今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

まずは自分の強さを

2008年5月31日

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閉鎖病棟にいたとき看護士さんに「なにもしないこと」の大切さを教わった。


「なにもしないで病気を直すのは、しんどいけれど、時間がたてばきっといいことが、向こうから自然にやってくる」


「なにもしない時間を楽しめる人になれたらいいね」


薬をのんで眠気がくる数時間は、頭のなかでいろんなことが浮かんできて辛い。そこで考えた。夜、祖母と一緒に映画を見ることにしたのだ。今晩は黒澤明の作品。ちょうど祖母の少女時代の話で、思わず空襲の話なんかを話してくれた。


ビデオを借りにいく夜道、昔ボランティアしてた老人ホームを過ぎた。当時高校生。生きている意味がわからず、生きがいを探して、はじめたんだった。


今、月夜のみみずくは、「誰かの小さな幸せのきっかけを作ること」を生きる意味と思ってる。昨晩、何時間もかけて、亡くなった先輩の絵を描いて送ったこともそう。翌日の今日は、その無理がたたってしんどくなってしまった。


精神病に詳しい兄によると、そんな性格も病気らしい。人のために尽くすあまり、自分が駄目になって、結局まわりに迷惑をかけてしまう。いまもそうだ。家族に心配をかけている。


誰かの幸せのきっかけになりたい。でも自分が駄目にならない強さが僕に必要なものなんだと思う。

日付が変わってしまったけれど

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完成。額縁に入れて、今宵も不眠(涙)

この人どこかで逢ったことある…

2008年5月29日

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色鉛筆で下書き。顔と手のひらは同じくらいの大きさだった。そこをもうちょっと自然にして、明日は水彩、へたくそだけど額縁にいれて四十九日までに飯綱に送ろうと思ってる。

製作にとりかかる!

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あー……かつてみみずくと同じ病におかされ、くたばりかた、ばぁちゃん。今は風呂で演歌を歌っているよ……二年かかったって。治るのに。


今日も図書館いけず。風呂掃除、買い物を手伝う。母いわく「余った金で酒かうんじゃねぇよ」


今晩からあるものを造ります。

回復期だと思った

2008年5月28日

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昨晩の計画通り、図書館にいくことはできなかった。人の目が気になる。朝は時間通り起きて、太陽を浴び、午後は近くの山を一周してきた。能見堂という、江戸時代の史跡だ。

オカリナ……五年まえ買ってここで吹いた。今日は閉鎖病棟苦節2ヶ月(笑)での特訓のせいか、自由自在に音色を出せる。オカリナの音よ、天国まで響け。桜と一緒に散った先輩にきこえますように。


細かい活字も短時間なら読めるようになってきた。焦らず。ゆっくり。


"寒い寒いそんな日は 下へ下へと根を伸ばせ"

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明日からの生活

2008年5月27日

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結局病院から帰って、よるまで浅く寝てしまった。けだし、いくらこころの休養といわれても、<飯くい、薬のみ>だけではやることがなくて、寝てしまうんだ。


というわけで明日から
8時起床 投薬
午前 散歩
夕方 図書館へ
夜 投薬
というリズムを作っていこうと思う。


部屋で絵を描いているだけでは、周りの仲間に遅れをとってしまう。焦らず、少しずつ、卒論のための勉強をしていこ。


このブログを見てくださっている方、いつもありがとう。月夜のみみずくはもう寝ます。お休みなさい。

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天井の鳴き声で目が覚めた。"きょきょきょ、きょきょきょきょ"と鳴いている。


横浜の診療内科はどこも予約でいっぱい。おまけに長野の病院から紹介状が届かなくてひやひやした。やっと見つけたのは横浜市大医学部。


医師「ふむふむ、タバコは1日三本……お酒は?」

母、口を挟み「寮にいたときはワイン一本も飲んでたんです」


医師「妥当な量ですな。大学生なら……で、ドラッグのほうは?」


みみずく「ドラッグ?……ああ、麻薬とか覚せい剤とか……ないです。強いていえばカフェイン中毒……」


医師「妥当ですな。では次は11日きて下さい」
(会話終了)


この先生、ちょっとかわってる……とにかく薬は切れずにすんだ。

ムクドリ

2008年5月26日

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そう、今日昼間中、ピーピー鳴いていたのはたぶんムクドリだ。おかしなことに親鳥が三匹いる……

日中、天井で鳥たちがせっせと子育てしてるなか、月夜のみみずくは浅く眠り、これからも寝ようとしている。

2008年5月25日

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閉鎖病棟は、厳重に施錠され、外出の許可すらめったにでない。一生忘れられないこんなできごともあった……


その日は偶然、保護者同伴で大学まで外出。と、友人にすれ違う。1月に悩みを朝まで聞いてくれた女の先輩が亡くなったというのだ。

先輩は小学校に赴任したばかりだった。しかもその日がお通夜。ながば信じられず大泣きしながら、善光寺の参道を歩き病院にもどった。


死に顔をみたくて、感謝の気持ちを伝えたくてその晩、脱走を試みたり、看護士と大喧嘩したり、とにかく大変だった。結局、翌日、また母に長野まできてもらい葬儀にでることができたのだが先輩はすでに焼かれていた。


その日から毎日、先輩の実家の方角に向かってオカリナをふく。夢にでてきて、暗いトンネルに入ろうとする僕を止めてくれたのも先輩だった。


一生忘れられない日だった。彼女の果たせなかった夢を、自分が叶えるため、病気を直す決意をかためた。先輩はみみずくが自責したり落ち込むのを望んではいない、と言い聞かせて。

1月から振り返って

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頭を整理するために、半年にわたる闘病生活を簡単にまとめようと思います。

1 昨年末、授業もバイト、学校でのボランティア、苦痛がともなってきた。長野市中の心療内科を原チャで探しまわるが、どこも年末年始の休診。


2 1月4日に臨時の講義が終わったので、翌日、ある精神病院に受信。通院で服薬を始める。


3 変化がないので1月から2月、四国と屋久島を旅する。そのあいだは不思議とうつ状態にはならなかったのだか……


4 旅の反動で、落ち込む。入院を勧められ、しかし、空きがなかったので、要介護、ほとんどが重い統合失調症の老人と一緒に鉄格子のある閉鎖病棟に入る。深夜、重い鉄の扉に跪いて、「家族が迎えにきている」と30年もここにいる老人を見てショックをうけた。
ここである看護士さんと出会い、ずいぶん助けられ多くのことを教えてもらった。「待つこと」ただひたすら待つことは苦しいこと、でもいつかいいことが来る。厳しい信州の寒さに耐え、春になると桜の花が咲くように。待つこと、それじたいを楽しめるようになれたらいいねって。


五 ゴールデンウイーク、試験外泊。うまくいかず、再入院。希望して開放病棟に移れたが、閉鎖病棟に比べ看護士は冷たく、患者ともほとんど交流がもてず、しんどかった。

6 一昨日、任意退院。横浜にもどる。

自然のリズム

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天井の鳥たちは、日の出と共に目覚め、夫婦交代で五分おきにえさをとってくる。カラスより小さい黒い鳥……なんて名前だったろう


……そのあいだ月夜のみみずくは、浅く眠りつづけていた。


そして日没とともに、天井の鳥の家族は眠りに入る。これが大昔から続く、人間の本来的な生活リズムなのだと思う。

2008年5月24日

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あと、新しい家族というのは二匹の野鳥とその雛が軒下に移りすんできたこと。むかしから鳥の訪れと共に家族の幸せをはこんでくる、と祖母がいっています。

明日のあさ、雛の鳴きごえが楽しみ。元気に巣立てな! 月夜のみみずくもがんばって病気治すからね!

退院と新しい家族と

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本日、長野の精神病院を退院しました。5ヶ月のSSRI投薬、三回も変更し、それでも回復の兆しがなく、それを回診で告げると、院長はすべてあなたの入院態度(?)が原因だというので、もうみみずくはこの院長を信頼できなくなってしまった。

その後、ある看護師に「院長は患者の言うことに耳を傾けない」とちょこっと不満をいったら、すべて院長に告げ口され……

医者はプライドが高くぜったいに自分の非を認めない。閉鎖病棟の看護師さんの一言のほうが何倍もありがたい。


かけがえのない経験でした。が、人生で一番辛い2ヶ月でした。


いまは神奈川に帰り、明日からこの先どこの病院で治療をつづけるのか、家族と暗中模索です。薬は5日分しかありません。

明日、再び入院

2008年5月5日

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○外泊最後の夜。
○結論としては、実家にいるのは勝手ながら閉鎖病院にいるより辛い。本心は千葉にいる知り合いのもとで山小屋を建てるお手伝いをしたい、でも叶わなかった。


○明日、長野の3病棟にもどり、しばらく1病棟(開放病棟)が空くのを待つ。1病棟に移れなければ、親の意思で横浜の精神病院に送還されてしまう。


○なぜ実家が辛いか考えてみた。

1急な環境変化

2口うるさい両親
「"きちがい"病院に子どもを戻すわけにはいかない」月夜のみみずく、思わずその差別用語に怒る。精神の病をもつ人(僕もそう)への偏見である。3病棟の患者さんたちの多くは優しい人たちばかりなのに……。

3近くにいることで親に極度の負担をかけている。お互い倒れそう。いや実際倒れた。

仮退院4晩目

2008年5月4日

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一日中、辛かった。

身内のそばにいることが辛い……この家にも嫌な思い出が溢れてる。月夜のみみずくは親不孝な子だ。長野へ帰りたい。閉鎖病棟でもいい……

明日、一日、辛抱。

さっき、台所で、このブログの一番始めにかいた黒猫の幻覚が見えた。しっぽをふりふり。君はまだ子猫だったね。五年前、僕が歩道橋の下で、小便まみれで泣いているのをみつけた。2日間介護したけど寝ている間に親に捨てられた。悲しかったのを覚えてる。


ときたま夢にでてくるけれど幻覚を見たのは初めて。薬の副作用か……不思議なことばかり起こる。

2008年5月3日

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そして励ましてくれている、顔の見えないだれか……ありがとう お休みなさい

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P.S. My phone that I can't read Japanese, so when you send coment to my blog, plese "English" この英語…まちがってないかな……コメントくださる方、携帯からは文字化けして確認できないので、できれば英語でお願いします(/_;)

仮退院3夜目

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今日は午前中、中程度抑鬱感(辛さ)、午後両親と近くの池を散歩。オカリナ吹くとすずめが近づいてきた。

夕食は月夜のみみずく担当。

<半額のシジミとミニトマトの信州風オレガノ&ガーリックパスタ> ノンアルコールビールで酔っ払ったつもりになる。自身の意志の弱さとの戦いだ。

兄貴は、パスタの素を使ってるんだと思って信じない。

就寝は入院時とあわせて九時。今宵こそ眠るぞぉと力むと眠れないからぼやっとする。


睡眠薬は最高で5粒。飲んでも効かない。飲むと翌朝、眠い。

仮退院 鳥かごからの脱出

2008年5月2日

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5月1日から6日まで、保護者同伴で、実家横浜にて外泊許可がでた。

閉鎖病棟での4月の1ヶ月間、。いろんなことがありすぎた。統合失調症、記憶障害、躁鬱病、頭の故障した年配のかたばかりのこの場所に、若年21歳の月夜のみみずく、一人。


鉄格子は鳥かごのよう。精神病院閉鎖病棟は、人間の辛苦に満ちた場所。親類からも見捨てられ、30年も、入院している人あれば、自殺未遂でここで保護されている人、記憶がすぐに消えてしまう人もいる……月夜のみみずくも、気分変調性障害、うつ病。頭の故障だ。


入院中、偶然訃報を知り、大好きだった寮の一年上の先輩の告別式にでたり、焼酎密輸自白事件、脱走未遂事件……いろいろあった。先輩がこっちの世界にきちゃだめだよっていう夢もみた。


精神病院閉鎖病棟。そこは人間の辛苦に満ちた場所である。

この先のことはなるべく考えないようにする。


外泊が、うまくいきますように。願いながら、昨晩横浜に帰ってきた。