今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

聖母マリア

2011年10月20日

 

中央のステンドグラスから朝の光が小さな聖堂のなかにいるみみずくたちを静かに優しく照らしていた。


外は潮風が少し冷たく強いのに建物のなかはの空気は静まりかえっていた。キリスト十字架、左右に偶像、片方は赤子を抱いていたから、マリア様と思われた。岩戸の下で、星の輝きのもとで、羊たちに囲まれるなか、神の子を身ごもった女性。


午前は利用者を連れて短いといっても2回も散歩にいけた。特養で半年かかって2回しか散歩にいけなかったことをしぶしぶ思いだす。比較すれば劣悪とは決していえないけれど、人生のついのすみかとしては少々寂しすぎる場所だったかもしれない。

徐々に仕事がわかってくる。コミュニケーションなどできないのではと疑った子どもたち、大人たちは、言語を超えたあらゆる次元の方法で、意思疎通をしているらしい。ただまだ、日の浅いみみずくはまるで突然異国に漂着したように、その一部しか垣間見えないけれど。


はやく仕事を覚えたい。
ことに自分より年下の小さな子どもにたいしてその仕事とは、決して親にはなれない、けれども親的な役割を担うことであり、ときにはそれ以上である。

0 コメントはこちら: