今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

支援学級

2013年5月20日

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これまた架空の話である。

小銭を稼ぐというより、

一ヶ月半で、無職の生活と勉強の毎日に飽きてしまったみみずくは、
 (仕事を辞めた次の日は、永久に休みが続けばいいのにと思っていた。)


のこのこバイトに出かけた。近所の学校だ。

支援学級の介助者ということで

「み」は、がっつり体交、全介助、車いす上等 リフタ―もこい! と、

勘違いをし、重度・重複障害の生徒さんを勝手にイメージした。
実際、支援学級に、最重度のお子さんはいないだろうに。

教室にはいる。

緊張する「み」

ヘルパー4年にして、はじめて出会う軽度発達障害の生徒さん。

一対一のつきっきり?

軽度発達障害?

いや、特別支援教育のレポートを書いてたもんで、、
子どもをみるまえに障害に目がいっていた。
机上の学習は頭でっかちになる。

なぜ、最初に障害をみる? 

あの子はADHDだ。
あの子は自閉症だ。
あの子はきっとダウン症だな。21番トリソミーだな。

ばかやろう。
それは確かに間違っていなくても、
レッテル貼りというもんだ。

ある生徒が近寄ってきて「み」に言った。

「俺、支援学級だから」

その言葉に含まれるいろんな意味をみみずくは考えた。

話は変わるが、
ヘルパーをやっていると、信じられないだろうが、
自分のの中に差別だとか排除だとか、人間の汚い部分をもっていることに気づく。
誠心誠意を尽くして患者はやっていると思っているし、そう言われる。
しかし、天使のように笑っていても、心の中にはやっぱり悪魔がいる。

看護師が、患者を殺すように。
警察官が、犯罪を犯すように。

 大切なことは、自分は善人なんて思わぬこと。
自分の中に天使もいれば、悪魔もいるってことを、
忘れるな。

そう気付いた以上、レッテルは、はらないで。
「○○障害の心理、生理と病理」は、知識として、とりあえずもっておけ。

そっからはいっちゃ、だいぶ偏った人間像しかとらえられないだろうよ。





あいうるら えれりおろ

2013年4月16日

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こんな夜更けに 「あいうるら えれりおろ」 とつぶやいている。点字で1234567890を覚えるのに、どうしても覚える必要がある。「あいうえお かきくけこ」ではない。「あいうるらえれりおろ」なのが不思議だ。


 ○● ●○ ●○ ●● ●● ●○ ●● ●● ●○ ○● ○●
 ○● ○○ ●○ ○○ ○● ○● ●○ ●● ●● ●○ ●●
 ●● ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○ ○○



   1234567890

3時間前まで意味不明であったこの凸字の羅列が、
いま読み取れる!


家の洗濯機にある点字と、缶ビールの点字が読めるようになった。
暗記が大の苦手なのに、一晩でかなを全部覚えてしまった。

http://www.tenji-naiiv.net/study/ 
「ひとりで学べるたのしい点字」

ほんとに一人で学べた。
子ども向けの教材で、スモールステップで綿密に設計されている。


 * * *

フルタイムの仕事をばっさり辞めて勉強の時間ができたと思ったらとんでもなかった。拘束されない、自由な生活は自己管理がとても難しい。

みみずくのいつもの癖で一週間足らずで昼夜逆転。どう矯正しようとしても治りそうにないし
覚悟を決めた勉強も、集中できなくなって手に付かなくなる。仕事を辞めて独学をするのは、
思っているよりも孤独な作業だった。


けれども、意外に身に付いていることを発見すると、あ、楽しいなと思う瞬間がある。

あいうるら えれりおろ
あいうるら えれりおろ
あいうるら えれりおろ

2013年4月 みみずくは何をしているか

2013年4月15日

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今月より みみずくは晴れて無職となった。
肩書きだと通信の大学生 実質は無職の1人暮らしである。


誰も読者はいないが、生きているという記録を
残しておくのに、すぐどっかにいってしまう紙切れよりかは
 この「月夜のみみずく」はちょうどいい。

前回の投稿が半年前で、飛ばされた先の病院は半年我慢して、年度末でおもいきって辞めた。

ヘルパー4年になるが、改めて思うに、悲しくなるくらいひどい、かつストレスフルな病院だった。

 * * *

26歳。

人生に遅いということはないというけれど、やや詰んだ感じはある。
ことに無職という状態は。たとえ計画的であったとしても、空恐ろしい。
 
このブログを始めた2007年、当時のみみずくはこの状態をみたら
何というだろうか。階段上がりの終身雇用を信じていたから、無職なんて信じられないだろう。

2008年のみみずくなら、
精神病院から脱出できたんだね、しかも4年働いたなんて。おめでとうだな。


当時の同期たちが今月になって3人結婚するという。
そういう喜ばしい風の知らせを聞く時、ふとさびしくなるのも事実だ。

  * * *


ほったらかしのブログを今日更新したのは、
別にこんあことを書きたいわけではなかった。


14日、昔、みみずくが世話になった先輩の命日をすぎたからだ。


いまは神棚に置いてある懐かしい写真に、
インスタントじゃないコーヒーとお酒をちょっとささげて。


忘れてもいいよ と あの世の人はいうかもしれぬ。
だが忘れてないよ、というより、忘れることはできない。


ヘルパーだったから、何人も死に別れた。
だけど夭折は別だ。

とにかく、今やるべきことは決まっている。
ここ2、3日はかどっていないが、

学校の免許をとりなおし、教員へ再度挑戦する。
特別支援学校。

みみずくは、ばかにもされ、飛ばされもしたが、負けない。
いまは精神病院以来の最悪の状況だが、

これもまた、振り返ればプラスになるものだと確信している。
  









1年ぶりの投稿

2012年11月28日

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重心施設より1年で異動、10月より
Y市の総合病院の整形外科入院病棟で働くことになった。

みみずくは前の職場で、みみずくらしく、
不祥事を起こし、「懲戒」をくらい、
免職のおそれもあったが、
飛ばされただけで済んだ。


辞めてもよかった。けれども次の仕事もないし
このご時勢仕事があるということはありがたい。
だから恥を忍んで働くことにした。
恐れ多くも天のははからいとさえ思える。

いろいろあってのことだが、あえて書く事もないと思い、
一年あまり更新が途絶ざしていたが・・・



以下、看護部への入職に際して、提出した書類。
看護部に入植といってもみみずくはなんちゃってヘルパー2級で、
まさか病院で働くことになろうとはつゆも思いだにしていなかった。

   * * *

看護に対する私の考え


○○病院看護助手 月夜のみみずく


卒業後、認知症を患う高齢者のグループホーム、特別養護老人ホームにおける介護の経験と、1年あまり当法人の旧重症心身障害児施設XXXにおいて、児童指導員をさせていただいた経験を生かし、未熟ではありますが、今の私の考えを書く事に致します。   



看護とは私の理解では、医師と患者のあいだを取り持ち、患者の心を含めて、総合的に回復に導く仕事です。回復とは、患者の「病」「怪我」を治すこと、福祉の言葉を使えばQOL、ADLを向上させることも重要な役割です。同時に、高齢社会の今はとくに、生きるものには抗うことのできない確実な「老い」と「死」に寄り添う役割が増えてきたことも、付け加える必要があるかと思います。


 
だいぶ話が飛びますが昨日のことです。引越し先の平屋の畳替えの途中で、床下に潜っていたところ、猫の白骨がでてきて、思わず声を上げてしまいました。ちょうど私が布団を敷き寝ていたとなりで、何十年も日の目にあたらず、眠り続けていたわけです。

はじめは怖いと思い、そしてだんだんかわいそうな気がして、庭で火葬し荼毘に伏しました。けれども意外なことに大工さんや畳屋さんの話では、それはいいことだと言っていました。すなわち、猫は死に目を見せないように、死期を悟ると、世話になった飼い主の家の軒下で息絶えるのだといいます。けだし、いわゆる野垂れ死には、人間以外のすべての生命では自然のものであり、むしろ病院のベットで、治療を受け、ときに最期を迎えるということが、いかに特殊なことであるかということを痛感しました。そして最初は怖いと思っていた猫の表情にどことなく、死に際まで貫いた意地と安らかさを感じられたのでありました。



ともあれ、老い方や死に方は異なれど、病や死は、人間・動物関係なしに、必ず訪れるのは少なくとも間違いありません。これほど確実なこともありません。人間においても、病のもとでは、どんなに地位が高かろうが、お金を持っていようが(社会的な飾りと言えると思います)、同じ浴衣を着せられ、同じ日に入浴し、病気という現実をまえに、人は平等です。(もちろんそこには苦しみだけでなく快復する喜びもあるのですが)



そう言った意味では病院というのは、大げさに言えば、人が自分の人生に向き合う時間と場所を提供するところとも言えます。宗教のない日本人にとってそれは、教会に変わる場所と似ています。



そんな時間、場所において、私たち医療職、ことに看護職は何をすればいいでしょうか。



正確に薬を投与したり、優れた手術とリハビリを施したり。肉体的な苦痛を軽減し、元通りの状態に回復するよう、西洋医学の科学に基づいたさまざまな手法で、手を尽くす。  

もちろんそれは病院としての絶対的な条件です。



そしてそれは必要最低限の条件でしかありません。



そこに、患者さんの心に寄り添い、苦楽を共にする姿勢や、心配りがどれくらいあるか、それが病院の善し悪しを決める条件になってきます。病院の良し悪しだけではなく、それも、患者さんを恢復に向かわさせる、医療行為同等の大きな原動力になると考えます。これは残念ながら、医療点数をはじめ数値で表すことができません。

 

看護職は、もっとも患者さんと接する時間の多い、つまり隣り合わせにいる職種です。ですから、以上に述べた、プラスの条件が、大切になってくると思います。言葉にすると簡単ですが、苦しみを分かち合う。これはしかし一体どうすればできることなのでしょうか。よくきく「傾聴の姿勢」であるとか「カウンセリングマインド」で果たしてどこまで苦しみは分かち合えるのか? 



私にはまだわかりません。もしかしたら、詳しくはまだ知らないのですが、当法人のスピリチュアルケアが関係してくるのかもしれません。



いずれにせよ、昨日の猫も、私たち人間も医者も看護師も看護助手も患者さんも、一回限りの生命ということだけは平等で、長さは違えど同じ線上を歩んでいます。誰しも直線上で、もしかしたら病があり、怪我もあるかもわかりません。職業上、ケアする側とされる側という関係に立っているだけです。そういったときにくれぐれも「私が」という一人称一視点に陥らず、俯瞰して、相手のことを深く思いやれる、そういう仕事ができればと考えています。

こんどこそおしまい

2011年12月28日

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写真の本とは全く関係ないが、

区切りがよいところで放置気味のプログを一新したい。


いままでは統一性のない私的な日記だったが、


これからは読む人のささやかな役に立つ情報発信のプログをめざす。


記事の基本構成は


みみずくの関心があり、なおかつ生活の中心として実践もしている2つのカテゴリーに分ける。


1福祉、とりわけ重心での仕事に関する記事

2野外活動から防災に関する記事


来年度、五年あまりつづいた月夜のみみずくは変わります。ご期待下さい。


それではね。よいお年を。

夢の結婚式

2011年12月16日

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みみずくは親友の家にいる。ここは地方都市で夕方であたりは暗くなりはじめて。こんなにのんびりしてちゃ式にまにあわないんじゃないの? ひとりだけあわてている。


式場のある東京に向かう手段は友人の車だけ。もう式場は多くの人が集まっている頃だろう。


東京にいくのに、なぜかのんびりと山の装備を揃えている先輩がいる。アウトドアメーカーに勤めていたので、


みみずくは、自分が買ったばかりの薄いモンベルのインナーダウンをみせて、「これじゃあ寒いですかね…」


友人の女の子の結婚式の時間は迫っている。


高速を飛ばしてもつくのは暗くなってしまう。


いつも大事なとき、こんなにのんびりしている仲間・・・




「早いよね、こんな日が来るなんて」そうだれかが小さく呟いた。

視界が光に包まれ白くなってゆく・・・


* * *


目が覚めた。


みみずくの友だちである彼女は結婚もしていないし、その予定もない。


ただいずれそんな日も来るだろう。

妙に懐かしい感じの夢だった。

眠れないので続きを

2011年12月14日

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先ほどの話ではないのだが、


最近なんで自分が福祉なんて仕事をやっているのか考えてる。それもきまって便失禁おむつを替えているときだ。


介護の仕事の基本中の基本、なおかつその一挙一動で介護経験数がバレてしまうもっとも高度な職人技が求められる排泄介助。


その排泄介助をしているとき、みみずくは狐につままれた?気分になる。


これまでオムツなどというシロモノに無縁だった人生を歩んできた我。みみずくの育った環境は福祉と無縁だったし、それに 教師は家業みたいなものがあって、教育大を出たし、実際いまでも教師にならなくっちゃというおぞましい脅迫観念がある。


思いあたるのは…

それはまだみみずくがひよっこ学生だった、ある深夜の衝撃的な一光景であった。


病院のなかだ。


みみずくはやはり今日と同じように不眠だった。不眠といえば格好よい。それは明け方に服用する大量の睡眠薬と、それを超える日中の惰眠によってもたらされる不眠であった。

生まれてはじめての入院
ナースステーションの廊下 で本を読んでいた。かろうじて本を読む、ないしは読むふりをすることが、「わたしは入院しているがここにいる人たちとは違う」学生なんだというわめて脆いアイデンティティを保っていたのだろう。病識がないというやつである。実際のみみずくは突如歌いだしたり、泣き出したり、怒りだしたり、制御困難な立派な患者であった。ここにはかけない恥ずかしいこともいっぱいある。


さてその廊下の一番の奥の病室から、仲間である精神病者の叫びこえが聞こえたと思うと黒いものかげが廊下に飛びだしてきた。


黒いものかげは患者であり、なおかつその黒いものかげは、大量の同じ黒い液体を闇の中でも白い廊下にだらだらと流している。


その直後もうひとり別のものかげも飛びだしてきた。


恐怖感が0から一気にそこなし沼になる。


(続く)

いまのわたし?

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久しぶりの投稿になる。
しかもみみずくらしいマイナス思考がたの投稿である。


blogに毎日のように書き込みをしていた時期もあった。大学生の時は1日に何回か、という日も。


それがいまや月一だ。


精神活動の衰退。表現欲求の低下。


日々の生活に入り浸ると、脳は必要以上に働かない。語彙は目に見えて減りIQは低下する。


もはやみみずくは小学校の漢字をすべて書ける自信がない。
ついこの間も「摂取」とかくべきところを「接取」と間違えた。


そうでなくとも一般に人間の知能指数は25歳あたりを境に低下してゆくらしい。諸行無常、自然の摂理。

さてIQを高めるためには、IQのすこぶる高い人と接すればいいと云う説があるらしいことを知った。英語のスピードラーニングとに似ていて、ただ聴いてりゃ自分の脳が自然のシフトチェンジをするのだ。なんと楽な。


というわけで、メディアをとおして天才といわれる人の会話をいろいろ聞いてみたりする。


しかし天才という人の話は、ようするに、本人の頭脳のなかでは繋がっている思考が、コトバという表現手段になると、とびとびすぎて、一般人のみみずくのサビたあたまが万一影響されでもしたら、ただの支離滅裂になってしまう。


こんな方法ではなくて、もいちど勉強をしたいとも少しは思う。漢文の素読とか。日本史のある特定の部分とか。


でも日々の仕事でいっぱいいっぱいだ。


重心の仕事3ヶ月目となった。