今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

親友との再会

2011年11月24日

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小学校時代の友達のお墓が近所にあるという情報を実家からもらった。


湘南の海を見渡せるお寺の一角。そこで僕は、彼と13年ぶりの再開を果たした。


彼は絵がうまかった。休み時間に彼が馬の絵を書いて僕が騎手の絵を書いて遊んだ。馬の名前はセイウンスカイ。


お互い別々の中学に行ってから交友は途絶えた。


でも彼は最高にいいやつで…


1986ー2007 20才


若すぎるとは思わない。
一生の辛苦を味わうには十分すぎる長さだったと思う。


いい人ほど早く天に召される。踏切に動けない猫がいたら迷わず飛び込んで助けにいくやつ。ばかだけど、例えばそんなやつ。


みみずくは汚い。まだまだ死なない。でも、いつでも死ぬ覚悟はできている、といえるような毎日を送りたい。遺言書はブログだけ。ただ、そんな時が訪れるないから今日も生きている。

世界で一番が松本が好き

2011年11月13日

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11月の松本で野宿して、いま帰りの新幹線群馬県高崎駅を過ぎた。


アルプスに雪はまだなく、といって紅葉まっさかりの中信の朝の空気はぴんと張り詰め、まもなく訪れる凍える冬を迎えつつある。


そんななか橋の下で焚き火をして銀マットと寝袋で寝た。社会人三年目でやっと安物シュラフを卒業し気温−10まで耐えられるモンベルシュラフは、値段は高いがおそろしく軽量で、信じがたい暖かさ。友人二人は、車で寝た。

松本時代一年お世話になった松本一古く、由緒あり、またぼろぼろの下宿市川荘の大家さんにあいにいった。五年前、まだ小さかったお孫さんたちが元気な小学生に成長したのをみて、嬉しかった。江戸時代からありそうな半ば崩壊していたまるで忍者のからくりやしきのようだった本館は、取り壊され、更地になっていたが。。


写真をみていて、多少狂った大学生時代だったと思う。けれどもはいさえすれば大学はどんな人間でも受け入れてくれる場所だった。地方大学生の生活をしりたい高校生はまず、大学裏手と寮をみるべきだ。そこは社会のあたりまかがひっくりかえる特殊な空間である。


例えば水道はあっても蛇口がないような違和感。蛇口はそこになくてもだれかがもっている。
天井に足跡があったりする。


大学生は小学生にもできるゴミの分別ができない、あるいはあえてしないのか、大学はゴミの山だった。


とにかく、松本ではいろんなひととあい、話して2連休が終わりつつある。

信州林檎 秋のおわり

2011年11月4日

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北信州から、二通の頼りが同時にとどいた。


研究室の恩師と、親しい仲間の両親から。


なかにはそんなに遠い昔ではないけど、懐かしい、信州の林檎!……


箱をあけたとたん林檎の甘酸っぱい香りがに満ちる。それは先日出した、たった一枚の絵はがきへの返信だった。


5月に薄紅色の花を咲かる林檎。神様の果実は雨耐え、風に耐えた、偶然、鎌倉にとどいた。とどいてはじめて、この時期が林檎の季節だったことを思い出した。


先日亡くなった北杜夫の続きをかくつもりだったけれど、一言でいえば彼が戦後信州で魅せられたものが、何年もさかのぼって、多くのひとの心を捉えたということである。みみずくはその一人だった。


恥ずかしいけれど、憧れて短けれども濃密な時間を過ごした北信州の山々を思うと、神奈川帰ったいまも、まるで昔の恋人を思いだすような気持ちになる。

もし、あの薄汚れた、怠惰なようで勤勉だった学生寮時代に戻れたなら、みみずくは……いま戻れたなら……。たった数年前さかのぼることができたら…


止めよう。


失われたものじゃない。


失うことは新しいことを得るための不可避の代償だ。その痛みが大きければ大きいほど、人はなにかを知る。

それは当たり前に感謝できる気持ちと、いまというときが、限りなく尊いということ。今年初めての真っ赤な林檎を見て思う。