今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

私は会社を辞めます

2011年7月26日

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職安にいくために、
ずっと前に書いた履歴書を、探している。
履歴書は出てこない。

かわりに、勤めていたグループホームの家族からの手紙が、いくつか出てきた。

* * *

冬の早朝。どうしても夜勤者一人では対応できない利用者がいて、
家族はホームに預けているというのに、そのことで困り果てていた。
考えあぐねて出た結果が次のようなものだった。

だれか、その時間に、一対一で付き添ってもらえないだろうか。

1つ返事で、引き受けることにした。謝礼が出たが、引き受けたときは、ボランティアのつもりで、早朝四時に起きて、せっせと冬の坂道をホームに向けて走っていた。

あのころ、病み上がりの自分に仕事らしい仕事が勤まるなんて思っていなかった。
だからどんなにがんばっても月額10万いかぬ給料に不満を覚えることなく、仕事をしていた。なにより、人の役になれることだけが励みであり、それが自分の「自立支援計画」にどれほど役に立っていたことか。


* * *
そしてそれから一年後、自分は会社の社員になった。
給料は倍になった。そうして、若い社員の集まる別の施設に移ったのが4月。

仕事の量はさして変わらない。問題は山積であり、どちらが大変かといわれればどらも同じように大変である。しかし大変なのは、理想や目的があってそれを追求するためではなく、定められたノルマをこなし、理想の数字で埋めるため、という気がした。その日一日、何人のお年寄りを笑わせたではなく、何人風呂に入れた、か。

社員になると、会社全体の様々な情報を得られる。

この会社は中身をおろそかにして拡大することを最大の目的にしていないか?
利用者を缶詰にし、ただ生きながらえさせるだけの施設ではないのか?

とにかくも受け皿を必要とする高齢社会の日本において、あながち間違っているとはいえないのかもしれない。

けれども、セオリーに反している。

おかしいと思ったことを、変えるだけの力を持ち合わせていなかった、変えるだけの力を作れる仲間もできないまま、次第に自分も、業務優先の、介護者本位のまっとうとはいえない介護をするすべが、身につき始めているような気がしていた。

* * *

そんな矛盾を感じていたさなか、

人を殺めかけた。

しかも過失だけではなかった。

食事介助をしていたら、相手がのどに詰まらせた。

(この人は麻痺していて自分の力でスプーンを口に運べないという判断で、介助者が口に食べ物を放り込んでいた。しかし実際は、最後まで自分の意思でスプーンをもち、口に運べる。窒息の詰まらせた原因はそこではなく、刻みが足りなかったことにあった)


明らかに窒息しかけて、看護師を呼ぶ必要があったにも関わらず、
恐ろしいことにその場にいた同僚に、声をかけるのをためらった。

自分の中に悪魔が蠢いていた。

即座のずるがしこい判断と、これまで何度も反復していた知識で、異物を取り出すことに成功した。最終的には、のどの奥に指を突っ込んだ。

指に当たったのどの奥の異物の感触は一生忘れられないと思う。

その直後異変に気がついた同僚が駆けつけて、看護師を呼び、サチュレーションを計りつつ吸引など施したが、峠を越えていたことは、自分だけが知っていた。

ようするに嘘をついた。

しかも。それはうまくいっていない会社の権化のような同僚だった、という恐ろしい理由で。自分のプライドを、無意識に相手の命よりも優先した。

事後、事実は看護師と上司に報告して、その次の日、退職願いを出した。

看護師は一刻を争う状況判断は正しいとフォローしたが、周りに援助を求めなかったのは、明らかに不適切だった。

* * *

だので、

もう降りるより仕方がなくなってしまった。

偉大な企業になるためには、反感を持つ社員がやめて、同士が残ればいいという法則を、最近会社の時期リーダー要請研修で学んだ。

だとしたら、早いところバスを降りるのが会社のためであり、自分のためであり、誰かを殺めてしまう前に・・・

あとはどう辞めていくか。

「後は野となれ山となれ」か「たつ鳥跡を濁さず」か。

もっともらしい批判や、言い訳はいくらでも考えられるし、それを一生懸命働いている周囲に漏らすのは、容易で残酷で、そしてさらに痛快かもしれぬ。自己嫌悪を増大させながら。

しかしそれをしたら、もう生きてゆけない。

すべて目に映る事象は、自分を映す鏡だとおもう。
相手の悪いところが100あれば自分の悪いところも100ある。

それをすべて洗い出すために、神様は、事故を起こし、そして救ってくれた。
のかもしれない。