夜ベッドに寝そべっていたら、窓の外からもろに女の人のあえぎ声が聞こえ、思わず、窓のそとをみる。性に目覚めた思春期の少年ではあるまいに、ちょっとどきどきしたりして。
壁の薄い、築年数100年の浅間温泉時代の下宿を思いだす。ベニヤ板には画鋲の穴が、まるで天の星のように無数にあったっけ。
性の営みに、みみずくは死を連想した。
もしも、生きる目的がセックスをし子孫を残すためで、生命はより環境に適応した強い遺伝子を運ぶためだけの舟だと考えるなら、人間や生物はあまりに哀しい。哀しすぎることで溢れてしまう。
けれども。生きていることは、それだけで世界に影響を与える偉大なこと。そう考える。だから文字通り死んでしまったひとですら生きているといえるし、私を励ましてくれることもある。世界を変えている。
重心の子どもたち大人たちは、助けがなければ生きていけない。自分から主体的に発信することもままならない。
けれども人間対人間の双方向の関わりやぶつかり合いから生まれるさまざまエネルギーは、社会にでることのほとんどない閉鎖的な空間すらを越え、この世界を少しずつ変えていく。
……今まで気がつかなったが、おかげでうちの二階の窓から江ノ島の回転する灯台の明かりが見えるけとを知った。
以上、性と死に関わる連想のお話でした。妄想にならなくてよかったわ。
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