今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

君津から長野へ帰る

2008年11月30日

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昨晩、上総の山のなかの一軒家で夜を明かした。雨が降ったので、結局テントは使うことなく終わった。シュラフも。余計なものを装備していて肝心なものを忘れることがある。


昨晩、夜中にてひどい発作をおこしてしまった。あいにく薬を持っていなかったので、息ができず、死ぬ思だった。過呼吸か、喘息だと思う。喘息のばあいまえの医師はためらわず救急車を呼べといっていたが、さすがに、できなかった。


今朝、鴨川まで降り、救急病院へ連れていってもらう。救急外来は大学にはいって二回目。前はバイト中に指をつぶした時。絆創膏をはっただけですんだが。


喘息のほうは噴霧した薬剤を吸って、ステロイドの点滴をうったら、すぐ症状が収まった。


ひどい喘息の場合、噴霧がきかないことがある。小学校のとき下の学年の女の子が、救急車のなかで亡くなったのを思いだす。常備薬は常に持ち歩く。野外での基本事項を、僕は、忘れていた。


いまから長野へ帰る。

きさらづのねこ

2008年11月29日

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夜更けの汚れた街に、猫一匹と、一人。


猫はちゃっかり荷物の上に乗っかって、動こうとはしない。じっとしてなにかに耳をそばだてている。


猫はノラだが毛並みもよく、少し太って幸せそうだった。「幸せ」という概念をもたないからこそ、幸せそうに見えるのかも知れない。


逆に不幸を嘆いている猫なんかいない。むかし病気で歩けなくなった猫を家に持って帰って介抱したことがあったが、あのとき猫は、歩道橋の下で、通りがかった僕に何度も鳴いた。鳴いたのはそのときだけだった。自分を助ける行為として、鳴いたわけで、まるで、嘆くという、およそ現実を変ることのない行為は生きぬくために他に必要な努力のために省かれているかのようだった。

金曜日の思いつきと木更津の明けない夜

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また金曜日がきた。明日は寮祭の最終日で、善光寺の参道を雑巾がけするのが寮のならわしだが……
衝動的にどこか遠くへいきたくなり、夕方の高速バスに飛びのってしまった。いま千葉にいる。今日のうちに君津にいけるだろうか。
街のいちばん大きな交差点で騎馬戦ができるのも学生のうちだけだが、こうも無計画に行動できるのも、おそらくは、いまのうちかもしれないと思った。
とにかく、いま、姉ヶ崎にいる。右にいくも、左にいくも、勝手きまま。



久留里線、わずかな差で終電……木更津どまり。

駅で夜をあかす気力もなく、ビジネスホテルをさがすことに。これじゃ明日の朝、新幹線に乗っても、そっちのほうが安かった……てか、なんのために三キロもあるテントとシュラフをもってきたんだ?


木更津駅前にらしきものがない。さまようこと二時間。よくあることだ。


……ラブホテルがたくさん(汗) かつてのユースホステラーが、ここに甘んじていいのかと思ったが、僕ももう年だ、ええい、入ってしまえ。


一件目。入り口にたつとごごごご……という音をたてて巨大なカーテンが自動的にあく。なかには怪しげなネオンが輝き、車がびっしり。無人。なおかつ満室。きっと必死になって少子化対策に貢献してるんだろう。別をあたる。


二件目。ここも駐車場がいっぱい。出会いがしらに手をつないだ、若いカップル。みみずくはテントを背負い、ジャージ姿。あからさまに気まずいぞこりゃ。


ここはフロントに人がいた。


みみずく「…あ、あの一人なんですけど、泊まれますか? 電車逃しちゃって……てへへ」


なにがてへへだ。


受けつけのお姉さん
「すみませんね。週末で混んでて、7000円のお部屋ならありますが」


みみずく
「……あ、え、あのう、そんなに……てへへ」


厚かましくも、安いビジネスホテルの場所を教えてもらいましたとさ。


くそ、無駄金つかった。いつもの二番の深さで寝てやる。

ウイルス感染

2008年11月26日

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どうも、軽い風邪をひいてしまったらしい。僕はまず喉のいたみから始まることが多い。今は頭がぼーっとする。


風邪の原因は、ウイルスの感染である。寒さとか栄養不足は二次的な原因であって、それだけでは風邪にならない。ウイルスは自然発生しないから、特殊な場合をのぞき、人から直線的、間接的にうつされたことになる。

これが新型インフルエンザだったら……


WHOの試算だと確か新型インフルエンザの致死率(どの型か忘れた)はこれまでのインフルエンザよりはるかに高い、60%台だったように思う。


感染が爆発的に広がることをパンデミックというそうだか、これは近い将来、確実に起こるといわれている。パンデミックが起これば、最悪のばあい、社会機能が停滞し、人々のあいだで食料確保などの目的で暴騰や略奪がおこるといわれる。


危機に直面した時、仮面をつけない人間の素顔がみえてくる。


自分が生きるために、自分がどこまで悪になるのか、考えてみるだけで、ぞっとする。


風邪対策はしっかりしよ。

2008年11月23日

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ははあ。今日も無駄な1日を過ごした。生まれてから指おりに数えられるほど、じつに今日は有意義な時間を浪費した。


しかし、うっかり小説なんか読んでしまったので、場合によっては、もっと無駄にできる余地はあった。

時間をなにもしないで過ごすのは、思うに、最高の贅沢である。


「寝るより楽はなかりけり。浮き世のばかは、起きて働く」


のこり数時間あるが、間違っても机にむかってはいけない。卒論のことなんて考えてもいけない。外にでてだれかと話そうなんてもっての他!


無駄な時間を与えたもうた神に感謝し、きたるべき困難に備えて惰眠をむさぼるべし。

なにもない日中

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部屋の奥まで、冬の日差しがとどく。

漠然とした不安。

高校生のときに買った、大江健三郎の本をひらく。知識人のことばは、平易に書かれていても理解できない。

なにもする気がおきない。

鏡をみる。生気のない醜い顔。

ウクレレをかき鳴らしてみる。陽気なはずの楽器がどことなく陰鬱な音をたてる。

窓をみる。雲が東西方向にがゆっくり流れている。

遠くで犬の吠える声。部活動をやってる声。天井のボイラー管を伝わってかすかに機械音。

鳥が少しなく。風がそよぐ音も。

時間は刻一刻とすぎ、日は傾いてゆく。広大な時間の流れに、身もこころも溶けてしまいそう。そうだ、溶けてしまえばいいのに。

何か危機的なことが、こうしているあいだも、じわりじわりと迫ってくるような気がする……

タバコをのむ。悪しき習慣。しかし結局人はだれしも慢性的に死にむかう病にかかっているともいえる。

だからどうというわけでもないのだけど。

昼だけど寝ようか。それがいまできるもっともうまい時間の過ごし方。

寮祭だよ

2008年11月21日

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今年も、みみずくの住む寮の祭の時期がやってきた。 去年は善光寺の参道を雑巾がけしたり、町を練り歩いたり、スクランブル交差点で騎馬戦したりしたっけ。 元気だったから、たくさん仕事もしたし、楽しかった。

今年は休学しているあいだ、顔の知らない仲間がずいぶん入ってきて、うまく溶け込めるかどうか。それに、ばか騒ぎする元気が、もう、ない。べつに精神的に大人になったからでもない。単に歳をとってしまったからか。悲しいことだ。

大人数の飲み会は、というより大人数のなかにはいることは、かなり苦手だ。
そういう人は、じつは結構多いらしいけれど、数日前から、そのことを考えるとおなかが痛くなるくらいだから、よっぽど苦手らしい。ビオフェルミンを飲んでもきかない。飲み会が毎週あれば、一年中腹痛ということになる。

明日から、部屋にひきこもらないで、できるだけ、参加しよう。一歩踏み出さないと、なにもはじまらない。あまり深く考えないで、とりあえずは、外に向かおう。

・・・てなことを考えているくらいだから、やっぱり負担なんだよな。
いつから、こんなふうになっちまったのか。

魔女鍋?

2008年11月18日

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冷蔵庫の一斉開放。

野生のナメコ、エノキタケ、イカまるごと一匹、泥ネギ半分、本来処分されるの牛のどこかの肉を少々、キャベツの芯を最後にいれ味噌でぐつぐつ煮込む……。

赤いスープから、面妖キッカイな香りがたつ。

白いエノキが赤くなる。
海の軟体動物と山の菌類の組み合わせも……ただならぬ妖気を発している。

これを食べれば万病もたちどころになおるか、もしくは、たちまち頭が錯乱して、踊りだしてしまうかのどちらかであるように思われた。


食す。


……別になにも起こりはしなかった。


野生のナメコは、長野ならでは。本当に良い香りがして美味しいです。

人生長いのですから……

2008年11月17日

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教師を志望し、採用の決まった教育学部生の熱いスピーチを聴き、ひそかに凹む。気概も能力も、はるかに劣ってるような気がして……


…帰ると、祖母から手紙が。


「人生長いのですから、気を大きくもって進んで下さるよう…」


御年八十二歳。八十年はさぞ長いことであろう。……うぬ。こちらもなかなか説得力がある。


精神の病をきたすから、バイト先のコーヒーで中毒にならないように、ともあった。


うぬ。もう、なにもいえぬ。


明日のことを気に病むのは、すこし寝てからにしようか。

安曇野の庭で

2008年11月16日

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自ゼミ企画。自転車で穂高町から豊科の廃線後、白鳥湖をまわる。


高い木の梢にとまるさぎの白い翼が、安曇野に冷たい冬を運んでくるよう。


柿や野生の、のびるなどを採取した。のびるなんて最近はめったに見かけなくなったし、知っているひともほとんどいなかった。


小2の時、担任先生に連れられて、学校の裏山をのぼって、湘南の海が見える公園にいき、みんなでしいの実やサクランボ、のびるなんかを探して食べたっけ。


あの頃が懐かしい。新鮮な驚きは、時を経ても鮮明に覚えているものである。いま、当時のみんなはどうしているだろうか。今となっては、それを知る手がかりもない。


みみずくは、来年、自分が生まれた逗子に戻ろうと思う。もしかしたら、クラスメートの子どもにあうかもしれない。

金曜日の朝

2008年11月14日

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金曜日は終わりの日。


旭山の紅葉が燃えるよう。ここに来たばかりのとき、あの中腹まで登ったっけ。


明け方、あの山に月が沈むころ、あそこから鹿らしき動物の鳴き声が聴こえる。時々、フクロウか、ミミズクの鳴き声も。

さすがにそんな時間は寮もひっそりしていて、夜更かし好きの彼らに親しみを覚えたりする。


千年まえもあの山があったように、千年たっても、あの山も空も、月も星も、きっといまとたいして変わりはしないだろう。あと千回、木々が赤や黄色に染まるあいだ、人間は、この山の麓で、目まぐるしく、現れては消えていく。


そのなかにはきっと一人くらい、あの紅葉をみて同じことに思いを馳せる人もあるかもしれない。

助けてくれ〜 なんていえないね!

2008年11月12日

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また病院へ(泣)

「これで、薬を減らすと、どういいうことになるか、わかった?」

「……もうどうしていいかわかりません」

「一朝一夕でなんとかなるもんじゃないよ。苦しいからといって、それを一瞬でとりのぞけるなんて都合のいい方法は、ないよ」

「……はい」

かくして三環系は結局、もとの量のに戻された。


ある先輩から手紙をもらった。弱さをだす、"強さ"もあるって。確かにそうだけれど。同じ気配をもつこの人を巻きこみたくない。絶対巻きこんでしまう。そしたら、ともだおれだ。

ほんとは構ってほしい、素直に助けてもらいたい。何時間も一緒にいてほしい!!

でも、もう構わないで欲しいといってしまった。

みみずくは今日までいろんな友達に頼り助けてもらった。でも、人を道ずれにするほど、巻きこんでまで、頼れるはず、ないじゃないか!

んなことは、間違っている。つらいけど、ここに書くことで我慢する。 なにも死ぬわけではない。いつかはなんとかなるように地球はできていると、たぶん、思う。

このことを本人に伝えたいけど、それも我慢すべきと思う。まちがいなく、伝えた瞬間、甘えがどっと、押し寄せてくるはず。ああ、気がついてよかった。


そうしたら、あとは自分を頼りにするしかない。しかし頼りにならねんだなあ、こいつがいちばん!

駝鳥になったわけ

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悲しさとか淋しさとか、底知れない不安とか、そういったみみずくの心のわだかまりを、ともすれば人に押し付けようとしてしまう、嫌な自分に気がついた。

背負っているのは自分だけではないのに、そんなことはお構いなしで、自分だけが助かりたいと思っていた。

だからみみずくは、いつまでたっても闇夜のみみずくは、駝鳥で、飛べないんだよ!

こんなざまで、これからも生きていきたいとは思わない。教師になんてなっていい訳がない。どうして子どもの心の痛みがわかる? それを受けとめられる?

撤回したい。これまでのことぜんぶ。1からでなおしたい。こんな嫌な自分を通して生きていたくない

実験の考察および予後の経過の観察状況

2008年11月11日

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結局、あの晩は何も起こらなかった。
ただ、カフェインのせいで、余計、眠れなくなるだけであった。
<まったくの時間の無駄>これが実験の結果、というよりは、代償か。
けだし、調子の悪くないときは、悪い時のぶんだけ、すべき事をすべきだ。

今晩は、せめて、一時間でも、三十分でも、たまった仕事をこなそう。
できるときにやらないと、あとで、取り返しのつかない事態になる。
そのとき、たぶん、僕は、あわてて余計なにもできなくなり、だめになるだろう。
そんなことは、いままでしょっちゅうあった。

今宵は、至って平穏なのだから・・・それなりに、一人でいる自信もある。

「なすべき勤めをなしたるは果てに
身を立て道を尽くして後に・・・」てな歌を、そういえば、昔よくうたいました。

おそるべき人体実験

2008年11月9日

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どうも先日の発作は尋常でなかった。
いろいろ調べてみたら「パニック障害」というのに行き着いた。

これ以上自分の病名を増やしたくないが、
極度の不安、動悸、息切れなど症状の幾つかが当てはまる。

それにあの晩、僕はやたら濃い珈琲を飲んだ。
カフェインが発作を誘引するとあった。
珈琲を飲むのは、それによって一時的に気分が上向きになるからだが、
それが反作用を起こすという。
ニコチン、アルコールも同じ。
気管支拡張剤をたまに使うが、それも原因になるという。

あれから、またいつおかしくなるかと思うと、こころ穏やかでない。

医者に相談すべき? それとも、しばらく様子をみる?


・・・・・・ここでおそろしい妙案がみみずくの脳裡に浮かび上がった。すなわち、もしこの前のが、パニックであるならば、わざとそれを起こすことも可能なのではないか。

いまから高濃度のカフェインを摂取し、様子をみることにする。もし、その後極度の動悸や不安感に襲われれても、これは「実験」と割り切って、耐えよう。そして、すべては「勘違い」なのだと。

で、もし異変があったら、後日、医者へいこう。

めちゃくちゃに濃い珈琲を飲む(22:40)




発作がおさまった

2008年11月7日

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突然、まえぶれもなく不安がおさまった。


不思議なくらい、1が、0になった。胃のあたりにおもたい感じをのこして、嫌な感覚はなくなった。このまま苦痛がつづけば、救急車をよぼうかとおもった。辛かった。

いったいなんだったんだろう……久しぶりに訪れた、魔の時間だった。


冷静に考えて、最近、身の回りのことで不安要素が増えていた。にしても、こう発作的におかしくなるのは、最近なかった。

だれかが助けてくれたのかもしれない。


これから先も、今日みたいなことがあるかもしれない。そのときは、時間が、たてば、おさまることを思いだそう。決して下手な行動にでないで、じっと時を待とう。

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夜中、いきぐるしい。苦痛。入院前と同じ。いてもたってもいられない。どうしたらいい? くそ。くそ。くそったれ。よりによってなんで今日?
苦しい、苦しい、苦しい、苦しい、あたまをぐしゃぐしゃにかきまわす。
絶望。

これはほんとにうつ病なのか? なんかちがう病気なんじゃないのか? 呪いなんじゃないか?

頓服薬をもらっとくべきであった。とにかく朝まで布団にくるまってまてばいい……


大丈夫だから!
大丈夫だから!

すべての絶望は勘違いであると、だれかがいってた。病気はなおさなくてはいけない

診察日 減薬へ

2008年11月6日

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神経科のまえに朝いちばん立っているっていうのは、やっぱりあまり人に見られたくないものだ。

昼間の眠気がひどいので、三環系のほうを減らすことにしてもらった。


ほんとうは抗うつ薬より、不安薬をもらいたかったのだが、依存したらこわいから止めた。


減薬して、不安がいまより強まったら、また考えよう。なにも、無理して耐える理由はもうどこにもないのだから。


とにかく先生のいうには、この病気は、他の病気と同じように考え、特別に考えないこと。そして、自分には「免疫」がないと考えたほうがいいこと、だそうだ。

救世主

2008年11月5日

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そこでなかば、アホらしくなりつつ、みみずくは妙案を思いつく。


(狼が一匹……)


さあ、羊をまるのみにしてしまえ!


すると狼いわく「おれ、かわいそうで喰えないです」とぬかしよる。


かわいそうって、どうやって生きてくんだね?


狼いわく「草、喰う」


あほか! お前は、ホームセンターで売ってる「猫が食べる草」を喰う猫か!


んなことを考えていたら、もう外は明るくなっていた。

羊の大群

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眠れない。眠れないぞ、こりゃあまったく、じつに悪意にみちた、手ひどい眠れなさだ。


眠くて眠くて仕方ないはずなのに、眠れない。羊がもう500匹も通りすぎたというのに。


英語じゃないといけないのかな。シープ、シープ、シープ。スリープ。迷える子羊。


しかし羊が500匹になるまで、なにもうたかわずに数えつづけたみみずくは、根気づよい。見込みがある。地道な努力であった。


頭んなかの、羊が500匹は、好き勝手にあばれはじめた。歌うもの、踊るもの、こら、静かにせんか!


そのうち、羊たちは勝手に恋愛して、さらには子どもをばんばか作りやがって、みるみるうちに増えいく……


なに? 頭んなかが狭いだって? 勝手に主張しやがってこのやろ。ここはいやしくもみみずく様の土地であるぞ。


今日という今日こそ、卒論をかかなくちゃいけないんだから、どうかみみずくに眠りを与えてください。


そのうち、羊は子どもを連れて一匹、一匹と消えていく。マイナス一匹、マイナス二匹……


あと498匹と数えないと、僕は眠れない。

電話・遺伝子の宿命・パンデミックフルー

2008年11月2日

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めったに着信のない携帯電話に、2日にいっぺんくらいの頻度で、さる女性から電話がかかってくる。もうここ最近、ずっと。

みみずくはわざと五回に一回しかでない。


今日はでた。


悩みごとを聞く。その人は「お金が盗まれた」、という。


雑音から察する……電話の向こうには、きっと、他に一緒住んでいる人たちがいるだろう、と。そしてとっさに思う。わざと電話のみみずくに、盗難のことを話すことで、背後で聞いている人に疑いの目をかけ、様子をうかがっているのだと。


みみずくはいう。「周りの人を疑いすぎても、気まずくなっちゃいますね……今度から、鍵をしめるなり、気をつけないといけませんね……」


それぐらいしか、いってあげられない。


それが、みみずくの、その人の為にしてあげらる、せいいっぱいのこと。

生き物ははどうしてコミュニケーションをとるのだろう?

人はどうして言葉を手繰るようになったのか。

それは、仲間を危険から身を守るため? 感情を表現するため? 人を愛するため? いずれにせよ、進化の過程で、言葉を手繰るようになったからこそ、人間という生き物は、繁栄した。

じゃあ、どうして生命は繁栄を目指すのか。どうして生命の遺伝子は、他の種を、時には仲間を滅ぼしてまで、自分の種を、後世に残そうとするのか。

そう考えると、なにもかも虚しくて、やりきれない。

そういうときは、部屋にこもって、布団をかぶって、じっとしているに限る。まったく、そうするに限る。

・・・ただ、自分の命を賭しても、自分以外の命を救うことがある。種に関わらず。それは生命の進化の常識からいって、例外的な行為だ。しかし、人間は、時にそういうことをする動物だった。

鳥インフルエンザの感染を扱った、NHKスペシャルの「パンデミックフルー」ドラマを見た。爆発的な感染の広がりをみせるなか、病院は新型インフルエンザ患者の受け入れの選択を迫られる。ワクチンもできておらず、自身の感染のリスクを抱える中で、医師は患者の治療をうけいれる。もちろん、病院を逃げ出す医師もいる。

やがてその病院は、飽和状態に陥る。そんななか、一人の老患者は、延命を拒否したことで、別の一人の患者が救われる。

種を残す、云々の議論ではない。もし、目の前に、生きるか死ぬか、あるいは救うか見殺すかの選択肢があれば、ひとは往々にして前者を選ぶこともある。

極限状態にある人間が垣間見せる人間性と非人間性。

はたして自分はどちらだろうか。それはだれしも、そのときになってみないとわからない。

たまに眠れない夜

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寮の先輩から、ご飯食べいく約束をした。


親しいといえど、女の先輩だし、ほかはこない。最近本当に親しい人いがいと話をしていないし。

会話に詰まったらどうしよう?


そもそもどうやって並んで歩けばいいんだ?


店のドアはどっちが開けりゃいいんじゃぁー…


真剣に悩むみみずく。


悲しきかな、ただ一緒にご飯を食べにいくだけなのに、どうしてこう、嫌なことばかり考えてしまうのだろう。みみずくはいつから人を疑うようになってしまったのか。


悲しいけど、これがいまの自分。

残寮体制にはいります

2008年11月1日

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今日は残寮当番。残寮とは文字通り、一日中、寮に残って当番・・・といってもほとんど事務室にいて暇してればいいのです・・・だ。卒論が進むといいのだが。今日はなるべく寝ないように努力しよう。考える一日にしよう。そう誓って一日が始まったのでした。

AM5:00 卒論執筆、断念
ってまだ早いよ? まだ暗いよ? 当番始まる前にまたねてまうでないか! 頭の体操に、いまの大学生を斬る。


1 朝のニュースをみていて
▼大学生の間で大麻がはびこっていて、逮捕者が出たとのことだ。みみずくと年の近い学生が、薬物に手を染めているとは、少なからずショックなことだった。受験を突破し、一流大学に入って、さあこれからというときに道を誤ったこと、留置場にのなかで彼らはどう思うのだろう▼心に隙間があると、悪はどこからともなく忍び寄ってくる。心の隙間とは思うに、将来に向かって勉強したり、将来にそなえて遊んだり、お金を稼いだり、恋愛をしたり、スポーツにうちこんでいれば、できないものかといえば、そうでもない▼メディアが騒ぐ要因は、それが“名”のある大学であったこと、つまりスキャンダル的な要素が、情報を浪費する側にとって“うけ”がよいことが、当然考えられる。お茶の間で「ああ〇〇大学も、地に落ちたわね」と、学歴コンプレックスをもつ大人が、眉をちょっとひそめて、内心(自分の大学でなくてよかった)(自分の息子・娘の大学でなくてよかった)と思うひともいなくはないだろう▼けれども、問題はもっと深刻だ▼(ここから暴論)今日、大学という場所ほど、ある意味、世の中から離れている場所もない。だからこそ、学ぼうと思えば、明日の事を心配しないでも、勉学にもしようと思えば熱中できる。かつて学生が社会に影響力を持った時代もあった。学生運動である。みみずくの住む学生寮など類は、格好の地下組織の場として機能していたらしい。信大は、寒させいか、キャンパス同士の地理的な障壁のせいか、あまり学生運動がはやらなかったそうだが、それでも古い教授の話を聞くと、なんでも当時、大学側と学生がわかりあうために山に登ったそうだ。それが、今日もなごりとしてある必修の授業残っており、学生は志賀高原ののぼらされる▼それはさておき、いまの大学には、そういった反体制、反抗的主張、社会批判精神は影を潜めてしまった。殺人や暴力まで発展した学生運動は、そのご忌まわしき歴史の事実として刻まれる。 けれどもその後、大学が純粋に教育機関として働くようになったかといえばそうでもない。こんどは学生が前ほど議論しなくなり、社会に疑いをもたなくなり、おとなしくなっていった▼学生は、かつて社会の病理と矛盾に闘っていた。いまは、世の中の病理に飲み込まれてはじめている。みみずくは、この先もっとこういった事件が明るみになっていくと思う。




書いてみたものの・・・・・・なんかこう、いまいち説得力のある文章が書けなくなってきた。具体性に欠ける。むかしはもうすこしましなことを書いた気がする。第一、自分で書いていうが、読んでいて面白くない。話題の選択からして面白くなるはずもない。文章の最後はお世辞でもいいから希望を書くべきだと思う。それが、読み手への配慮だ。これじゃ、まるで近い将来、日本中の大学生が麻薬に手をそめ、社会が根底から崩壊するみたいである。そんなことはまず、ないだろう。

PM18:00
だいぶ寝ました。卒論も本のすこししだけすすみました。先行研究に終始。といって論文を2つ読んだだけ。はたしてこんなんでいいのか? いいわけない。正直申し上げると、論文なんてかける身の程ではない。これからだいぶてこずりそうだ。

PM19:45
誰も来ない。ここは廃墟のよう。まるで長期休業中。この寮に人はいるのですか?と(不安に)思って駐車場にまわって窓の明かりの個数をみた。階に1人はいるようだ。こんなんじゃボイラーわかすのがもったいない。