http://www.youtube.com/watch?v=wVTLhcTAnvw 予告
みなとみらいのワーナーマイカルシネマズ で映画を観た。
「ラブリーボーン」・・・この邦題は、ボーンは「骨」であるのか「生まれる」なのか最初わからず、まぁさかいくらなんでも「骨」ではないだろう。
そう、勝手に決め付けていた。「よくある恋愛映画の類。ラブリーなんとかってことは、要するに恋愛のなにかだ」、そうみみずくは思った。
上映が始まってしばらくして、実際のストーリーは、最悪で悲惨なものであることが予想された。14歳の主人公スージーが、連続少女殺害犯の男に目をつけられ、殺され、ばらばらにされてしまうという、阿鼻叫喚の実写と展開。
「これほど観て落ち込む映画もない・・・」・・・直後の感想はそうであった。そして今日という日にこの作品に出会えたことの意味を考えざるを得なかった。
というのも、映画を観たのはみみずくひとりではなくうら若き、年下の女性が隣にいたのである。
下調べもなく映画を観た。 グロテスクな作品だった。それはようするに致命的であるように思えた。
もはやこっちがコメディの主人公だ。
けれども、帰り道、一人でとぼとぼ歩いて帰る道のり、思い返せば、見ごたえのある作品だったと思い返す。主題は、「猟奇的殺人」だとか「推理」ではない。主人公は、死にながらも生きていて、天国まで浮遊するあいだ過去を回想する。そのあどけない主人公の美しくそして明るく描写された「死後の世界」からの声に、作品は救われている。
死後の世界からの声、みみずくはそれを実体験として持っていた。だから本当は、生と死の越えられない壁に対峙して、叫び涙する、スージーと父親をみて、隠しつつ涙が止まらなかった。
目をつぶりたくなる残酷さだった。犯人も醜悪、最悪を演じきっていた。しかし「幸福 」だけでは、作品にはならない。
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2010年2月28日
2010年2月21日
ひんやりとしたアパートの一室で、自分の生い立ちを示すダンボール4箱をクローゼットから引きずり出す。
小学校の連絡網に始まりわずかな中高の記録、大学、寮で過ごした日々の写真…
記憶から確実にきえはじめている。必死にダンボールを抱えこむ。これが燃えたら、自分はいなかったも同然……。
一匹の蝶の羽ばたきで、世界が気象攪乱することもあるが、一匹のみみずくの鳴き声は、闇夜に吸い込まれていく。
あなたはなんの為にそこにいる(存る)のだろうか。
みみずくはなんの為に、ここにいるのだろうか。
果てしなく深い海溝……
2010年2月18日
それがなくなりつつある。
今日は5連続勤務の4日目。20時のタイムカードを押した後、もろもろの混乱があり、暗い庭を回ったり、警察を呼ぶよばないの問答をしたり、なだめたり、激怒されたり、結局、もう帰るのが面倒くさくなり22時過ぎくらいまで、職場にいた。サービス残業というのだろうか。
たいして仕事はしてないし、うちに帰っても寒いだけなので、落ち着いてからは介護本をよんでいた。
守秘義務を気にしてしまうと、何もかけなくなってしまう・・・
認知症の面白い仮説がある。(ナオミ・フェイル「バリデーションセラピー」)それは、人が人生の異なった段階を生きていく時に、それぞれの段階で解決しなければならない課題があり、それを解決しないまま人生の最後を迎えることがある。再そのような人は4つの解決のステージを迎える。
1 認知の混乱
2 日時、季節の混乱
3 繰り返し動作
4 植物状態
今晩一人の方が突如(前触れもなく)、混乱し、目に入るスタッフを強盗や暴漢とののしり、寝ている人の部屋のドアをたたいてまわった。「助けて逃げなくちゃ!」「警察をよばなくちゃ!」
就寝時間をすぎ、静かになったホーム全体が騒がしくなり、数人の人がおきてこられたりして・・・
昔、肉親に億単位の詐欺にあったという彼女の過去は知っている。その最悪の状況がよみがえってくるのだろうか。どうすれば、その棘にさされた過去を乗り越えることができる?
2010年2月14日
雪の降る横浜まで、ヘルパー養成の実技講習に参加した。
教室には高校生から還暦を迎えたひとまで、異年齢のひとたち20人ほどが集まっていた。
スキルアップのため、転職のため、実母の介護のため……さまざまな動機の方たち。
介護現場で働くひとも中にはいて、職場から助成金をもらってきたひともあった。
みみずは自主参加だから全額自己負担だったけれど、もう一度介護の基礎を勉強したいと思い参加してみた。
初日の午後はインスタントシニア体験。白内障ゴーグルをつけ、からだ中におもりをつけ、耳栓もして……ゴーグルから見る世界はぼんやりと黄色の光につつまれて、くらいところだと、ほとんど何も見えない。
販売機でジュースをかわなければならなかった。でも手袋をした手では小銭がうまく財布から出せず、それよりも後ろに別のひとがならんでいたので、焦りは相当なものだった。
バリアフリーにかんして、エレベーターに車椅子用のボタンがあることはよく知られているが、そもそもボタンのランプが光っていないと、どこを押せばいいのか見えない。
エレベーターには鏡がついていることがあるが、あれも実は車椅子のかたが背後を確認するためのもののようだ。
ビル入り口にちかいエレベーターは、普通のエレベーター、奥はバリアフリーのエレベーター。なぜ奥がバリアフリーなのかというと、ビルの裏てには駐車場があり、しかも段差がないため、車椅子利用のかたにとってちかいからなのだ。
健常者が知らない設計のさりげない工夫が街にはもっとたくさんあることを知った。
2010年2月4日
アバター
まったく内容を知らずに見たので衝撃的だった。
映像が幻想的でリアル、とにかくきれいだった。一コマ一コマがポスターになるくらい。
うまくことばにできればいいけれど、まだ見てまもないので、ことばにできない。
是非、おすすめです。
2010年2月2日
今日は北風吹きすさぶ、寒い1日だった。都心でも明日の朝にかけて積雪が予想される……
そんな1日、蒸気と湯気にめがけをくもらせ、たみみずく。風呂当番であった。
「いい加減コンタクトにしねえと……さて今日は…どなたを……」
……一週間入浴を断固拒否したAさん。
目に入るものすべてをいじりつくすBさん。
そして、最早アルツハイマーが進みことばを話せなくなり辛そうなうめき声ばかりあげている半寝たきりのCさん。入浴は機械やリフトなどつかわず、素手で、イスから体を移動させ湯船に浸かっていただく。転倒リスクも高く、一瞬の気のゆるみが命とりになるから必死だ。
さて、いつものようにCさんの入浴介助をしたとき、大発見があった。
それは 童謡を耳元で歌うとその間だけ目をパッチリあけ、うめきが消えるということ! 苦悶の表情が消えること!
しかも確実に反応がある。
大発見したみみずくは、入浴中ずっと、歌っていた。
「しょ、しょ、しょじょじ、しょじょじの庭は、つ、つ、月夜だみなでてこいこい♪」
すると。
ほんの数秒、Cさんは、右手で拍子をとったのだ。
さらにさらに小さな小さな声で「アリガト…」
意志疎通が出来たかもしれないことを、みみずくは嬉しく思った。
以上、最近あったことで一番よかったこと。