今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2007年9月25日
2007年9月17日
さーあレポートでも書くか、その前に一眠り・・・
と気づいたら空は薄暗く、夕方の四時。また寝過ごしてしまったようで・・・
風林火山を見つつ、大学にこもりパソコンに向かうも、すすまず。
気がついたら棚にあった「実存」やらニーチェの本を斜め読みして、ぼーっとしていた。
うぬ、この世の中、わからないことが多すぎる。
哲学書を紐解いて、いつも思うのは、自分の無学さ。
左も、右もわからない。いや、わかろうとしていないのかも。
あーあ、理解できる頭がほしい。
僕はいつからこんなに頭がわるくなったんだろう。
元からか(#タメイキ)
2007年9月15日
つまり、本音を申すと、みんな、実習の最後に言葉につまって泣いたとか、感動したとか、教師っていいねとか、手紙もらってうれしかったとか、いう、話は、僕の前では、頼むから、しないでくれぇぇぇ、す・る・なぁぁぁ
自分のよかったことはよかったこととして。 まずかったことは、これからまた一年かけて改善するとして。誰とちがってもいい、だれしも自分のペースで、すすめばいい。そのペースをみださないでくれ。
もちろん感動したこと、涙を流したことは貴重な経験だよ。でも心のどこかでは、感動や涙に隠されて見過ごしている何かだって、あるはずじゃないのか。そう思わなくちゃ、嘘だよ。進歩できないよ。
結局、うまくいかなかったから、僕が他と違うから、ひがんで言っている? それも少しは、いや多分にあるかもしれない。醜いね。自分の醜さを知るのはしんどい。月夜のみみずくとて人間。でも・・・・・・そう、次に来ることばは「でも」だ。でも、そういったひがみを抜きにしても、まったく見当違いなことを言っているとは思わない。
これを読んでいて、なにをかいてるかわからない方も多いと思うので、実習の話はたぶんこれで終わりにしたいと思います。失礼しました(mm)
教育実習が終わり、昨日今日はぼんやりした二日間を過ごしていた。
聞くところによると、途中で挫折した友もいたということ。僕の場合は幸い、それほどまで大きな失敗もなく、途中いろいろ壁はあったけれども、とりあえずは最後の日を迎えられたわけだから、幸せなのかもしれない。
最後の週は毎日2時間も眠れなかった。授業に苦戦している様子をみた子どもたちは黙ってポンと肩をたたき、僕を励ましてくれたりした。
「頑張った分、いまは充実感にあふれている」・・・・・・よく聞く話だが、そんな単純な話ばかりではないと思う。正直なところを申せば、実習を終えて、将来自分が教師になってしまっていいのか、子どもためになることなのか、むしろわからなくなってしまった。簡単にいえば、自分なんかが教師になってしまっていいんだろうかと思う。
もちろん別の選択肢を考えているわけでもないから、そういう思いと向き合うのは、つらい。つまるところ、自分が世の中に役に立つか、あるいはまったく役立たずかのどちらかを知ろうとしているわけだから。
実習1週目で、崩れかけていたとき、ある先生からこんなメールが届いたのを思い出した。 Kくんレポート受け取りました。ごくろうさまです。内容はもちろん合格点です。ちょうど実習を振り返るような中身になったかもしれませんね。私が知っているKくんは、教師に向いてないことなんて、ぜんぜんないと思います。それでもKくん自身がレポートで書いているように、悩み揺れることが教師という職業の宿命なのかもしれません。悩み続けられる教師になれたらいいですね。苦しいですけど、やりがいのある仕事です。
・・・実習を通して教師になることを確信した仲間を潔いと思う。同時に自分のほうは・・・と考えると焦る気持ちもおさえきれない。僕はそんなに潔くはなれなかった。先生は悩み続けることこそ、とおっしゃっていた。それが本当なら、この実習はある意味で成功だったのかもしれない。
教育実習Ⅲ期が終わった。
27日(月)
社会 友のために伝えるために知る 近代日本を作った人々の姿
29日(水)
国語 情景をイメージできるように伝える 『森へ』
30日(木)
体育 仲間と支えあい調和する 美と力
社会は渋染め一揆を通じて、江戸時代末期の幕府の衰退を伝えようとしたが、子どもたちの意識は渋染め一揆にあつまったようだった。学習材が差別の問題を含んでいたためだろうか。
国語は流木を通して、さまざまな感覚表現を文に昇華しようとした。数人の子は文章が変わった気がする。発表を断ったある子は「俺が発表する義理はない 先生の胸のうちにしまっておいてくれればいい」と語った。
組体操は、3クラス合同。扇のポイントを出し合い、練習した。なかなか挙手して発言しないのが6年生。勇気を出して、どんな小さななこといい、全体の場で発言することが、本番での演技に大きく響くことを、個人的には一番伝えたかった。
三週目にして、クラスの子とまだまだ大きな壁を感じる。キャンプインストラクター要請講座でゼミの大先輩がいっていた「すべての子から好かれるのは無理かもしれない でも自分がすべての子を好きになることはできる」という言葉を思い出した。
合間に大村はまさんの最期の講演集「忘れえぬことば」を読む。珠玉のことばが、心に響く。表紙の夕暮れの横浜港の絵が、自分の育った故里を思い出させる。毎年、祖母と一緒に花火を見にいったっけ。祖母も小学校の先生だった。最初の記憶は迷子になったこと。最期の記憶は夏休みの宿題のことでいらいらしていたこと。昔、僕も君たちとおなじ子どもだった。そうこうするうちに、いつの間にか大人になった。なにがかわってしまったんだろうか。そこに子どもと壁をつくってしまうひとつの原因があるような気がする。
9月に入り、実習も残り半分をきった。仲間の研究授業があり、それと自分の作業をうまく平行していくことが求められる。
4日(火) 道徳 相手とつながることの喜び
5日(水) 図工 私の願いに色をつける 私のなりたい『木』
7日(金)
社会 友のために伝えるために知る 近代日本を作った人々の姿(2)
子どもたちとの関係は膠着状態。……後輩との関係が悪化し、ただそこにいるだけで針のむしろに座しているような思いをした経験があった気がする。そのとき僕はどうやって乗り越えたんだっけ。
そのとき僕は、ひとりひとりの後輩と、1対1で、片端から、話しかけていったんだった。
40人の子たちたちいとりひとりに、もういちど接しなおしてみようと思う。もちろん、うまくいくとは思っていない。そのときはそのときだ。