今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
前記事は、まったくの架空の話ではなくて、いま、みみずくは悩んでいる。
実は、六日後に、県の教員採用試験が迫っている・・・
自己アピール文の作成と、面接のための準備と、模擬授業の指導案づくり。
まだ何一つ進んでいない。来月4日の試験まで、仕事の休みは1日しかない。
こんな状況は前にもあった。教育実習中、教育学部の校舎の中で深夜。明日の授業のアイディアに困って、睡魔の中、音楽室のピアノの下で仮眠を取ったりして。切羽詰ってた。
あの時は仲間がいた。大学でも、学生寮にも。でも今は一人しかいない。暗いアパートの中で、孤立無援だ。
まずは模擬授業だ。テーマは小学校、「子どもたち一人ひとりが、学習活動に興味・関心を持ち、学習意欲の向上につながる授業」
興味、関心を持つ、ということで、真っ先に思い浮かんだのが理科の実験の授業だ。
みみずくが学生の頃、
鬼無里の小学校に行った時のことを思い出した。あの時、子どもたちは、われを忘れたように顕微鏡に熱中していた。顕微鏡の中に、彼らにとって未知の世界が広がっていた。
実習や研究会で何度も学校に足を運んだが、あのときの理科室は、その中でもとびきり尊い時間だったと思う。
みみずくは、大学の受験のときこそ文系であったが、理科室にこもって一人で興味の思いつくまま実験していた時間の長さは、誰にも負けない。
だとすれば理科の授業か。
では題材をなんとする?
切羽詰っているとき、一人電話相談をする。
相談相手も回答者も自分という・・・
パーソナリティ
「はい、今週もやってまいりました。人生相談。このコーナーでは、心理学者であり、精神科医であり、また作家でもあられる、 川獺(かわうそ)が、皆さんの心の悩みを解決します。川獺先生は、現在、精神病院の医師として勤務する傍ら、自らもアルコール中毒症と戦っておられます。」
カワウソ
「はい、よろしく。多少ロレツガ回りませんが」
パーソナリティ
「では今週の相談者からの電話に切り替えます、月夜のミミズクさん、どうぞ」
ミミズク「こんばんは・・・」
カワウソ「はい、こんばんは。どのような御相談ですか?」
ミミズク「あの、試験がせまっていてプレッシャーに押しつぶされそうなのです・・・」
カワウソ「ほう」
ミミズク「このままではいけないと・・・」
カワウソ「ふむ」
ミミズク「一週間後なんですが、でも自信がなくて・・・」
カワウソ「どのような試験ですか?」
ミミズク「とある会社の採用試験なんですが。面接も心配なんですが、もう一つ、模擬プレゼンというものがあって。」
カワウソ「何を売るんです?」
ミミズク「はい。それが・・・ 子どもたちに“夢”を売る商売なんです」
カワウソ「ほう、それは珍しいビジネスですな」
ミミズク「限られた時間のなかで、子どもたちの興味と感心を持たせ、購買意欲の向上につながる話をしなきゃなんないのです」
カワウソ「まず聞きたいことがある」
ミミズク「はい」
カワウソ「あなたには売るような”夢”があるのですが?」
ミミズク「・・・・・」
カワウソ「ない?」
ミミズク(小さな声で)「あります・・・・・・でもそれが、なんなのか、まだはっきり言葉にできなくて」
カワウソ「あなたの中で、いまだはっきりとした形になっていない」
ミミズク「ですから、僕は、この試験が心配なのではなくて、受ける資格があるのかどうか、悩んでいるみたいです」
カワウソ「なるほど、お悩みが具体的になってきましたね。それで?」
ミミズク「それでって?」
カワウソ「あなたは試験を受けるんでしょ?」
ミミズク「はい」
カワウソ「だったら受ける資格があるかないか考えないで、残された時間を、あなた自身にある力を表現するための準備に当てればよいです。その会社があなたの力を大丈夫と思えば、大丈夫なんです。使い物にならないと思えば、落とすだけです。あなたが決めることではない」
ミミズク「そうか」
カワウソ「結局、悩んでいる様に見えて、答えは決まっているものです。悩みとは、ためらいに外なりません」
ミミズク「そのとおりでした」
カワウソ「ためらいは、障害です。早いうちにぶっ潰さねばなりません。自分の力を飾らず、ありのままを表現できるよう願っています。そちらのほうが大事で、試験の結果など、考えなくてもよろしい」
ミミズク「わかりました。」
カワウソ「そもそも、夢なんて自分が抱き、実現していくものであって、売るようなものではないのですから。試験はあくまで、形式にすぎないということを、申し添えておきます。」
昔、日本は遠い南の海と空に出ばって、世界を相手に戦争をしていた。
戦後40年以上たってから生まれたみみずくにはそれは、知識であり、実感を伴った体験ではなかった。
しかし最近、認知症高齢者に、あの戦争の存在を感じざるを得なくなってきた。
みみずくの祖母は子どものころ戦争を直に体験した世代だ。グループホームではその祖母より年上、大人として戦争に巻き込まれた年代の人もいる。
一対八。大胆そんな男女比。女性が多いのは、生物学的な要因だけではない。夫を戦争で失い、戦争未亡人として、焼けの原から一家を支えた女の、想像を絶する努力、苦悩。
「助け合って生きてきた」
それだけではあるまい。
「自分」と「家族」が生き残るためには綺麗事だけでは済まされなかったと思う。貪欲さ、浅ましさ、狡さ、生き残るための武器だったのではないか?
配られた均一の茹でトウモロコシが他の人より小さい!と激怒した事のことを前回書いたが、その行為の背後には、いまいったような時代や束縛があるのではないか……
みみずくのいまの介護は「役者」だ。
例えば……ここは家なんだ という雰囲気を守るために……
「ただいま帰りました」
と出勤をし、
「出かけてきます」
で退社する職員がいてもいいと思う。グループホームはご入居者にとって本当の家なのだから。
しかし……世の中はおそろしいもので、数少ないが、"役者にならない"職員もいる。演技はなく、心から、無条件の愛情を注ぎ、人生の先輩(ご入居者)に対する尊敬を片時も忘れない……
こういう仕事をしている職員には頭が下がる思い。この福祉の仕事の境地なのかもしれない。
さて。
告白するが、みみずくは
あのくそ爺 くそ婆 とこっそり思う場面が、一日数回ある。
認知症のお年寄りは、人間の醜い性質が顕著にあらわれることがある。ときに理不尽で、自己中心で、それは、仮の話として、均等に配られた三時のおやつのトウモロコシに、
「周りに比べて小さいではないか!馬鹿にしとるのかぁ!!!」
と怒鳴ったり拗ねたりするおばあ様がいたりすると、
口には出さぬが、「なにお、このゴーヨク婆が!」、とヒヨッコのみみずくは思う。
けれど、そういう 怒りのエネルギーが、あること自体が素晴らしい、と嬉しそうに語る職員もいる。
そういう考え方かたができることに、みみずくは頭が上がらぬ。