今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

老人、若者、こども

2010年11月12日

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今日は休みであったが、なんかへんてこりんな一日だった。

昼間は肺炎で入院したおじいさんの見舞いに行く。壁に「〇〇様はミトン可だが抑制は禁止」という張り紙があった。チューブや点滴をつけられていたが、熱も下がり元気そう。しかし認知が進み会話は半分も成立しなかった。

まえに肺炎で入院していたときは暴れて四肢を紐で縛られていたというから、ちょっと心配していたが。拘束もされず静かに寝ていらしたので安心した。

そして何回か息子の名前を呼んでいた。

それをみた反対側のベットの、比較的元気なおじいさんが僕に話しかけてきた。僕のことを見舞いにきた息子と思ったらしい。「いいねだんなは、見舞いに来てくれる家族がいて」

僕は肉親ではなく、ただの職員だが、ただ笑ってうなずくだけにしておいた。

バラの鉢植えを置いて帰る。
           
 ***

夕方は、職場に顔をだして、管理者や、上司に明日の昇進試験で提出する論文を添削してもらう。働き盛りの大人たち・・・・・・

 * * *

暗くなって、リサイクルショップにいき楽器を見ていた。すると小さな女の子が、一人でやってきて人懐こく話しかけてきた。天使みたいな子だった。その子は僕がするように、弾けもしないギターの弦をぽろんぽろんはじきながら、なぜか僕にまとわりついていろいろ話しかけてくる。

子ども「ひなっていうの」  「ふうーん」
子ども「これ小さいね」      「うん、かわいいギターだね」
子ども「ひなはこれ弾けるんだ」    「へえ、すごいね」
子ども「ひなはこんなオレンジ色が大
好きなの」    「そう、きれいだもんね」 
「お父さんお母さん一緒なの?」     子ども「うん」


人生の夕刻をとうに迎えたおじいさん、働き盛りのお父さん、そしてこれから生きていく小さな女の子。

同じ時代を生きて、たまた出会いすれ違っただけなのだけど、どうして皆、こんなに親しく、いとおしく感じられるのか。