今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

抹茶クッキー

2008年12月20日

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2つの研究室合同のクリスマス会。今年も先生のお宅にお邪魔する。

抹茶クッキーを焼いてもっていく。教授はクッキーの配合はむつかしいといったが、フーコーよりは断然、簡単である。

Fw:こんばんは

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ニョロ久しぶり。
元気にしてた?
俺は、しばらく元気だったけど、先月風邪を引いて仕事を休んでたよ。
すっかり治って、先月の中旬から普通に行ってるよ。

後わずかで今年が終わるけど、ニョロにとってどんな一年だった?

たまには、俺から手紙を送るよ。
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…… 「月夜のみみずく」、たまにふとしたきっかけで、「にょろ」になる。いろんな名前を持つといいかもね。切り替えがうまくできて、「らしさ」を発揮しやすくなる。問題はだんだん素顔がわからなくなることだけど、そもそも人間なんて、心臓が動いているうちは、常によそゆきの顔なんだ。

「にょろ」は、「月夜のみみずく」がいつもかつも調子が悪い、誰がわるい彼が悪い、などと嘆いてばっかいるせいで、今年一年ほとんど登場せず日の目をみないまま年末になってしまった。通算3日くらいかな、「にょろ」だったのは。


「月夜のみみずく」は、頭んなかでごちゃごちゃ考えて、口ばっかりでほとんどなにもしないみたいだ。しようとしても、できないと思いこんでいるため、できない。いつも満月の晩を待ち焦がれて、欠けた月の晩はぼやき、昼間は寝てばかりの駝鳥。満月の晩はいつもうっかり寝過ごしてしまう。


「にょろ」は、ようするに臆病なちびへびで、だけども、たまに果敢になにかにぶちあたっていくものの、あとから「あーこうじゃったわい、やってもうた」とあわてて家にもどって鍵をかけて引きこもり、「みみずく」に化けてしまう。

だからね、今年一年、「にょろ」としてはほとんどなにもしなかったと言うほかないんです。

どうでもいいことかもしれないね。そうだ、面白い夢をみたのでそれをかこうかな。

いまさっき、夢をみたんだ。中学校に遅刻する夢だった。電車にのるたびに行き先が間違ってる。しまいに走っている特急列車の外壁に飛びついてみたりして、ようやく学校のある駅にたどり着いた。するとどうだろう。遅刻した仲間の群集で前に進めないんだ。人をかき分けてみようとして、それでも学校にはたどり着けない。

でもふと、いま自分が大学生だってことに気がついたんだ。こんな時間に学校に行かなくてもいいってね。いつも寝ている時間じゃないかってね。

そうするとどうだろう。僕は、ほかに行くところもないので、行き交う中学生たちが、学校に行けないよう邪魔しはじめたのさ。

なんのために必死になって学校に行こうとしたんだろうね。

さて、仕事は順調ですか?家族は元気ですか?
今年一年、ありがとう。
これから、どうぞよろしく。年賀状書きます。

にょろより

ココロ この複雑な問題

2008年12月15日

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寝ている時間が多いが、寝ても覚めても卒論である。こころの教育である。

調べれば調べるほど胡散臭いことばだ。曰わくいまの子どもは生と死の境の意識が希薄だ。それは核家族化によって死に接する機会がないなどの生活体験の不足、生物の生き死に接する自然体験の不足による。命の大切さを子どもに伝えるためには、自然体験をさせたり介護体験をさせればいい、ペットを飼って、つまりは死なせればよい、はてはクラスメイトの父母の死を授業で扱えばいい。


……これが正気なら、残酷である。確かに死を扱うことは、極端にタブーになっているかもしれない。しかし、誰もがそんな簡単に扱えるものではなかろうに。まして意図的に教えるられるものなのか。


真剣に会議や懇談会を開いてギロンするのは結構だ。しかし、いくらなんでもこんな提言はなかろうよ。日本の教育行政や有識者といわれる人たちの考えをくむことができない……「こころのノート」を作って、実際自分でも授業をして賞賛している河合隼雄さんは、心底それがいいと思っていたのだろうか。なぜ臨床心理学の権威がこんな右ならえの教材を作ってしまったのか。もしかしたら身を削ってまでの皮肉なんじゃないのかとも思う。そうだとしたら偉大な人だ。


人間の奢りか。名誉教授だの文化庁長官などという権威を手にすれば人はだめになるのか?せめて嘘ツキクラブの部長ぐらいでいたら、もっと違っていただろうに。


生きているなら、京都大学までこのことを本人の前でいいたい。

卒論が複雑怪奇になってしまうのはあなたのせいです、なんていったら、どう返されるだろうか。

お墓参り

2008年12月13日

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朝から食堂でクッキーを作る。

午後から後輩の車で飯綱へ。

二時間くらいご両親と話しただろうか。辺りが暗くなるころお墓へ。三回目かな、ここにきたのは。たまたま月命日だったので、ご両親は墓前で般若心経を唱えた。

飯綱山からそよ風が吹いてきた。

生前、もっとたくさん話をしたかった、と痛切に思う。

夜は夜のつぶやき

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●本日は診察。「とりあえず生きていられるから大丈夫」、「簡単に治らないから、我慢してあきらめなさい」といわれ、笑ってしまう。パキシル10mg減薬へ。五千円近い医療費用は、この程度の助言と製薬会社に支払われている。


●帰ってそうそう寝る。夢を見る。亡き先輩らしき人?(髪型や面影が違った)が亡霊になって出てきて、僕は仲間と一緒にその人を囲んで楽しく話している。お父さんはたまらなくなって泣いている。なぜかお父さんには見えないのだ。僕は亡霊の様子を伝える。明日寮の仲間と飯綱に行くからきっとこんな夢をみたんだろう。


●深夜、目覚めて卒業論文、子ども死生観について書いているところ。死んだ人が生まれかわると思っていることが、命の軽視に繋がるなんて単純なことはいえない。問題は、このような意味の薄い調査をして、道徳教育で心を扱うことが、問題の解決に繋がると考える思考だ。こころは直接的な働きかけで変わる部分もなくはないが、大部分は日頃の生活の経験の収束であるからだ……と、こんなふうに文章がひとり歩きして、思考の過程を記したもので終わりそうな気がする。それは果たして論文といえるか。まだ数ページしかかいていない。間に合うかやや不安で気が重い。


●愛しい、と書いて「かなしい」と読む。なんとなくわかる気がする。かなしむことは必ずしも悪いことではない。かなしみは隠すべきではなく、共有してこそ、そこに癒やしが生まれるものかもしれない。

伊那行き

2008年12月10日

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伊那の名物、"じゃんかつ"というものを食べた。ゼミの同期と。

ご飯三合のうえに、二人前くらいのカツがどかんとのっている。これだけ食べれば、一週間なにも食べなくても平気な気がするほど、もったいない量なのであった。


4人注文したが、体重の一番軽いみみずくだけ完食した。油がふつふつと体をめぐっている気がした。最近、玄米と野菜ばかり食べていたからよけいに。……ごちそうさまでした。もうこれ以上も新しく望むものは、なにもないです。


食べた以上、そのエネルギーを有効に使わなくては豚さんに申し訳がたたぬ。だから、……今はお腹が苦しいから……明日から、頑張ろう。

それに今日は、いろんな人たちと接して、自信をもらえた。伊那と長野の往復、話せる時間はたくさんある。


いただいて生きている。与えられて生きている。支えられて生きている。と、感謝しつつ眠りにつく、夜でした。

Just what you need. Cookie Break!

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今日は寮の集まりがあったので、土曜日に飯綱へ行く人を呼びかけた。


そして何をもっていこうか話した結果、クッキーを焼こう、ということになった。クッキー。なんだか明るい感じでいい。作ったことないけれど。クッキーだって!!考え
ただけで楽しくなる。いいアイデアだと思う。


寮の仲間の力、大きい。一人では、できないことが、できる。


きっとよろんで下さると思う。そして元気がでるよ。みんなでクッキー食べれば元気がでるよ、きっと。


とことん甘いのをつくろう。頭が甘さでいっぱいになるくらいの。よし。

22歳

2008年12月8日

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最近、感謝することを忘れている自分。
自分のことばっかり考えている自分。
レポートを書きながら、進路の事をもやもや考えていて、何とはなしに22歳と検索してみた。

晴海22歳の闘病日記 ~死ぬまで生きた~
http://ameblo.jp/toubyou/
11月25日、僕は癌だと告知を受けました。長ければ半年もつそうです。やりたいこととかまだ、思いつかないけど、何か記録をつけたいと思いました。


同じ歳で、こんなことを考え、生きていた人がいたことを知る。
はっとさせられた。

飯綱町から

2008年12月3日

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夕方、見慣れない番号から電話。先輩のお父さんからだった。


たくさんの野菜とリンゴを寮に届けて下さった。なんてお礼をいったらいいか。


昔の事務当番日誌があったから、お見せした。たくさんの書き込み。なにかもう字のかたちだけで、わかる。間違いなく、生きていた証。


今度お会いするときまでコピーしておきますね、と言った。やっぱり欲しいそうだ。あたりまえだよ。かけがえのない娘のものだもの。

「いつでも遊びに来て」といって下さった。寮をでていく時、お父さんの後ろ姿は、すごく寂しくて切なかった。もう、僕はどうしたらいいかわからない。


先輩、いま、どこにいるの? なにをしてるの?


お父さんの姿をみると、なにもしないではいられなくなる。けれど、自分に、なにができる?


なにができますか?


それは、これからもずっと先輩の家族と関わりを持ち続けていくこと、なのかもしれない。