今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

7月最後、涙す

2009年7月31日

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本日α棟最後の勤務。
夕方まで順調、夕方からミスを連発する。


風呂の湯が少なかったということで、ご入居より激しく叱責される。


職員から叱られるのは毎日だが、ご入居からこんなにも激しく怒られるのは最初で最期だった。


あんなにみみずく、泣いて頭をさげる。最後の最後で……厳しい洗礼ということか……


明日からは、次元の異なるX棟勤務。介護度3、4、5。かなり厳しいらしい。情報収集のためまた残業。


次元が異なるとはいえ、みみずく、精神病院経験者、多少のことでは驚かないつもりではいるが。

……帰宅すると木曽川サマーキャンプの班員12人の子どもの調査書が届いていた。


手元に今日もらったX棟の9人の老婆の調査書と並べると21人。ドサッと封筒にはいっている。


みみずくの錆びた頭で21人を解析しているが、さっぱり、予想がつかない。


8月は正念場だ。

死なないで生きて

2009年7月30日

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夜8時に遅番業務を終え、夜勤者と交代したあと、来月から勤務するX棟へ向かった。情報収集というより、気持ちの準備のためといった方が正確だ。


X棟ではターミナルで戻って今日退院してこられたご入居が生死をさまよったあとだった。一時はサチュレーション75まで低下していたが、その時点でみみずくが測ってみると95に回復していた。もう夜も遅い。


意識はないようで、しかし手を握ると、トントンとリズムを刻んだ。声かけする「来月からX棟に勤務のみみずくです!よろしく願います!」意識は、ある。


(みみずくの祖父が一年の植物状態をへて、みみずくが手を握って帰った番に亡くなったのを思いだしてしまう)


はじめてあったひとが、最期を迎えつつある人だなんて。人生のすれ違い……


どうか、もすこしだけ生きてください。

terminal care

2009年7月27日

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「ターミナル」"terminal"=「終着」、てんじて「人生の終末期 」


"terminal care" =≒回復の見込みのない疾患の末期に、苦痛をやわらげ、精神的な平安を与えるようにする介護


8月から移動で別の棟のグループホームにいく。入居者の介護度は格段に上がる。4以上は普通かもしれない。いまの棟の平均は2〜3である。それでも必死だ。


まだ試用期間のみみずく、この配置替えに、脆弱な神経がもつかどうか。

新しい棟では終末期を迎えた入居者が退院して戻ってくるという。明日、看護士から吸引機の使い方をレクチャーをうける。どんな講義よりも必死だ。


アルバイトと思って、はじめた仕事。コンビニより安い時給850円の仕事。しかしそんなことはもう、どうでもいい。福祉の仕事は、世間から偏見の目で蔑まれることが多い。曰わく、「汚い、臭い」、曰わく「ボケ老人の世話」。「よくやるね、優しんだね」

みな人は老いる。老いれば助けがいる。この仕事は命と尊厳に関わる神聖な仕事だ。……はじめは考えもしなかったけれど。


「私」が 時代を生き抜いた人を、最期のサポートする。苦痛をとりのぞき、少しでも、楽になるように。尊厳をもったまま最期を迎えるために。


「月夜のみみずく」が一緒にいる。だから大丈夫だよ! そう、いってあげられずに露と消えた人を思う。いつも。

最悪の事態を想定して

2009年7月25日

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夜勤のあいだ、水銀血圧計による血圧測定、血中酸素濃度の測定方法、緊急時の連絡について勉強した。血中酸素を測るサチュレーション(SpO2)に関しては、みみずくが喘息なので使ったことがあった。 これは指にクリップを挟む要領で簡単に測定できる。


水銀血圧計は、独学で自分で自分をはかってみた。まだかなり怪しい。しばらくは機械に委ねるとする。


気道の確保や心肺停止した際の蘇生の方法は、これまでなんども練習した。が、これまで実践した経験は幸いにしてない。それに、老いたる人の場合、すでに冷たくなって発見される場合も少なくないらしい。


老衰死を事前に知る方法はない。考えようによっては、人間のもっとも自然な死に方かもしれない。

検死は当然医師に委ねるが、明らかに呼吸も脈もなく、瞳孔が開いていれば、救急車を呼んではいけないと教わった。病院で亡くなったことになり、遺族から責められることがあるから、らしい。(後日談:逆になぜ救急車をよばなかった! と責められる場合もあるという。日ごろの家族との意思疎通が肝要)


昨日まで元気だった人が、亡くなるという状況をまえにみみずくははたして冷静でいられるだろうか……

はじめての夜勤

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はじめての夜勤……
6時から翌朝8時までの勤務。外は闇、雨の音。


夜の仕事場は静かで、いつもとちがった感じがする。


介護はひととおり覚えた。でも事故が起きたらどうしよう、急病がでたらどうしよう。


今晩は先輩が一緒なのでなんとしても、覚えないと。


時刻は、平穏なまま1時を過ぎた。

災害の予見

2009年7月23日

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嵐がくるまえに、動物たちは早々と退避行動にうつる。


近代以降、人間は、自然と隔離された、あるいは排除した生活のなかで、感性や感覚が鈍くなった。気象予報がいくら発展しても、それを生かすことができないために、毎年多くの人が亡くなる。

このたびの北海道トムラウシでの遭難事故は、危険の予兆がありすぎたのに、それを無視した、あるいは無視せざるをえなかったために、残念な結果となった。


どちらにしろ自然を甘く見過ぎてしまった結果だ。だれを責めることもできないが、だれかが責任をとるのがこの社会のきまりだ。


結果的に誤った判断をし、生きのこったガイドや企画会社の人たちは、今どんな気持ちでいるのだろう。また、自分が生きるために、力つきた人を登山道に置いていかざるをえなかった人たちは、いま、どんな気持ちでいるのだろう。


その場にいなければわからないとはいえ、極限状態に陥ったとき、はじめてむき出しになったおのれの本性に、このさき苦むであろうことは、容易に察しがつく。


みみずくだったらどうしていただろう。やっぱり自分だけ助かるべく下山するのだろうか?


あなたならどうするか。

さて、昨日の日食の際は、異様に鳥たちが騒いでいた。ここは横浜だが、やや薄暗くなった曇天の空を、カラスやキジたちが落ち着かず、不安そうに鳴いていた。庭に珍しくキジが舞い降り、周囲の様子をうかがっていた。まるで嵐か地震かが迫っているように、不吉な印象をうけた。


日々、身の回りの生命の変化に敏感であるべきだ。人間の感覚を超越した動物たちの予感と行動は、往々にして、人間を災害から助う。


このこともあわせて 頭に入れておかなくちゃいけない大切なことだと、みみずくは思う。自分も周りも助かりたいのであれば。

仕事雑記 グループホームのこと

2009年7月19日

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グループホームでの仕事は、掃除、洗濯、朝昼夕の調理、買い物などの日常的な家事援助をはじめ、バイタルチェック、薬の管理、服薬介助、排泄介助、入浴介助、更衣介助、簡単な処置、転倒の危険があるかたの見守り、水分摂取や食事摂取量、入居者の日常の記録、体操や音楽、簡単なレクをしたり、散歩などに付き添ったりと多岐にわたる。


週5勤務で1日あたり8時間労働だが、休憩の時間がほとんどとれないので、実際は9時労働ということになる。


介護度の高いかたが他所で入院しているため、ここ二週間は、それでも余裕があった。


入居者9対職員3人というのは、グループホームとしては恵まれた環境なのだという。三人いる職員のうち、例えば一人が調理、一人が入浴介助となれば、もう一人は動けない。一瞬目をはなすことが、転倒の危険につながってしまうからだ。


入居者の人権は最大限尊重され、決して拘束したりということはない。いわゆる認知症が重く、徘徊する人があれば、時間が許す限り1対1でそのかたの赴くままに付き添う。


また老人ホームによくある、幼稚園の壁面構成のようなものはない。入居者は子どもではないし、ここは一種の「家」なのだから。


みみずくがおりにふれて思い出すのは、地方の精神病院だ。そこはようするに鉄格子つきの姨捨山で、親族から見放された高齢者が薬づけにされて、拘束されたり、鎮静剤を打たれて窓のない保護室(むかしでいう独房)にほうりこまれたりしていた。たとえば明け方まで睡眠薬を深夜にばかすか飲んで、翌朝6時に起床し、半強制的に体操をさせられる。退院するか、死ぬまで、ずっとそうである。


それに比べれば、ずっとここは良い環境だし、そうでなければならない。

ジベタリアン

2009年7月18日

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深夜、あろうことかみみずくの住処の真下で、地べたに座った若い女たちがいつまでも、携帯片手にくっちゃべって、けたたましい笑い声をたてている。


犬は吠えまくっている。


明日は早番なのにうるさくて眠れない。


したがってみみずく、イライラする。


(ったくどこの親が教育したんじゃ。ハマの義務教育はそんなもんか。それとも、週末の深夜、住宅地のど真ん中でだべらなきゃいけないほど、日頃社会に抑圧されてるのか、云々)


夜中に騒がしいのは、おそらく一般人の多くがイライラを感じやすい状況であり、SSRIはこの際関係ない。


今日の読売新聞によれば今日いらいらしている若者が多いという。自他共に歪んでいる。

素行不良は恥の元

2009年7月17日

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ちまたでは「プリウス」などハイブリット車のエンジン音が静か過ぎて、逆に問題になっているというが。

みみずくは、音ではなく、排気効率が向上するという噂を聞き、リトルカブにメーカーの不明の「ボンバーマフラー」をとりつけてみた。


普通ならすとととと・・・・・と上品に走るカブが、


ぶぉ〜んずごばばば!」と始動加速し、減速すると「ヴォー〜ン」という低重音を響かせるようになった。うぬ、小気味良い…


原付のなかでも最も静かな部類に入るホンダ技研のカブが、マフラーを変えただけで、こんなにも豹変するとは…


しかしだ。多少うるさくてもそれなりの馬力や排気量があれば、まあ理解できるものの、みみずくのカブは排気量49cc、くたびれかけた年代車で低重音を響かせてひとり悦に入っているのはどうなのか。


さらに、こんな音を出して閑静な住宅地のグループホームに出勤したら、たちどころに、ご老人の二、三人が心臓発作を起こすばかりでなく、近所から苦情がきて、大変なことになると思い、手前から押して歩いた。


おまけに仕事のあと、キックペダルが干渉して 外してみたら元に戻らなくなり、スパナ片手に暗闇の駐車場で格闘。


帰りぎわの職場の人たちに「故障したの? おうちはどこ? 帰れるの?」と声をかけられ、大恥をかいた。


中身の無い見栄は はってはいけない。

かえるのしょんべん

2009年7月13日

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夜、庭で煙草を吸っていると、暗闇のなか、がさごそと音がする。


手のひら大の大きなかえる。ウシガエルか(後日、ヒキガエルの仲間らしいことが判明した)。数年前からどうやら同じ個体が住み着き、ここ数日 毎晩庭の同じところを一匹でうろうろしている。鳴かないところをみると、メスだろうか?


こんなところに結婚相手はいないだろうよ。仲介してあげようか?


それにしても実におまぬけな顔をしている。動作ものろま。持ち上げてもぼけ〜っとしている。


動物愛護法に反さない範囲で、ひっくり返してからかっていたら、ぴょーっと大量のしょんべんをしやがった。


かの有名な「かえるのしょんべん」……


そうこうしているうちに藪蚊に10カ所以上もさされ、退散。食われる蚊は、カエルに味方した。


まぬけなのは、こっちかもしれない。

横浜市教員採用試験 受かれば言わないあれこれ

2009年7月12日

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スーツ姿のうら若きオトコ・オトメが会場の大学を埋めつくしていた。そしてちらほら、中年男女の混じっていた。これが不況のせいでないとはいえない。

ライバルたちの様子を、ハゲタカのような目つきで伺う。おびえたねずみのように背中を丸めて。

……髪をいじくる長髪・ボサ髪の男がいると思えば、携帯と鏡を手ばなさない女、鳥の巣のような禿あたまをしたまるで寝起きみたいなおっさん……


みみずく(この人たちも、教師になろうとしているのかぁ…見た目で人は何割といったっけ……)

                       *  *  *

さて肝心の試験の内容だが、「教職・一般教養」、「専門教養」ともに、過去問の延長線上、つまりは際立つ問題もなかった。すべては知っているかいないか。暗記と忍耐の試験である。簡単ともいえぬ、難しいともいえぬ、河合塾の模試を受けているような感じである。唯一、お金がかからのが良心的といえる。

みみずくは、いつもはあたる第六感で、新しく小学校に導入されつつある「外国語教育」にヤマをかけ、前日にまる暗記していたら見事に一文字もでなかった。横浜は異文化交流の地ではなかったか!

最後の「論文試験B」


「反抗的な態度を示す児童に対する教師(あなた)の姿勢と指導を、<信頼される教師>という観点から述べよ」

というような、みたいな作文のような内容であった。


みみずくは

<……どだい教師も人間、たやすく信頼などしてはいけない……>
<……反抗は健全な発達過程上必要不可欠不可避なり……>


と書きそうになるのをこらえ、非現実な、しかしよくありそうな文章で紙面を埋めん、と四苦八苦していたら、校正する時間もなくなり、よくわからん文章になってしまった。


結局、

一番重要な姿勢は教師がまずが子どもを信頼することであるのであるのだ!」


などと、さも偉そうな台詞で締めくくったが、試験が終わってみると、なんだか自分がひどくつまらない人間に思えてきた。 「信頼」なんて……同じ釜の飯を食って、金タマみせあって、安酒のんで、翌朝ゲロはきながら試験をうけた友人くらいにしか見いだせない。

もしかしたら……いや、たぶん今年はダメだろう。

万一、受かったとしたら、この試験が一夜漬けで通れる程度のシロモノ。

以上、試験ができりゃこんなことは言わない、不遜きわまりない月夜のみみずくの愚痴でした。

横浜市の皆さん、こんなんですみません。努力します。

長野県庁での思い出

2009年7月11日

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大学在学中、公立小学校の理科の授業のサポートをする、理科支援員というのをやっていた時期があった。市内のいくつかの小学校に派遣され、予備実験や、授業者と協力をするのが主な仕事だったが、最後に行った小学校は、主に、「理科準備室」の整備整頓が仕事だった。


職員室にいくと、職員の椅子ピーチという名前のに猫が、居眠りをしていた。
クラスになじめない子どもがいて、仕事中なのに一緒に池でめだかを捕まえたり、準備室で、面白い実験をしたりして遊んだりもした。その子は、よく準備室に遊びに来るようになった。


しかし、うつ病がひどくなってきて、月夜のみみずくは無断欠勤をするようになってしまった。そうこうしているうちに、仕事の継続のため県の教育事務所に呼ばれ、気が重い中、県の教育事務所に赴いたのである。

そこで、面接をしたのだが、無断欠勤のことがやはり伝わっているようだった。当然、責められることは覚悟していたが、そういうことはなく、面接が終わった後、みみずくは、お昼ごはんをご馳走になったのであった。

そこで、事務所のひと(たぶんかなり職位の高い人?)が、カレーライスをおごってくれたのを覚えている。自分の知り合いにも、大変な時期があったが、今はなんとか仕事をしているから、あせらないで大丈夫、とみみずくの体調のことを、心配してくださったのだった。今度うちに遊びにおいでともおっしゃり、みみずくは恐縮してしまった。一介の教育大生にこんなにかまってくださる、教育委員会の人もいるのだと思っておどろいた。

たまに思い出して、受けた恩は、これから誰かに返していかなくちゃとおもう。


あすは横浜市の教員採用試験。

教員採用試験および尿検査についての考察

2009年7月10日

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あるひとが


「あたし、こんなに薬飲んで大丈夫なの?」


といったので


「僕は毎日この倍以上、飲んで、生きてます」


と答えた。


……類似体験は共感的理解に資する?


カウンセリングの基本をまる暗記中、こんなことを思いだし、勉強ははかどらない。
*********************


それはさておき、採用試験が日曜日にせまった。というより気がつけばせまっていた。


試験など、これまでごまんと受けてきたが、何度受けてもいやなものである。


みみずくけだし、尿検査みたいに、さっさと終わればいいのだ。受験者を列に並べて、その場で合否をだしてくれたらと妄想する。尿検査はインチキで容器にウーロン茶を入れても通るという噂もあるが、さすがにオレンジジュースや牛乳は通さないだろう。


試験も同じではないか!完全ではないのだ。受かってもダメな教員はいる。


だから採用試験も尿検査くらいの簡易かつ画期的な代替方法が見つかれば、いいのだ……


と、バカなことを考えつつ、一週間前から腹痛を起こしている。試験のまえに検査が必要かも知れぬ。

後悔のないよう生きたい

2009年7月9日

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週末の採用試験の準備をすべく、4日の休みをもらった。


今日はその貴重な1日目。なにをしたかというと、疲弊してひっくりかえって夕方まで寝ていた。これで受かろうと思っているからおめでたい。油断を通り越している。


噂によれば採用試験のために大学と予備校を往復したり(!)、一年がかりで通信教育を受ける強者もいる。地道に日常の隙間を縫って独学する者もいる。


みみずくは、山勘と短期記憶を駆使し、(二時間の筆記と論文試験に)、一夜漬けで臨もうとしている。


もしかしたらこうして一年、一年、遅れて行くかもしれない。


甘い考えかもしれないが、しかし遅れれば遅れるほど、別の世の中を垣間見ることもできる。それに教育も福祉も人対人の仕事と捉えれば共通点も多いように思う。自分の力を、人生の「後輩」か、「大先輩」に捧げるかの違いだ。


焦燥が、毎夜悪夢に表れる。抑鬱が波のように押し寄せる。


それでも、ちゃんと根付いている。だから後悔はしない。

七夕の夜

2009年7月7日

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乱れた文字で書かれた「資料」を見ると、その人の連れは死んだらしい。。


自らの心を、固い殻で覆い守るかのように、(老いたる身ゆえの)視界の淀みが、連れの幻を、みせる。白い、まぼろし。幻覚。


夕餉の支度のころ、小さな童が2人いる、連れも、近くにいるという。連れが口をきかないけれど、暗くなるまでに一緒に帰りたいという。


人間の五感が知覚できるのは 自然科学でわかっているだけの(数値で表せる現象の、あるいは波長の)、さらにそのまた一部だとすると、あながち幻覚が幻といいきれるのかみみずくはわからなくなる。脳の萎縮が、すべての機能の低下を意味すると……いいきれるのか。


本当のことは言えない。といって場あたりの嘘をつくこともはばかる。生活を支え、養護するのが、いまのみみずく仕事。安給料でも、契約でも派遣でも臨時でもなんでも、責任はかわらない。


誰の脳の機能も心臓の鼓動も、すべての臓器細胞もいずれは衰え、やがて死ぬ。恒久的に消える。生きている人でそれを経験した人はいないのだから、若輩者のみみずくは、体の一部になったり、話を聴いて差し上げることしかできない。

仕事雑記

2009年7月4日

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体と頭が少しずつ、仕事に適応してきたように思う。


ただ、1日数回、まるでフリーズしたかのように思考が停止する瞬間がある。情報がおおすきて、回線がダウンしてしまうような……


例えば転倒のリスクが高い方の介助は、一秒目を離すと、それが命とりになるる。一人で仕事をしながら複数人を見守るのは、かなり神経を張り詰めさせる。

また職場特有の人間関係もこれまたむつかしい。<注意>と<叱責>のことばしか発しない<怖い>上司がいたりすると、自分の不足を改めるのにはいいが、行き過ぎるとささいな失敗が怖くなる。そして仕事の基準がその上司のご機嫌にそうようになってしまったら、それはもう意味のある労働とは言い難い。


どんな仕事も始めは素人なのだから先輩のすべてのことばを受けいれるべきなのだが、やがてその矛盾や、自分の意見と食い違いを見つける、それを建設的に表にだせるか?


無益な争い諍いを嫌うみみずくは「頭を下げて秀吉になるのが長期的にみて得策か」などと腹黒いことを考える。そう考えたほうが精神衛生上よい。


今日の時点でみみずくが内心思うこと。


・「叱るのは、人に嫌われるから、誉めるより難しい」とは限らない。


・「叱る」ことも「誉める」ことも一長一短あり。

・叱られるのは、気分のよいものではない。(…当たり前か)


・熟練にもある欠点=熟練ほど失敗は少ないが、熟練ほど視野が広くなるが、死角に気づきにくい。


・素人にもある利点=視野は狭いが、見えている角度については、慎重になる。失敗も多いが。


・人の成長は反省をしなくなった時点で停止する。


・他人の悪口・不満をその人のいないところでいいふらす人は信用しにくい。本人の前でいうのは潔いが、火花は多少散る。

*以上のことは、自分も含めて誰しもにあてはまると思う。


・介護は、自分が将来介護されることの前だおし。


・記憶を失うことは本人にとって計りしれない不安である。が、自らを守るためにも働く。


・短命=不幸とは限らない。長寿=幸福とも限らない。


・人の尊厳は、どんなことがあっても失わない。

・「花を生ける」というすなわち「花を枯らす」。たとえそれが美であっても個人的には野に咲く自然の花のほうが好きだ。野花は種になるが生け花は、枯れて終わりである。花は自然科学的にいえば人間のために咲くとは言えない。子孫をのこすためだ。

オカリナ

2009年7月2日

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仕事場にオカリナをもっていったのが役にたった。


夕方の調理の間、「うちに帰る」「娘が心配」と 不穏がのしかかった部屋。みみずくも、調理を間違え、少しいらいらしていた。なだめすかし、つまりは嘘をつくことはいくらでもできるかもしれない……


思いだしてオカリナを吹いてみた。


「ゆうやけこやけ」
「ふるさと」
「なだそうそう」
「君が代」
「茶つみ」
「おぼろ月夜」


みみずくがここに少し似た、自分の意思では外に出られなぬ鳥かごのなかにいたとき吹いていた曲を、吹いてみた。金網の張り巡らされた屋上。そこから北西の空に飯綱という信州の名山が見えた。


一緒にくちずさんでくださる人たちをみて、あのときのことは、まったく無駄なことじゃなかったと思える。七十歳も年が離れても、共有できる文化があるということ。日本という国の文化に自然と感謝の念を抱く。

髪を白くし、腰をまるめて、自分の子どもの名前すら忘れて……


やがてみみずくもたどるであろう道を先に歩む先輩たちに、自分にあるすべての善きものを捧げたい。


明日からも、精一杯やらなくちゃ。