今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

信州林檎 秋のおわり

2011年11月4日

 

北信州から、二通の頼りが同時にとどいた。


研究室の恩師と、親しい仲間の両親から。


なかにはそんなに遠い昔ではないけど、懐かしい、信州の林檎!……


箱をあけたとたん林檎の甘酸っぱい香りがに満ちる。それは先日出した、たった一枚の絵はがきへの返信だった。


5月に薄紅色の花を咲かる林檎。神様の果実は雨耐え、風に耐えた、偶然、鎌倉にとどいた。とどいてはじめて、この時期が林檎の季節だったことを思い出した。


先日亡くなった北杜夫の続きをかくつもりだったけれど、一言でいえば彼が戦後信州で魅せられたものが、何年もさかのぼって、多くのひとの心を捉えたということである。みみずくはその一人だった。


恥ずかしいけれど、憧れて短けれども濃密な時間を過ごした北信州の山々を思うと、神奈川帰ったいまも、まるで昔の恋人を思いだすような気持ちになる。

もし、あの薄汚れた、怠惰なようで勤勉だった学生寮時代に戻れたなら、みみずくは……いま戻れたなら……。たった数年前さかのぼることができたら…


止めよう。


失われたものじゃない。


失うことは新しいことを得るための不可避の代償だ。その痛みが大きければ大きいほど、人はなにかを知る。

それは当たり前に感謝できる気持ちと、いまというときが、限りなく尊いということ。今年初めての真っ赤な林檎を見て思う。

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