区切りがよいところで放置気味のプログを一新したい。
いままでは統一性のない私的な日記だったが、
これからは読む人のささやかな役に立つ情報発信のプログをめざす。
記事の基本構成は
みみずくの関心があり、なおかつ生活の中心として実践もしている2つのカテゴリーに分ける。
1福祉、とりわけ重心での仕事に関する記事
2野外活動から防災に関する記事
来年度、五年あまりつづいた月夜のみみずくは変わります。ご期待下さい。
それではね。よいお年を。
2010.07.29 renewal
区切りがよいところで放置気味のプログを一新したい。
いままでは統一性のない私的な日記だったが、
これからは読む人のささやかな役に立つ情報発信のプログをめざす。
記事の基本構成は
みみずくの関心があり、なおかつ生活の中心として実践もしている2つのカテゴリーに分ける。
1福祉、とりわけ重心での仕事に関する記事
2野外活動から防災に関する記事
来年度、五年あまりつづいた月夜のみみずくは変わります。ご期待下さい。
それではね。よいお年を。
みみずくは親友の家にいる。ここは地方都市で夕方であたりは暗くなりはじめて。こんなにのんびりしてちゃ式にまにあわないんじゃないの? ひとりだけあわてている。
式場のある東京に向かう手段は友人の車だけ。もう式場は多くの人が集まっている頃だろう。
東京にいくのに、なぜかのんびりと山の装備を揃えている先輩がいる。アウトドアメーカーに勤めていたので、
みみずくは、自分が買ったばかりの薄いモンベルのインナーダウンをみせて、「これじゃあ寒いですかね…」
友人の女の子の結婚式の時間は迫っている。
高速を飛ばしてもつくのは暗くなってしまう。
いつも大事なとき、こんなにのんびりしている仲間・・・
「早いよね、こんな日が来るなんて」そうだれかが小さく呟いた。
視界が光に包まれ白くなってゆく・・・
* * *
目が覚めた。
みみずくの友だちである彼女は結婚もしていないし、その予定もない。
ただいずれそんな日も来るだろう。
妙に懐かしい感じの夢だった。
先ほどの話ではないのだが、
最近なんで自分が福祉なんて仕事をやっているのか考えてる。それもきまって便失禁おむつを替えているときだ。
介護の仕事の基本中の基本、なおかつその一挙一動で介護経験数がバレてしまうもっとも高度な職人技が求められる排泄介助。
その排泄介助をしているとき、みみずくは狐につままれた?気分になる。
これまでオムツなどというシロモノに無縁だった人生を歩んできた我。みみずくの育った環境は福祉と無縁だったし、それに 教師は家業みたいなものがあって、教育大を出たし、実際いまでも教師にならなくっちゃというおぞましい脅迫観念がある。
思いあたるのは…
それはまだみみずくがひよっこ学生だった、ある深夜の衝撃的な一光景であった。
病院のなかだ。
みみずくはやはり今日と同じように不眠だった。不眠といえば格好よい。それは明け方に服用する大量の睡眠薬と、それを超える日中の惰眠によってもたらされる不眠であった。
生まれてはじめての入院
ナースステーションの廊下 で本を読んでいた。かろうじて本を読む、ないしは読むふりをすることが、「わたしは入院しているがここにいる人たちとは違う」学生なんだというわめて脆いアイデンティティを保っていたのだろう。病識がないというやつである。実際のみみずくは突如歌いだしたり、泣き出したり、怒りだしたり、制御困難な立派な患者であった。ここにはかけない恥ずかしいこともいっぱいある。
さてその廊下の一番の奥の病室から、仲間である精神病者の叫びこえが聞こえたと思うと黒いものかげが廊下に飛びだしてきた。
黒いものかげは患者であり、なおかつその黒いものかげは、大量の同じ黒い液体を闇の中でも白い廊下にだらだらと流している。
その直後もうひとり別のものかげも飛びだしてきた。
恐怖感が0から一気にそこなし沼になる。
(続く)
久しぶりの投稿になる。
しかもみみずくらしいマイナス思考がたの投稿である。
blogに毎日のように書き込みをしていた時期もあった。大学生の時は1日に何回か、という日も。
それがいまや月一だ。
精神活動の衰退。表現欲求の低下。
日々の生活に入り浸ると、脳は必要以上に働かない。語彙は目に見えて減りIQは低下する。
もはやみみずくは小学校の漢字をすべて書ける自信がない。
ついこの間も「摂取」とかくべきところを「接取」と間違えた。
そうでなくとも一般に人間の知能指数は25歳あたりを境に低下してゆくらしい。諸行無常、自然の摂理。
さてIQを高めるためには、IQのすこぶる高い人と接すればいいと云う説があるらしいことを知った。英語のスピードラーニングとに似ていて、ただ聴いてりゃ自分の脳が自然のシフトチェンジをするのだ。なんと楽な。
というわけで、メディアをとおして天才といわれる人の会話をいろいろ聞いてみたりする。
しかし天才という人の話は、ようするに、本人の頭脳のなかでは繋がっている思考が、コトバという表現手段になると、とびとびすぎて、一般人のみみずくのサビたあたまが万一影響されでもしたら、ただの支離滅裂になってしまう。
こんな方法ではなくて、もいちど勉強をしたいとも少しは思う。漢文の素読とか。日本史のある特定の部分とか。
でも日々の仕事でいっぱいいっぱいだ。
重心の仕事3ヶ月目となった。
湘南の海を見渡せるお寺の一角。そこで僕は、彼と13年ぶりの再開を果たした。
彼は絵がうまかった。休み時間に彼が馬の絵を書いて僕が騎手の絵を書いて遊んだ。馬の名前はセイウンスカイ。
お互い別々の中学に行ってから交友は途絶えた。
でも彼は最高にいいやつで…
1986ー2007 20才
若すぎるとは思わない。
一生の辛苦を味わうには十分すぎる長さだったと思う。
いい人ほど早く天に召される。踏切に動けない猫がいたら迷わず飛び込んで助けにいくやつ。ばかだけど、例えばそんなやつ。
みみずくは汚い。まだまだ死なない。でも、いつでも死ぬ覚悟はできている、といえるような毎日を送りたい。遺言書はブログだけ。ただ、そんな時が訪れるないから今日も生きている。
11月の松本で野宿して、いま帰りの新幹線群馬県高崎駅を過ぎた。
アルプスに雪はまだなく、といって紅葉まっさかりの中信の朝の空気はぴんと張り詰め、まもなく訪れる凍える冬を迎えつつある。
そんななか橋の下で焚き火をして銀マットと寝袋で寝た。社会人三年目でやっと安物シュラフを卒業し気温−10まで耐えられるモンベルシュラフは、値段は高いがおそろしく軽量で、信じがたい暖かさ。友人二人は、車で寝た。
松本時代一年お世話になった松本一古く、由緒あり、またぼろぼろの下宿市川荘の大家さんにあいにいった。五年前、まだ小さかったお孫さんたちが元気な小学生に成長したのをみて、嬉しかった。江戸時代からありそうな半ば崩壊していたまるで忍者のからくりやしきのようだった本館は、取り壊され、更地になっていたが。。
写真をみていて、多少狂った大学生時代だったと思う。けれどもはいさえすれば大学はどんな人間でも受け入れてくれる場所だった。地方大学生の生活をしりたい高校生はまず、大学裏手と寮をみるべきだ。そこは社会のあたりまかがひっくりかえる特殊な空間である。
例えば水道はあっても蛇口がないような違和感。蛇口はそこになくてもだれかがもっている。
天井に足跡があったりする。
大学生は小学生にもできるゴミの分別ができない、あるいはあえてしないのか、大学はゴミの山だった。
とにかく、松本ではいろんなひととあい、話して2連休が終わりつつある。
研究室の恩師と、親しい仲間の両親から。
なかにはそんなに遠い昔ではないけど、懐かしい、信州の林檎!……
箱をあけたとたん林檎の甘酸っぱい香りがに満ちる。それは先日出した、たった一枚の絵はがきへの返信だった。
5月に薄紅色の花を咲かる林檎。神様の果実は雨耐え、風に耐えた、偶然、鎌倉にとどいた。とどいてはじめて、この時期が林檎の季節だったことを思い出した。
先日亡くなった北杜夫の続きをかくつもりだったけれど、一言でいえば彼が戦後信州で魅せられたものが、何年もさかのぼって、多くのひとの心を捉えたということである。みみずくはその一人だった。
恥ずかしいけれど、憧れて短けれども濃密な時間を過ごした北信州の山々を思うと、神奈川帰ったいまも、まるで昔の恋人を思いだすような気持ちになる。
もし、あの薄汚れた、怠惰なようで勤勉だった学生寮時代に戻れたなら、みみずくは……いま戻れたなら……。たった数年前さかのぼることができたら…
止めよう。
失われたものじゃない。
失うことは新しいことを得るための不可避の代償だ。その痛みが大きければ大きいほど、人はなにかを知る。
それは当たり前に感謝できる気持ちと、いまというときが、限りなく尊いということ。今年初めての真っ赤な林檎を見て思う。
中央のステンドグラスから朝の光が小さな聖堂のなかにいるみみずくたちを静かに優しく照らしていた。
外は潮風が少し冷たく強いのに建物のなかはの空気は静まりかえっていた。キリスト十字架、左右に偶像、片方は赤子を抱いていたから、マリア様と思われた。岩戸の下で、星の輝きのもとで、羊たちに囲まれるなか、神の子を身ごもった女性。
午前は利用者を連れて短いといっても2回も散歩にいけた。特養で半年かかって2回しか散歩にいけなかったことをしぶしぶ思いだす。比較すれば劣悪とは決していえないけれど、人生のついのすみかとしては少々寂しすぎる場所だったかもしれない。
徐々に仕事がわかってくる。コミュニケーションなどできないのではと疑った子どもたち、大人たちは、言語を超えたあらゆる次元の方法で、意思疎通をしているらしい。ただまだ、日の浅いみみずくはまるで突然異国に漂着したように、その一部しか垣間見えないけれど。
はやく仕事を覚えたい。
ことに自分より年下の小さな子どもにたいしてその仕事とは、決して親にはなれない、けれども親的な役割を担うことであり、ときにはそれ以上である。
手紙を書く。
手紙はご無沙汰だ。
みみずくの好きな遠藤周作に触発されて、怠け心に打ち勝ち、文をしたためる。
相手は、大鬱病のときに、面会にきてくれた大学の教育社会学の先生と、そして寮でお世話になった亡き先輩の両親へ。
あなたさまのおかげでいまの私がいます。あなたがいたから、みみずくはいま、なんとか生きている。伝えたいのはそれだけ。
小さな命を守る重心の仕事、二週間たった。
みみずくは、毎日強い海風に吹かれて、日々強くなっている。
あるいは強くならなきてはならない。
夜ベッドに寝そべっていたら、窓の外からもろに女の人のあえぎ声が聞こえ、思わず、窓のそとをみる。性に目覚めた思春期の少年ではあるまいに、ちょっとどきどきしたりして。
壁の薄い、築年数100年の浅間温泉時代の下宿を思いだす。ベニヤ板には画鋲の穴が、まるで天の星のように無数にあったっけ。
性の営みに、みみずくは死を連想した。
もしも、生きる目的がセックスをし子孫を残すためで、生命はより環境に適応した強い遺伝子を運ぶためだけの舟だと考えるなら、人間や生物はあまりに哀しい。哀しすぎることで溢れてしまう。
けれども。生きていることは、それだけで世界に影響を与える偉大なこと。そう考える。だから文字通り死んでしまったひとですら生きているといえるし、私を励ましてくれることもある。世界を変えている。
重心の子どもたち大人たちは、助けがなければ生きていけない。自分から主体的に発信することもままならない。
けれども人間対人間の双方向の関わりやぶつかり合いから生まれるさまざまエネルギーは、社会にでることのほとんどない閉鎖的な空間すらを越え、この世界を少しずつ変えていく。
……今まで気がつかなったが、おかげでうちの二階の窓から江ノ島の回転する灯台の明かりが見えるけとを知った。
以上、性と死に関わる連想のお話でした。妄想にならなくてよかったわ。
時間があったら仕事で推薦された専門書を買いに横浜までいこうと思ったが、くたびれてやめた。ネットが来週つながれば、わざわざ出向かなくても買えるし、それに、専門書を読む以前に覚えるべき基本的なことがたくさんあった。
新しい職場でフルに働けるように、日常生活では睡眠を充分にとり、なんらかの方法で蓄積された見えないストレスを発散し、余力を残すことを心がける。なおかつ、毎晩、腰痛予防の筋トレをする。部屋にはロフトがありそこからちょうどいいかんじに、金属の手すりが下にでていて、洗濯物を部屋干しできるほか、ぶら下がって、腕を鍛えらる。伊豆七島で登山をしたおかげで、半年の特養生活でなまった身体が、目覚めたようなかんじ。
そして、熟知するのに三年かかるといわれた利用者50人のリストをリフィルにして一冊の手帳を作る。
最後に、一年の封印を破り、8月から処方された抗うつ薬、向精神薬、安定剤を飲む。再発したというのではなく、引っ越しや転職などの環境の変化は、うつの引き金になるから、あらかじめの予防策としてだ。
不安定がなければ、いまのみみずくはいないし、いまの仕事もしていない。
たった一錠で人格が変わってしまう、精神薬の本当の恐ろしさは、特養で改めて知った。そして退職の間際、ある利用者の処方量減らすことを働きかけることに成功した。薬物は必要以上に、飲む必要はない。それは最終的には主治医が決めることだが、自立している人間の場合本人が決めてもいい。
そうして、今日1日生きのびたたことを感謝し、明日の幸運を祈って眠る。
いつからみみずくは神様を信じるようになったのか?
特養に異動になる前、認知症のかたが入居するグループホームで働いていた。
仕事としての介護は初めてだった。認知症という脳の萎縮による症状に対面するのも初めてだった。(多重人格など精神障害には、自身が入院してやや理解があった。大学で留学する人より、隔離病棟に入院する人が少ないなんて!)
さてそのグループホームのアルバイト、思えば答えのない、難しい仕事だった。目的は、まざまな働きかけと受容によって、古いこばでいうとと問題行動、徘徊や暴言暴力など原因があって生じるさまざまな周辺症状を緩和すること、さらに生きがいや楽しみ、があって幸せと思える人生の最後のお手伝いをすることにあった。
それは理想であり、完璧に果たすことはできない。介護の途中に、こちらが理不尽に思ってしまったり、時間に追われ苛立ってしまうこともあった。受容することは、相手の生きてきた人生のエネルギーをまともに受けることで、生半可な気持ちでは続けられない。
おいしいといってもらえるような料理、きれいといってもられる料理の腕を磨いたり、夏を前に畑を耕したり、野原の花を摘んで飾ったり、楽器片手に一緒に歌ったりする。
嵐の合間に、そんな、小さな、ことをたくさんする。記憶はなくなっても、"感情のようなもの"は残ると思った。たとえばストレスはたまるものであり、忘れて0になるということがないように。
それが仕事だった。いいやそれは仕事というより、単純に人との人間的な関わりだった気がする。
明後日からは高齢者介護とは離れる。
でも福祉は身体のもつまでは、まだ辞めない。
今回立ち寄った、神津島、新島、色根島はシーズンはずれのため、山でも海でもすれ違う人はまばらで、話した人もほとんどいない。
かつて流罪になったり、漂流したりしてこの島々で故郷を思いつつ生涯を閉じた人たち。
明治になって、ときに自然の恵みをうけ、ときには自然の厳しさに打ちひしがれ、島を切り拓いた人たち。
ずっと一人でそんな過去の人たちに思いをはせつつ、鎌倉に帰ってきた。
旅は終わっていない。来月からのここでの生活や仕事は、まだ未知だし、帰ってきた新しい家でかさえ、どこか知らない土地の宿のように慣れない。
だけど、「初めは危ない谷の小川の橋を渡るような心配事は、後に平和に収まる、迷うことなし」と、島の神社のおみくじいわく。神様を信じよう。
おおむね人は年齢を重ねるにつれ、所有する荷物が増えていく。それに加え、こころにもさまざまな記憶や感情も蓄積していく。
そしてそれは、時として身に余る重荷になることがある、
みみずくは思う。これは他の人に当てはまるかはわからないけれど、持ち物の多さ、は、こころに抱えこんでいるもの、に比例するということ。
家がごちゃごちゃものであふれていたとき、頭もごちゃごちゃしているように。
荷物もこころに背負い込むものも、取捨選択して整理しないといけない。
というわけで、今日は荷物を全部置き去りにし、服すらも脱いで海に飛び込んできた。
前述したとおりならば
浜は人もいないし水着も本当はいらなかっただろうにちゃんと履いていたのは、みみずくのこころが社会的な何かにとらわれているからかもしれない。
登山道入り口でで必要のない荷物を置いていって、標高572mを海抜0mから二時間かけて登る。山頂は、這松と岩と砂漠のような地形で、太平洋の天上のような世界だった。
港へかけて大きな崩落のあとがあり、昔この島の人たちが島を守るために大変な治山工事をしたとのことである。
こんな時期山にはいる人などいない。かつて伊豆七島神が持ち帰っていった残りの水だろうか。山頂には苔むした草むらのなかに小さな水たまりがあって、幾分ちかくなった空を映していた。
その昔、伊豆七島の神々が、この島の中央の山で、貴重な水の分配を決める会議をした。
結局、翌朝の到着順で分配を決めることになった。翌朝、御蔵島の神が一番のり。最後についた式根島の神が、ほとんどのこっていない水を見て怒って暴れ、飛び散った水が、この神津島の豊富な湧水になったらしい。
誰もいない、風の強い海岸を歩きつづけて1日が終わる。
こんな小さな島にも特養があること。そして島の小学生の元気なこと!
明日はどこへいこうか。
特養での仕事は無事終わり次の仕事まで一週間休みがある。
余りにも最後の仕事が忙しくて、計画なしの旅行。
芝桟橋からジェット船に搭乗して、行き先は一番遠いからという理由だけで神津島を選んだ。
74�/hでいま東京湾をでた。
台風は通り過ぎ、無事荷物は新しい部屋の収まるべきところに収まり、静かに沈黙していた。
* * *
一軒目は、あえて下から攻める。ぴんぽーん。
無言…
二軒目は人気がない。ぴんぽーん。
がさごそ… そして静まる。
夜の8時。時間が遅すぎたか?三軒目は自分の部屋がある二階だ。いわばお隣近所だ。ちょっと恐る恐る、ぴんぽーん。
無反応。
隣部屋の4軒目。怯えはじめたみみずくの意表をついてぴんぽーん、は故障中の張りがみ。
こんこん…こんばんは(小さな声で)
反応がないの過去の三回の経験から容易に推察された。これを演繹法というのか帰納法というのか、あるいはどちらにも当てはまらいのか、わからない。
みみずくは怪しいセールスもしないし、宗教の勧誘もしない。ただ引っ越しの挨拶と、洗剤をお届けに上がったのです。
私は一人。たった一人この新しい町で誰も知る人のいない三日目の夜を迎える。
神様、誰かと話がしたい。
本日、金沢→鎌倉へ引っ越し。
時間をすぎた。まだ業者から連絡が来ない。
新しい住居は、海岸にちかく、川の州にある。
引っ越し初日に、避難勧告がでなませんように。
2011年の十五夜も過ぎた。
老いたる身の生活と生命を支えているはずのこの自分は、
老いを敬うことなく、敬老の日も過ぎた。
退職と引越しが目前に迫っている。そんな今日この頃。
数えても残りわずかなのに、明日の仕事が嫌だ。
間違いなく過去でない今の自分は、明日が来なければいいと思う。
なにが嫌なのだろう?
過去の日記見て、気がつくのは、いま、世界が、新鮮さを失い、色あせ、くすんでいること。
月を見ても、なにも感じない。
成長しない、むしろ退化した、無感動なわたし。
* * *
いつまでも続くかと思われた病気は、去った。
あの時の呼吸のできないくらいの重苦しい瞬間をいまはよく思い出せない。
そのかわり、いま
なにをみても心が動かない。
朝露に濡れた草木を見ても、果てしなく広がる鎌倉の海をみても。
* * *
凛と澄んでいた空気。
夜半に聞こえるフクロウの鳴き声。
朝も夜も鳴く、消え入るような秋の虫たちの音。
晩秋の北信で過ごした。仲間がたくさんいて、なのに孤独にさいなまれ病的で訳のわからない憂鬱、苦しみから少しでも逃れようとしてできなかった一日一日のほうが、なぜだろう、いまより比べようもないくらい「生きて」いた実感を伴っていた。
* * *
神様はいま、自分になにをせよといっている?
暗闇に耳を澄ましても、なにも聴こえない。
今日、みみずくは横浜から鎌倉に住所を移した。
来月から向こうで新しい生活と仕事をはじめる。それがどんなに退屈な記事でも、このブログは日記なのだから仕方ない。
9月も半分すぎたというのに、朝比奈の峠空にはマグリットの岩のような入道雲が浮かんでいるし、焼けるような日差しが
…実際街をゆく人々の肌を赤く焼いていた……降り注いでいた。
このブログでは、これまで自分の少ないながら体験してきた高齢者介護の仕事について、フィクションですとか附記しつつ、ごまかして書いてきたけれど、
次の仕事は、福祉の仕事ではあるけれど高齢者介護事業ではなく、職場がさらに容易に特定されてしまいしたがって書くことはできにくい。
(例えば、その仕事がまるまる街の山の麓の、少年更生施設だとか、刑務所だったら、いったいどうしてその施設の中で起こる具体的な事象を書くことができる?
それが命の電話のカウンセラーボランティアが、その仕事内容を死ぬまで秘密にするのと一緒のこと
郵便配達人が読んでしまったハガキの裏の内容を死ぬまで秘密するのと一緒のこと
いまや守秘義務がない仕事なんてない。
だから、どうしようか。
気持ちや考えを表現できないとみみずくは、満月の夜に狂って狼になってしまう。
ブログはやめて、全部フィクションの物語をつくろうか…
8月1日のバイク事故をかわきりに、少しづつ前へ踏み出している今日この頃。
転職は、はじめハローワークや人材ハケン会社のおかげで、決まった。高齢者介護とは少し異なる福祉施設だ。公には求人は出ていないようで、もし個人で探していたらとても転職は難しかったと思う。
押入れに封印していた教員免許状が思わぬところで役に立って、介護福祉士の資格がないのに、児童指導員として雇ってもらえることになった。
ヘルパー2級も今の会社から取らなくていいといわれていたが、とっておいてよかった。2級なしで、介護経験二年半ですなんていったら、果たして雇ってもらえたかどうか。
* * *
そして秋が来ると同時に、鎌倉に引っ越すことになった。江ノ島の近く。みみずくの故郷の湘南の海。きっと生まれてはじめて見た海も、記憶の最初の海も、湘南の海だった。対岸のないどこまでも広い藍色の海。
希望は広き 相模灘・・・
理想は仰ぐ 富士の嶺・・・
湘南の海をみると小学校の校歌を思い出す。子どもの時、海はもっと狭いものに思っていた。いいや、海の広さなんて。考えが及ぶまえに、狭い町のすべてが好奇心の対象だった。
25年で、逗子、横浜、松本、長野、横浜、鎌倉と住まいは変わり、5回目の引越しとなる。
5回だなんて。
いちいち数えるなんて、よほど過去を振り返る人なんだなと笑われてしまいそうだが。
でもね。
後、人生で引越しは何回あるのさ?
明日が必ず来るなんて誰にもいえない。
だから、みみずくは、日記を書き、その土地土地での思い出を振り返り、真夜中に後悔したり、恥ずかしくて叫んだり、たまにほっこりしたり、する。
思い出や過去は形がない、残らない、という。だから人は死んだら、それで終わりなのだと。
でもほんとうはそうではない。
たった一秒前の一呼吸すら、地球や宇宙のその後を多かれ少なかれ変えていく。
バタフライ効果といって一匹の蝶のはばたきが、結果、遠く離れた場所で嵐を呼び起こすこともある。
江戸時代の「恩送り」や「情けは人のためならず」という言葉は、小さなの行いでも、それがまるで水面の波紋のように広がり世の中を巡りめぐっていくことをいっている。
* * *
親しい人が亡くなったとき、介護をしていたお年寄りが亡くなったとき、こう考えると、楽になれる気がする。
生きていることが、誰かに影響を与える営みであるならば、人は命を失っても、永遠に生き続けている、と。現に、過去失った人は、今日の自分の行動を決めるほどの力をみみずくに与えてくれているのだから。
嬉しいことがあれば
きっとその前に
嬉しいことを誰かに
したのでしょう
辛いことがあれば
きっとその前に
誰かに辛い思いを
させてしまったのでしょう
残念ながら 僕らは
こんな風に色々抱えて
生まれてきたんです
そのままが特に
美しいモノじゃないんです
だけど
生まれたときあんなに
大きな声で泣いたのは
このココロとカラダを全部使って
今度こそは誰かに何か
良いことをできるチャンスを
もらえたのが嬉しかったからなんです
絶対痛くないからと
歯医者につれて行かれて
飛び上がるほど痛かったなんて
やっぱりイヤでしょ?
だから本当のことを言うね
生きていくことは
とてもとてもとても大変だし
それが当たり前なんです
残念ながら 僕らは
こんな風に色々抱えて
生まれてきたんです
そのまま何もしなければ
それなりの人生しかないんです
だけど
生まれたときあんなに
大きな声で泣いたのは
このココロとカラダを全部使って
今度こそは誰かに何か
良いことをできるチャンスを
もらえたのが嬉しかったからなんです
そして最後の日に
この歌を
自分のために歌えるように
Happy birthday to me
and
HAPPY BIRTHDAY TO YOU.
じゃあ気をつけて。
ホームセンターでカブに乗っていた人から声をかけられた。同じカブて、見慣れない新しい車両だったからか声をかけられたあとだった。
気をつけて。そのことばがまるで予言のように耳に残る。
電車のなかで亡くした財布を取りにいった帰りだった。次の仕事さきになるかもしれなかった、その日、みみずくは、満員電車の人に押され、財布をホームにおとしていた。
こんどは交通事故。
退職願をだしてから悪いことが立て続けにおこる。
まえの車が急のつく急転回して、さけられず衝突。
体が、痙攣している。親切なおばちゃんがかけよってきて、目の前の消防署に通報してくれた。
自分で病院にいける気がしたので断ったが、足を捻ったらしく、すでに到着していた救急車に載っていくことをすすめられる。
警官がぶっきらぼうな物言い人で救急隊の人は、悪口をいっていた。久しぶりに味方を得たような安心感がした。
足は捻挫ですんだ。
夜勤なので、欠勤希望の連絡を入れるのがこころぐるしい。
職場からは夏休暇を前倒しにさせてもらいますとか、いつこられるか、そういった実務的なことばかり。事故にあった私、それはミスをし、業務に穴を空ける存在でしかない。
疲れた。
他のことは考えず、
迷惑も考えず、一週休みとする。実際足を捻挫しているから働けない。
保険会社の人だけ、味方をしてくれる。
お金、だけか。この世界は。
職安にいくために、
ずっと前に書いた履歴書を、探している。
履歴書は出てこない。
かわりに、勤めていたグループホームの家族からの手紙が、いくつか出てきた。
* * *
冬の早朝。どうしても夜勤者一人では対応できない利用者がいて、
家族はホームに預けているというのに、そのことで困り果てていた。
考えあぐねて出た結果が次のようなものだった。
だれか、その時間に、一対一で付き添ってもらえないだろうか。
1つ返事で、引き受けることにした。謝礼が出たが、引き受けたときは、ボランティアのつもりで、早朝四時に起きて、せっせと冬の坂道をホームに向けて走っていた。
あのころ、病み上がりの自分に仕事らしい仕事が勤まるなんて思っていなかった。
だからどんなにがんばっても月額10万いかぬ給料に不満を覚えることなく、仕事をしていた。なにより、人の役になれることだけが励みであり、それが自分の「自立支援計画」にどれほど役に立っていたことか。
* * *
そしてそれから一年後、自分は会社の社員になった。
給料は倍になった。そうして、若い社員の集まる別の施設に移ったのが4月。
仕事の量はさして変わらない。問題は山積であり、どちらが大変かといわれればどらも同じように大変である。しかし大変なのは、理想や目的があってそれを追求するためではなく、定められたノルマをこなし、理想の数字で埋めるため、という気がした。その日一日、何人のお年寄りを笑わせたではなく、何人風呂に入れた、か。
社員になると、会社全体の様々な情報を得られる。
この会社は中身をおろそかにして拡大することを最大の目的にしていないか?
利用者を缶詰にし、ただ生きながらえさせるだけの施設ではないのか?
とにかくも受け皿を必要とする高齢社会の日本において、あながち間違っているとはいえないのかもしれない。
けれども、セオリーに反している。
おかしいと思ったことを、変えるだけの力を持ち合わせていなかった、変えるだけの力を作れる仲間もできないまま、次第に自分も、業務優先の、介護者本位のまっとうとはいえない介護をするすべが、身につき始めているような気がしていた。
* * *
そんな矛盾を感じていたさなか、
人を殺めかけた。
しかも過失だけではなかった。
食事介助をしていたら、相手がのどに詰まらせた。
(この人は麻痺していて自分の力でスプーンを口に運べないという判断で、介助者が口に食べ物を放り込んでいた。しかし実際は、最後まで自分の意思でスプーンをもち、口に運べる。窒息の詰まらせた原因はそこではなく、刻みが足りなかったことにあった)
明らかに窒息しかけて、看護師を呼ぶ必要があったにも関わらず、
恐ろしいことにその場にいた同僚に、声をかけるのをためらった。
自分の中に悪魔が蠢いていた。
即座のずるがしこい判断と、これまで何度も反復していた知識で、異物を取り出すことに成功した。最終的には、のどの奥に指を突っ込んだ。
指に当たったのどの奥の異物の感触は一生忘れられないと思う。
その直後異変に気がついた同僚が駆けつけて、看護師を呼び、サチュレーションを計りつつ吸引など施したが、峠を越えていたことは、自分だけが知っていた。
ようするに嘘をついた。
しかも。それはうまくいっていない会社の権化のような同僚だった、という恐ろしい理由で。自分のプライドを、無意識に相手の命よりも優先した。
事後、事実は看護師と上司に報告して、その次の日、退職願いを出した。
看護師は一刻を争う状況判断は正しいとフォローしたが、周りに援助を求めなかったのは、明らかに不適切だった。
* * *
だので、
もう降りるより仕方がなくなってしまった。
偉大な企業になるためには、反感を持つ社員がやめて、同士が残ればいいという法則を、最近会社の時期リーダー要請研修で学んだ。
だとしたら、早いところバスを降りるのが会社のためであり、自分のためであり、誰かを殺めてしまう前に・・・
あとはどう辞めていくか。
「後は野となれ山となれ」か「たつ鳥跡を濁さず」か。
もっともらしい批判や、言い訳はいくらでも考えられるし、それを一生懸命働いている周囲に漏らすのは、容易で残酷で、そしてさらに痛快かもしれぬ。自己嫌悪を増大させながら。
しかしそれをしたら、もう生きてゆけない。
すべて目に映る事象は、自分を映す鏡だとおもう。
相手の悪いところが100あれば自分の悪いところも100ある。
それをすべて洗い出すために、神様は、事故を起こし、そして救ってくれた。
のかもしれない。
夜勤まえに家で仮眠していたら金縛りにあった�
目を開いた瞬間の視界が固定され、長い間動けない…�
説明しにくいけれど、まったく動けなくはない。
なんとか動こうとして、手をあげたり、膝を曲げようとしたり、寝返りをうってベッドから落っこちた…
�と思ったら不思議なことに、つぎの瞬間、またもとの場所に戻っている。鉛のように固くなった身体に戻っている。
動きたいから、それを何回もつづける。
意識だけが動けるようで、確かにベッドから落ちた衝撃は感じるのに、つぎの瞬間、またもとにもどるの繰り返し。
ユウタイリダツなんて、ばかげてるけれど、そのような状態に陥る。あるいは脳の錯覚で。
意識が、元の動けない身体の場所にもどらなかったら死んじゃうのだろうか。
金縛りの時間がどれくらいつづいたのかわからない。1分 いや10分……もっと長いあいだ……
取り合えずわかったのはユウタイリダツ、つまりお化けになっても、フワフワ浮けるんじゃなくて、重力でベッドから転落するということ。
あるいは不器用なひとだけそうなのかもしれない。
有休の事実
�有休を取るのは権利である。
�有休というのはとりずらい雰囲気がある。
�実際有給をとると、そのぶんだけ、ただでさえ人の少ない現場はさらに追い込まれる。
上司は、上記の事実を知ってか知らぬか、とにかくこういった。
「これからは与えられた有休を全て使い切りましょう。つかわないでいるとあとで泣きをみます」
まあこう言われれば
翌月から10ある有休の一日や二日分くらい消化する人も出てくる。やっぱもったいない気がするもんね…。なかにはいきなり月に半分消化するひともでてくる……
ともあれ、有休に対する考えかたはひとそれぞれ自由だと思う。
有休を使って、単に権利を行使するもよし。
有休を使って、自分をさらに磨く旅にでるもよし。
有休を使って、ひたすらだらだら一日を満喫するのもあり。
有休を取れるほど現場に暇はないと憤って、バリバリ働くのもいいだろう。
有休をとらないで、一日でも多く貴重な仕事経験を積みたい、そんな人もあるかもしれない。
大切なのは、まわりに振り回されないこと。
使うなら使って休む!
使わいなら働く!
……三年働いて自分の有休は使ったことがなかった。使ってみようか。
まるで、はじめておこずかいをもらって、駄菓子屋の前で躊躇う子どものような心境。
以下は架空の話し。現実に存在する団体や個人には関係ない架空の話し。
頭部に打撲跡。それは昨日の夕方発見された。原因は不明。
それを家族が知ったのは、今日。家族がこちらにきてから。昨日の発見時に電話一本でも報告をしていれば、今日の顛末はなかった。あのとき、自分はその場にいた。すぐ家族に電話して報告すべきと思った。しかし看護師を含めた話しあいで、明日、来たとにすればいい、となった。だからしなかった。言い訳だ。
今日事実を知った家族は、怒った。いや怒ってはいない。静かに不信の目をむけた。相談のうえ、いますぐ責任者と話しをすることを希望した。当然といえた。自分がサービスを利用する家族ならそう思う。
しかし複数いる責任者とはだれも連絡が取れなかった。施設長をはじめ、最高責任者まで。みな不在留守電。だれにも連絡は取れない。
福祉施設の上長、それは休日だろうが深夜だろうが、連絡をとれないということは許されない。
しかしだれとも連絡はとれなかった。
折り返しの電話。
最高責任者はディズニーランドにいっている?ディズニーランドにいくのは、自由だ。休日の家族サービスをしていけないということはない。
けれどもかえす言葉を失った。あまりにも、火の車の現場とエンターテイメントパークのギャップがありすぎた。
人手不足でここには介護するのは自分ひとりしかいない。なにもない日ですら通常の業務だけで、手一杯の二人シフト。
一緒にいた上長である看護師は、このばに及んで追い撃ちをかけた。悪いんだけど用事があるから定時に帰りたいの。どうしても帰る。飲み会らしい。事態の深刻さを認識していない。
どうかしている。
ふざけんな帰るなとはいえない。かわりにこういうことて、残らせることに成功した。すなわちこの事態は、訴訟まではいかなくても、会社の信用にかかわるかなり深刻な問題に発展する可能性があります。そういうとき、いま現場にいるあなたが、私事で現場を離れていたとなると、あとでまずい立場に立たされるんじゃないですかねぇ?
やっと連絡のついた施設長は、自分は引き継ぎがすんでいないから、話しができない。まえの施設長に連絡してくれ、と。4月の人事異動から、もう二ヶ月たってんじゃねえか!引き継ぎがすんでいないなんて…
家族を三時間またせた。
聞いていたコミュニケーションがとれない家族なんかじゃない。とれないのはこちら施設職員の手落ちだ。クレーマーなんかじゃない。日頃のコミュニケーション不足が、こういうときさらに悪い要因としてマイナスに働く。
事実を述べ、記録をみせ、あたまを下げるしかできなかった。
上は経営には多少脳があるかもしれないが総じてばかである。
辞めたい。
辞めたい。でもまだ辞めない。どこの会社にいったってどんぐりの背くらべ。腐った老人介護施設。
自分は、助けを必要とする眼前の人ために働いているつもりだから。
ばか。
つきつめていえば、給料なんて、どうでもいい。自分を養うだけもらえれば。大事なのは精神の安定を保ちつつ、自立した一人暮らしを継続できること。そして、自分がまあ、まっとうに生きていると実感できる確かな手応えのある仕事をしたいだけ。
などと達観したふうに書いたが、給料が下がるのはやっぱり……いい気はしない。
4月から。夜勤手当がなくなった。よく考えれば雇用契約にはもともと夜勤手当なるものは書いていなかった。以降法律で決められた25%増し額が支給される。いわば法にふれない最低限の賃金である。
残業代は申請しなければまったくでなくなった。時間内に業務をこなし、定時に帰れるのが評価される職員なのだ、とうちの会社の上層部は考えた。
自分が従業員でなく、経営者ならまあ当然そう考えるだろう。たとえ現実に時間内に仕事をおわらせられる「有能」な社員がそういないにしても。
社会福祉法人が拡大するための経営
=合理化
=削れるもの全て削る。
といってじばばをテレビの前に座らせて、三食納豆ご飯にするわけにはいかない。サービスの質はをおとせない。だから人件費を削る。人件費を削ってもサービスの質は落とすな!
転倒してじじばばが入院すれば施設は一日いくらの赤字がでます。だから転ばせるな!転ばせたのは、職員がその時間帯、フロアをまわすのが一人しかいないからじゃない!一人で全てみろ。背中にも目をつけろ。
ようするに、給料を減らしつつ、人を減らしつつ、もっとじじばばの為にに働けといっている。いやじじばばのためではないかもしれぬ。もしかしたら…
とにかく、会社とは、無理難題を押し付けてくるものだ。その無理難題を解決すれば、成長するとでもいうのか?
ひとつ言えること。
サービスに関して、施設の運営に関して、なにが正しいのかなにが間違ってるのか。それは簡単なものさしがある。
自分がしわくちゃのじいさんばあさんになって、老いを背負うたとき、自分んとこの施設で暮らしたいと思えるか。
これに尽きる。
(明日に続く)
直接深く関わった人が亡くなった。
…さん、…さん、…さん、…さん、そして今日…さん
仕事をはじめて二年余り、これで5人目だ。
どの人もまだまだ生きると思っていたのに。
年齢からすれば天寿を全うしたかもしれない、でも…
一人の人間が死ぬということは、その人が生きた途方もない月日の歴史が消えることだ。
たぬき坂、キラク煎餅、へいらく小学校、みんなて私をいじめるの、伊勢崎町のあたりでね、犬がいてね、すぐげんこつが飛ぶの、ももちゃん、ありがとう、お世話になります……
最期の日常を共にし関わった人でなければ、肉親ですら、わからない言葉が、消えていく。消えていく。
介護は夕方の仕事かもしれない。いつまでたっても夕方の仕事。夕日であり、落日であり、それが、外で遊ぶこどもたちにとって最も楽しい時間であったように。そうなるように、日々、仕事をしなければ。
そうしなければ。
社会に出て3年目の春。
職場も変わり、規模も人数も増えた会社の中で働いている。
社会福祉法人といえど、その中身は特殊ではあるが会社組織であり、
みみずくのような介護職にも、介護にとどまらず、様々な雑務が加えられる。
そしてその3年目の春に思うことは、仕事が・・・介護という仕事が、人間関係というつまらないもので、ますますやりづらいということだ。はっきりいって、仕事を辞めたい。現実は辞められないのだが。
今日は月一の全職員のミーティングの日。
休日の人間も出てこなければならないが、前の職場グループホームと違うのは勤務時間には該当しないため、給与は出ないという暗黙のルールがあるということ。私服で参加する人がいるのはそのためだ。世間一般で介護の世界、とりわけいまの会社の労働環境がどうかなんて、他の仕事をしていないからわからないけれど、控えめにいっても悪いほうの部類に入るのは確かだと思う。
さて。その会議の議題の一つに、利用者の物品購入における際の領収書の切り方、処理の仕方の説明があった。
簡単に言えば本来事務がやるべき仕事が、人件費をケチっているため、介護職がこなさなければいけないということだ。
その手続きはとても煩雑で、長きに渡って2人の事務職から説明がなされたが、その二人の説明のやりとりに、唖然としてしまった。
これまで勤めていたおばちゃんが、説明しようとする。隣の新しい事務職のおっさんは、話が途中なのに口を挟む。マスクをして、腕組みをしているはげたおっさんである。二人とも違うことを言う。おばちゃんは、男事務の「それはまだ正式に決まっていないことだからと」口を挟むと、おっさんは
「黙って!」
「ちょっと黙れ」
などと強引に自分本位の説明をする。
事務といっても、介護職より地位は高い。組織では幅を利かせている。
学校の授業にたとえれば、二人の教師が生徒の前で意見の相違でけんかしているようなものだ。
直接介護という仕事を一緒にしない人間でさえこうである。
* * *
現場で一緒に勤務する人間にも、やりづらい人間がたくさんいることに、一ヶ月目にして気づき始めた。(Iあるいは自分が他の人にとってやりづらいのかもしれない)
そしてそれが、いま一番の辛い。こんな仕事いつか辞めてしまいたい、と毎晩思う。
絶対負けない、毎朝つぶやいて出勤する。
絶対負けない。
・・・・・・
けれども負けそう。
ある夜勤の日。夜勤は2ユニットを一人朝まで見る。特別養護の9人と、ショートステイの8人との、排泄介助(おむつ交換や転倒リスクの高い人の手引き誘導)、不穏な人への対応、見守り、巡回、日中の様々な記録の取りまとめ集計入力、起床介助などが主な仕事だが、ナースコールは同時に鳴り響き、動態センサーも鳴り響くし、不穏な老人は17人の状況関係なしに罵り、平手打ちを食らわせる。
しかしそれはもうGHで経験したこと。仕事であり、多少あたふたはするが慣れている。
問題なのは朝の早番との引継ぎだった。
一方的な罵声で、引継ぎとはいえないかもしれない。
「まだこれだけしか着替えてないの!」
「さっさとこの机の上の書類かたづけてよ!」
要するに夜勤業務と早番業務の間にある仕事が残っていることを怒った人がいた。自分と同じく異動になってここにきたが、自分と違うのはさまざまな施設を経由した経験豊富らしい人だということ
(弁解するなら以前、その人が夜勤のとき、早番できたみみずくは誰も起床介助をしていなかったが、黙って仕事をこなした)
それにとどまらず、その早番は、みみずくの仕事がまるでぜんぜん終わっておらず、さっさと帰ったように、他の職員にいいふらした。(言い訳なのかもしれないけれど、別の業務で、勤務あと二時間職場にいた。)
その批判の言葉は、別のあまり信頼していないユニット長を通して告げられた
「あなたはコミュニケーションがうまく取れない」というおまけつきで。
いい人なののだ。真面目で。勤務年数は同じ。年も同じ。正社員で入ったか、アルバイトで入ったかの違いで、彼女は自分の上司だった。
コミュニケーションがうまく取れない!?
「前のグループホームがどうだったか知らないけど、ここはここなので」
それは確かにそうだ。郷に入れば郷に従えというのだろう。
しかしおかしいことは山積で、あなたは何のために介護の仕事をしているのか、と思う。
コミュニケーションが取れないといわれてしまった。
そういわれてみると
どんな気持ちがするだろうか。
暗雲が立ち込める。
味方もいるが明らかな味方はいない。
絶対負けない。
自分もまだ足りないところはたくさんある。
それを修正しつつ、
この施設の悪しき慣例を全部ぶっ壊してやる。
たった二年の。それも大卒の新入社員で構成された施設で、(業務だけが仕事で、ボランティアでくる人間は厄介で、それにしては緻密な記録を要求する)たとえ悪く言われても、自分の正しいと思ったことは、遠慮なくさせてもらう。
自分は間違っているだろうか。
常勤になったため、新年度の1日から、新しい職場。
トンネルを1つ越えた、一年前にできた特養だ。
しかしこの特養、みみずくのイメージを覆した。
1 “地域密着型”特養 9人9人9人+ショートステイ+地域ケアプラザ
2 上司が同い年 スタッフは経験1、2年の新入社員が9割
3 管理者着任予定は夏以降
4 夜勤一人で2ユニット
5 フロアに、FMを流す。
6 TVで流れるのはMステ。
グループホームでは考えられない革命的事象だ。
要するに、ここは法人に入職した正社員だけの教育機関だった。
しかししかし教育する人材がいなかった。ほぼ素人だけで手探りの介護。それで現場が回っているというのは驚異だ。
しかも割と利用者は落ち着いている。
認知がないためか? それとも慣れているのか? そういえばこれまで認知症以外の老人と接してこなかった。
わからないことが、山ほどある。
グループホームでの勤務も残り2日となった。
一部屋、空ができ、そこに福島から被災した方を受け入れる方向で話が進んでいるよう。
各地の避難所において、認知症のかたは、そして介護をする人の試練は、想像を絶するもの・・・
季節の変わり目でさえ、不穏や周辺症状の原因になることもある。
まして、過酷な環境においては・・・だ。
* * *
停電があった日、夕方暗くなるリビングで、あえて入居者をあつめ歌をうたった。懐中電灯とろうそくだけでは足りないので、クリスマスに使う電池式のイルミネーションをかき集め、あちこちに設置した。
「クリスマスみたいね」
それで、落ち着いた雰囲気が出て、無事に就寝介助まで終えることができた。
隣のユニットは、しかし、大変な不穏の連鎖が始まっていた。
「何で電気がつかないの!」「テレビがみたい!」怒りと不安の大爆発。
地震があったことも、なんで停電してるのかも、わからない入居者が半数。
* * *
一過性の停電だけで、こちらはあの状況。
被災地では、紙おむつがない、汚物を洗う水もない。ただそれだけの条件でも、自分だったら、途方にくれてしまう。
* * *
東日本大震災:新潟で避難の62歳女性凍死 道に迷い?* * *
2011年3月28日 18時11分
28日午前8時半ごろ、新潟県田上町の林道で、震災で被災し同町に避難していた福島県富岡町の無職女性(62)が死亡しているのが見つかった。新潟県警加茂署によると、女性は認知症の症状があり、道に迷ったとみられる。死因は凍死。
同署によると、女性は27日午後、家族と共に移ってきたばかりだった。到着の約30分後、家族が目を離した隙(すき)に避難所を出たらしい。警察や消防団員が捜索し、約900メートル離れた林道であおむけで倒れているのを見つけた。富岡町は原発から20キロの避難指示圏に含まれ、女性は震災後4カ所目の避難先だったという。【塚本恒】
http://mainich i.jp/se lect/to day/new s/20110 329k000 0m04003 9000c.h tml
認知症対応型グループホーム。
みみずくにとって最後の大仕事が今日終わった。一ヶ月にわたり、27人全員を救出する入念に計画をたてた避難訓練。
震災のため、監督する消防士こそこれなかったが、職員も揃いあとはその手順どおり避難すればよかった。
が。
予想外に訓練開始直前のみみずくの説明中に、参加者どうし議論がわきおこり、形ではなくもっと現実的な避難のありかたが検討された。
だれも口にしない。
だが、だれしもが、先日の地震のことを考えていた。
訓練は現実のためにあるという、当たり前のことを、だれもが、身に染みて感じていたように思う。
* * *
情報を閉ざせば世界は黙する。
だか、現実は同じ夜空のもとで日本中が混乱している。一万人が死んだ。まだ何千人が瓦礫のなかかもしれない。故郷をおわれ、見知らぬ土地に避難するバスで涙をながす人の姿も……目にうかぶ。
被災地から離れた人びとは、冷静なのか、現実から目を逸らせているのかわからない。ただ気休めていどの自己防衛をしたあとは、ネガティブな情報を語るのをやめ、前向きに必死に平常を戻そうとしている気がする。
まるであしたにはなにもかもが元通りになるかのように。
しかし、そうはならない。元通りの同じ世界に、戻ることはできない。これから先に用意されていない未来があるだけだ。
不幸と悲しみを乗りこえ、これまでのありかたを修正し、日本が生まれかわる日がいつくるか、いまは語れない。
だからといって、未来が悲観的だとは決まっていない。それは、これから作るものだ。訓練ではない本番に遭遇し、生き残った、生かされた全ての人が。
みみずくは専門家ではないから、意見や推測を述べることはできない。
そしてあらかじめ恥を忍んで言うと、今日、衝動的に浄水器を買ってしまったくらいである。(備蓄は地震前からしてる) それが、これから水道水に含まれるだろう、放射性のヨウ素やセシウム、まだ公表さていないストロンチウムやプルトニウムを除去する根拠などないのに。そしてここは横浜だ。
しかも用心深いみみずくは、震災以来、飲用には浴槽にためた水を使っている。
まあ過剰反応とも思う。
こんな調子のみみずく。
* * *
だが、できれば多くの人(大人よりも子ども!)に5年10年に後悔して欲しくない。
だから、自分のブログに限って書くことを許して欲しい。
みみずくがむかし松本に住んでいた。
ここの市長は、かつてチェルノブイリ原発事故で放射能汚染に晒されたベラルーシで5年半医療活動をした人で定例記者会見のムービーがあるので、時間がない人は17分以降から見て欲しい。
放射能汚染について。内部被爆、食物連鎖にもちゃんと言及して私見を述べている。政府の立場からより市民の立場にちかい、さらに実体験に基づく意見を述べている。いろいろな情報を見たかぎり、みみずく的には一番、説得力があるので紹介したい。乳幼児、妊婦はとくに。
http://vod4.city.matsumoto.nagano.jp/teirei20110322n.wmv
人は誰しも現実生活におおかれすくなかれの困難を抱えている。
それゆえに、ひとたび目の前の危険が避けられれば、意図も簡単に注意はそれてしまう。
しかし状況は、まったく収束しているようには思えない。地震の事だ。
* * *
収束して見えるのは、「自分」が、平時とほとんど変わらぬ仕事をし、食事もし、雨風寒さをしのげる屋根の下で過ごしているからかもしれない。
職場のテレビは徐々に通常放送に戻りつつある。うちにもテレビなんていうものがあったら、きっと地震の事を忘れてしまうのではないか。
恐ろしいことに「地震のニュースはあきたな」と思うかもしれない。被災地で愛する人を亡くし嗚咽する人をみても、なんとも思わなくなるかもしれない。
人間とはかように残酷な生き物だ。時として。
* * *
しかし
人間は残酷なだけではない。(はっきりいってよくわからない生き物だ)
「夜と霧」は人間の極限状態を描いている。ナチスの収容所において、強制労働すらできなくなった病人に、一日の食事である自分のパンをそっと置いておく人間がいた。人間にはそういうこともできる。
本能と理性の間に生きている生物。
* * *
さて
いま大事なのは
・油断をしないこと
・落ち着いてどっしり構えること
・冷静に、情報を吟味すること。
だと思う。
* * *
たとえば
買いだめや買占めなどはいまの空気では「悪」となっている。それはメディアによって形成された概念である。
買占めは略奪と同じだと。
手段が金か、力かの違いだと。
普段より買う量を多くしたりする行為は 不安に反応した、誰にも備わる自己防衛の本能によるものだとおもう。
* * *
節電はどうか。
毎日職場でも自宅でも電気利用はは極力控えているが・・・そもそも
電気が足りないと誰が言ったのか?
東京電力管内の他の原子力発電所、火力発電所、水力発電所、すべての総発電量は、予想需要より大幅に余裕があるという試算は、ネット上で調べればすぐわかる。
計画停電は、実は原子力が生活に必要不可欠だというプロパガンダでないとだれがいえる?
* * *
極度の疑心暗鬼や不安は、ネガティブであり嫌われるが、
必要なことだ。
* * *
ついでに。
都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果についてhttp://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/whats-new/measurement.html
ことに15日のデータ。
当日は東京の大気に、「直ちに人体に影響のである値ではない」と数値ばかり公表されていたように思う。
自分が思うに、放射線も危険だが、放射性物質を体内に取り込んだ場合、はるかに危険だと思う。
ヨウ素の半減期が8日。セシウムは30年。体内に入って蓄積された場合二つは別次元といえるくらいひらきがある。このことはあまり報道されていない。すくなくとも、「直ちに人体に影響のである値ではない」ということばより。
* * *
今後の動向に注意しようとおもった。
(されたし と書いたら日記じゃなくなっちゃうね)
あなたは死んだ。
私はあなたの最後の将棋相手。そしてあなたが最後に負かした相手。
あなたは昨日死んだ。
海の見える綺麗な病院で。
最後の写真をとったのは私。最後に話した他人も私。最後に花をあげたのも私。
最後に関わったにんげんが、僕なんかで。申し訳ない気持ちがいっぱいだけど、できるはんいで精一杯やったんだよ。信じてよ。
なにもわからなくなり、体も動かなくなっていくあなたは、もういない。
介護は機能向上だとか自立支援の仕事だけではない。
確実に沈みゆく夕方の時間を、隣で一緒に過ごすのも、また介護の仕事だ。
月夜のみみずくのこれまで、すべての記事は、要約するとこうなる。
「ああだった。
こうだった。
こんな気持ちになった」
みみずくは話したがりやで、秘密とか、いわなくてもいいような話まで、全部、話したい。三日坊主の自分が、こんなに長いあいだブログを続けていられるのは、話したがりやだからだったと気づいた。
カウンセリングと同じように、みみずくは感情を言葉に書き起こすことで、脆い精神の安定をはかる。心の均衡を保つ。
誰に読んでもらうためでもない月夜のみみずくのひとりごと。
気持ちの整理箪笥。
感情の冷凍庫。
あるいは焼却炉。
辛かった、悲しかった、嬉しかった、溢れる感情のすべてをここに書き込むことで、心のなかに相手の話しを聴ける余裕を作れればいいと思った。
悪口を書きたい。 ある特定の人の! 仕事の!
こうかくと、たいていの人は眉をひそめる。
だが、自分はいい人間ではないので、悪口を言いたくもなるし、悪態もつきたくなる時がある。
もう、その人の事を、できる限りの醜い言葉で、さんざんけなしてやりたい。反論もできなくなるくらい、いい負かしてやりたい。
それこそ、何のために今まで勉強してきたか? それは、道筋だった完璧な論理と、緻密に練られた感情的な言葉で、その人と戦うためだと思えるくらい。
* * *
争いごとは嫌いだった。
世の中のあらゆることは白黒ではなく。灰色だ。どんな揉め事の原因も、どちらか一方にあるということはない。相手にもあるし、自分にもある。
自分は、いつも先に、自分の非を認め、謝って事を収めようとしていた。
あるいは、その人とは相性がよくないということで、近づかないでやり過ごす人間だった。
今回はもうそんなことは辞めたい。
自分が正しいと思ったこと、考えたことはを貫きとおしたい・・・・・・
* * *
でも、たいていそんなときは、相手もそう思っている。
* * *
どんな嫌で嫌でたまらない相手でも、同じ釜の飯を食らい、おなじ風呂に入り、一緒に飲めば、一週間で分かり合えるのに。
社会に出ると、そうはできない。どうしても敵ができてしまう。
お互い、事情はあるのに。
分かり合えない。それが哀しい。
* * *
翌日。
昨日の話はそれでおしまいのつもりだった。
上司にも今回の件は相談するつもりはなかった。
今日出勤すると・・・相手から自分宛のクレームの電話が・・・
クレームといってもサービス利用者からではなく、いわば協力関係にある側の人だ。
そして電話した上さらに、夕方職場に会いにくるという。僕と、職場の責任者に苦情を言うために。相当、怒っている。
* * *
上司からの事前のアドバイスは、とにかく相手の言うことを聞き、もう一度、謝れとのこと。
事情だとか、正しいとか間違っているとかではない。相手の怒りを買うまでに至った対応がミスであると!
確かにそのとおりかもしれない。
* * *
上司は、握りこぶしを見せた。
「たとえあなたが、ふざけるなこのやろうと思っても、先に自分の否を認め、謝ること」
「この手で何度壁を殴りつけたか」
そういいつつ僕のフォローだけでなく、ちゃんと相手のフォローもしていた。
「たばこ吸ってちょっと話そう」
* * *
昨日まで問題を一人で抱え込んでいた。
今日、問題が悪化した。
でも気持ちを聞いてくれる人が周りにはたくさんいた。
それが嬉しかった。
* * *
相手は、涙ぐみながら(自分にはそう見えた)、呼び出すつもりはなかったといって、帰っていった。
あなたは悪くない。
そう、あなたは悪い人ではないんだ。
また日々の仕事を続ける。
くしくも、今日、特別養護老人ホームへの異動が決まった。
遅くに仕事が終わり、横浜の西口に向かう。
ネットで知り合ったある人に会って話をするため。
休日前の街は、遅い時間にも関わらずとても混雑していた。
改札の柱の下で、車椅子に乗ったその人はいた。
相鉄の二階の改札の外を出ると、エレベーターはもう時間外で使えない。
駅員に頼んで、ホームをとおり、構内のエレベーターを使って私たちは1階におりた。駅の外を出ると、階段や段差、点字ブロックなどで、路面はでこぼこで、それはとにかく人ごみで。僕はあらかじめ行く場所を調べておかなかった自分を後悔しつつ、連れ添った。
スタバで二時間くらいか。話をする。
その内容はとにかくとして。
当たり前のかもしれないが、人の一生は、「分かれ道」があってそのどちらかを選ぶことによって決まるだけのものではない。もっと些細なことで、生き方は修正され、目に見えないなにかによって導かれていく。
例えばそれはコミュニケーションだ。たった一時間の会話が、たとえ何年かして、その話の内容すらも忘れてしまったとしても、無意識に働きかけ、自分の軌道に働きかける。
つながりのないようなことが、つながっていく。
会うはずのない人が、めぐり合う。
不思議なことだ。
生き方を決めるのは自分だとみな思っている。それは間違いではない。だが、思っている以上に、目に見えない何かに動かされている部分がある。
それは人によっては神、というのかもしれない。
今日は介護福祉士の国家試験の日。
いま介護福祉士の実務経験者ルートの受験資格が議論になっている。
自分はまだ、実務経験2年目なので、受ける資格はないけれども。
* * *
今年の試験、すなわち今日の試験までは、実務経験を3年もつ人はそれだけで試験を受けることができる。
だが来年から、受験資格に、さらに「600時間の養成施設での研修」が追加されるらしいことは以前からわかっており、ヘルパー同士でたまに噂となっていた。当然、現在仕事をしながら、介護福祉士を目指す人には、この追加事項は、相当な重みをもつ。
有識者と現場での間で、激しい論争が繰り広げられ、このたび「450時間の養成施設での研修」が義務化される見通しが強くなった。
それも3年間の猶予期間がつく。
誰だって試験のハードルがあがるのはいやだ。ほっとしたのが正直な感想だが、将来介護を生業とする人間の評価を高め、労働環境をよくするには、一見ばかげた法改正の意図も理解できる気もしなくはない。
* * *
よく介護福祉士の同僚のおばちゃんが、業務をめんどくさがると、「先輩、たしかぁ、介護福祉士でしたよねー?」と冗談をいう。
資格があっても、なくても、実際やっている仕事にほとんど関係しない。資格なんて、肩書きに過ぎないともいえる。
・・・それでいて軽視できないもの。それが資格だと思う。実際なければできない業務があるし、資格がなければ、学ばないこともおおい。人間は怠け者だから。
* * *
そういえば、教育の世界では、免許をとって、一人前の教師になるのはさらに少なくとも10年かかるといわれていた。
だが10年たったって本当に一人前といえるかは怪しい。
一番大切なのは資格ではない。反省し向上できるか、だと思う。
もろもろの事情があって、昨晩から電気が使えない。
仕事から帰って、ろうそくに火をともし、寝るまでの時間をすごしている。
水道とガスは、生きている。だが、たとえガスが通っていても、電気がないことには、風呂に湯をはることはできない。湯沸かし器は、電気を使って作動するからだ。こんなあたりまえのこと、電気がとまるまで気がつかなかった。
洗髪は、水でいいとして。からだは、ガスコンロと鍋で湯を沸かし、タオルで拭く。この時期、水風呂は考えられないから。
別に一人暮らしの家計が苦しいわけじゃない。ただ、ここではいいずらい事情があって、電気が使えないのだ……
パソコンもバッテリがあるが、インターネットには接続できない。ブログを更新する携帯は、電池で充電するか、外で電源を探さないといけない。
冷凍庫の食品もさすがにもう溶けてしまっただろう。今晩は、それを食べる予定。
LEDのヘッドランプがあるから、必要ならばそれを使うが、ろうそくだけで部屋はほのかに明るいので、さして使うこともない。
この生活がいつまでつづくかわからない。何日もつか。いまのところは大丈夫……
知らす知らすにライフラインに依存してきた自分、いつまでもつか…
あなたに伝えたいこと。
いまはもうここにはいないあなたに。そう、あなたに。
私、以外のだれか、といえばいいのかもしれない。そう思えるほど、
だいぶ、時間がたったね。
* * *
あなたに伝えたいこと。
そう今日の晩の満月とおなじように、明け方には誰にも見送られず、消えた、あなたに。
伝えたいことがある。
生きていくことの計り知れない喜びと、哀しみを。
今日この日のささやかな喜びと、哀しみを。
あなたがもっと生きていれば、きっと同じように感じたであろうの数々のことを。
死という言葉をあえていいかえるのなら、あなたは、記憶のすべてを封じ込められ、あるいは封じ込め、人生の最良の日の記憶と、深くそれは深く傷ついた日の記憶を、無意識に再現しながら生きているのだろう。雲のなかで。
* * *
あなたがあなたでなくなる前、私は出会った。
いまのあなたは言葉を失い。感情を失い。人を愛することも愛されることもしない・・・
あなたの家に大切にしまってある、金色の折り紙に書かれた一通の手紙。それがあなたを知る私にとってのすべての手がかり。
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あの日、高原の森の中の、何千年を生きた樹木の傍らで、陽だまりが、あなたの顔を明るく、明るく照らしていた。
気付けば、もうすでに私は、あなたの年を越えてしまいました。
でも、あなたを越えられる日は、いつくるんだろう?
悪いことをしようとした。
しかけて、気付いた。
自分が常に善人ではあるとは限らない・・・
悪いことをしている時、このことには気付かない。
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新聞を見る。
毎日のように、社会的に信用が高い職種の人が、犯罪を犯し、逮捕されている。一日のうちに信用が失われ、人生を0からやり直す人がいる。
窃盗、強盗、詐欺、恐喝、売春、横領、薬物・・・
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我々は罪を犯したいから罪を犯すのではない。心の弱さ、孤独の寂しさ、人生の悲哀をまぎらわすため罪を犯す
遠藤周作の言葉。
昨日は、普通自動二輪の卒業検定。
結果。パイロン接触で、終了。
しかもスラロームで! クランクでも急制動でもない、スラローム。教習中は一回も失敗したことがないのに・・・
検定員は事前説明の教室からやたら威圧的だった。それに押された感があった。
もともと緊張症で、卒業論文の中間発表の時、頭が真っ白になってなにもしゃべれなくなったことがある。
「駄目かもしれない」そう思った時は必ず失敗する。プレッシャーに人一倍弱い。
そういうことがわかっただけでも、二輪免許を取ろうとしてよかったと思う。
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いいこともあった。勤め先の常勤登用試験に受かった。秋から二回の論文と面接を切り抜け、やっと結果が伝えられた。
昨年の10月付けで、採用してくれるという。
コンビニ店員並みの給料が改められ、時給制は月給制にかわり、去年の夏の分からボーナスももらえる。
でも、誰にも言わないがあまり嬉しくない。
僕は一人だし、お金には困っていない。
正規職員でも、世の中の平均に比べれば、低い待遇であること。
それより、そういうことを誰にも、報告できないこと。
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自分は、小学校の教員になろうと思っていた。
でも、現実にうまくいかないことが多すぎて、諦めた。
諦めの結果が、いまだとしたら、それは喜ぶべきことなのか?
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いまの仕事は世の中で必要不可欠な仕事だ。
だけどそれに誇りをもてないでいる自分に最近気がついている。