今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

初一人夜勤

2009年9月25日

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昨晩は初、一人夜勤であった。 PM18:00~翌AM08:30

まだ暗い四時、センサーアラームがなり、お一人が元気よく徘徊しはじめる。その音に気がつき、もう一人が失禁しながら廊下に飛び出してきた。

みみずくしかいない。助けはよべない。

排泄介助をし、廊下からトイレまで点々と尿の池を雑巾で譜拭いていると今度はいつもはなかなかおきない二人も起きて・・・

5時、非常階段からあがってきた職員はこうこうと電気がつき、テレビを見ながらお茶をすすっているご入居の姿を見て唖然としていた。

(この先輩職員は一番初めに起きてきた徘徊するおばあさんと朝の4時間を一対一で付き添う「バイト」をしているのである。みみずくも月三回入っている)


さて、戦場はあっという間にすぎ、日の出までにはほとんどの方の起床介助、着替え、排泄介助を終わらせてしまった。後は夜中に作っておいた朝食を配膳するだけ!


料理も最近は、知っているものなら何でもできるような気がしてきた。ハンバーグだとかピザだとか作ったことのない洋食も、適当にコツを教わって作ってしまった。天ぷらもカリカリに揚げられる。魚だって包丁さえ研げていればさばける。

ホームヘルパーの資格はお金で買うかみきれ、職員はいう。

もぐりの介護職員、月150時間(プラス20時間+アルバイト16時間)働いて、給与は年金やなんかを引かれて十五万にとどかない。

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秋祭り

2009年9月14日

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一昨日、グループホームでの行事、秋祭りがありまして。すごくいい写真がたくさんとれたのですが、プライバシーのため、のせません。





100歳ちかいおばあちゃんが花輪を首にかけてばんざいしてたり、利用者さんや職員の子どもたちがはしゃぐ姿だったり。



老若男女、どの顔も、その人柄がにじみ出ていて。






みみずく四日連続勤務で、とどめにあすは朝5時から9時まで仕事。そうしたらやっと一日だけ休みが取れる。きついが、それなりに楽しいことも多い。




生と死のはざま 

2009年9月12日

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昼、いつものように、x等で一番介護度の高い方の食事介助をしてた。完全ミキサートロミ食。


はじめはいつも通りだった。


しかし次第にいつもと比べ様子がおかしいと気がついた。


なにかがちがう。


体温計を出した。(いま思えば賢明な判断だった)


8度を超えていた。


リーダーに報告。


体温はみるみる上がり8度五分に。サチュレーションも70パーセント台になった。


リーダーは経験からまよわず救急車を要請した。

救急退院は意識を確認するため「手を握ってください」といったが、発話もままならない認知症、それは無理なことだった。


救急車のなかでは40度をこえ、嘔吐もあったらしい。


診断では誤嚥性肺炎…食介にミスはなかったはずなのに……みみずくの行為が、この人を死なせるかも知れない・・・


……思いがよぎる。昨晩となりの棟で一人が肺炎で亡くなられた。


今年で三人目だ。


顔なじみのあった職員は悲しんでいる。みみずくはよくわからなかった。九十を超えての死は、厳かなことではあるが悲しいこととは限らない。ましてやめでたいことでもない。


同じ命でも生きたくても耐えられなくて死んだ、いまはみみずくより年下になってしまった先輩を思う。


あのとき心臓がやぶれるくらいつらく重くて……もし身代わりできたなら、何度も思った。


いい人ほど死んでいく。優しい人から死んでいく。神様みたいな人に限って早く死んでしまう。


これほど無慈悲なことはない。これほど無慈悲なことは……

介護はきつい仕事ではない

2009年9月11日

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みみずくは、4ヶ月目にして認知症の介護に、はじめて先輩から"向いてる"といわれた。


……下の世話からなにからなにまで、別に大変とも辛いとも汚いとも思わない。不思議なことに、なんの抵抗もない。要介護度がいくら高くても。


両腕が排泄物まみれになっても、生物学な危険については知っているから、別になんとも思わない。漂白剤とエタノールがあれば、全く大丈夫……


思いだすと、はじめての排泄介助や食介は高校生の時、ボランティアで老人ホームの仕事をやった。生きずまって苦しいときたまたま見つけた。


いま、非常勤なので給与は少ない。まともに生活できないくらい。しかし少ない分、入居者と家族の負担も少ない。ここのグループホームは、恵まれた環境にありながら横浜市の助成金もあり、格安の部類に入る。一次入居金50万円。月かかるとしても最大10数万円。市でももっとも安い部類に入る。


民間の有料老人介護施設ならば入居金1000万などざらだなのに。


それに比べればここは、安くて、住みやすい。職員も優秀。


みみずくはそこ今日も明日も働く。

職場で話題になった曲

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樋口了一
「手紙 ~親愛なる子供たちへ~」


年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても

どうかそのまま私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れても

あなたに色んな事を教えたように見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても

その結末をどうかさえぎらずに聞いて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の暖かな結末は

いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ 消え去っていくように見える私の心へと

励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひとときに 私が思わず下着を濡らしてしまったり

お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて

いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に

祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ足も弱り 飲み込むことさえ出来なるかも知れない

足も衰えて立ち上がることすら出来なくなったなら

あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように

よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい

あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど

私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように

私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと

あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ

愛する子供たちへ

http://www.youtube.com/watch?v=VIys43kR5S0



「償い」 

作詞・作曲 さだまさし

月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに

必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった

仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと

飲んだ勢いで嘲笑っても 

ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

僕だけが知っているのだ 

彼はここへ来る前にたった一度だけ

たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ 

配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に ブレーキが間にあわなかった 

彼はその日とても疲れてた  

人殺し あんたを許さないと 彼をののしった 

被害者の奥さんの涙の足元で  

彼はひたすら大声で泣き乍ら 

ただ頭を床にこすりつけるだけだった   

それから彼は人が変わった 

何もかも  忘れて 働いて 働いて  

償いきれるはずもないが せめてもと  

毎月あの人に仕送りをしている 

今日ゆうちゃんが僕の部屋へ 

泣き乍ら走り込んで来た 

しゃくりあげ乍ら 

彼は一通の手紙を抱きしめていた 

それは事件から数えてようやく七年目に初めて 

あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り 

「ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました

だから どうぞ送金はやめて下さい 

あなたの文字を見る度に  主人を思い出して辛いのです 

あなたの気持ちはわかるけど  

それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」   

手紙の中身はどうでもよかった それよりも  償いきれるはずもない 

あの人から  返事が来たのが 

ありがたくて ありがたくて  ありがたくて ありがたくて ありがたくて   

神様って 思わず僕は叫んでいた  

彼は許されたと思っていいのですか  

来月も郵便局へ通うはずの  

やさしい人を許してくれて ありがとう   

人間って哀しいね だってみんなやさしい  

それが傷つけあって かばいあって  

何だかもらい泣きの涙が 

とまらなくて  とまらなくて とまらなくて とまらなくて

http://www.youtube.com/watch?v=7-G1jyF5PF4

夜勤中

2009年9月7日

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今晩はx棟で夜勤。最初は二人体制にて、徘徊転倒の危険のあるご入居の部屋で午前一時まで寝ることに。


幸い今晩はいまのところ静か…… 明日の9時まで15時間勤務。

東京の記憶

2009年9月6日

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○○福祉会××とかかれた一台のリフト車が首都高を走る。日曜の夕方。

東京 日本の首都。世界の主要経済都市。高層ビル群、はりめぐらされた地下網……羽田空港、品川、銀座。江戸城の皇居。無数の立体が近ずき遠ざかり。


一度も降りない、止まらない。車のなかから景色眺める。


自分の生きた年月より遥かに若い建造物。

2時間弱の間で横浜の最南端から都心を往復したあと、まるで何もなかったかのように帰宅し3時のお茶を飲む。


飲み終わる頃には半分くらい忘れている。夜にはまるで覚えていない。

2009年9月4日

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コンソメパンチ様

ご心配をおかけしてしまったようで申し訳ございません。後日、ぐーすか。あの晩はすこし神経が高ぶっていたようです。睡眠障害とまではいきません。また、幸いにしてか不幸にしてか、現在も精神科に通院しているので、不調があれば相談できます。


さて、文面に「何も解らなくなってしまった人は…」とあります。それはいつも思います。今日90歳を迎えたおばあさんは、ご飯をお出しするとと必ず「料理屋さんにいったみたいだよ」と何回もいいます。「みんなにいろいろしてもらって幸せだよ」と何回もいいます。ドキュメンタリーを作るとして、こんなシーンだけを切り取ってつなげれば「ほほえましいもの」ができます。


ほほえましいけれど、ドキュメンタリーとしては嘘だし面白くもない。


現実は、このおばあちゃんは小さなことに固執し、愚痴だとかや嫌味もそれ以上に何回も何百回もいいます。まるで姑が嫁をいじめているようにきつく、毒々しくいいます。そんな生なましいシーンを適度に(笑)加えて初めて味のある映画ができると思います。


どこまでが紛れもないその人なのかか、どこまでが認知症なのか、素人目では判断がつきません。まして幸せかどうかなんて、わかりはしない。


不幸でないことが幸せなら、衣食住が与えられているここの住人は、「幸せ」だとみみずくは思う。しかし「親族から見放されて」という条件なんかがついたりすると「不幸」なのかなとも思う。わからない。


認知症であれ、精神障害であれ、さらには健常なのひとであれ、他人の立場からすれば幸せにもみえるし不幸にもみえる。ただそこで大事だなあ、と思うのは、たとえ認知症や老化が進んで言葉すら発することが困難になっても、その人の表情の微細な変化やささいなしぐさで、感情や意思は読みとれるということです。「幸せ」かどうかはわからなくても、悲しいとか寂しいとか、うれしいとか楽しいとか調子が悪いとかいいとか、快適か不快かはわかる。

それを頼りに介護していくほか、ないのかもしれません。

眠れない恐怖

2009年9月3日

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朝から夜まで働き、鉛のように重く疲れきっているはずなのに、もう五時間たつ。寝返りをうちはじめてから…


(なぜ 眠れない…!?)


(眠れないなら、思いきって本を読むなりすればいいのに、眠ることばかりに神経を使った……だからどんどん眠りから遠ざかっていくんだ……)


闇のなか、無意識に自分の生きてきた道のりのあら探しをしていた。そうしていると、同じように眠れず、病院から脱走することを考えていた病床の自分と重なっていった。


(あのときの不安の底に、また、陥るんじゃないか)


背筋がぞくぞくする……

怖い。


となりに誰かいる?


だれもいない。


いま誰の為に 生きてる?


はっきりしない。


死ぬことより、いま生きてることがはるかに怖い……、そう思える夜だった。


精神的な休みが必要だ。