今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

こんどこそおしまい

2011年12月28日

0 コメントはこちら  

写真の本とは全く関係ないが、

区切りがよいところで放置気味のプログを一新したい。


いままでは統一性のない私的な日記だったが、


これからは読む人のささやかな役に立つ情報発信のプログをめざす。


記事の基本構成は


みみずくの関心があり、なおかつ生活の中心として実践もしている2つのカテゴリーに分ける。


1福祉、とりわけ重心での仕事に関する記事

2野外活動から防災に関する記事


来年度、五年あまりつづいた月夜のみみずくは変わります。ご期待下さい。


それではね。よいお年を。

夢の結婚式

2011年12月16日

0 コメントはこちら  

みみずくは親友の家にいる。ここは地方都市で夕方であたりは暗くなりはじめて。こんなにのんびりしてちゃ式にまにあわないんじゃないの? ひとりだけあわてている。


式場のある東京に向かう手段は友人の車だけ。もう式場は多くの人が集まっている頃だろう。


東京にいくのに、なぜかのんびりと山の装備を揃えている先輩がいる。アウトドアメーカーに勤めていたので、


みみずくは、自分が買ったばかりの薄いモンベルのインナーダウンをみせて、「これじゃあ寒いですかね…」


友人の女の子の結婚式の時間は迫っている。


高速を飛ばしてもつくのは暗くなってしまう。


いつも大事なとき、こんなにのんびりしている仲間・・・




「早いよね、こんな日が来るなんて」そうだれかが小さく呟いた。

視界が光に包まれ白くなってゆく・・・


* * *


目が覚めた。


みみずくの友だちである彼女は結婚もしていないし、その予定もない。


ただいずれそんな日も来るだろう。

妙に懐かしい感じの夢だった。

眠れないので続きを

2011年12月14日

0 コメントはこちら  

先ほどの話ではないのだが、


最近なんで自分が福祉なんて仕事をやっているのか考えてる。それもきまって便失禁おむつを替えているときだ。


介護の仕事の基本中の基本、なおかつその一挙一動で介護経験数がバレてしまうもっとも高度な職人技が求められる排泄介助。


その排泄介助をしているとき、みみずくは狐につままれた?気分になる。


これまでオムツなどというシロモノに無縁だった人生を歩んできた我。みみずくの育った環境は福祉と無縁だったし、それに 教師は家業みたいなものがあって、教育大を出たし、実際いまでも教師にならなくっちゃというおぞましい脅迫観念がある。


思いあたるのは…

それはまだみみずくがひよっこ学生だった、ある深夜の衝撃的な一光景であった。


病院のなかだ。


みみずくはやはり今日と同じように不眠だった。不眠といえば格好よい。それは明け方に服用する大量の睡眠薬と、それを超える日中の惰眠によってもたらされる不眠であった。

生まれてはじめての入院
ナースステーションの廊下 で本を読んでいた。かろうじて本を読む、ないしは読むふりをすることが、「わたしは入院しているがここにいる人たちとは違う」学生なんだというわめて脆いアイデンティティを保っていたのだろう。病識がないというやつである。実際のみみずくは突如歌いだしたり、泣き出したり、怒りだしたり、制御困難な立派な患者であった。ここにはかけない恥ずかしいこともいっぱいある。


さてその廊下の一番の奥の病室から、仲間である精神病者の叫びこえが聞こえたと思うと黒いものかげが廊下に飛びだしてきた。


黒いものかげは患者であり、なおかつその黒いものかげは、大量の同じ黒い液体を闇の中でも白い廊下にだらだらと流している。


その直後もうひとり別のものかげも飛びだしてきた。


恐怖感が0から一気にそこなし沼になる。


(続く)

いまのわたし?

0 コメントはこちら  

久しぶりの投稿になる。
しかもみみずくらしいマイナス思考がたの投稿である。


blogに毎日のように書き込みをしていた時期もあった。大学生の時は1日に何回か、という日も。


それがいまや月一だ。


精神活動の衰退。表現欲求の低下。


日々の生活に入り浸ると、脳は必要以上に働かない。語彙は目に見えて減りIQは低下する。


もはやみみずくは小学校の漢字をすべて書ける自信がない。
ついこの間も「摂取」とかくべきところを「接取」と間違えた。


そうでなくとも一般に人間の知能指数は25歳あたりを境に低下してゆくらしい。諸行無常、自然の摂理。

さてIQを高めるためには、IQのすこぶる高い人と接すればいいと云う説があるらしいことを知った。英語のスピードラーニングとに似ていて、ただ聴いてりゃ自分の脳が自然のシフトチェンジをするのだ。なんと楽な。


というわけで、メディアをとおして天才といわれる人の会話をいろいろ聞いてみたりする。


しかし天才という人の話は、ようするに、本人の頭脳のなかでは繋がっている思考が、コトバという表現手段になると、とびとびすぎて、一般人のみみずくのサビたあたまが万一影響されでもしたら、ただの支離滅裂になってしまう。


こんな方法ではなくて、もいちど勉強をしたいとも少しは思う。漢文の素読とか。日本史のある特定の部分とか。


でも日々の仕事でいっぱいいっぱいだ。


重心の仕事3ヶ月目となった。

親友との再会

2011年11月24日

0 コメントはこちら  

小学校時代の友達のお墓が近所にあるという情報を実家からもらった。


湘南の海を見渡せるお寺の一角。そこで僕は、彼と13年ぶりの再開を果たした。


彼は絵がうまかった。休み時間に彼が馬の絵を書いて僕が騎手の絵を書いて遊んだ。馬の名前はセイウンスカイ。


お互い別々の中学に行ってから交友は途絶えた。


でも彼は最高にいいやつで…


1986ー2007 20才


若すぎるとは思わない。
一生の辛苦を味わうには十分すぎる長さだったと思う。


いい人ほど早く天に召される。踏切に動けない猫がいたら迷わず飛び込んで助けにいくやつ。ばかだけど、例えばそんなやつ。


みみずくは汚い。まだまだ死なない。でも、いつでも死ぬ覚悟はできている、といえるような毎日を送りたい。遺言書はブログだけ。ただ、そんな時が訪れるないから今日も生きている。

世界で一番が松本が好き

2011年11月13日

0 コメントはこちら  

11月の松本で野宿して、いま帰りの新幹線群馬県高崎駅を過ぎた。


アルプスに雪はまだなく、といって紅葉まっさかりの中信の朝の空気はぴんと張り詰め、まもなく訪れる凍える冬を迎えつつある。


そんななか橋の下で焚き火をして銀マットと寝袋で寝た。社会人三年目でやっと安物シュラフを卒業し気温−10まで耐えられるモンベルシュラフは、値段は高いがおそろしく軽量で、信じがたい暖かさ。友人二人は、車で寝た。

松本時代一年お世話になった松本一古く、由緒あり、またぼろぼろの下宿市川荘の大家さんにあいにいった。五年前、まだ小さかったお孫さんたちが元気な小学生に成長したのをみて、嬉しかった。江戸時代からありそうな半ば崩壊していたまるで忍者のからくりやしきのようだった本館は、取り壊され、更地になっていたが。。


写真をみていて、多少狂った大学生時代だったと思う。けれどもはいさえすれば大学はどんな人間でも受け入れてくれる場所だった。地方大学生の生活をしりたい高校生はまず、大学裏手と寮をみるべきだ。そこは社会のあたりまかがひっくりかえる特殊な空間である。


例えば水道はあっても蛇口がないような違和感。蛇口はそこになくてもだれかがもっている。
天井に足跡があったりする。


大学生は小学生にもできるゴミの分別ができない、あるいはあえてしないのか、大学はゴミの山だった。


とにかく、松本ではいろんなひととあい、話して2連休が終わりつつある。

信州林檎 秋のおわり

2011年11月4日

0 コメントはこちら  

北信州から、二通の頼りが同時にとどいた。


研究室の恩師と、親しい仲間の両親から。


なかにはそんなに遠い昔ではないけど、懐かしい、信州の林檎!……


箱をあけたとたん林檎の甘酸っぱい香りがに満ちる。それは先日出した、たった一枚の絵はがきへの返信だった。


5月に薄紅色の花を咲かる林檎。神様の果実は雨耐え、風に耐えた、偶然、鎌倉にとどいた。とどいてはじめて、この時期が林檎の季節だったことを思い出した。


先日亡くなった北杜夫の続きをかくつもりだったけれど、一言でいえば彼が戦後信州で魅せられたものが、何年もさかのぼって、多くのひとの心を捉えたということである。みみずくはその一人だった。


恥ずかしいけれど、憧れて短けれども濃密な時間を過ごした北信州の山々を思うと、神奈川帰ったいまも、まるで昔の恋人を思いだすような気持ちになる。

もし、あの薄汚れた、怠惰なようで勤勉だった学生寮時代に戻れたなら、みみずくは……いま戻れたなら……。たった数年前さかのぼることができたら…


止めよう。


失われたものじゃない。


失うことは新しいことを得るための不可避の代償だ。その痛みが大きければ大きいほど、人はなにかを知る。

それは当たり前に感謝できる気持ちと、いまというときが、限りなく尊いということ。今年初めての真っ赤な林檎を見て思う。

nur wer die sehnsucht kennt,weib was ich leide. 憧れを知るもののみ…

2011年10月30日

0 コメントはこちら  

nur wer die sehnsucht kennt,weib was ich leide.
憧れを知るもののみ、わが悩みをしらめ。
 
出勤前の寝ぼけ眼で、携帯電話の待ちうけに流れるニュースを見ていた。
 
——北杜夫氏、亡くなる。
 
東京に冬の訪れ告げる風が吹いた日、2011年10月27日の朝。みみずくの大好きな、そして最も影響された人が亡くなった。
 
最初に北杜夫の著作を読んだのは中学校の図書館だったと思う。精神の枯渇といえば恰好いい。けれども難しい本は読めない学力だった。
 
小学生の低学年の頃、江戸川乱歩や椋鳩十、ズッコケ3人組ばかり読んで、それだけで本に親しみを覚え ていたつもりだった、児童書や児童文学の先には大きな壁があったようで、みみずくには中学高校の図書館は。まさに装備なしで未開のジャン グルの奥地に入った心境だった。そんななか軽妙なユーモアで綴られた氏の北杜夫の本は、進学校でおちこぼれにな るまいと必死だった少年に、ある種の逃げ道・・・氏の言葉で言えば韜晦の術を教えてくれた。手当たり次第に読んでいた時、惹かれたのがドクトルマ ンボウ航海記、文庫本だったと思う。
 
歳月は流れ、みみずくは、いま精神科にいけばはっきり鬱病と診断されるの高校生になった。いまから思えば笑い話だが、学校と予備校のカリキュラム をこなす重責につぶされそうな日々だったのだろう。実家にあるアルコールを探しては、こっそり飲んで、飲んで、山に向けて走ったりした。酒臭い息 で二日酔いで学校にいった日もあった。
 
最初の全国模試だったと思う。みみずくの周囲は皆、志望大学を「東大」にしていた。最初は目標を高くすることは大切だったし、なにより、高校生 は、大学をいかなる役割を持った機関かしらなかった。確かみみずくは「早稲田大学教育学部」か「心理学部」のマークを塗りつぶした。理由は単純 だ。「早稲田」は「バカ田」と呼ばれていたこと。そして心理学部は、自ら病んでいたこと。しかし図書館で読んだ「思春期の発達の」に関する本によ ると、自らが病んでいるという理由で心理や精神の未知を選ぶことはダメであるとあって、落胆した記憶がある。
 
「東大京大少なくともマーチ」、教室の仲間や教師の唱える呪文にのっとり、仲間は模試で次々とB判定で狂喜乱舞したり、E判定を倉って失望したり していた。重責に推しつぶれそうになりながら、それから逃れ、非行に走ったりすることもなく、17歳のみみずくは環境に順応していった。授業が終 わると、放課後自習のようなサークルも作って、一見真面目に勉強したので、成績は悪かったが、担任からの評判は良かった。何冊もの読みきれない参 考書を抱え休日は横浜中央図書館の地下にある自習室に通って自習する日々が続いた。合間にカントだかキルゴールだとか、皆目着かない本をとっては 戻したりして・・・息が詰まるように、参考書を開いている同世代で、そこはいつも満員だった。もっともみみずくは男子校だったので、可憐な女子高 生がいるたび胸をときめかせて、その背中にばかり目がいき、解の公式の証明などどうでも良くなってしまったが・・・
 
話が飛んだが、つまるところその公立図書館に、リサイクル文庫という、入らなくなった書籍を置き、だれでも自由に持っていってよいとされるコー ナーがあった。そこで再び北杜夫の、古めかしい本を発見したのである。「どくとるマンボウ青春期」 中央公論社 \360… 昭和44年刊とあ る。
 
 
 
(明日は早朝から仕事があるので続く)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

聖母マリア

2011年10月20日

0 コメントはこちら  

中央のステンドグラスから朝の光が小さな聖堂のなかにいるみみずくたちを静かに優しく照らしていた。


外は潮風が少し冷たく強いのに建物のなかはの空気は静まりかえっていた。キリスト十字架、左右に偶像、片方は赤子を抱いていたから、マリア様と思われた。岩戸の下で、星の輝きのもとで、羊たちに囲まれるなか、神の子を身ごもった女性。


午前は利用者を連れて短いといっても2回も散歩にいけた。特養で半年かかって2回しか散歩にいけなかったことをしぶしぶ思いだす。比較すれば劣悪とは決していえないけれど、人生のついのすみかとしては少々寂しすぎる場所だったかもしれない。

徐々に仕事がわかってくる。コミュニケーションなどできないのではと疑った子どもたち、大人たちは、言語を超えたあらゆる次元の方法で、意思疎通をしているらしい。ただまだ、日の浅いみみずくはまるで突然異国に漂着したように、その一部しか垣間見えないけれど。


はやく仕事を覚えたい。
ことに自分より年下の小さな子どもにたいしてその仕事とは、決して親にはなれない、けれども親的な役割を担うことであり、ときにはそれ以上である。

手紙

2011年10月16日

0 コメントはこちら  

手紙を書く。


手紙はご無沙汰だ。
みみずくの好きな遠藤周作に触発されて、怠け心に打ち勝ち、文をしたためる。


相手は、大鬱病のときに、面会にきてくれた大学の教育社会学の先生と、そして寮でお世話になった亡き先輩の両親へ。


あなたさまのおかげでいまの私がいます。あなたがいたから、みみずくはいま、なんとか生きている。伝えたいのはそれだけ。


小さな命を守る重心の仕事、二週間たった。


みみずくは、毎日強い海風に吹かれて、日々強くなっている。

あるいは強くならなきてはならない。

鈴虫の音とともに…

2011年10月14日

0 コメントはこちら  

夜ベッドに寝そべっていたら、窓の外からもろに女の人のあえぎ声が聞こえ、思わず、窓のそとをみる。性に目覚めた思春期の少年ではあるまいに、ちょっとどきどきしたりして。


壁の薄い、築年数100年の浅間温泉時代の下宿を思いだす。ベニヤ板には画鋲の穴が、まるで天の星のように無数にあったっけ。


性の営みに、みみずくは死を連想した。


もしも、生きる目的がセックスをし子孫を残すためで、生命はより環境に適応した強い遺伝子を運ぶためだけの舟だと考えるなら、人間や生物はあまりに哀しい。哀しすぎることで溢れてしまう。


けれども。生きていることは、それだけで世界に影響を与える偉大なこと。そう考える。だから文字通り死んでしまったひとですら生きているといえるし、私を励ましてくれることもある。世界を変えている。


重心の子どもたち大人たちは、助けがなければ生きていけない。自分から主体的に発信することもままならない。


けれども人間対人間の双方向の関わりやぶつかり合いから生まれるさまざまエネルギーは、社会にでることのほとんどない閉鎖的な空間すらを越え、この世界を少しずつ変えていく。


……今まで気がつかなったが、おかげでうちの二階の窓から江ノ島の回転する灯台の明かりが見えるけとを知った。


以上、性と死に関わる連想のお話でした。妄想にならなくてよかったわ。

初めての休日の日課

2011年10月6日

0 コメントはこちら  

海沿いの電車にのって、残した残務…交通事故の後始末や、銀行の手続きなどをして、


時間があったら仕事で推薦された専門書を買いに横浜までいこうと思ったが、くたびれてやめた。ネットが来週つながれば、わざわざ出向かなくても買えるし、それに、専門書を読む以前に覚えるべき基本的なことがたくさんあった。


新しい職場でフルに働けるように、日常生活では睡眠を充分にとり、なんらかの方法で蓄積された見えないストレスを発散し、余力を残すことを心がける。なおかつ、毎晩、腰痛予防の筋トレをする。部屋にはロフトがありそこからちょうどいいかんじに、金属の手すりが下にでていて、洗濯物を部屋干しできるほか、ぶら下がって、腕を鍛えらる。伊豆七島で登山をしたおかげで、半年の特養生活でなまった身体が、目覚めたようなかんじ。


そして、熟知するのに三年かかるといわれた利用者50人のリストをリフィルにして一冊の手帳を作る。


最後に、一年の封印を破り、8月から処方された抗うつ薬、向精神薬、安定剤を飲む。再発したというのではなく、引っ越しや転職などの環境の変化は、うつの引き金になるから、あらかじめの予防策としてだ。


不安定がなければ、いまのみみずくはいないし、いまの仕事もしていない。


たった一錠で人格が変わってしまう、精神薬の本当の恐ろしさは、特養で改めて知った。そして退職の間際、ある利用者の処方量減らすことを働きかけることに成功した。薬物は必要以上に、飲む必要はない。それは最終的には主治医が決めることだが、自立している人間の場合本人が決めてもいい。


そうして、今日1日生きのびたたことを感謝し、明日の幸運を祈って眠る。


いつからみみずくは神様を信じるようになったのか?

仕事

2011年10月1日

0 コメントはこちら  

特養に異動になる前、認知症のかたが入居するグループホームで働いていた。


仕事としての介護は初めてだった。認知症という脳の萎縮による症状に対面するのも初めてだった。(多重人格など精神障害には、自身が入院してやや理解があった。大学で留学する人より、隔離病棟に入院する人が少ないなんて!)


さてそのグループホームのアルバイト、思えば答えのない、難しい仕事だった。目的は、まざまな働きかけと受容によって、古いこばでいうとと問題行動、徘徊や暴言暴力など原因があって生じるさまざまな周辺症状を緩和すること、さらに生きがいや楽しみ、があって幸せと思える人生の最後のお手伝いをすることにあった。


それは理想であり、完璧に果たすことはできない。介護の途中に、こちらが理不尽に思ってしまったり、時間に追われ苛立ってしまうこともあった。受容することは、相手の生きてきた人生のエネルギーをまともに受けることで、生半可な気持ちでは続けられない。


おいしいといってもらえるような料理、きれいといってもられる料理の腕を磨いたり、夏を前に畑を耕したり、野原の花を摘んで飾ったり、楽器片手に一緒に歌ったりする。


嵐の合間に、そんな、小さな、ことをたくさんする。記憶はなくなっても、"感情のようなもの"は残ると思った。たとえばストレスはたまるものであり、忘れて0になるということがないように。


それが仕事だった。いいやそれは仕事というより、単純に人との人間的な関わりだった気がする。

明後日からは高齢者介護とは離れる。


でも福祉は身体のもつまでは、まだ辞めない。

式根島→鎌倉

2011年9月30日

0 コメントはこちら  

三泊の旅最終日は色根島で釣れない釣りをして、浜辺でごろごろして過ごした。


今回立ち寄った、神津島、新島、色根島はシーズンはずれのため、山でも海でもすれ違う人はまばらで、話した人もほとんどいない。


かつて流罪になったり、漂流したりしてこの島々で故郷を思いつつ生涯を閉じた人たち。


明治になって、ときに自然の恵みをうけ、ときには自然の厳しさに打ちひしがれ、島を切り拓いた人たち。


ずっと一人でそんな過去の人たちに思いをはせつつ、鎌倉に帰ってきた。


旅は終わっていない。来月からのここでの生活や仕事は、まだ未知だし、帰ってきた新しい家でかさえ、どこか知らない土地の宿のように慣れない。


だけど、「初めは危ない谷の小川の橋を渡るような心配事は、後に平和に収まる、迷うことなし」と、島の神社のおみくじいわく。神様を信じよう。

新島→式根島 荷物について

2011年9月29日

0 コメントはこちら  

旅の途中で、いつも思うのは、もっと身軽になりたいということ。厳選された本当に必要なものだけを残して。それは日々の暮らしでも同じである。


おおむね人は年齢を重ねるにつれ、所有する荷物が増えていく。それに加え、こころにもさまざまな記憶や感情も蓄積していく。


そしてそれは、時として身に余る重荷になることがある、


みみずくは思う。これは他の人に当てはまるかはわからないけれど、持ち物の多さ、は、こころに抱えこんでいるもの、に比例するということ。


家がごちゃごちゃものであふれていたとき、頭もごちゃごちゃしているように。


荷物もこころに背負い込むものも、取捨選択して整理しないといけない。


というわけで、今日は荷物を全部置き去りにし、服すらも脱いで海に飛び込んできた。


前述したとおりならば


浜は人もいないし水着も本当はいらなかっただろうにちゃんと履いていたのは、みみずくのこころが社会的な何かにとらわれているからかもしれない。

新津島2

2011年9月28日

0 コメントはこちら  

神津島2日目は、昼のフェリーまで時間があったので島を形づくる天上山に登った。

登山道入り口でで必要のない荷物を置いていって、標高572mを海抜0mから二時間かけて登る。山頂は、這松と岩と砂漠のような地形で、太平洋の天上のような世界だった。

港へかけて大きな崩落のあとがあり、昔この島の人たちが島を守るために大変な治山工事をしたとのことである。


こんな時期山にはいる人などいない。かつて伊豆七島神が持ち帰っていった残りの水だろうか。山頂には苔むした草むらのなかに小さな水たまりがあって、幾分ちかくなった空を映していた。

新津島

2011年9月27日

0 コメントはこちら  

神津島(こうづしま)泊

その昔、伊豆七島の神々が、この島の中央の山で、貴重な水の分配を決める会議をした。

結局、翌朝の到着順で分配を決めることになった。翌朝、御蔵島の神が一番のり。最後についた式根島の神が、ほとんどのこっていない水を見て怒って暴れ、飛び散った水が、この神津島の豊富な湧水になったらしい。

誰もいない、風の強い海岸を歩きつづけて1日が終わる。


こんな小さな島にも特養があること。そして島の小学生の元気なこと!


明日はどこへいこうか。

0 コメントはこちら  

竹芝桟橋のフェリーターミナルの猫。堂々としていて。

特養での仕事は無事終わり次の仕事まで一週間休みがある。

余りにも最後の仕事が忙しくて、計画なしの旅行。

芝桟橋からジェット船に搭乗して、行き先は一番遠いからという理由だけで神津島を選んだ。
74�/hでいま東京湾をでた。

おひとりさまの引っ越し

2011年9月23日

0 コメントはこちら  

台風は通り過ぎ、無事荷物は新しい部屋の収まるべきところに収まり、静かに沈黙していた。
  *  *  *


一軒目は、あえて下から攻める。ぴんぽーん。


無言…


二軒目は人気がない。ぴんぽーん。


がさごそ… そして静まる。


夜の8時。時間が遅すぎたか?三軒目は自分の部屋がある二階だ。いわばお隣近所だ。ちょっと恐る恐る、ぴんぽーん。


無反応。


隣部屋の4軒目。怯えはじめたみみずくの意表をついてぴんぽーん、は故障中の張りがみ。


こんこん…こんばんは(小さな声で)


反応がないの過去の三回の経験から容易に推察された。これを演繹法というのか帰納法というのか、あるいはどちらにも当てはまらいのか、わからない。


みみずくは怪しいセールスもしないし、宗教の勧誘もしない。ただ引っ越しの挨拶と、洗剤をお届けに上がったのです。


私は一人。たった一人この新しい町で誰も知る人のいない三日目の夜を迎える。


神様、誰かと話がしたい。

七里が浜

2011年9月22日

0 コメントはこちら  

黄昏どき

家に帰るという実感がまだわかない。

どさくさにまぎれ台風引越

2011年9月21日

0 コメントはこちら  

まだ台風は紀伊半島、遠いはずなのに、横浜はわりと激しい雨が降っている。

本日、金沢→鎌倉へ引っ越し。

時間をすぎた。まだ業者から連絡が来ない。

新しい住居は、海岸にちかく、川の州にある。

引っ越し初日に、避難勧告がでなませんように。

わたし

2011年9月19日

0 コメントはこちら  

2011年の十五夜も過ぎた。
老いたる身の生活と生命を支えているはずのこの自分は、
老いを敬うことなく、敬老の日も過ぎた。

退職と引越しが目前に迫っている。そんな今日この頃。

数えても残りわずかなのに、明日の仕事が嫌だ。
間違いなく過去でない今の自分は、明日が来なければいいと思う。

なにが嫌なのだろう? 

過去の日記見て、気がつくのは、いま、世界が、新鮮さを失い、色あせ、くすんでいること。

月を見ても、なにも感じない。
成長しない、むしろ退化した、無感動なわたし。

* * *

いつまでも続くかと思われた病気は、去った。

あの時の呼吸のできないくらいの重苦しい瞬間をいまはよく思い出せない。

そのかわり、いま

なにをみても心が動かない。

朝露に濡れた草木を見ても、果てしなく広がる鎌倉の海をみても。


* * *

凛と澄んでいた空気。
夜半に聞こえるフクロウの鳴き声。
朝も夜も鳴く、消え入るような秋の虫たちの音。

晩秋の北信で過ごした。仲間がたくさんいて、なのに孤独にさいなまれ病的で訳のわからない憂鬱、苦しみから少しでも逃れようとしてできなかった一日一日のほうが、なぜだろう、いまより比べようもないくらい「生きて」いた実感を伴っていた。
* * *

神様はいま、自分になにをせよといっている?

暗闇に耳を澄ましても、なにも聴こえない。

新しい街での暮らし

2011年9月15日

0 コメントはこちら  

今日、みみずくは横浜から鎌倉に住所を移した。


来月から向こうで新しい生活と仕事をはじめる。それがどんなに退屈な記事でも、このブログは日記なのだから仕方ない。

9月も半分すぎたというのに、朝比奈の峠空にはマグリットの岩のような入道雲が浮かんでいるし、焼けるような日差しが
…実際街をゆく人々の肌を赤く焼いていた……降り注いでいた。


このブログでは、これまで自分の少ないながら体験してきた高齢者介護の仕事について、フィクションですとか附記しつつ、ごまかして書いてきたけれど、


次の仕事は、福祉の仕事ではあるけれど高齢者介護事業ではなく、職場がさらに容易に特定されてしまいしたがって書くことはできにくい。


(例えば、その仕事がまるまる街の山の麓の、少年更生施設だとか、刑務所だったら、いったいどうしてその施設の中で起こる具体的な事象を書くことができる?


それが命の電話のカウンセラーボランティアが、その仕事内容を死ぬまで秘密にするのと一緒のこと


郵便配達人が読んでしまったハガキの裏の内容を死ぬまで秘密するのと一緒のこと

いまや守秘義務がない仕事なんてない。


だから、どうしようか。


気持ちや考えを表現できないとみみずくは、満月の夜に狂って狼になってしまう。


ブログはやめて、全部フィクションの物語をつくろうか…

5回目の引越し 水面の波紋

2011年8月28日

8月1日のバイク事故をかわきりに、少しづつ前へ踏み出している今日この頃。


転職は、はじめハローワークや人材ハケン会社のおかげで、決まった。高齢者介護とは少し異なる福祉施設だ。公には求人は出ていないようで、もし個人で探していたらとても転職は難しかったと思う。


押入れに封印していた教員免許状が思わぬところで役に立って、介護福祉士の資格がないのに、児童指導員として雇ってもらえることになった。


ヘルパー2級も今の会社から取らなくていいといわれていたが、とっておいてよかった。2級なしで、介護経験二年半ですなんていったら、果たして雇ってもらえたかどうか。


* * *


そして秋が来ると同時に、鎌倉に引っ越すことになった。江ノ島の近く。みみずくの故郷の湘南の海。きっと生まれてはじめて見た海も、記憶の最初の海も、湘南の海だった。対岸のないどこまでも広い藍色の海。


希望は広き 相模灘・・・
理想は仰ぐ 富士の嶺・・・
湘南の海をみると小学校の校歌を思い出す。子どもの時、海はもっと狭いものに思っていた。いいや、海の広さなんて。考えが及ぶまえに、狭い町のすべてが好奇心の対象だった。


25年で、逗子、横浜、松本、長野、横浜、鎌倉と住まいは変わり、5回目の引越しとなる。


5回だなんて。


いちいち数えるなんて、よほど過去を振り返る人なんだなと笑われてしまいそうだが。


でもね。


後、人生で引越しは何回あるのさ? 


明日が必ず来るなんて誰にもいえない。


だから、みみずくは、日記を書き、その土地土地での思い出を振り返り、真夜中に後悔したり、恥ずかしくて叫んだり、たまにほっこりしたり、する。


思い出や過去は形がない、残らない、という。だから人は死んだら、それで終わりなのだと。


でもほんとうはそうではない。


たった一秒前の一呼吸すら、地球や宇宙のその後を多かれ少なかれ変えていく。


バタフライ効果といって一匹の蝶のはばたきが、結果、遠く離れた場所で嵐を呼び起こすこともある。




江戸時代の「恩送り」や「情けは人のためならず」という言葉は、小さなの行いでも、それがまるで水面の波紋のように広がり世の中を巡りめぐっていくことをいっている。

* * *

親しい人が亡くなったとき、介護をしていたお年寄りが亡くなったとき、こう考えると、楽になれる気がする。

生きていることが、誰かに影響を与える営みであるならば、人は命を失っても、永遠に生き続けている、と。現に、過去失った人は、今日の自分の行動を決めるほどの力をみみずくに与えてくれているのだから。











嬉しいことがあればきっとその前に

2011年8月19日

0 コメントはこちら  

一身上の都合で仕事を辞めるという状況で、みみずくは、もともとない自信をさらに失っていた。そんな日の連続一人夜勤入り…
冷蔵庫に小さな紙がはってあった。昨日の夜勤で、交代したショートステイの早番からだった。
——————————————————
みみずくさんへ
夜勤お疲れっす!!
ちょっとだけよいお知らせです♪ 
今朝、ショートの複数の利用者さんが、みみずくさんのことを、優しい子ね、親切だね、真面目な子だね、頑張ってと伝えて(笑)…と言ってましたよー。
やったやないかー

よっ、日本男児! 
というわけで今夜もパーリナイッ頑張ってー 
匿名希望
——————————————————

一晩のお付き合いの利用者さんから、そんな言葉が?毎日、気の合わない同僚上司から、みみずくは注意されてばかりだった…信じられない。そしてみみずくは、お年寄りから見れば「子」なんだ。
そしてこの手紙を書いた主は、それをどうして自分に伝えようとしたのだろう。
みみずくは、涙を噛み締めて、しかし会社を辞めることにかわりはなく転職にいそしむ。
自信をくれてありがとう。

満月今宵大切な人

2011年8月14日

0 コメントはこちら  

みみずくの家に遊びにきてくれた深夜、大切な人。


急だったし、仕事終わりのこんな時間だったので大慌てで部屋を片付け、


レモングラスのお香を炊いて、山梨て買ったろうそくに火をつけて。


何か!何かださなきゃ、と思い、インスタントコーヒーしかなくて、


やかんがないのでバーナーとコッヘルて、湯を沸かして。そう、安曇野のミネラルウォーターがあった。


とりあえず、夏みかんでも食べてよね。これうちのばーちゃんちでいっぱいなるの。


ゆっくりしてって下さい?どうせもうバスもタクシーもないし、そんな乗り物なんていまのあなたには必要ないものね。


なんか疲れてるの?
悩みごとあるようだね?


久しぶりだから一緒に飲みたいけれど、うちにいまお酒はないんだ。レキソタンならあるよ。うー最近一年ぶりにまた先生んとこいったんだ。薬の力を借りることは悪くない。コーヒーはやめて、これを飲んで少し眠ったら?


僕?


おかげさまで相変わらずなんとかやってる。元気だよ。まだまだ勉強しなくちゃいけないね。ありがとう。いつも見守ってくれていてありがとう。


少し高い場所から、風のように見守っていてくれるあなたの気配を感じています。


みみずくはいつでも、あなたの味方。困ったらいつでもおいで。といいつつ、相談しちゃうのはいつも自分のほうだけどさ。


それにもう年上になったわけだから、しっかりします。


帰る?
うん。
忙しい時に寄ってくれてありがとう。
名前を呼んでください。
そしたら仕事中でなければたいていいつでも会えますから。


ではね。

25歳 支えられて

2011年8月3日

0 コメントはこちら  


嬉しいことがあれば
きっとその前に
嬉しいことを誰かに
したのでしょう
辛いことがあれば
きっとその前に
誰かに辛い思いを
させてしまったのでしょう

残念ながら 僕らは
こんな風に色々抱えて
生まれてきたんです
そのままが特に
美しいモノじゃないんです

だけど

生まれたときあんなに
大きな声で泣いたのは
このココロとカラダを全部使って
今度こそは誰かに何か
良いことをできるチャンスを
もらえたのが嬉しかったからなんです

絶対痛くないからと
歯医者につれて行かれて
飛び上がるほど痛かったなんて
やっぱりイヤでしょ?
だから本当のことを言うね
生きていくことは
とてもとてもとても大変だし
それが当たり前なんです

残念ながら 僕らは
こんな風に色々抱えて
生まれてきたんです
そのまま何もしなければ
それなりの人生しかないんです

だけど

生まれたときあんなに
大きな声で泣いたのは
このココロとカラダを全部使って
今度こそは誰かに何か
良いことをできるチャンスを
もらえたのが嬉しかったからなんです

そして最後の日に
この歌を
自分のために歌えるように

Happy birthday to me
and
HAPPY BIRTHDAY TO YOU.

みみずくが好きな槇原敬之の曲です。今日で25になりました。
現在、いろいろ転職だったり、事故だったり、苦しいですが、転機を迎えているようです。

暗闇だから見える光がある、というように、けれどもそういう辛い時、意外なところから励ましをくれたり味方になって下さる人がいて、普段何もなければ気づかない、感謝すべきことにも気がつきました。

詩にもありように今度こそは自分が誰かに何か
良いことをできるようがんばりたいと思います。


月夜のみみずくの顔の知れない読者様へ、感謝の気持ちを込めて。

月夜のみみずく

交通事故

2011年8月1日

0 コメントはこちら  

じゃあ気をつけて。


ホームセンターでカブに乗っていた人から声をかけられた。同じカブて、見慣れない新しい車両だったからか声をかけられたあとだった。


気をつけて。そのことばがまるで予言のように耳に残る。


電車のなかで亡くした財布を取りにいった帰りだった。次の仕事さきになるかもしれなかった、その日、みみずくは、満員電車の人に押され、財布をホームにおとしていた。


こんどは交通事故。


退職願をだしてから悪いことが立て続けにおこる。

まえの車が急のつく急転回して、さけられず衝突。


体が、痙攣している。親切なおばちゃんがかけよってきて、目の前の消防署に通報してくれた。


自分で病院にいける気がしたので断ったが、足を捻ったらしく、すでに到着していた救急車に載っていくことをすすめられる。


警官がぶっきらぼうな物言い人で救急隊の人は、悪口をいっていた。久しぶりに味方を得たような安心感がした。


足は捻挫ですんだ。


夜勤なので、欠勤希望の連絡を入れるのがこころぐるしい。


職場からは夏休暇を前倒しにさせてもらいますとか、いつこられるか、そういった実務的なことばかり。事故にあった私、それはミスをし、業務に穴を空ける存在でしかない。


疲れた。


他のことは考えず、
迷惑も考えず、一週休みとする。実際足を捻挫しているから働けない。


保険会社の人だけ、味方をしてくれる。


お金、だけか。この世界は。

私は会社を辞めます

2011年7月26日

0 コメントはこちら  

職安にいくために、
ずっと前に書いた履歴書を、探している。
履歴書は出てこない。

かわりに、勤めていたグループホームの家族からの手紙が、いくつか出てきた。

* * *

冬の早朝。どうしても夜勤者一人では対応できない利用者がいて、
家族はホームに預けているというのに、そのことで困り果てていた。
考えあぐねて出た結果が次のようなものだった。

だれか、その時間に、一対一で付き添ってもらえないだろうか。

1つ返事で、引き受けることにした。謝礼が出たが、引き受けたときは、ボランティアのつもりで、早朝四時に起きて、せっせと冬の坂道をホームに向けて走っていた。

あのころ、病み上がりの自分に仕事らしい仕事が勤まるなんて思っていなかった。
だからどんなにがんばっても月額10万いかぬ給料に不満を覚えることなく、仕事をしていた。なにより、人の役になれることだけが励みであり、それが自分の「自立支援計画」にどれほど役に立っていたことか。


* * *
そしてそれから一年後、自分は会社の社員になった。
給料は倍になった。そうして、若い社員の集まる別の施設に移ったのが4月。

仕事の量はさして変わらない。問題は山積であり、どちらが大変かといわれればどらも同じように大変である。しかし大変なのは、理想や目的があってそれを追求するためではなく、定められたノルマをこなし、理想の数字で埋めるため、という気がした。その日一日、何人のお年寄りを笑わせたではなく、何人風呂に入れた、か。

社員になると、会社全体の様々な情報を得られる。

この会社は中身をおろそかにして拡大することを最大の目的にしていないか?
利用者を缶詰にし、ただ生きながらえさせるだけの施設ではないのか?

とにかくも受け皿を必要とする高齢社会の日本において、あながち間違っているとはいえないのかもしれない。

けれども、セオリーに反している。

おかしいと思ったことを、変えるだけの力を持ち合わせていなかった、変えるだけの力を作れる仲間もできないまま、次第に自分も、業務優先の、介護者本位のまっとうとはいえない介護をするすべが、身につき始めているような気がしていた。

* * *

そんな矛盾を感じていたさなか、

人を殺めかけた。

しかも過失だけではなかった。

食事介助をしていたら、相手がのどに詰まらせた。

(この人は麻痺していて自分の力でスプーンを口に運べないという判断で、介助者が口に食べ物を放り込んでいた。しかし実際は、最後まで自分の意思でスプーンをもち、口に運べる。窒息の詰まらせた原因はそこではなく、刻みが足りなかったことにあった)


明らかに窒息しかけて、看護師を呼ぶ必要があったにも関わらず、
恐ろしいことにその場にいた同僚に、声をかけるのをためらった。

自分の中に悪魔が蠢いていた。

即座のずるがしこい判断と、これまで何度も反復していた知識で、異物を取り出すことに成功した。最終的には、のどの奥に指を突っ込んだ。

指に当たったのどの奥の異物の感触は一生忘れられないと思う。

その直後異変に気がついた同僚が駆けつけて、看護師を呼び、サチュレーションを計りつつ吸引など施したが、峠を越えていたことは、自分だけが知っていた。

ようするに嘘をついた。

しかも。それはうまくいっていない会社の権化のような同僚だった、という恐ろしい理由で。自分のプライドを、無意識に相手の命よりも優先した。

事後、事実は看護師と上司に報告して、その次の日、退職願いを出した。

看護師は一刻を争う状況判断は正しいとフォローしたが、周りに援助を求めなかったのは、明らかに不適切だった。

* * *

だので、

もう降りるより仕方がなくなってしまった。

偉大な企業になるためには、反感を持つ社員がやめて、同士が残ればいいという法則を、最近会社の時期リーダー要請研修で学んだ。

だとしたら、早いところバスを降りるのが会社のためであり、自分のためであり、誰かを殺めてしまう前に・・・

あとはどう辞めていくか。

「後は野となれ山となれ」か「たつ鳥跡を濁さず」か。

もっともらしい批判や、言い訳はいくらでも考えられるし、それを一生懸命働いている周囲に漏らすのは、容易で残酷で、そしてさらに痛快かもしれぬ。自己嫌悪を増大させながら。

しかしそれをしたら、もう生きてゆけない。

すべて目に映る事象は、自分を映す鏡だとおもう。
相手の悪いところが100あれば自分の悪いところも100ある。

それをすべて洗い出すために、神様は、事故を起こし、そして救ってくれた。
のかもしれない。

お化けになりかけた

2011年6月24日

0 コメントはこちら  

夜勤まえに家で仮眠していたら金縛りにあった�


目を開いた瞬間の視界が固定され、長い間動けない…�


説明しにくいけれど、まったく動けなくはない。
なんとか動こうとして、手をあげたり、膝を曲げようとしたり、寝返りをうってベッドから落っこちた…


�と思ったら不思議なことに、つぎの瞬間、またもとの場所に戻っている。鉛のように固くなった身体に戻っている。


動きたいから、それを何回もつづける。


意識だけが動けるようで、確かにベッドから落ちた衝撃は感じるのに、つぎの瞬間、またもとにもどるの繰り返し。


ユウタイリダツなんて、ばかげてるけれど、そのような状態に陥る。あるいは脳の錯覚で。


意識が、元の動けない身体の場所にもどらなかったら死んじゃうのだろうか。


金縛りの時間がどれくらいつづいたのかわからない。1分 いや10分……もっと長いあいだ……


取り合えずわかったのはユウタイリダツ、つまりお化けになっても、フワフワ浮けるんじゃなくて、重力でベッドから転落するということ。


あるいは不器用なひとだけそうなのかもしれない。

今夜見えない月

2011年6月16日

0 コメントはこちら  

ETUDE - a Wish to the Moon -
久石譲 2003

たまに月のイラストに惹かれただけで、本やCDを買ってしまう。
久石譲のアルバムだが、北野武やジブリの誰の耳にもなじむメロディーではなくて、不協和音の多い、目をかっと見開いたような、憑かれた曲ばかり。

「月」はいつも穏やかではなく、常に狂気を秘める。

村上春樹の1Q84・・・ 気づかないで読み終わった人もいるかも知れないが、写真では確認できないほどの 薄く消えそうな月が背景にある。

目を凝らすとたしかに月が2つ夜空に輝く、軌道をはずした世界。

明日の明け方、日本では皆既月食が観測できる。

3月12日に、夜空に浮かんだ不気味な月。

地震のせいばかりではない。
最近の月は、何か不吉なものを感じる。

月夜の…

有給に関する考えかた

2011年6月6日

0 コメントはこちら  

有休の事実

�有休を取るのは権利である。


�有休というのはとりずらい雰囲気がある。


�実際有給をとると、そのぶんだけ、ただでさえ人の少ない現場はさらに追い込まれる。


上司は、上記の事実を知ってか知らぬか、とにかくこういった。


「これからは与えられた有休を全て使い切りましょう。つかわないでいるとあとで泣きをみます」


まあこう言われれば
翌月から10ある有休の一日や二日分くらい消化する人も出てくる。やっぱもったいない気がするもんね…。なかにはいきなり月に半分消化するひともでてくる……


ともあれ、有休に対する考えかたはひとそれぞれ自由だと思う。


有休を使って、単に権利を行使するもよし。

有休を使って、自分をさらに磨く旅にでるもよし。

有休を使って、ひたすらだらだら一日を満喫するのもあり。


有休を取れるほど現場に暇はないと憤って、バリバリ働くのもいいだろう。


有休をとらないで、一日でも多く貴重な仕事経験を積みたい、そんな人もあるかもしれない。


大切なのは、まわりに振り回されないこと。


使うなら使って休む!
使わいなら働く!


……三年働いて自分の有休は使ったことがなかった。使ってみようか。


まるで、はじめておこずかいをもらって、駄菓子屋の前で躊躇う子どものような心境。

子どもの力

2011年6月5日

0 コメントはこちら  

職場は大事件がおきて混乱をしているが、
それとは関係のない話。

昨日同僚が、仕事終わったあとに小さい子どもをつれてきてくれた。

(狭い団地にいさせるのなら、職場につれてきて、職員におもりもしてもらったら・・・と入知恵をしていた。悪知恵ともいう)

子どもは素直なとこがあるから
しわくちゃのおじいおばあが、もろ手を挙げてあやそうと笑っても、
同じ様に顔をしわくちゃにして今にも泣きそうになり、「パパーあせあせ(飛び散る汗)

けれども次第に慣れてくる。
おっかなびっくり近づいてゆく。

生気の失われたお年寄りが、
子どもと同じ空気を吸うと、

そこには不思議なコミュニケーションが生まれる。

夜明け前の暗い湖の水面が、
一筋の朝の光を受け・・・風が吹き抜けていくように。

吹き飛んでしまう。
明日にも死にたいともらす、気力を無くしたおばあは立ち上がり、
恥ずかしがりやで言葉すくないおじいも、拍手をして喜ぶ。


介護職員がいくら昔の歌謡曲を覚えたって、
かなわない、力が子どもにはあり、

その力を受ける皿を、老人は持っている。

さて、帰り際で自分はなにをしたかというと・・・

シャボン玉をあげたり風船をあげたりして、いい子だねまた遊びにきてね、と。モノで子どもを釣ろうとする自分。子どもでもお年寄りでもない中間の「大人」って汚い。いや自分だけかほっとした顔
 
でも治療のあとおもちゃをくれたから、歯医者にかようきっかけになったなんてこと、だれでも経験あるはず。

そんなことをしなくても、本当は老人ホームやお年寄りは子どもにとって面白い要素が満載なのだ。

憤り

0 コメントはこちら  

以下は架空の話し。現実に存在する団体や個人には関係ない架空の話し。


頭部に打撲跡。それは昨日の夕方発見された。原因は不明。


それを家族が知ったのは、今日。家族がこちらにきてから。昨日の発見時に電話一本でも報告をしていれば、今日の顛末はなかった。あのとき、自分はその場にいた。すぐ家族に電話して報告すべきと思った。しかし看護師を含めた話しあいで、明日、来たとにすればいい、となった。だからしなかった。言い訳だ。


今日事実を知った家族は、怒った。いや怒ってはいない。静かに不信の目をむけた。相談のうえ、いますぐ責任者と話しをすることを希望した。当然といえた。自分がサービスを利用する家族ならそう思う。


しかし複数いる責任者とはだれも連絡が取れなかった。施設長をはじめ、最高責任者まで。みな不在留守電。だれにも連絡は取れない。


福祉施設の上長、それは休日だろうが深夜だろうが、連絡をとれないということは許されない。
しかしだれとも連絡はとれなかった。

折り返しの電話。


最高責任者はディズニーランドにいっている?ディズニーランドにいくのは、自由だ。休日の家族サービスをしていけないということはない。


けれどもかえす言葉を失った。あまりにも、火の車の現場とエンターテイメントパークのギャップがありすぎた。


人手不足でここには介護するのは自分ひとりしかいない。なにもない日ですら通常の業務だけで、手一杯の二人シフト。


一緒にいた上長である看護師は、このばに及んで追い撃ちをかけた。悪いんだけど用事があるから定時に帰りたいの。どうしても帰る。飲み会らしい。事態の深刻さを認識していない。


どうかしている。


ふざけんな帰るなとはいえない。かわりにこういうことて、残らせることに成功した。すなわちこの事態は、訴訟まではいかなくても、会社の信用にかかわるかなり深刻な問題に発展する可能性があります。そういうとき、いま現場にいるあなたが、私事で現場を離れていたとなると、あとでまずい立場に立たされるんじゃないですかねぇ?


やっと連絡のついた施設長は、自分は引き継ぎがすんでいないから、話しができない。まえの施設長に連絡してくれ、と。4月の人事異動から、もう二ヶ月たってんじゃねえか!引き継ぎがすんでいないなんて…


家族を三時間またせた。


聞いていたコミュニケーションがとれない家族なんかじゃない。とれないのはこちら施設職員の手落ちだ。クレーマーなんかじゃない。日頃のコミュニケーション不足が、こういうときさらに悪い要因としてマイナスに働く。


事実を述べ、記録をみせ、あたまを下げるしかできなかった。


上は経営には多少脳があるかもしれないが総じてばかである。


辞めたい。


辞めたい。でもまだ辞めない。どこの会社にいったってどんぐりの背くらべ。腐った老人介護施設。


自分は、助けを必要とする眼前の人ために働いているつもりだから。


ばか。

福祉における「合理化」のジレンマ

2011年6月2日

0 コメントはこちら  

合理化をめざす会社においては、当然残業をしない(なすべきことを時間内に終わらせる)職員が評価される方向にむかう。まあもとより残業しても残業代はでないからすで合理化されているのだが。


「時間内に業務を終わらせるなんてこと」は、ある意味、実に簡単なことだ。悪魔になればいい。


頑張れば歩けるじじばばを、すいすい車椅子にのせてトイレに連れていけばよい。


ゆっくりとなら自分でからだを洗えるのに、こちらで手早くちゃっちゃか洗ってしまえばいい。


よく噛めばたべられるのに、最初から食事をこなごなにすればいい。


自立を無視し、相手のペースを無視すれば、定時に上がる。ロボットのごとく。


だがそれは、当然まっとうな介護ではない。


ジレンマだ。


よく考えてみる。


こきあを雇っている会社は、確かに福祉業界では眉唾の「合理化」ばかり叫んで、職員は内心辟している。


が。「合理化」しろといっても少なくとも「良心」を捨てろとはいっていない。


いちおうは利用者対応以外のところて、テキパキ動け! といっている。


皿洗いとか汚物処理とかリネン交換、掃除とか。

(しかも忙しい姿を利用者に見せるな!)


求められる
レベルが高い。


その求められるレベルに自分は到底達していない。


悔しい。


もうちょっと修業が必要だ。

給料と合理化

0 コメントはこちら  

つきつめていえば、給料なんて、どうでもいい。自分を養うだけもらえれば。大事なのは精神の安定を保ちつつ、自立した一人暮らしを継続できること。そして、自分がまあ、まっとうに生きていると実感できる確かな手応えのある仕事をしたいだけ。

などと達観したふうに書いたが、給料が下がるのはやっぱり……いい気はしない。

4月から。夜勤手当がなくなった。よく考えれば雇用契約にはもともと夜勤手当なるものは書いていなかった。以降法律で決められた25%増し額が支給される。いわば法にふれない最低限の賃金である。

残業代は申請しなければまったくでなくなった。時間内に業務をこなし、定時に帰れるのが評価される職員なのだ、とうちの会社の上層部は考えた。

自分が従業員でなく、経営者ならまあ当然そう考えるだろう。たとえ現実に時間内に仕事をおわらせられる「有能」な社員がそういないにしても。

社会福祉法人が拡大するための経営
=合理化
=削れるもの全て削る。
といってじばばをテレビの前に座らせて、三食納豆ご飯にするわけにはいかない。サービスの質はをおとせない。だから人件費を削る。人件費を削ってもサービスの質は落とすな!

転倒してじじばばが入院すれば施設は一日いくらの赤字がでます。だから転ばせるな!転ばせたのは、職員がその時間帯、フロアをまわすのが一人しかいないからじゃない!一人で全てみろ。背中にも目をつけろ。

ようするに、給料を減らしつつ、人を減らしつつ、もっとじじばばの為にに働けといっている。いやじじばばのためではないかもしれぬ。もしかしたら…

とにかく、会社とは、無理難題を押し付けてくるものだ。その無理難題を解決すれば、成長するとでもいうのか?

ひとつ言えること。
サービスに関して、施設の運営に関して、なにが正しいのかなにが間違ってるのか。それは簡単なものさしがある。

自分がしわくちゃのじいさんばあさんになって、老いを背負うたとき、自分んとこの施設で暮らしたいと思えるか。

これに尽きる。

(明日に続く)

Fw:

2011年5月24日

0 コメントはこちら  

悩みは、 
かなりの人が多かれ少なかれ抱えているもの。 
 
もうこの鉄格子を何とかぶち壊して、頭から飛び降りて死のうかというような悩みもあれば、三ツ星レストランに入ってメニュを見て、岩手仔牛の 脳味噌のボルドーワイン煮かレンズマメのスープにするか、三種類の葱サラダにするか 春の温野菜の盛り合わせにするか迷うようなうような、 どっちだってさして違いはない悩みもある。 
 
 
kokiaの悩み。 
 
 
日常の大半をその思考に当てる悩み。 
 
 
 
それは2つ。 
 
 
シゴトと人間関係のことがまず、1つ。それはありきたりだとして。何とかできるとして。 
 
 
もう1つは……そして「原子力」のこと。 
 
 
もう数ヶ月もそうだ。 
 
 
ひとは笑うだろうか。 
 
 
* * * 
 
笑ってくれてもかまわない。 
メディアに毒されてとかいう人もいるかも知れないが、 
 
みみずくの家に少なくともテレビはない。今日のニュースで、東電がメルトダウンを認めたであるとか、そういった類の後出しのニュースではな い。まして電力会社を大きなスポンサーに抱えた報道であることは、だいぶ前から知っている。最近TVがその大株主に見切りをつけ、真実らしい ことを報道し始めたのも、知っている。 
 
 
風評被害と呼ばれるものが、第一次産業の担い手、そしてそれを保護する政治家からばかり発せられえ入ることも知っている。 
 
報道された内容が、事実であると思うのは少なくとも、小学校で新聞社の後援を得て、授業をするまでだ。 
 
 
* * * 
 
最悪の事態は、発電所が爆発して、県単位で周囲から避難しなくてはいけないとだけではない。 
 
自分の、愛する人がガンに蝕まれる。 
 
わが子が、奇形を伴って生まれてくる。 
 
そんな「自分」に関わる可能性のことだ。 
 
 
* * * 
 
社会の歯車ななかで生きている。 
 
この手もとの文字を照らす明かりの一部も、原子力によってまかなわれた電力に依存することも間違いない。 
 
それでも、疑問を持たなければならない。 
 
疑問は、自分で確からしい情報を探り、その疑問が確からしいことを常に裏づけしなければならない。 
 
裏づけには、生半可ではない学習が必要だ。専門家と同じレベルにまで、学習経験をつむ時間はしかし一般人にはない。要点をかいつまんで。一ヶ 月かかることを一分で学ぶこと。 
 
それは異国で書かれた書物の、帯だけをみるような作業であるが、 
しかし帯というものは、優秀な編集者によってたいてい、その書物の意図する核心を突いている。 
 
そうした過程を踏みつつ、残った疑問があるはずだ。 
 
すべきことを、しなければならない。 
 
とても勇気のいることだ。

訃報

2011年5月18日

0 コメントはこちら  

直接深く関わった人が亡くなった。

…さん、…さん、…さん、…さん、そして今日…さん

仕事をはじめて二年余り、これで5人目だ。

どの人もまだまだ生きると思っていたのに。


年齢からすれば天寿を全うしたかもしれない、でも…


一人の人間が死ぬということは、その人が生きた途方もない月日の歴史が消えることだ。


たぬき坂、キラク煎餅、へいらく小学校、みんなて私をいじめるの、伊勢崎町のあたりでね、犬がいてね、すぐげんこつが飛ぶの、ももちゃん、ありがとう、お世話になります……


最期の日常を共にし関わった人でなければ、肉親ですら、わからない言葉が、消えていく。消えていく。


介護は夕方の仕事かもしれない。いつまでたっても夕方の仕事。夕日であり、落日であり、それが、外で遊ぶこどもたちにとって最も楽しい時間であったように。そうなるように、日々、仕事をしなければ。


そうしなければ。

残雪と「おひさま」と

2011年5月17日

0 コメントはこちら  





日曜日、小さな森のコンサートにいってきた。
http://www.kinominomori.com/

山梨県内の授産園や作業所が、八ヶ岳のふもとの農場に集まって、日ごろ作っている製品の販売をしたり、バンドを招いてコンサートをしたり、踊ったり、シャボン玉飛ばしたり、みんでわいわいがやがや。

五月の空はどこまでも青くて、緑が都会のそれに比べ、まぶしいくらいみずみずしくて。日焼けをしてしまうくらい日差しが強くて。

何より、こんな時期まで雪が残るくらいの山。

中央線に乗ると、なんだかこころも気持ちも、昔に戻った気がする。
昔といっても信州に住んでいた数年間のことだけれど。

* * *

帰ってきて、朝早く仕事に出かけ、ちょうど朝食の忙しい頃、テレビでは「おひさま」が流れている。http://www9.nhk.or.jp/ohisama/story/week07.html
脚本 http://www9.nhk.or.jp/ohisama/special/okada/

柔らか食事がどれ、減塩がどれ、糖尿がなんだと、一人任されたユニットをくるくる回っているから、毎日流れていてもどんな話なのかわからないけれど

どうも、ヒロインは信濃大町で、なりたての教師で、戦中か戦後の貧しい時代の話らしい。先生のおすそ分けをもらいたくて、わざと弁当を忘れた子どもたちが、野草を集めて粥を作っていたりしていたから…

戦争に突き進んでいった時代の捻じ曲げられた教育であるけれど、どこかそれは今の教育より健全というか、生き生きとしていた。(ドラマはドラマだが、そうではなくって、昔信州が誇った信濃教育のこと)

kokiaは「おひさま」の主人公が行った長野師範学校の後身である学校に行き、たぶん根っこは同じの学生寮に住んでいた。

でも教師にはならず(なれず)、介護のシゴトをしている。

だから、

ちょっとまぶしい「おひさま」でもある。

ことに山梨で連なる山の残雪をみたあとは。

連続する事件

2011年5月5日

0 コメントはこちら  

守秘義務なのだが。

日記に書かないとどうかしてしまいそうなので、書く。

人は言い訳や正当化をしなければ、潰れてしまう。

以下はあくまで空想の話として。


* * *

一件目

おとといある介護者は、
入居者に雑用を頼まれ居室に入ったわずかの間に、
別の人が立ち上がり、ばったりと転倒し頭部を強打、場所は不明だがどうも臀部あたりを打ち付けた。

過去に転倒があり、リスクが高いならば、必ずマーク(常時見守り)をしたのだが、異動してから得た少なくない情報では、すくなくともその人のリスクは予測が困難なものだった。これは言い訳だ。

明朝出勤の看護師に再度のボディチェックを申し送ってその晩日付が変わる頃帰ったが、事態は危惧すべき最悪の事態、すなわち救急搬送され入院と手術となった。

事故のあとこきあに引き継いだ夜勤の人はさぞかしいやみを言われたであろう。

「この病院にまともな医者はいないのか」
「○○を呼んで、文句をいいつけてやる」

ひょっとしたら平手打ちもばしばし食らったかもしれない。

特別養護にお金を払って入るということは、お金で介護の困難を委託するということだ。対応が極めて困難な利用者がいて、はじめて経営が成り立つといわざるを得ない。


さて事故現場にいた発見者はその介護者であり、責任を負わなければならない。当然のことだが、施設内の報告書をはじめ、行政にも届出、ミーティングの議事録など、とても業務内では終わらない仕事が、うわづみされる。


原因と対策は無数に挙がる。
しかし、それを煮詰めて煮詰めて、最良の事故報告書をかいたとて、
結局福数人を一人だけでで見ることに限界があることに、
触れる人はいないし、それは、責任転嫁のいい訳になってしまう。

仕事が増えることが不満なのではなく、
人を転ばせ、その人の歩く能力を永遠に奪ってしまうかもしれない恐怖と重圧・・・

だれしもがが、同じ状況にいたら、同じ事故は起きたと、なぐさめの言葉をかけてくれる同僚がいるのは救いだった。

だが、その場にいたのは紛れもないその人ひとり。じぶん。

介護の仕事において、過失によって人を殺すこともある。何千万円という賠償責任をおうことも実例として身近にある。

しかし、せめて休日返上して見舞いに行くことしかできない。

* * *

二件目。

今日、早朝から通常業務と、加えて昨晩の事故処理に追われて、ようやく帰ろうとしたら、すれ違いに「こきあさん、今朝Aさんの入れ歯入れましたよね」

 ?


こきあ「入れたと思います…(断言できないが95%くらいの確率でまず間違いなく自分が入れたと思います)」

義歯は見つからなかった。職員7名が二時間かけてありとあらゆる場所を探した。

「最後に義歯を見たのはあなただよね。あなたが来てからほんとトラブル起きるよね」

そういわれると責任は自分にあるらしい、ないしは負うべき運命にあることが感じられた。

集積所に出したごみを漁る。

生ゴミにまぎれている可能性が高いので、同僚は生ゴミを漁る。

自分はこれで義歯がみつからんければ、いよいよ自分の責任だと思い、
転倒の件もあって心苦しかった。

何かあるたびに自分の過失にされるのではないか・・・

同僚が手をつけず去っていった袋を見る。

手のつけられなかった、汚物の入った袋を一つ一つ開けていった・・・


* * *


汚物とは排泄物である。オムツであるとかそういった類の。

汚物といえば上品だ。相当の言葉をつかうと、過度の下剤投与によってもたらされた下痢便の山、うんこまみれのごみの山である。便を処理することは介護職にとって日常茶飯事であるが、無秩序に集積された便の山を相手にすることはそうない。

ここで気づいたのは、ハエは、汚物の袋よりも生ごみの袋のにおいをかぎつけ集まってくるということだった。確かに栄養学的に見れば、排泄物より、台所の生ゴミのほうが、消化吸収されていない分栄養価は高いはずだ。自然のことわりである。

どのくらい時間がたっただろうか。

義歯は見つからなかった。

異動してから間もないのに、早くも3件目の事故異常事態報告書の構想を練る。


* * *


別に疲弊しているわけではなく、むしろ、単調な業務や、おとといの転倒事故にに比べれば、気が楽だ。

けれども憔悴していた。ここ数日働きづめであったから。

帰宅してまもなくして、電話が鳴った。

* * *

同僚「あったよー」

こきあ「あった?」

同僚「袖の下にはいってた。みたんだけど確認しきれてなかったみたい」

「それはよかったです、はい本当に」


* * *

教訓。


1 経験から入れ歯紛失事件は、当事者から半径1メートル以内で見つかる可能性が90パーセント、初期段階でそれに気づかず、多大な時間を浪費するケースが90パーセントということ。

2 毎回比較的初期の段階でゴミ漁りをするが、それは、収集車に持っていかれるという最悪の事態を想定してのことだと思われるが、過去の事例から、ゴミにまぎれる可能性は、非常に少ないということ。

3チームワークにおいて事故の責任が一人になることはありえない。責任は全員にあり、最終的には上司や管理者が負う。しかし当人は自責の念に駆られることが多いので、もし仲間が事故を起こしたら、全力をもってその人を、フォローする。

仲間が責められていたら、自分にも責任がある、といいたい。

恐るべき社会の人々

2011年5月4日

0 コメントはこちら  

社会に出て3年目の春。




職場も変わり、規模も人数も増えた会社の中で働いている。

社会福祉法人といえど、その中身は特殊ではあるが会社組織であり、

みみずくのような介護職にも、介護にとどまらず、様々な雑務が加えられる。



そしてその3年目の春に思うことは、仕事が・・・介護という仕事が、人間関係というつまらないもので、ますますやりづらいということだ。はっきりいって、仕事を辞めたい。現実は辞められないのだが。





今日は月一の全職員のミーティングの日。

休日の人間も出てこなければならないが、前の職場グループホームと違うのは勤務時間には該当しないため、給与は出ないという暗黙のルールがあるということ。私服で参加する人がいるのはそのためだ。世間一般で介護の世界、とりわけいまの会社の労働環境がどうかなんて、他の仕事をしていないからわからないけれど、控えめにいっても悪いほうの部類に入るのは確かだと思う。





さて。その会議の議題の一つに、利用者の物品購入における際の領収書の切り方、処理の仕方の説明があった。



簡単に言えば本来事務がやるべき仕事が、人件費をケチっているため、介護職がこなさなければいけないということだ。



その手続きはとても煩雑で、長きに渡って2人の事務職から説明がなされたが、その二人の説明のやりとりに、唖然としてしまった。



これまで勤めていたおばちゃんが、説明しようとする。隣の新しい事務職のおっさんは、話が途中なのに口を挟む。マスクをして、腕組みをしているはげたおっさんである。二人とも違うことを言う。おばちゃんは、男事務の「それはまだ正式に決まっていないことだからと」口を挟むと、おっさんは



「黙って!」



「ちょっと黙れ」



などと強引に自分本位の説明をする。



事務といっても、介護職より地位は高い。組織では幅を利かせている。



学校の授業にたとえれば、二人の教師が生徒の前で意見の相違でけんかしているようなものだ。



直接介護という仕事を一緒にしない人間でさえこうである。



* * *





現場で一緒に勤務する人間にも、やりづらい人間がたくさんいることに、一ヶ月目にして気づき始めた。(Iあるいは自分が他の人にとってやりづらいのかもしれない)



そしてそれが、いま一番の辛い。こんな仕事いつか辞めてしまいたい、と毎晩思う。







絶対負けない、毎朝つぶやいて出勤する。







絶対負けない。







・・・・・・





けれども負けそう。



ある夜勤の日。夜勤は2ユニットを一人朝まで見る。特別養護の9人と、ショートステイの8人との、排泄介助(おむつ交換や転倒リスクの高い人の手引き誘導)、不穏な人への対応、見守り、巡回、日中の様々な記録の取りまとめ集計入力、起床介助などが主な仕事だが、ナースコールは同時に鳴り響き、動態センサーも鳴り響くし、不穏な老人は17人の状況関係なしに罵り、平手打ちを食らわせる。





しかしそれはもうGHで経験したこと。仕事であり、多少あたふたはするが慣れている。





問題なのは朝の早番との引継ぎだった。

一方的な罵声で、引継ぎとはいえないかもしれない。



「まだこれだけしか着替えてないの!」





「さっさとこの机の上の書類かたづけてよ!」



要するに夜勤業務と早番業務の間にある仕事が残っていることを怒った人がいた。自分と同じく異動になってここにきたが、自分と違うのはさまざまな施設を経由した経験豊富らしい人だということ



(弁解するなら以前、その人が夜勤のとき、早番できたみみずくは誰も起床介助をしていなかったが、黙って仕事をこなした)



それにとどまらず、その早番は、みみずくの仕事がまるでぜんぜん終わっておらず、さっさと帰ったように、他の職員にいいふらした。(言い訳なのかもしれないけれど、別の業務で、勤務あと二時間職場にいた。)



その批判の言葉は、別のあまり信頼していないユニット長を通して告げられた



「あなたはコミュニケーションがうまく取れない」というおまけつきで。





いい人なののだ。真面目で。勤務年数は同じ。年も同じ。正社員で入ったか、アルバイトで入ったかの違いで、彼女は自分の上司だった。



コミュニケーションがうまく取れない!?



「前のグループホームがどうだったか知らないけど、ここはここなので」



それは確かにそうだ。郷に入れば郷に従えというのだろう。

しかしおかしいことは山積で、あなたは何のために介護の仕事をしているのか、と思う。



コミュニケーションが取れないといわれてしまった。

そういわれてみると

どんな気持ちがするだろうか。



暗雲が立ち込める。



味方もいるが明らかな味方はいない。



絶対負けない。



自分もまだ足りないところはたくさんある。



それを修正しつつ、



この施設の悪しき慣例を全部ぶっ壊してやる。



たった二年の。それも大卒の新入社員で構成された施設で、(業務だけが仕事で、ボランティアでくる人間は厄介で、それにしては緻密な記録を要求する)たとえ悪く言われても、自分の正しいと思ったことは、遠慮なくさせてもらう。





自分は間違っているだろうか。

桜の花の咲く頃に

2011年4月22日

0 コメントはこちら  


お元気ですか。
前にお手紙を書いてから、だいぶ季節が通り過ぎてしまいました。
家の裏手にある小さな山を見たり、今日のように穏やかな天気の空を見上げるたび、向こうで暮らしていた日々の事を思い出したりします。

御無沙汰していました。
おかげさまで私は元気です。

仕事だけの毎日で、体も心も疲れはて帰ってくると、無性に信州に帰りたくなる気がします。また向こうで、親しい友だちに囲まれて、夢に向かって切磋琢磨したり、時には挫折したりと、みんなが励ましあって一生懸命だったあの時が、どれほど貴重な時間だったか・・・残った仲間も一人二人と寮を去り、今年の3月、最後の同期が卒寮したようです。

近況をお知らせします。
自分は、卒業してから、ずっと非常勤で勤めていた社会福祉法人に、昨年の秋から正規で働くことになりました。教員免許は当分の間、押入れにしまっておくことになりそうです。


いままでは、グループホームといって、認知症の方を専門にした小さな職場で働いていましたが、4月からは、特養老人ホームに異動になりました。未知の職場で、こなさなくてはいけない最低限の業務をこなすだけでいまは精一杯ですが、これからもっと経験をつんで、その方の人生の最期を輝かせられる太陽のような介護士になりたいと考えています。自分が老いる日に備えて。

教育が朝の仕事だとしたら、介護は夕方の仕事かもしれません。それも時計の針は3時をとうに過ぎ、赤い西日が山肌を照らすような時間。時間は違うけれども、そんな人生のある時間に、直接人に関わる仕事という点では、似ているのかもしれません。

* * *

これから、本格的な夏が来て、農家はいっそう忙しくなりますね。

地震があって、食べ物のありがたさを痛感しています。日本の飽食は当たり前ではなく、人間によって作られたもので、それを左右するのは自然であり、神であり、揺るぎやすいものなのだと。日々の食卓を支える農家の方に、支えられていることを思います。

横浜でも、わりと鎌倉に近い田舎なので、近所に小さな農家があります。去年は職場に庭があったので入居者と一緒に夏野菜を育てましたが、今年は畑を貸し出しているので、夏に向けて自分用に野菜を育ててみようと思います。猫の額の土地ですが。

同じ福祉業界で勤めあげ、退職後に電気もガスも水道もない山でヤギを飼いつつ自給自足を目指している知人がいます。素人には難しいことですが、でもその方は、本当に楽しそうです。

取り留めないことをたくさん書いてしまいましたが、皆さんにお世話になったこと、それが、自分の支えになっていて、いつも心の中にあることをお伝えしたかったので、久しぶりに手紙を書きました。

お二人ともどうかご自愛ください。そしてとりあえずノブキは、まあさえないですが相変わらずなんとかやっているようだということを、彼女とハナによろしくお伝え下さい。

それでは、また。

東朝比奈森

2011年4月11日

0 コメントはこちら  



先月までの職場に挨拶しにいった、裏山から竹笛の音が。

音にいざなわれるまま、一度も入ったことのない経路から東朝比奈の森へ。

整然と林立する杉林、やわらかい土の感触、参道からはずれ笛を吹く孤高の老人。

森の中に入ると、ここが街中とは思えない。

信州の深い森を思い出す。どこかが違うけれど。

新しい職場 特別養護老人ホーム

2011年4月2日

0 コメントはこちら  

常勤になったため、新年度の1日から、新しい職場。

トンネルを1つ越えた、一年前にできた特養だ。

しかしこの特養、みみずくのイメージを覆した。

1 “地域密着型”特養 9人9人9人+ショートステイ+地域ケアプラザ

2 上司が同い年 スタッフは経験1、2年の新入社員が9割

3 管理者着任予定は夏以降

4 夜勤一人で2ユニット

5 フロアに、FMを流す。

6 TVで流れるのはMステ。

グループホームでは考えられない革命的事象だ。

要するに、ここは法人に入職した正社員だけの教育機関だった。

しかししかし教育する人材がいなかった。ほぼ素人だけで手探りの介護。それで現場が回っているというのは驚異だ。

しかも割と利用者は落ち着いている。

認知がないためか? それとも慣れているのか? そういえばこれまで認知症以外の老人と接してこなかった。 

わからないことが、山ほどある。

被災地と認知症

2011年3月28日

0 コメントはこちら  

グループホームでの勤務も残り2日となった。

一部屋、空ができ、そこに福島から被災した方を受け入れる方向で話が進んでいるよう。

各地の避難所において、認知症のかたは、そして介護をする人の試練は、想像を絶するもの・・・

季節の変わり目でさえ、不穏や周辺症状の原因になることもある。
まして、過酷な環境においては・・・だ。

* * *


停電があった日、夕方暗くなるリビングで、あえて入居者をあつめ歌をうたった。懐中電灯とろうそくだけでは足りないので、クリスマスに使う電池式のイルミネーションをかき集め、あちこちに設置した。

「クリスマスみたいね」

それで、落ち着いた雰囲気が出て、無事に就寝介助まで終えることができた。
隣のユニットは、しかし、大変な不穏の連鎖が始まっていた。

「何で電気がつかないの!」「テレビがみたい!」怒りと不安の大爆発。

地震があったことも、なんで停電してるのかも、わからない入居者が半数。

* * *

一過性の停電だけで、こちらはあの状況。

被災地では、紙おむつがない、汚物を洗う水もない。ただそれだけの条件でも、自分だったら、途方にくれてしまう。


* * *

東日本大震災:新潟で避難の62歳女性凍死 道に迷い?

2011年3月28日 18時11分
 28日午前8時半ごろ、新潟県田上町の林道で、震災で被災し同町に避難していた福島県富岡町の無職女性(62)が死亡しているのが見つかった。新潟県警加茂署によると、女性は認知症の症状があり、道に迷ったとみられる。死因は凍死。
 同署によると、女性は27日午後、家族と共に移ってきたばかりだった。到着の約30分後、家族が目を離した隙(すき)に避難所を出たらしい。警察や消防団員が捜索し、約900メートル離れた林道であおむけで倒れているのを見つけた。富岡町は原発から20キロの避難指示圏に含まれ、女性は震災後4カ所目の避難先だったという。【塚本恒】
http://mainichi.jp/select/today/news/20110329k0000m040039000c.html
* * *


60台ということは、おそらく若年性アルツハイマー病。
認知症の方は、24時間体制の見守りが必要だ。


徘徊が施設内を越えると、そのリスクは未知数で、命を落とすかたもある。
街中で警察に保護されれば幸い、山林に迷い込み、出てこられなくなり体力を消耗し凍死してしまうこともある。


受け入れを、関東以南の福祉施設は判断し実行しないと…

夜間想定、避難訓練

2011年3月26日

0 コメントはこちら  

認知症対応型グループホーム。

みみずくにとって最後の大仕事が今日終わった。一ヶ月にわたり、27人全員を救出する入念に計画をたてた避難訓練。


震災のため、監督する消防士こそこれなかったが、職員も揃いあとはその手順どおり避難すればよかった。


が。


予想外に訓練開始直前のみみずくの説明中に、参加者どうし議論がわきおこり、形ではなくもっと現実的な避難のありかたが検討された。


だれも口にしない。


だが、だれしもが、先日の地震のことを考えていた。


訓練は現実のためにあるという、当たり前のことを、だれもが、身に染みて感じていたように思う。

* * *


情報を閉ざせば世界は黙する。

だか、現実は同じ夜空のもとで日本中が混乱している。一万人が死んだ。まだ何千人が瓦礫のなかかもしれない。故郷をおわれ、見知らぬ土地に避難するバスで涙をながす人の姿も……目にうかぶ。


被災地から離れた人びとは、冷静なのか、現実から目を逸らせているのかわからない。ただ気休めていどの自己防衛をしたあとは、ネガティブな情報を語るのをやめ、前向きに必死に平常を戻そうとしている気がする。


まるであしたにはなにもかもが元通りになるかのように。


しかし、そうはならない。元通りの同じ世界に、戻ることはできない。これから先に用意されていない未来があるだけだ。


不幸と悲しみを乗りこえ、これまでのありかたを修正し、日本が生まれかわる日がいつくるか、いまは語れない。


だからといって、未来が悲観的だとは決まっていない。それは、これから作るものだ。訓練ではない本番に遭遇し、生き残った、生かされた全ての人が。

大人ならいいけれど! 原子力災害について 今後注意すべきこと

2011年3月23日

0 コメントはこちら  

みみずくは専門家ではないから、意見や推測を述べることはできない。

そしてあらかじめ恥を忍んで言うと、今日、衝動的に浄水器を買ってしまったくらいである。(備蓄は地震前からしてる) それが、これから水道水に含まれるだろう、放射性のヨウ素やセシウム、まだ公表さていないストロンチウムやプルトニウムを除去する根拠などないのに。そしてここは横浜だ。

しかも用心深いみみずくは、震災以来、飲用には浴槽にためた水を使っている。
まあ過剰反応とも思う。

こんな調子のみみずく。


* * *

だが、できれば多くの人(大人よりも子ども!)に5年10年に後悔して欲しくない。

だから、自分のブログに限って書くことを許して欲しい。

みみずくがむかし松本に住んでいた。

ここの市長は、かつてチェルノブイリ原発事故で放射能汚染に晒されたベラルーシで5年半医療活動をした人で定例記者会見のムービーがあるので、時間がない人は17分以降から見て欲しい。

放射能汚染について。内部被爆、食物連鎖にもちゃんと言及して私見を述べている。政府の立場からより市民の立場にちかい、さらに実体験に基づく意見を述べている。いろいろな情報を見たかぎり、みみずく的には一番、説得力があるので紹介したい。乳幼児、妊婦はとくに。


http://vod4.city.matsumoto.nagano.jp/teirei20110322n.wmv

震災10日目

2011年3月21日

0 コメントはこちら  

人は誰しも現実生活におおかれすくなかれの困難を抱えている。
それゆえに、ひとたび目の前の危険が避けられれば、意図も簡単に注意はそれてしまう。
しかし状況は、まったく収束しているようには思えない。地震の事だ。
* * *

収束して見えるのは、「自分」が、平時とほとんど変わらぬ仕事をし、食事もし、雨風寒さをしのげる屋根の下で過ごしているからかもしれない。
職場のテレビは徐々に通常放送に戻りつつある。うちにもテレビなんていうものがあったら、きっと地震の事を忘れてしまうのではないか。
恐ろしいことに「地震のニュースはあきたな」と思うかもしれない。被災地で愛する人を亡くし嗚咽する人をみても、なんとも思わなくなるかもしれない。

人間とはかように残酷な生き物だ。時として。

* * *
しかし
人間は残酷なだけではない。(はっきりいってよくわからない生き物だ)
「夜と霧」は人間の極限状態を描いている。ナチスの収容所において、強制労働すらできなくなった病人に、一日の食事である自分のパンをそっと置いておく人間がいた。人間にはそういうこともできる。

本能と理性の間に生きている生物。

* * *
さて
いま大事なのは
・油断をしないこと
・落ち着いてどっしり構えること
・冷静に、情報を吟味すること。
だと思う。

* * *
たとえば
買いだめや買占めなどはいまの空気では「悪」となっている。それはメディアによって形成された概念である。
買占めは略奪と同じだと。
手段が金か、力かの違いだと。
普段より買う量を多くしたりする行為は 不安に反応した、誰にも備わる自己防衛の本能によるものだとおもう。
* * *

節電はどうか。
毎日職場でも自宅でも電気利用はは極力控えているが・・・そもそも
電気が足りないと誰が言ったのか? 
東京電力管内の他の原子力発電所、火力発電所、水力発電所、すべての総発電量は、予想需要より大幅に余裕があるという試算は、ネット上で調べればすぐわかる。
計画停電は、実は原子力が生活に必要不可欠だというプロパガンダでないとだれがいえる?

* * *
極度の疑心暗鬼や不安は、ネガティブであり嫌われるが、
必要なことだ。

* * *
ついでに。
都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果についてhttp://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/whats-new/measurement.html 

ことに15日のデータ。
当日は東京の大気に、「直ちに人体に影響のである値ではない」と数値ばかり公表されていたように思う。
自分が思うに、放射線も危険だが、放射性物質を体内に取り込んだ場合、はるかに危険だと思う。
ヨウ素の半減期が8日。セシウムは30年。体内に入って蓄積された場合二つは別次元といえるくらいひらきがある。このことはあまり報道されていない。すくなくとも、「直ちに人体に影響のである値ではない」ということばより。

* * *
今後の動向に注意しようとおもった。
(されたし と書いたら日記じゃなくなっちゃうね)

本当に「月は落っこちてこない」の?

2011年3月17日

0 コメントはこちら  

「過去から学び、今日のために生き、 未来に対して希望をもつ。 大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。」

  アインシュタイン

* * *

“本当に「  」なのか”

ここに世論や常識を入れ、アタマで変換してみることをお勧めしたい。思考の中断から逃れられる。

例えばそう ・月は落っこちてこない  というアタリマエ中の当たり前。常識のなかの常識を入れてみる。生まれてこのかた、疑いさえしなかったことを。



* * *


僕の場合は、馬鹿だから脳内で一回フリーズをおこした。


「ばかだなー 月は落っこちたことがないから、落っこちてこないのは当たり前!」

          ↓

「あれ、地球の重力でりんごは落ちるのに、なんで月は落ちねえんだ?」

          ↓

「遠く離れた月にだって、地球の重力が働くだろうに。その力が小さくても
いつか落っこちてくるはず!?」


混乱する。自分の信じていた世界の常識が一瞬で崩れ、不安になる。

それは自らのアイデンティティの崩壊の危機であり、それ以上に、次の瞬間月が頭の上に落っこちてくるやもしれぬ現実的な恐怖との戦いである。


しかし! そこで恐れてはいけないと思う。不安と戦い考え続る。

すると「月には遠ざかる遠心力も働いている」ということに気づく。

新しい可能性にちかずく。


* * *


いま、大災害にメディアの情報が、生死や生活を大きく左右している。

だが。その情報を鵜呑みにするも、根っから反論するのもだめだ。

情報の発信もとは重要じゃない。NHKでも、東大の教授でも、原子力の専門家でも、隣のおばちゃんが言ってることも。巷のデマっぽい噂も!!

すべて情報は「ありえる可能性がある」だ。

だからこそ、

“本当に「  」なのか”

に情報を当てはめてみる。それも常識っぽいものから!


例題:「募金・節電は被災地を救う」
   
   「ガソリンの買だめはとんでもない悪いこと」

   「道路の状況が原因で、支援物資の到達を遅らせている」

   「自衛隊は5万人動員されている」

 

何事も、最終的な結論は、他人ではなく自分で導くべきである。

そしてそれにもとづく行動には、責任を持つこと。

夜勤中…それも

2011年3月15日

0 コメントはこちら  

半年ぶりの夜勤…ひとり。
予断をゆるさない原発のニュース
横浜にも小さな余震。
定時巡回、動かぬお年寄り、額に触って生きているか確かめる。

東北・関東大地震

2011年3月12日

0 コメントはこちら  




0:30現在 90数名の確定死者と、200~300人の溺死者情報がラジオから流れる。


* * *
大地震による停電のため、16時に自主出勤。

* * *


自宅で普段から備蓄しているろうそくや、ガス缶とバーナー、LED懐中電灯、即役立ちそうなものを持っていく。

暗闇の中、介助におわれる。

「こんなことはありました?」

年配の職員に聴く。

「こんなことは一度もなかった」

ご入居のほうは、余震のたび怖がってもすぐ忘れてしまうものの・・・・・・

関東大震災や大戦中の灯火管制の話をしてくれる。


* * *

ろうそくの明かりのもと、早めの夕食。

どんなことがあっても、入居者を不安にさせない。それだけでなく、危険にもさらさない。

入居者がいつものように寝入ったあと、実家にバイクを飛ばす。
実家ではすでに電気は復旧し、祖母二人、母も大丈夫だった。


* * *

死者が、増えている。



神様。これは警告なのですか?

原2生活

2011年3月7日

0 コメントはこちら  



春に自動二輪免許を取った。
そして今日、新型のカブを納車した。

バイクに乗るなら250cc以上の普通自動二輪を勧められたが、原付にした。
原付2種は近年、高い環境性と経済性の面から車にかわる移動手段として見直されている。新型プリウスだって、原付の燃費には到底及ばない。

・税金も保険も原付並み
・車検がない
・燃費がいい
・駐車場代もいらない
・車より機動性が高い
・二人乗りできる

原付2種が自分の所得エトセトラを鑑みて相応だろうと、いかにも無難な判断をした。

ホンダのPCXとスーパーカブ110と長い時間、悩みに悩み。

カブにした。

そういえば、カブに乗りたくて、昔、日本郵便の採用試験を受けたっけ。

空冷・4ストローク・単気筒110ccエンジン
燃費 63.5km/L(60km/h定地走行テスト値)
もう、どこに行くのも、海を渡るのも、空を飛ぶ以外はこのバイクと一緒

      新しい道を子犬に
      憶えさせるみたいに
      この車に僕らの街を
      憶えさせに出かけよう
      初めての雨が降った後は
      空も街も未来も
      全部まとめて一緒に
      磨いてまた輝かせよう

バイクは、乗りこなすことによって、持ち主との相性を高めていく。

これからよろしく。

三浦海岸

2011年3月4日

0 コメントはこちら  

三浦のバイクショップまで。二輪の免許もとったし、もうすぐ暖かくなるので50cc→110ccのカブに乗り換えを検討中。

ある料理研究家の残された手記より

2011年2月26日

0 コメントはこちら  

「今後の小麦価格上昇する今という、これとない機会に際して。
私は覚悟を決め、ここに、秘伝のレシピを公開したい」

by .kokia.
Japanese translation rights arrangeed with the Author

* * *

以下、訳文。


このレシピは完全にオリジナルであり、おそらくは世界中の誰も知らない。


それがかりそめにもあなたの未熟な生活経験から、誇張に聞こえるのなら、いいかえよう。すくなくとも、私が生きた24年間、このパスタの味に勝る味を再現したパスタを食べたことがない。


それの味を忠実に再現する方法を、もし一人の利己的な人間が独占するならば、少なくとも関東近郊の小麦を主たる原料にする外食産業は、致命的なダメージをうけるであろう。パート社員はクビになるかもしれない。正社員でも、来夏のボーナスはカットだろう。サイゼリアとか。

* * *


しかし、そんなことは許されない。そのために、あえてこのパスタの調理法を、速やかに全世界にむけ、公開しなければならない。

いつの時代も重要な発見は、わずかな時間差においてなされるものだからだ。そしてそれが、かつてダイナマイトのように戦争のため、あるいは平和のために利用されるかは、発見者の意思と行動力に大きく関係する。

神に誓って。私はこの料理法を、善意ある温厚な市民のために役立てたい。


* * *

料理研究家としてのこれまでの人生を告白しよう。


私は親を棄て、恋人も棄て棄てられ、仕事も棄てつつ、しかしして、これまでの人生の大半を、このパスタの研究に第一をおき、費やしてきた。極寒期にもしぶとく生き残るゴキブリと闘いながらこの狭いアパートにおいて。

しかしながらそんなことよりも、このレシピを公開することにより、業種を理由に、所得をに制限された一人暮らしの人間の生活を救うことのほうを私は選んだ。それは私個人というより、なんらかの神がかった意思を感じて。


* * *


料理名

「具なしパスタ」

パスタは500g 97円の商品名:地中海パスタ。どんな安いパスタでもかまわないということだ。しかし、この価格で入手できるのは今のうちまもしれぬ。

これを主食とすると、米より、芋より安い。


材料は、ほかにマヨネーズ、ニンニク、サラダ油、塩コショウ、コンソメである。


通常この材料だけでパスタを作る場合のやり方は、万人ほぼ同じである。

「ゆでたパスタに、ニンニクを刻んで油でいためたものをまぜる」という。
しかしそれでは、この「具なしパスタ」の10パーセントの味も表現できない。

ポイントは普通にゆでたパスタに、ニンニクを別の形で調理したものを加えることである。


サラダ油を100ml空ビンにいれ、それに細かく切ったかつぶしたかニンニク2~10粒をいれ、湯煎をかける。<アホエンオイル>。ニンニク由来のアホエンという物質は油になじみ、なおかつ100℃を越えると、理論的に地球上では破壊されてしまう性質を持つので、通常の料理方法ではほとんどど生成されない(アホエンオイルと検索して調べれば大体このとおり)

ゆでたパスタにそのアホエンオイルと、塩コショウ、マヨネーズ、コンソメを加えれば、それで完成である。


これを読んでいても到底その味を想像することはできない。
実際に作ってみなければ!

栄養価はジャンクフードであるが、空腹を水意外で満たすカロリー補充という点においての食事を余儀なくされている諸君にとっては、さほど重要なことではないだろう。

付言するとアホエンは記憶力をたかめ、認知症すらを予防するという可能性が近年、世界中大企業のゴキブリのいない研究所で証明されつつある。

なにより、この料理は、お金がなくてもできる。

ガス代がきになるなら、パスタはゆでるのではなく、必要最低限のひたひたの水で茹で、水をすべて蒸発させてしまえばいい。

* * *

信じるか信じないかはあなたしだい。これを知ったら長期保存の点でも優れたパスタを買いだめしておくことをお勧めする。

この味は、あなたの主食を変える可能性を持っている。

この食料価格高騰の危機に果敢に挑み、乗り越えるあなたを私は信じている。

osousiki

2011年2月24日

あなたは死んだ。
私はあなたの最後の将棋相手。そしてあなたが最後に負かした相手。
あなたは昨日死んだ。
海の見える綺麗な病院で。
最後の写真をとったのは私。最後に話した他人も私。最後に花をあげたのも私。
最後に関わったにんげんが、僕なんかで。申し訳ない気持ちがいっぱいだけど、できるはんいで精一杯やったんだよ。信じてよ。

なにもわからなくなり、体も動かなくなっていくあなたは、もういない。

介護は機能向上だとか自立支援の仕事だけではない。

確実に沈みゆく夕方の時間を、隣で一緒に過ごすのも、また介護の仕事だ。

話したがりや

0 コメントはこちら  

月夜のみみずくのこれまで、すべての記事は、要約するとこうなる。

「ああだった。
こうだった。
こんな気持ちになった」


みみずくは話したがりやで、秘密とか、いわなくてもいいような話まで、全部、話したい。三日坊主の自分が、こんなに長いあいだブログを続けていられるのは、話したがりやだからだったと気づいた。

カウンセリングと同じように、みみずくは感情を言葉に書き起こすことで、脆い精神の安定をはかる。心の均衡を保つ。


誰に読んでもらうためでもない月夜のみみずくのひとりごと。

気持ちの整理箪笥。

感情の冷凍庫。

あるいは焼却炉。

辛かった、悲しかった、嬉しかった、溢れる感情のすべてをここに書き込むことで、心のなかに相手の話しを聴ける余裕を作れればいいと思った。

衝突

2011年2月23日

0 コメントはこちら  

悪口を書きたい。 ある特定の人の! 仕事の!

こうかくと、たいていの人は眉をひそめる。

だが、自分はいい人間ではないので、悪口を言いたくもなるし、悪態もつきたくなる時がある。

もう、その人の事を、できる限りの醜い言葉で、さんざんけなしてやりたい。反論もできなくなるくらい、いい負かしてやりたい。

それこそ、何のために今まで勉強してきたか? それは、道筋だった完璧な論理と、緻密に練られた感情的な言葉で、その人と戦うためだと思えるくらい。

* * *
争いごとは嫌いだった。

世の中のあらゆることは白黒ではなく。灰色だ。どんな揉め事の原因も、どちらか一方にあるということはない。相手にもあるし、自分にもある。

自分は、いつも先に、自分の非を認め、謝って事を収めようとしていた。

あるいは、その人とは相性がよくないということで、近づかないでやり過ごす人間だった。

今回はもうそんなことは辞めたい。

自分が正しいと思ったこと、考えたことはを貫きとおしたい・・・・・・

* * *

でも、たいていそんなときは、相手もそう思っている。

* * *
どんな嫌で嫌でたまらない相手でも、同じ釜の飯を食らい、おなじ風呂に入り、一緒に飲めば、一週間で分かり合えるのに。

社会に出ると、そうはできない。どうしても敵ができてしまう。

お互い、事情はあるのに。

分かり合えない。それが哀しい。



* * *

翌日。

昨日の話はそれでおしまいのつもりだった。

上司にも今回の件は相談するつもりはなかった。

今日出勤すると・・・相手から自分宛のクレームの電話が・・・

クレームといってもサービス利用者からではなく、いわば協力関係にある側の人だ。

そして電話した上さらに、夕方職場に会いにくるという。僕と、職場の責任者に苦情を言うために。相当、怒っている。

* * *

上司からの事前のアドバイスは、とにかく相手の言うことを聞き、もう一度、謝れとのこと。

事情だとか、正しいとか間違っているとかではない。相手の怒りを買うまでに至った対応がミスであると!

確かにそのとおりかもしれない。

* * *

上司は、握りこぶしを見せた。

「たとえあなたが、ふざけるなこのやろうと思っても、先に自分の否を認め、謝ること」

「この手で何度壁を殴りつけたか」

そういいつつ僕のフォローだけでなく、ちゃんと相手のフォローもしていた。

「たばこ吸ってちょっと話そう」

* * *

昨日まで問題を一人で抱え込んでいた。

今日、問題が悪化した。

でも気持ちを聞いてくれる人が周りにはたくさんいた。

それが嬉しかった。

* * *
相手は、涙ぐみながら(自分にはそう見えた)、呼び出すつもりはなかったといって、帰っていった。

あなたは悪くない。

そう、あなたは悪い人ではないんだ。

また日々の仕事を続ける。

くしくも、今日、特別養護老人ホームへの異動が決まった。

すれ違い

2011年2月11日

0 コメントはこちら  

遅くに仕事が終わり、横浜の西口に向かう。
ネットで知り合ったある人に会って話をするため。

休日前の街は、遅い時間にも関わらずとても混雑していた。
改札の柱の下で、車椅子に乗ったその人はいた。

相鉄の二階の改札の外を出ると、エレベーターはもう時間外で使えない。

駅員に頼んで、ホームをとおり、構内のエレベーターを使って私たちは1階におりた。駅の外を出ると、階段や段差、点字ブロックなどで、路面はでこぼこで、それはとにかく人ごみで。僕はあらかじめ行く場所を調べておかなかった自分を後悔しつつ、連れ添った。

スタバで二時間くらいか。話をする。
その内容はとにかくとして。

当たり前のかもしれないが、人の一生は、「分かれ道」があってそのどちらかを選ぶことによって決まるだけのものではない。もっと些細なことで、生き方は修正され、目に見えないなにかによって導かれていく。

例えばそれはコミュニケーションだ。たった一時間の会話が、たとえ何年かして、その話の内容すらも忘れてしまったとしても、無意識に働きかけ、自分の軌道に働きかける。

つながりのないようなことが、つながっていく。
会うはずのない人が、めぐり合う。

不思議なことだ。

生き方を決めるのは自分だとみな思っている。それは間違いではない。だが、思っている以上に、目に見えない何かに動かされている部分がある。

それは人によっては神、というのかもしれない。

介護福祉士国家試験

2011年1月31日

0 コメントはこちら  

今日は介護福祉士の国家試験の日。

いま介護福祉士の実務経験者ルートの受験資格が議論になっている。

自分はまだ、実務経験2年目なので、受ける資格はないけれども。

* * *

今年の試験、すなわち今日の試験までは、実務経験を3年もつ人はそれだけで試験を受けることができる。

だが来年から、受験資格に、さらに「600時間の養成施設での研修」が追加されるらしいことは以前からわかっており、ヘルパー同士でたまに噂となっていた。当然、現在仕事をしながら、介護福祉士を目指す人には、この追加事項は、相当な重みをもつ。


有識者と現場での間で、激しい論争が繰り広げられ、このたび「450時間の養成施設での研修」が義務化される見通しが強くなった。

それも3年間の猶予期間がつく。

誰だって試験のハードルがあがるのはいやだ。ほっとしたのが正直な感想だが、将来介護を生業とする人間の評価を高め、労働環境をよくするには、一見ばかげた法改正の意図も理解できる気もしなくはない。

* * *

よく介護福祉士の同僚のおばちゃんが、業務をめんどくさがると、「先輩、たしかぁ、介護福祉士でしたよねー?」と冗談をいう。

資格があっても、なくても、実際やっている仕事にほとんど関係しない。資格なんて、肩書きに過ぎないともいえる。


・・・それでいて軽視できないもの。それが資格だと思う。実際なければできない業務があるし、資格がなければ、学ばないこともおおい。人間は怠け者だから。

* * *

そういえば、教育の世界では、免許をとって、一人前の教師になるのはさらに少なくとも10年かかるといわれていた。


だが10年たったって本当に一人前といえるかは怪しい。

一番大切なのは資格ではない。反省し向上できるか、だと思う。

ろうそく生活2

2011年1月27日

0 コメントはこちら  


先ほど、ろうそくはすべて燃え尽き、ろうそく生活は3回目の朝日をまたず、終了した。オール電化はリスクが大きすぎて考え物だという結論、そして電気でだけではない、毎日無駄にしているものや時間に気がついた。

いま朝の5時前。LEDのともし火が、冷たい光を放っている。
          
                * * *

ろうそくも燃え尽きたが、自分も燃え尽きてしまいそうで、怖い。

悪夢を見た。秋から辞めていたたばこもまた吸いはじめた。お酒も胃薬もそれはしこたまと。しょうもない失恋と追加された連日の勤務も重なって精神がおかしくなりそう。あと一日でいい、休みがあれば大丈夫なのに・・・。

処理能力には個人差がある。そして自分のそれは低いとみていい。いますぐ、すべてから手を抜かなければ・・・サボるのだ。全力で、怠けよう。大丈夫、たいていのことは、あとで取り返しがつく。

昔の自分だったら頑張り続けていた。それは結果的にそれは得策ではないと知っている。

仕事を回避できないとしたら、残す手は一つ。
休日。そう今日を使って、効率のよい休養をとることだ。それも睡眠をとる以上に、鬱積したものを吹っ飛ばすなにか方法があるはずだ。

免許を発行しに行こうか? 二俣川の免許センターの意地のわるい警察官は休日にふさわしくない。

好きな音楽を聴こうか。お茶を飲もうか。たばこも吸っちゃおう。節約はやめて、自分の好きなものを買おう・・・・・・なにもほしいものはないけれど。

いま一番ほしいものがあるとすれば、人。
話を聴いてくれる味方。
話を聴いてあげられる人。

社会全体、孤独にまみれている。人はいるのに。どこもにぎやかで一見するとそうとは見えないけれど。

身近にいる一番大切な人に会いに行こうか。
そうだ、会いに行こうよ!
          * * *

そう、これを読んでるあなたもね。

ろうそく生活1

2011年1月25日

0 コメントはこちら  

もろもろの事情があって、昨晩から電気が使えない。


仕事から帰って、ろうそくに火をともし、寝るまでの時間をすごしている。


水道とガスは、生きている。だが、たとえガスが通っていても、電気がないことには、風呂に湯をはることはできない。湯沸かし器は、電気を使って作動するからだ。こんなあたりまえのこと、電気がとまるまで気がつかなかった。

洗髪は、水でいいとして。からだは、ガスコンロと鍋で湯を沸かし、タオルで拭く。この時期、水風呂は考えられないから。

別に一人暮らしの家計が苦しいわけじゃない。ただ、ここではいいずらい事情があって、電気が使えないのだ……


パソコンもバッテリがあるが、インターネットには接続できない。ブログを更新する携帯は、電池で充電するか、外で電源を探さないといけない。


冷凍庫の食品もさすがにもう溶けてしまっただろう。今晩は、それを食べる予定。


LEDのヘッドランプがあるから、必要ならばそれを使うが、ろうそくだけで部屋はほのかに明るいので、さして使うこともない。


この生活がいつまでつづくかわからない。何日もつか。いまのところは大丈夫……


知らす知らすにライフラインに依存してきた自分、いつまでもつか…

今日こそは!

2011年1月23日

0 コメントはこちら  


絶対うかってやる!

あなたに伝えたいこと

2011年1月22日

0 コメントはこちら  

あなたに伝えたいこと。

いまはもうここにはいないあなたに。そう、あなたに。

私、以外のだれか、といえばいいのかもしれない。そう思えるほど、

だいぶ、時間がたったね。

* * *

あなたに伝えたいこと。

そう今日の晩の満月とおなじように、明け方には誰にも見送られず、消えた、あなたに。

伝えたいことがある。

生きていくことの計り知れない喜びと、哀しみを。
今日この日のささやかな喜びと、哀しみを。

あなたがもっと生きていれば、きっと同じように感じたであろうの数々のことを。

死という言葉をあえていいかえるのなら、あなたは、記憶のすべてを封じ込められ、あるいは封じ込め、人生の最良の日の記憶と、深くそれは深く傷ついた日の記憶を、無意識に再現しながら生きているのだろう。雲のなかで。

* * *

あなたがあなたでなくなる前、私は出会った。

いまのあなたは言葉を失い。感情を失い。人を愛することも愛されることもしない・・・

あなたの家に大切にしまってある、金色の折り紙に書かれた一通の手紙。それがあなたを知る私にとってのすべての手がかり。

* * *

あの日、高原の森の中の、何千年を生きた樹木の傍らで、陽だまりが、あなたの顔を明るく、明るく照らしていた。


気付けば、もうすでに私は、あなたの年を越えてしまいました。
でも、あなたを越えられる日は、いつくるんだろう?

心の中の醜い自分

2011年1月18日

0 コメントはこちら  

悪いことをしようとした。
しかけて、気付いた。

自分が常に善人ではあるとは限らない・・・
悪いことをしている時、このことには気付かない。

* * *

新聞を見る。

毎日のように、社会的に信用が高い職種の人が、犯罪を犯し、逮捕されている。一日のうちに信用が失われ、人生を0からやり直す人がいる。

窃盗、強盗、詐欺、恐喝、売春、横領、薬物・・・

* * * 

我々は罪を犯したいから罪を犯すのではない。心の弱さ、孤独の寂しさ、人生の悲哀をまぎらわすため罪を犯す 

遠藤周作の言葉。

試験に落ちたこと、受かったこと

0 コメントはこちら  

昨日は、普通自動二輪の卒業検定。

結果。パイロン接触で、終了。

しかもスラロームで! クランクでも急制動でもない、スラローム。教習中は一回も失敗したことがないのに・・・


検定員は事前説明の教室からやたら威圧的だった。それに押された感があった。


もともと緊張症で、卒業論文の中間発表の時、頭が真っ白になってなにもしゃべれなくなったことがある。


「駄目かもしれない」そう思った時は必ず失敗する。プレッシャーに人一倍弱い。

そういうことがわかっただけでも、二輪免許を取ろうとしてよかったと思う。


* * *

いいこともあった。勤め先の常勤登用試験に受かった。秋から二回の論文と面接を切り抜け、やっと結果が伝えられた。

昨年の10月付けで、採用してくれるという。


コンビニ店員並みの給料が改められ、時給制は月給制にかわり、去年の夏の分からボーナスももらえる。

でも、誰にも言わないがあまり嬉しくない。

僕は一人だし、お金には困っていない。

正規職員でも、世の中の平均に比べれば、低い待遇であること。

それより、そういうことを誰にも、報告できないこと。


* * *

自分は、小学校の教員になろうと思っていた。

でも、現実にうまくいかないことが多すぎて、諦めた。

諦めの結果が、いまだとしたら、それは喜ぶべきことなのか?

* * *

いまの仕事は世の中で必要不可欠な仕事だ。

だけどそれに誇りをもてないでいる自分に最近気がついている。