かなりの人が多かれ少なかれ抱えているもの。
もうこの鉄格子を何とかぶち壊して、頭から飛び降りて死のうかというような悩みもあれば、三ツ星レストランに入ってメニュを見て、岩手仔牛の 脳味噌のボルドーワイン煮かレンズマメのスープにするか、三種類の葱サラダにするか 春の温野菜の盛り合わせにするか迷うようなうような、 どっちだってさして違いはない悩みもある。
kokiaの悩み。
日常の大半をその思考に当てる悩み。
それは2つ。
シゴトと人間関係のことがまず、1つ。それはありきたりだとして。何とかできるとして。
もう1つは……そして「原子力」のこと。
もう数ヶ月もそうだ。
ひとは笑うだろうか。
* * *
笑ってくれてもかまわない。
メディアに毒されてとかいう人もいるかも知れないが、
みみずくの家に少なくともテレビはない。今日のニュースで、東電がメルトダウンを認めたであるとか、そういった類の後出しのニュースではな い。まして電力会社を大きなスポンサーに抱えた報道であることは、だいぶ前から知っている。最近TVがその大株主に見切りをつけ、真実らしい ことを報道し始めたのも、知っている。
風評被害と呼ばれるものが、第一次産業の担い手、そしてそれを保護する政治家からばかり発せられえ入ることも知っている。
報道された内容が、事実であると思うのは少なくとも、小学校で新聞社の後援を得て、授業をするまでだ。
* * *
最悪の事態は、発電所が爆発して、県単位で周囲から避難しなくてはいけないとだけではない。
自分の、愛する人がガンに蝕まれる。
わが子が、奇形を伴って生まれてくる。
そんな「自分」に関わる可能性のことだ。
* * *
社会の歯車ななかで生きている。
この手もとの文字を照らす明かりの一部も、原子力によってまかなわれた電力に依存することも間違いない。
それでも、疑問を持たなければならない。
疑問は、自分で確からしい情報を探り、その疑問が確からしいことを常に裏づけしなければならない。
裏づけには、生半可ではない学習が必要だ。専門家と同じレベルにまで、学習経験をつむ時間はしかし一般人にはない。要点をかいつまんで。一ヶ 月かかることを一分で学ぶこと。
それは異国で書かれた書物の、帯だけをみるような作業であるが、
しかし帯というものは、優秀な編集者によってたいてい、その書物の意図する核心を突いている。
そうした過程を踏みつつ、残った疑問があるはずだ。
すべきことを、しなければならない。
とても勇気のいることだ。
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