今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

日々

2008年8月26日

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言語教育論の最終日。朝から夕方まで、連日の講義。ほとんどの時間みみずくは「ソフィーの世界」を読んで、宇宙や時間を飛び回っていた。私たちはどこからきたのだろうか。死後の魂なんてあるのだろうか。

「人生は悲劇的でおごそかなものさ。ぼくたちはこのすばらしい世界に招かれ、出会い、自己紹介しあい、少しのあいだいっしょに歩く。そして互いを見失い、どうやってここに来たのか、そのわけもわからないうちに突然いなくなる」

先日、白馬の大雪渓で二人が亡くなった。うち、登山ガイドの男性は、つい先月上高地で結婚式を挙げたばかりだった。男性はもうひとりをかばうようなかたちでなくなっていたという。
みじかな人がなくなると、「わたし」が、生き長らえていることが不思議でしかたなくなる。なぜ、僕は生きてるの?

寮に帰るみち、弱った鳩を拾った。部屋でエサをあたえ看病して、僕は眠った。羽音がして、目覚めるともういなかった。あれはだれかの生まれかわりだろう。すくなくとも、体の一部は。

夜、母から電話。担当医が三巻系とパキシルの副作用を心配しているらしい。つまり衝動的な自殺だ。ことにアルコールと摂取することは本人の理性や意思とは無関係に、行動を起こすという。
みみずく、それじゃ、自分の体を縛って寝りゃいいんかと思う。みみずくは、いやでもしがみついて生きてやる。副作用ごときで死んでたまるかくそ。
ソフィーの世界より。

<三千年を解くすべをもたない者は 闇のなか、未熟なままに その日その日を生きる> (ゲーテ)
まだみみずくは闇もいいところだ。知らぬことがおおすぎる。少なくとも恥をさらしてでも、あと二十年は欲しい。

みずがきキャンプ

2008年8月17日

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今年もみずがきキャンプに参加した。

<きゃんぷ in ざ ふぉれすと みずがき キャンプ 2008>

みみずくは体にハンディをもつひとたちの一班のパートナー。淑徳大学の学生さんたちとまざって、音楽にかこまれ、山のなかで過ごす。久しぶりにキャンプネームで「みみずく」は「にょろ」になった。 二泊三日、どえらく疲れたけれど、あー、いい思い出になりました。最後の夏休みになるかもしれない。

去年と違うのは、“自分もちゃんと支えていないといけない存在”だということ。キャンパーは皆、薬を飲む。いちばん多いのがみみずくだったりした。障害者、健常者そんなわくぐみなんてない。だれもかれも支えあって生きてるんだ。

キャンプの前に

2008年8月14日

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朝、薬を飲んで夕方の出発まで寝ようとしていたら、今年卒寮寮した長老から突然電話。「ノブキ、お墓参りに行かないか」って。一度は断ったものの、やっぱりいくことにした。


寮の近くにあるアラキで仏花と線香を買う。寮のおばちゃんに会い、ミカンを買ってもらった。

同期のsちゃんと三人で飯綱へ。ハナはちょっと元気がなかった。

もう笑って話せるけれど、やっぱりお墓を前にすると、ぐっとしてしまう。「すぐ、こっちの世界の用を済ませたら、いくから。そのときまでお幸せに」


みみずくは死ぬことはそんなに怖くない。だってもう、みじかな人がやってのけたんだから。だから、安心して生きていける気がする。

夕方、障キャンの舞台、山梨へ向かう。いただいたトウモロコシとキュウリ満載のザック。みんなにおすそ分けだ。

幽霊でもいい、よっていってくださいな

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今日はお盆だね。Iさん、長野に帰ってきたのかな。
夕方、旭山に向かって夏川の涙そうそうを聴いていたら、涙が止まりませんでした。
悲しんじゃいけないって言われるけれど、僕が死んだら、誰にも悲しまれないなんて寂しいと思うよ。

今宵もN堂にバイトに行きました。雷がゴロゴロ、大雨。お客もぜんぜん。
マスター、「このお得意さんの帳簿ね、もう亡くなっちゃった人もいるけどね」といった。

しばらくして雷がまたゴロゴロといった。店内は誰もいない。
マスターは「二階で足音がした?」と僕に聞いた。
みみずく「お盆ですからね。混んでるんでしょう。」

ふたりでは、は、は、と笑う。
横浜で統合失調症の井口さんからうつされた笑い方。
は、は、は。

雨が降った。

なんて、気持ちのよい晩なんだろう。
狂い咲きしたバラの花が、僕をみて笑った。
明日は山梨。二回目の障害キャンプ。今度は、マネンジメントスタッフ!

夜の繁華街 お使い

2008年8月12日

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みみずくが「ミントソースをのせたスプモニアなんかもございます」なんて余計なことをいったら注文が4つもきて、アイスクリームがなくなってしまった。マスターから買出しの命が下る。

夜9時過ぎの権堂界隈は、やくざやら風俗店の客引きやらで、普通に歩いていればとって食われてしまいそうなこわいところである。が、そんな界隈をアイスクリームを探して飛び回っているみみずくも夜の街の同業者なのだと思うと、なんだか見張り役のあんちゃんにも妙な親しみを覚える。接客業にはかわりなし。

喫茶は月、火、水、と立て続け。そのあとは、山梨で障害キャンプのボラ。背中に不発弾を背負っているから無理はしないことね。楽しいからやっているのであって、それを超えたらみみずくは、堂々とさぼろうと自分に言い聞かせている。まだ病み上がりなのですから。

喫茶 N堂

2008年8月11日

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先週の土曜日、夜。緊張しつつ喫茶店のドアをあけるなり、

ママ「あら、O型の学生さんって聞いてたけど、ずいぶんね」
みみずく(・・・「ずいぶん」ってなんだろう???)

薄暗い店内の一席で、交渉が始まる。


ママ「うちは創業50年の老舗だからね。そこらの喫茶とは違うよ」
聞くところによるとこの喫茶店は戦後まもなく、画材店からはじまり、そのご、この長野の地で、いわば芸術家のサロン的な場所として長年愛されている店なのだそうだ。店内の壁にはいたるところに、映画のポスターやら作品やらがかけてある。柱も棚も、確かに半世紀という時間にじっくりといぶされたかのように黒く光っていた。

ママ「・・・で? いくら欲しいの?」

みみずく「はっぴ・・・、いえ、はじめは、ななひゃく何ぼで結構です。僕も病み上がりで人並みに勤まる自信がありませんから、そのときはいつでもクビにしてください」
いったいなんていうアルバイトだろう。主人は笑った。

「あたしは、いうときはいうからね。」

アルバイトの主婦らしき人が「ママ」と呼ぶ女主人。みみずくの祖母より若いくらいだろうか。渡された名紙にはコーヒーのしみがついていたが、みみずくが結んでいたネクタイをやおら「あんたいいのむすんでんじゃない」といった。これは先輩からもらった、わが家唯一の絹のネクタイ、綿とは違う。むむ、やはりマスターである。


土曜日の晩は混雑して、二回フロアまでお客が入っていた。突っ立っているわけにも行かず、手伝うことに。飲み物一つ一つに決まった記号があり、それを注文表に記入しなければならない。アイスクリームなら「スプ」、紅茶なら「ペコ」。幸い、醤油は無かったので、出し間違えることはなさそうだった。

夏眠、惰眠

2008年8月9日

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★7月26日に君津、かずさの森で静さんと一緒にワークランドの作品を展示をした写真がNPO地球学園のHPに載っていました。
http://www.chikyu-gakuen.jp/


 あけぼの寮に帰って、冬眠中のくまのように二日間、ずっと寝ていた。とにかく、なにをやっていいかわからなくて・・・・・・横浜にいれば作業所にいったり、フリースペースにいったり、千葉に行ったりでいろいろすることもあったし、居場所もあったけれど、こちらに来るとなんだか外に出るのが怖いような・・・人に会って声をかけられるのもちょっと苦手だ。とって食われはしないだろうけれど。

 寮の後輩の紹介で、今晩、権堂の喫茶店でバイトをすることになった。正確に言うと、面接しに行くことになった。なんでも60年の老舗で、男子学生急募という。みみずく、飲食業は、大学一年の生協食堂きりで、どうも自信が・・・。コーヒーとまちがえて醤油を出してしまうかもしれない。実際、生協では、並べてあったソースを適当にかけて客に出し、「こんなメニュー、ウチにはない」と叱られた。かと思えば友人に豚肉をこっそり大盛りサービスしこれまた焼きをいれられたりした。大学の屋上で飲み会があれば、店長が階下に消えた時を見計らい、ここぞとばかり余ったビールをこっそり飲み干し(これは先輩もやっていた)、なかば酔っ払って浅間温泉の下宿に帰ったものである。懐かしい、けれどもまだ3年前のことだ。

 とにかく帰ってきてしまったんだから仕方がない。生活の糧をどうにかしないと。講義は盆休みが明けてからなのでそれまで寮に寝ているわけにも行かない。新しい病院も探さないといけない。薬はいまだ最高値で、6月と何のかわりもない。むしろふやされている。不安不安といっていても、現実はもう目の前にきている。とりあえずは、1歩踏み出そう。だめだったら、また考えよう。

帰る

2008年8月6日

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今夜帰る。新宿からバスに乗った。帰りたくない。帰りたい。昨日、ワークランドの人たちと劇の練習をした。Dさんの舞う姿は生きてたころのlさんにそっくりで涙がでた。その日はどしゃぶりの大雨。ここはいつまでもいたい場所だった。でもここにいつまでもいちゃだめだと知ってる。みみずくは悲しい。今日、お別れをしてきた。劇の本番は今月21日にある。


ちゅらかさのまつり
2008年8月21日(木)◆大倉山記念館
◆午後16:00〜21:00
音楽劇の公開ワークショップ、愛と平和の音楽劇〜ワークランドPWLと遊び人〜 他

ちゅらかさ「美し痩」天然痘さえも美しい……病さえ神であり讃え、迎え送りだす、沖縄の人のことば

年越し

2008年8月2日

朝、はじめてIさんが夢にあらわれた。「部屋かたずけてなくって……」みみずくがいうと「いいよ」と笑顔。元気そうでほんとうによかった。あっちの世界でやっと落ちついたのだろうか。ほんの一瞬の出来事だった。


千葉のかずさの森でこどもたちと川あそび。千葉にくるのも、これでしばらく途絶える。


21歳。本当に波乱の年だった。身近かな人が死んだ。放浪もした。精神病院にもはいった。みみずくの人生がぐるぐるとかき回された。一年前の晩、こうなることなんて思いもしなかった。


耳をすませば、虫の声。夜に研ぎ澄まされ、鳥たちの寝息さえ聞こえる気がする。とりあえずは、生きて、23年目の朝日を迎えることができそうだ。みみずく、齢22。