今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2007年2月28日
ゼミの追いコンがあった。
北アルプスがまもなく出てくる朝日にうっすらと白んでいた。
余興も覚め、明け方の女鳥羽川沿いを友達と兄弟について話らいながら歩いていた。
受験勉強に追われていた冬の暖かい日、僕は捨て猫を拾ってきた。真っ黒な猫はやせこけ、差し出すミルクも飲まなかった。体をあらってやり、家族の目を盗んで庭先にかくまっていたのだった。
しかし数時間後発覚し、家で死なれたらいやだからすぐに捨てて来いという指令が下った。抵抗したところ、家に鍵をかけられ、半日のあいだ入れてもらえなかった。その夜半、階下におりていったところ、印象深い・・・次のような光景を目にしたのである。すなわち、寒い小雨のふるなか、庭に出てドライヤーで猫をあっためていた兄の姿があった。
それだけの話である。だがそのとき僕は兄に人並み以上にやさしいところがあるのを知ったのだった。
友人の部屋につく手前で、一匹の黒猫が走りよってきて、しばらくのあいだ僕らにまとわりついてきた。あの日の黒猫とは違い、きちんと首輪をつけ、毛並みもきれいだった。どこかでえさを与えられているのかもしれない。思いがけない偶然に目が覚める思いだった。
あの日拾ってきた黒猫は、僕が寝ているあいだ、近所の神社の目立つ参道に捨てられてしまった。それ以来知らないあの状態だったらそう長くは生きられそうにないはずだった。僕はそれを追うことをあきらめ、また受験勉強の生活に戻っていったのだった。
2007年2月23日
試験期間が終わり、5日間の介護体験がおわって、乗鞍で「感性の森」に参加した後、やっとわが部屋に帰ってきた。ほっと一息ついて、そばにあった宝焼酎の500mlを空けた。気がついたら朝、なぜかパソコン(ThinkPad T41)が水浸しであった。
このパソコンは去年の正月帰省した際に、入学祝いだから、といってIBMに勤める伯父が私に買ってくれたものだ。僕はそのころ容量約800MB、OS Windows95の電話帳のような中古ノーパソをかれこれ5年間つかっていた。大学にはいってから周りの友人が新しいPCを持っているなかで、レポートをかいたりプレゼンを作ったりしていたで、その新型パソコンを手にして、びっくりしたのだった。とにかくあまりに高性能すぎた。USBポートも赤外線ポートあり、DVDまで見れてしまうのだから! なにせいままで外界との接触はフロッピーしかなかった。
状況から判断して復帰はありえない。奇跡的に生きていた40GのHDをお店に出して、バックアップをとってもらい、長野市中の電気店をさまよってやっと新しい“中古”パソコンを買ってきた。いま徹夜で復旧作業に当たっている。
二代目 ThinkPad A21e Cel700 128MB 40GB(元20GB) CDROMドライブあり
OS:XP (元は2000が入っていたらしい) 価格2万7千円
学生の貴重品は、保険証、印鑑、そして次にくるのがパソコンである。OSを入れたり、いろんなデータを復旧しているうちに夜が明けてきた。失ったものは、単なるものであったにせよ、人から給料をはたいて買ってもらった大切なパソコン。自分のだらしなさに反省。
今日読んだ本
『星々の悲しみ』 宮本輝 文春文庫
『木(こだま)霊』 北杜夫 新潮文庫
2007年2月22日
はじめの春は、トランクひとつ引きずって、浅間温泉に下宿した。
次の春、善光寺に近い教育の寮に入ることができた。荷物は軽トラ1台分に増えていた。
この寮の始まりはよくわからない。男女別の棟があり、鉄筋コンクリートで5階立て。だいぶ年季がはいっている。去年ボランティアをしていたとき、だいぶ年配の方が偶然私と同じ寮出身だった。なんでもそのころは木造で、近所の人からはバケモノ寮と呼ばれていたとか。40年前ほどだろうか。当時は寮に入居する学生が多く、一部屋に4人の学生がつまっていたらしい。僕はいま、2人部屋に一人で住んでいる。学生自治寮と聞くと、北杜夫の『どくとるマンボウ青春期』を思い出してしまうが、住人は比較的静かだ。とくにこんな春休みの深夜などは、ときおり市街から聞こえてくる救急車の音をのぞけば、あとはひっそりしている。