寝坊して道徳休んじゃったよ・・・ 深夜、ネットを借りにきた友だちを送って、そのあと眠いのに事務室でゲームをしてしまい・・・・・・寝るのがさびしいという言い訳で。
いやそれどころではない! 松本へ授業だ! スタッフがいないから僕ら3年生が授業のお手伝いをするんだよ。といっても導入のコントをしただけなんだが。
急いで長野へ帰ってきて、寮で会計部の方針をチェックしてもらう。ぐったりである。明日は休み。夕方に教育委員会にいって面接が1件。 慌しすぎて、自分に向き合う気になれない。それはむしろ、いいことなのかもしれない。
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2007年4月27日
2007年4月25日
追記:正夢ということもある。
大地震がおこる? とか。
地震予知のHPをいくつかみたら、今後数日以内に大地震がおこるとか。
さすがに信用はしないけれど、ひょっとしたらと言うこともあるので書いておく。
昨晩未明、自分の部屋でなかなか寝れないでいた。
突如、廊下の非常ベルが鳴り響く。
びっくりして起きようとする。
なのに体がなかなか動かない。
幽体離脱したかのように、すぐに寝床に吸い寄せられる。
やがて視力がなくなる。毒ガスか一酸化炭素中毒だと思う。手探りで何とか窓をあけ、大声でこの異常事態を外に知らせようとする。
・・・・・・ここで目が覚めた。
あまりにも現実感がある夢だったので、本当に非常ベルがなったのだと思い、急いで階下に走り、確かめる。だが、誰もその音は聞いていなかった。こんな体験は初めてだった。
今日は風呂に入る時間もないほど、忙しかった。つめつめの授業、家庭教師、寮の仕事、等々。寮では会計部局長になった。やや荷が重い。
2007年4月22日
今日は「死への準備教育」で知られるA・デーケン氏の講演を聴きにいく予定であった。
・・・・・・いや実際講演を講演を聴くことはできたし、帰り際、僕の30cm前をA・デーケン氏は微笑みながら通り過ぎていった。篠ノ井総合病院、病院祭の催しである。
だがいささか今日はついていなかった。以下にその「ついていなかったこと」を書くことで、落ち着こうと思う。(なんだか小学生の作文みたいだがお許しを)
講演会は10時からと聞いていた。僕は余裕をもって9時到着を目指し、長野駅へ原付でむかった。能登の雪まみれ遠征をともにした、戦友Let’4 50ccである。駅に着き、つぎの列車は当分ないことを知った。しょうがないので、篠ノ井まで原付でいくことに。ああ、なんという春らしい、眠くなるような朝。
といっても、べつに原付の上で寝むりこけて事故ったということでもなく、無事、病院に着いた。勘違いしていて、講演会は14時からだった。今日の午後から松本でゼミのミーティングに参加する約束があったので、しばらく迷う。
A・デーケンの講演会をとるか。それとも後輩からの信用を守るか。僕は両方を取ることに決めた。
「往復特急で松本へ行き、講演会までに帰ってくる!!」
18切符を愛用するものとして、特急に乗ることは有る意味冒険であり、贅沢である。割引率の高い1枚500円になる信州特急回数券を買ってしまった。近いうちに乗ることもあるさね。
しなの号はちんたら進み、これじゃ昔毎日乗っていた京急の快速のほうが早いと思った。松本に着く。いち早くミーティングに出ねば。信大経由のバスはまだ時間があったので、料金も安くなることだし、途中まで歩くことにした。・・・・・・そう、抜かれたのである。結局歩いて大学まで行った。バスが定刻より早く運転していたか、僕が阿呆だったかのどっちかだ。どっちでもあるか。
さてミーティングが終わったのが13時。13時ちょうどの特急しなのにのらなければ、講演会には間に合わない。遅刻を覚悟し、つぎの14時の特急に乗った。
14時からはじまった講演会はまだ終わっておらず、運良くA・デーケン氏のユーモアあふれる講演を聴くことができた。詳細は別に譲る。とにかく、病院を出た。
以下、面倒くさいので端折って書く。(すでに同じことを一回書いたのだが、ネットの調子で消えた)雨が降りそうだ。でも急いで帰れば寮に帰れるだろう。急いで帰る。道を間違える。大丈夫だと思い引き返さない。雨が本降りになってくる。ガソリンがもう僅かしかない。ここはどこだ? 山のなかだ。ずぶぬれになりバス停で雨宿り。あきらかに地元人らしき人の車。
月夜のみみずく:「すみません。長野へはどちらの道を行ったらいいんでしょうか?」
おやじ:「は? ナガノ? ナガノ?」
月夜のみみずく:(負けじと)「はい、善光寺のある・・・長野市です」
おやじ:「ちょおっとわかんないなー。じゃ。」(走り去る)
って、おじさんは長野近郊に住んでて長野市がどこかわからんのですか!(笑) 自分の格好をみて納得する。
ずぶぬれになったことを除けば無事、さきほどあけぼの寮に帰ることができた。往復特急に乗ったのになぜこんなに濡れて帰ってきたのか、友は不思議がっている。
さて、22時からは寮の会議だ。それまでにすこし寝よう。
2007年4月20日
2007年4月17日
2007年4月15日
思い出した。
去年キャンプでリーダーをやったときのこと。
我がかじか班の子たちは最後の晩、こんな歌を作ってくれた。
「どんぐりころころのかえ歌」
1 初日の夕食カレーダよ!
けむりで目がしみてます。
そしたらにょろがこんにちは。
当番かわってくれました。
2 2日目朝からカヌーだよ!!
ダムまで道のりつらかった。
にょろがしっかりしてくれて
ようやくダムにつきました~。
3 にょろと、うみざるユーラユラ
ボートがてんぷくさあ大変。
2人はしずんでぶーくぶく
にょろはやっぱりとろいのねぇ~
・・・・・・「にょろ」とは僕のことである。1番2番の歌詞でもりたてておいて、3番で「やっぱりとろいのね」。いつも思う。子どもはすぐに人の本質を見抜いてしまう。しっかり者のお兄さんを演じていたのに、本性はやっぱり隠せなかった(笑)
3番の歌詞。「うみざる」という海上保安庁出身のリーダーとカヌーで、子どもたちを見守るため、ダム湖上で監視役をやったのだが、早速バランスを崩して転覆したのは、子どもたちではなく自分のカヌーであった。
うみざる:「にょろさん!? ちょっと・・・」
月夜のみみずく(にょろ):「ああ、あれ??・・・おい、まずい、これ転覆するんじゃね!? ごめん、うみざる、さきに謝っとく」
あっというまに間に、カヌーは反転、ダム管理所のモーターボートで救助されるまで、死ぬ思いだったよ。
なつかしい思い出の紙切れが出てきたので紹介した。今年は教育実習があるから、サマキャンは無理かもなぁ・・・。実習目前で自信がないとき、こういう思い出が僕を力づけてくれる。
2007年4月14日
今日はごみステーションの大掃除、午後は暇をもてあまし、門脇の荒地に小さな花壇をつくった。鍬とシャベルで2時間ほどかけてかわいらしい(?)花壇の完成。通りがかりの先輩に、「いいお父さんになるよ」といわれた。夏にコスモスの大輪が数十本、青いサルビアが2株咲く予定。(うまく育てば)
2007年4月13日
2007年4月11日
最近寝てもさめてもすこぶる頭の回転が速い、ような気がする。講義に出いていても、すべてが頭に入るような気がするし、ゼミなどで話し合いをしていても、家庭教師をしていても、次から次へといい案が浮かんでくる。家事も、仕事もおおいにはかどっている。
おまけに饒舌にもなり、つぎからつぎからへと冗談が思い浮かび、僕と会話する先輩も後輩も同期も、おそらくはいい意味で笑ってくれる。機知とはまさにこのことだ。
まさに北杜夫をしのぐ大躁期の季節の到来ではなかろうか? 調子に乗り過ぎないように気をつけなければ。おおきな反動が来る可能性もある。
といっても別に僕が誰かに恋したわけではない。
人を好きになることの考察をまとめたいと思っただけだ。
有体に言って、人は2種類に分けられる。
余剰の活力を主に外へ発散していく人。
そしてもう一つは内に構築していく人である。
今晩はB集(週一回の寮での話し合い)があって人が集まった。いま深夜1時半であるが、この時間に意気投合して、飲み、あたり構わず叫ぶようなひとが前者である。
僕はこういう仲間を批判しているのではなく、むしろ憧れているといったほうが近い。
僕も属する後者は、用がすむと、さっさと部屋に帰ってしまうような人だ。そこで本を読んだり、次の日の準備をしたり、寝ながら何かを考えているような人である。
大学生ともなれば、おまけに男女ともにくらす地方大学ともなれば、当然恋人どうし、という関係が生まれる。数で言えば全体の3割くらいだろうか。
一人一人をみていくと、恋人がいる友人は、先ほどの前者に当たる人が多い。付言すると誰かを一方的に好きになってしまう確率はこの法則とは関係が無い。これは経験則であるが、僕の知る限りでは、まず間違いなくこれに当てはまる。そして何においても要領のすこぶる悪い僕は、最近は人に惚れるようなこともなく、おおいばりで、ちょこっと劣等感もまじえ、後者の人間に属する。
以上がなんとなく♂4の、腐った廊下の芋焼酎で、酔っ払って考えたことである。
さて、今日は4つの講義を入れた。1近代日本文学購読、2地理歴史指導法基礎、3生活基礎、5中等社会化指導と教材展開Ⅰである。半分は卒業には必要のない社会科の講義である。こんな欲張ってしまって、あとあと大変になるのは予想がついているのだが・・・
なにせは今の僕には余剰活力があるからね。ああ、くだらない。
しかしいったこのブログ、日に訪れる人は自分だけである。実質、このブログを見た人はまだ世界で10人に満たないのが現状である。
最後に一言。自分の理想の人の条件を一言でいうと、つぎの質問に答えられるひとである。
すなわち。
「髪の毛が1本になっても、僕を愛してくれますか?」
にゃはは、世界が大爆笑だ。・・・・・・いや、これは不謹慎な言い方かもしれない。
2007年4月9日
大晦日、午後11時59分、文明が生まれた。
人類が夕方に生まれて、まだ7時間たっていない頃のこと。
それと同じもの地球のものさしで測れば、僕という人間が生きている時間は、仮に長生きしたってほんの数秒だ。
その数秒のうちに、数え切れない喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、出会い、別れ、叱咤、激励、感動、絶望、羨望、自尊、劣等、勇気、弱気、思い上がり、さげすみ、友情、裏切り、悲観、楽観、客観、主観、中立、眠気、吐き気、回顧、郷愁、憧憬、優、良、可、不可、はては不受講・・・・・・がまるで線香花火の鉄粉が輝き飛び散り、流星のごとく、消えてゆく・・・
消えて行く・・・
後輩:メールアドレス変更しました。
月夜のみみずく:了解です! 緊急時にそなえて登録しときますっ
後輩:緊急時、、、ですか?え、えぇ。わかりました。
月夜のみみずく:化学部が生物部にのっとられたり、うちらが未履修問題で卒業取り消しになったときのような事態、ということだよ。
後輩:その時は心置き無く浅野に帰ってきてくださいね。俺は部屋で煎餅でもかじりながら結果報告を楽しみにさせていただきましょう。
月夜のみみずく:うーん、俺、というのはちょっと似合わないかな。
後輩:そっそうですか?別に何でも構わないんですが、押す回数が一番少なくて済むからってだけなんですよ?
月夜のみみずく:“よ”の方が若干短い。・・・でもそれをいっちゃあメーうつ時間の方が惜しいよね。ごめんね。
昨晩徹夜しただけで、ちょっとおかしくなってる。早く寝よ。明日は1コマから講義があるんんだ。
2007年4月8日
新歓期間が終わった。
最終日のコンパで、Dr.と一週間前から準備していたコントをやったのだが、新寮生の知らぬ寮用語をかましすぎたこともあり、うけはいまいちであった。大勢の人を笑わせたり、楽しませたりするのはすごく難しい。でも少しはコンパに貢献できたかなぁ? いつかは本当に笑わせてやります。
去年僕は飲みすぎたために、途中で引き返した恒例の山登り。一時間ほど闇夜の七曲を、通りすぎる車に怪しまれつつ、大勢でわいわいと上っていく。月夜のみみずくは暗いところなら、誰とでも話せるのである。院生の先輩と仲良くなった。
ああ信濃路の夕暮に
駒うちとめて義仲は
都の空を仰ぎては
若きひとみをもやしけり
理想の花の香も高き
ふるさとの野をうたはばや
春霞ひく歌ヶ丘
古りにし石碑の前に立ち
みやびの胸を吟ずれば
うら若き児のほほ伝う
熱き涙に裾花の
岸の桜も色あする
夏草やどのしのばるる
川中島のいくさあと
河原の石にまどろめば
平和と乱に散りひらく
歴史の花のうつろいて
今ひびくなり自治の鐘
今ひびくなり自治の鐘
天守閣の石垣をよじ登りのぼり、長野市の夜景を眼下に肩を組み、寮歌をうたった。義仲もさすがにここまではしなかったと思う。6年間、毎日通勤電車でもまれ、闇々たる面持ちで単語帳片手に、車窓を眺めていた、ついこのあいだの自分には想像もできない光景だ。
2007年4月4日
今日から教育学部は授業がはじまる。今、授業計画を立て終わった。
教育実践科学専攻 臨床学校教育学分野は国語や英語などの専門の科目がない。
教育学を広く学ぶ専攻である。が、今年は休講が多く、いささか不安だ。
寮では阿弥陀くじが適中し、また部局長をやることになった。
仕事があったほうがいい。そのほうが寮のひとと多く関われる気がするから。
家庭教師、自分の階のつきあいでドタキャンしてしまい、これも不安だ。
なんだかまた精神的に不安定な時期が来た気がする。
20歳も気づけばあと4ヶ月をきった。
2007年4月3日
失って初めてその大きさに気づくということがある。
ついに最後の4年生が昨日旅立っていった。小学校の臨時教員になるのである。
後輩がぞくぞくと部屋を訪れ、寮のなかの“日常”に溶け込もうとしている。
そこにいて欲しい4年生の姿はなく、ぽっかりと穴があいたよう。
積分していくと、それはつねに人の入れ替わる世の中だ。
今日もお年寄りの何人かがこの世からなくなり、一方で新しい生命が産声をあげる。
人はどこからから来て、どこへいくのか。
後戻りできない長い一本道を、僕は今日も無為に過ごしてしまった。