みみずくの夢は不思議なものが多い。
最近の夢。
犬たちが住宅地の中を西の方角に走っていく。五十匹いや100匹、野犬なのか飼い犬なのかわからない。
天災の兆し。
僕は勘が働き、家族に知らせる、今すぐ西の方角に逃げて!
家族は相手にしてくれない。みみずくは避難装備をかき集め、一人西へ向かうことにした。
何日か歩いたあと、ゆっくり大地が揺れた。東の方向から煙が上がっている。
2010.07.29 renewal
みみずくの夢は不思議なものが多い。
最近の夢。
犬たちが住宅地の中を西の方角に走っていく。五十匹いや100匹、野犬なのか飼い犬なのかわからない。
天災の兆し。
僕は勘が働き、家族に知らせる、今すぐ西の方角に逃げて!
家族は相手にしてくれない。みみずくは避難装備をかき集め、一人西へ向かうことにした。
何日か歩いたあと、ゆっくり大地が揺れた。東の方向から煙が上がっている。
今朝、みみずくの法人の本部である特養がフジテレビで紹介されていた。はなまるマーッケトじゃなくてなんていう番組だったかわすれたが。
ポリシーとして高齢者を拘束しない法人と、転倒防止のため拘束してほしいと希望する家族のやりとりが主な内容だった。
拘束とは、なにも紐で縛り付けたり、独房にいれたりすることではない。
例えばミトンという指のない手袋をつけて指の動きを封じたり、弄便といって自分の排泄物を触るのを防ぐために、つなぎの服を着せたりすることも拘束にあたる。
ふつう車椅子の足の部分にフットレストという足おきがあるが、これを倒したままでも拘束にあたる。
拘束をすることは、介護とはいえない。しかし、拘束の反対すなわち自由にさせることは、とてつもない負担を介護者に与える。
かなり近い将来、拘束しなければ手におえないと言われる日がくるかもしれない。人口に対する高齢者の割合は毎年、確実に増大している。
生命ばかりが重視されていて尊敬が無視されていてはいけない。人間は心臓が動いているから生きてるんじゃない。
今日は年があけて初めての休日だったが、職場でお寿司をごちそうなった。お客様がきていたので、こっそりお盆をもってベランダから抜け、事務所で一人で食べた。味がしない。
ちょっと情緒不安定でもあった。
午後は、あまり気が進まなかったが、両親、祖母、いとこへのお年玉をもって、2ヶ月ぶりに実家帰りを果たした。
社会人一年目の封筒は軽かったけれども、祖母は大喜びして泣いた。母は元日から愚息の夢をみたという。そこまで心配かけていたかと、申し訳なくと思う。あえて2ヶ月連絡をよこさなかった両親の思いに帰り道、涙する。確執みたいなものがあって、こちらからも音沙汰なしであった。
馬鹿な子どもですみません、と思え、涙がとまらない。
誰にも話していないが、最近の精神状態についてちょっと書き残しておこうと思う。
じつは、年末から忙しくて病院にいけず、またいくのも面倒で、またもや抗うつ剤を切らしていた。12/12くらいから薬を飲んでいない。いけないと思いつつ、病院は年末年始の休みに入ってしまった。
前もそうだったが、薬を切らすと、なんだか、もう長く生きられないようなひどく重苦しい感覚に陥る。人に会うたび、どういうわけか、これを最後に会えないような妄想を抱いてしまう。
たわいのない会話をしていても、それをすごく重く感じてしまう。まるで<その人が死んでしまって、その人のいない世界でテープに残されたメッセージを聞いているうな感じ………>と書いてわかる人がいるだろうか。
しかも、それが"薬の離脱症状としてそう思える"だけではないような気がしてしまうからなお怖い。そして辛い。
"実際、だれだって今日遭ったうちの誰かと、もう二度と会えない可能性を秘めている。だれだって、今日温かくても、明日の朝には冷たくなっていないとは限らない"
こうみみずくの素寒貧な頭は警告してくる。病的で、滑稽ですらある超マイナス思考だと思う。非現実ではないが、限りなく非現実に近い。
思ってしまうのは仕方ないこと。病気だか離脱作用だか知らないが、みみずくの無意識かなにかが発する正直な感覚。内なる声、と書くと怪しい宗教みたいだが。
であるならば。
後悔しないよう明日も精一杯、最善を尽くして人と関わろう。
そう思えば、済むこと。