今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

試験なんてまったく世の中から消えてしまえばいいのに! その2

2009年4月29日

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……かのルソーもこういっているではないか。


〈自然が子どもの脳を柔軟に作ったのは、王様の名前だとか、年代日付などのおよそ将来に役に立たない言葉を刻みつけるためではない〉


〈その子どもの性質と能力とにあった方法で、一生のあいだ自らを導いてゆかせるためなのだ〉、と。


ルソーの言葉も、毎年多くの都道府県が出題されている。


次のは、かの月夜のみみずくのパロディ。


〈神あるいは自然があたえたもうた、みみずくの柔軟な頭は、 あなたの、およそ将来に役に立たない言葉を一字一句丸暗記するためではない〉


付言すると、〈少なくとも、昔の格言を生かせるほどまでに、私の生活は、充実していないのだ〉

いずれこの言葉は、どこかの国の採用試験に出るかもしれぬ。

試験なんてまったく世の中から消えてしまえばいいのに!

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大学受験で「さんどのめしをわすれて覚えた」ことの大半を忘れたいま、また、大学の全ての試験を一夜漬けで突破した(できなかったのもちょっぴりあるが)、みみずくは試験をばかにしていた。


試験など、その実に半数は目的のはっきりしない実にくだらないものだ。権力者・為政者がそうでないものをいじめるためにあるといえる。みみずくも権力を握ったら、試験を使って、子どもたちをいじめるだろう。実に陰湿に。


「ふはは。そんな態度だと、次の試験で落としてやる。キミの将来はわしの一存にかかっとおるのだからな」


権力を握りしめた人間は例外なくだめ人間になる。


……だから、この1ヶ月、教員採用試験のための勉強を、正直いうと仕方なくやっていた。だいいち、知識偏重から脱しようとしている教育界の流れに、この試験はまっこうから反している。(もちろん、問題がするする解けてしまえばこんなことは言わない)

かといっていわゆるいま流行りの「人物重視」も困る。小生、これといって自慢できるほど人物性はもちあわせない。(……みみずくは謙虚だから?……それはない)


だったらあきらめめて、ガチ勉すればよいものの、そうはいかぬが人間である。日々寝てばかり。

はっきり言ってしまおう。「月夜のみみずくは、神○川県、○浜市教育委員会が望んでいる人間とは、まったく相反するので、採用はしないほうがよいと、じつは本人が思っています」

あー 神様は なんでこんなくだらない人間を生かしてるんだろう。

神々と哲学者の対話

2009年4月25日

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神様:「はい、じゃあ、あなたはそうやって言い訳ばかりしてこれからも生きるのね」


哲学者「言い訳をしない人間はいません。健全な精神を保つために人間は自己弁護をするとフロイトもいっています。言い訳はあなたがた神々が人間にあたえられた能力ではないですか。もちろん神が人間を作ったという前提においてね」


神様「ではいつも困難にたちむかわないの?それは逃げの人生ではないの?」


哲学者「困難は立ち向かうものと誰が決めたのですか?


それは社会的にかたちづくられた美徳、近代資本主義が生み出した幻想、まやかしです。信じる信じないはその人の勝手ですがね。


人生はまさに逃避です。サバンナのシマウマをご覧なさい。ライオンに最初から立ち向かうシマウマはいますか?負けがわかっていて敵陣に突っ込むのは賢明とはいえません。」


神様「では人間はなんのために生きるの?


哲学者「できるだけ楽をして、できれば満腹の状態でぐっすり寝るためです。」


神々「なんていう怠け者!」


哲学者「だってそうでしょう?」


神様「あなたは守るべきひとはいないの?子どものために自らおとりになって犠牲になる親シマウマの気持ちはあなたにはわからない、臆病者!」


哲学者「おっしゃるとおりです。確かに僕にはシマウマの気持ちはわからない。しかしシマウマもできれば、満腹で陽向ぼっこしてせいぜい昼寝をするために生きてるんじゃないですか?」


神様「そんな!」


哲学者「まさか子孫を残すために生きてるなんていいませんよね?」

なんで子孫をのこす必要があるんですか?」


みみずく「老後に自分が世話してもらうため? なんちって、あの、すみません、続けて下さい……」

腐敗と熟成

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祖母の家にいる。この一週間、ぼけー〜っとして過ごした。多分次の一週間もぼけー〜っとして過ごすのだろう。試験勉強は集中できない。募集要項すら、開いて見る気がしない。


なんのために生きてるの?と問われれば、疲れて眠くなるのを待つため、とこたえる。


家族の冷たい目線を感じる。自分は居候以外の何者でもない。


内心かなり焦っている。いまの生活が恥ずかしい。抜けだしたい。


焦れば焦るほど なにごとも空回りする。


開き直れ、この世でなによりも大切なことは「効率」ではなく「無駄」なのだといってきかせろ。

腐敗と熟成は原理的におんなじようなもんだ!!


浮世のばかは起きてはたらく。寝るより楽はなかりけり。


……だいぶ言い訳がうまくなった。

生まれでた直後のこやぎ

2009年4月19日

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命の始まり

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いまさっき、今日の夕方、予想をしていなかった…やぎが産気づいたのだ。


じつに生まれるまで二時間。かたずをのむ命のドラマだった。最終的に逆子の疑いがあり、引っ張りだすことに…


さいごは母やぎの体をしっかりおさえて、目の前で子どもが生まれた。


じつは数時間まえ農作業をしながら死ぬことについて、話をしていた。


出産をみて思ったのは、死はともかく、生まれたということ自体がとてつもない奇跡、幸運、チャンスなのだということ。

たちあがるまで苦労しているこやぎの姿をみて、みみずくは心うごかされた。


無事 育ちますよう。

2009年4月18日

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……やぎも眠れないのか、小屋の方からこつこつと足を鳴らす音がする。

あたりはカエルたちの合唱。ときおり森のなかからフクロウの鳴き声。


落ち着いて考えてみるとは今日はどうでもいいことばかり書いている。まるで無理に気持ちを上向きにしようとしているかのように。じっさい気をまぎらわせているし、それが悪いこととは思わない。そうするしかすべがない。ただなんとなく、こうやってひとり山中の暗闇のなかにいると、ため息がでる。本当にこれでいいのかって。


こんなあてつけなブログでもたまに読んでくれる友だちがいる。先日の夢の記事を読んで、同じことを感じ、そのことをメールで寄せてくれる友人がいた。すごく励みになって、そうして僕はまた明日から元気に生きていける気がする。


一日一日、ひとは誰しも終わりの日まで、足あとをのこしていく。軌跡ともいえる。僕は少なくとも自分が助けられた分、誰かの支えになれるように頑張りたい。そういう軌跡を残していきたい。

夜を徹底して話を聞いてくれたとか、一緒に散歩に出かけてくれたとか、そんなささいなことで
も。頑張らなきゃ。

山中にてひとりテント泊

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いやあ、前に通販で買った念願の石油ランプ(千円)を実戦で使う夜がきた!


ほやがないので針がねで代用。安定したオレンジの光がテントを照らす。

やっぱり安全性を優先させてキャンドルスタンドの方がよかったかなあ…

逗子開成を退職した先生いわく、「テントマニアなの?」


みみずく「?、いえ、信大生は、いつも山ではテント泊ですが何か」


誤解を招く回答であったが。たしかに在学中キャンプでコテージはつかわなかったけれど。


テントは野外泊の目的ではなく手段である。

格闘ののち

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結局、ロープで牽引して引きずりだす。文明の力、一発。

このくそねっこが!!

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一時間ほって、つるはしでばきばきたたいて、しまいにゃてこでもうごかない…

夢の中でも逢えない

2009年4月16日

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僕は雑貨が陳列されたお店の中にいた。展示品に気がとられているあいだ、どうも誰かとはぐれてしまったようだ。


そのときいまは長野県で先生をやっている寮の先輩からメールがあった。「いまKさんが久しぶりにいるから、次のお店を回って来て!ノブキ、会えるよ!」


あれ……Kさんはたしか、去年のいまごろ亡くなったはずじゃ……いぶかりながら僕は鼓動を高めた。


指定された場所をみつけ入る。最初は焼き鳥、四本で八百円とばかに高い。次は製菓店、玉虫色の光輝いたチョコレートを売っている……なんてきれいなんだろう…… 先輩のメールには回るべき場所がいくつも書いてある。なぜかみんな食べものに関するお店。


先輩たちもリストの後ろの店からまわって、そのリストの中の中間で落ち合う手はずだった。


僕が行き着いた先は、しかしどこか学校のグラウンドだった。子どもたちが散らばって遊んでいる。メールをくれた先輩を見つけた。


先輩「おかしいなあ…さっきまで一緒にいたんだけど…」


僕は必死にKさんの姿をさがす……


先輩「いた!」
みみずく「どこ!」


見ると、違うひとだった。僕はひどく落胆して……目が覚める。


……僕は ひどく落胆して目が覚める。一年前、彼女は死んだ。この絵のような幸せな場所にいるはず。


布団をかぶったまま、あたまの中で夢の出来事を反芻する。


なにもかも…


もうなにもかも…

2009年4月12日

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はやいもので横浜ではもうほとんどの桜が散ってしまった。

去年、格子窓からみた横線のはいった桜は、いまごろちょうど満開だっただろうか。あの桜は特別にきれいで、何枚も絵にかいた……。あんな神々しい桜はもう二度みられないかもしれない。


散ってゆくこと、それは自然の摂理ではあるけれど、理屈ではなくやはり耐えがたく淋しいこと。だからこそ愛おしいのかもしれない。


昨晩、去年の桜のことを考えていて、はっとして気づいて自分の周りのことに思いいたって、珍しく自分から友だちを食事に誘った。こちらで就職した 長野の友人。


横浜の街を歩いて。山下公園で海をみて。新しい会社のことなどを聞いていると、やっぱり大変なことも抱えている様子。お互い頑張ろうといって別れた。


みみずくの知らない場所で、新しい生活をはじめた友人たちも、いまの時期を乗り越えられますように。自分もそうなんだけれど。


桜が咲くも散るのも、冬を乗り越えたあと。ひとの生涯にとって本当に冬の時期は もっと年をとってからのことのような気がする。

閲覧してくださっているかたへお知らせ

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みみずくにコメントを下さっている数少ないかたへ、いつもありがとうございます。

4月からインターネット環境にないため、皆さんのコメントを見たりお返事を書くことができなくなりました。

あしからずご了承下さい。みみずくにいってやりたいことがあれば

oyakofukurouーnyoro@ezweb.ne.jp(全て半角です)

までお願いできれば幸いです。


今後とも月夜のみみずくをよろしくお願いします。

欲求階層説にもとずく言い訳説

2009年4月6日

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人間はピラミッド型に低次元の欲求から高次元の欲求があり、したの階層の欲求が満たされることにより次の次元の欲求に移行するという学説(マスロー)がある。

下から

1、生理的欲求

2、安全欲求

3、所属愛情欲求(集団への所属を求めたり、友情や愛情を求めること)

4、自尊欲求(他者から認められたり、責任のある地位を求めること)

5、自己実現欲求(自分の成長や発展の機会を求めることなど)

なんでこんなことを書いたかというと先日、教職に対する情熱が失われているような気がして、目標を見失う不安を感じると書いた。


仕事にまずついて、そこから明らかになる目標もあるということを覚えておきたい。こういった教師になりたい! という明確な象は 採用試験では必要かもしれないが、あまり事前に固定観念化しすぎると、その後、現実とのギャップに柔軟に対応できないと思う。


……などと自分を慰めてみたはよいものの!

様子がおかしい

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ふと気がつけば深夜二時。一問一問時間をかけて満足するまでだらだらやるのが、みみずくの勉強法なので ちっともすすみやせぬ。


寝静まったはずの一軒家。なのに一階からごそごそ音がする。泥棒?


降りてみるとあろうことかみみずくの母が 部屋の中をぐるぐる回っていた。白紙を片手に 「今後の計画!!」などいっている。日本経済がどうで、マネーがどうこういっている。


素人からみてもこれは躁病だ。あるいは耄碌したか。夜寝る暇おしんで異常に活動するのは、「躁」の疑いがある。れっきとした精神の病である。常識の範囲を超え、生活に支障をきたす場合などは特に。


ほっておくと、自信過剰なため株やギャンブルに手を出し破産するという例もあるという。しかし本人は病気であるという自覚がまるでないから、次から次へと新しい事業をはじめ、ますます手におえなくなる。


親を精神病院の閉鎖病棟に閉じこめるのは、忍びない。あんなキッカイな場所はもうこりごりだ。

親子につきまとう呪い。我が家にはキツネがとりついている。

適当、いい加減、甘え、たるみ、油断、堕落、まあいいや

2009年4月5日

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家事、炊事、洗濯、掃除、買い物なにもかも 実質上 その職務の履行もせず、責任も負わず、恣意的に放棄しても、特別罰せられることも、また不自由することもない場所。


かりにそうであっても長居はしたくない、できればしたくない場所。


それが「実家」と思う。ふとどきもの。


必然 やることもない。まだ仕事は見つからぬ。十二分に寝た。さらにまた寝た。


そのあとはどうするか。

試験にむけてほどよく勉強する。


なんと平和な!…


こんな生ぬるい環境にあって、半年後の試験に落ちたら、まるで自分は無能であることがたちどころに立証されてしまう!


仕事をしながら同じ試験に臨む者もいるというに!!!!!!


……ここだけの話、立証してしまうかもしれないな……と思って一人笑った。


あたままで生ぬるい。春の陽気はそれに拍車をかける。次第に腐ってきた。


笑っている場合じゃないが、少なくとも楽な生きかた、サボリかたは前より上手くなった。

神奈川での暮らし

2009年4月2日

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みみずくは実家にもどりました。4月から自立のメドがたつまでここで暮らさせてもらえることになったので……。


大学は半年休学したものの、いろんなひとの力を借りてなんとか卒業することが出来ましたが、残念ながらまだ臨時採用の連絡はきていません。

少なくとも半年はアルバイトと採用試験の勉強をしながら実家に居座るつもりです。5月からは兄もようやく出ていきそうなので、静かになると思います。


うつ病に関してですが、気分の異常な落ち込みとパニック状態は冬くらいからほとんどなくなりました。現在もほぼ半年前と同量の抗うつ薬を飲んでいます。


薬を無断で中断するとおかしくなるので当分は飲みつづけます。徐々にストレスや逆境に強い、柔軟で前向き思考にかえていければと思っていますが、主治医に「あきらめて一生のみつづけなさい」と非常に悲観的かつ楽観的な助言をもらったので、この厄介な病とうまく付き合いながらうまく生きていけたらとも思います。そう思えるくらい余裕が出てきたということです。


うつ病はこころの風邪ではなく、こころの癌……だとしても。


アルコールに関して、去年の今頃は、まさに中毒者、当時は金銭管理までされて一日中家のなかの酒を探していた感じです。病院の消毒液まで飲みました。とにかく、息をしていることさえ苦痛で、薬よりもアルコールの方が楽になれたからです。

苦しさが軽減されるにつれ、まったくではないのですが、さほど飲みたいとも思わなくなりました。秋から春まで一人暮らしにもどっても依存することはありませんでした。いまでもごくたまに友達と付き合いで飲むことはありますが、別に飲まなくても、平気です。あのときは本当に苦しかった。もう二度味わいたくない。


無職というのはいままでの階段つづきできた境遇からすれば、ずいぶん片身が狭い思いですが、自立心は失っていないつもりなので、ときがたてばなんとかなると思います。

いま一番気がかりなのは、自分の教職に対する熱意が以前に比べ冷めつつあることです。目標を見失いつつある自分がこの先、どうなるのかが一番不安です。毎晩悪夢をみます。


いま、この与えられた猶予の期間は、神様がいまいちど考えろといっているのかもしれない。自分はなんのために生まれ、何をすべきなのか。何ができるのか。


この浪人の一年は、自分の人生にとって実はかなり重要な年になる気がします。いや重要な時間にすべきだと思っています。

以上近況報告でした。

こんな風の強い晩

2009年4月1日

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みんなは何をしているのだろう?