今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

高度3000メートルから

2010年4月27日

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もっと書くべきことがいっぱいあるのに……


またもやパキシルを切らしてしまった。時間が合わず病院にいけない……

パキシルを切らしたあと必ず起こる禁断症状。離脱症状といえばいいのか……頭に電気が走るように、シャリシャリ音がでる。体が絶えず痙攣し、鼓動がおかしい。


ささいなことでも涙が止まらず、感情が閉塞的になる。


悪夢をみた。


僕は、スカイダイビングをしようとしている。インストラクターに、防寒着をつけられる。


何の間違いか、僕はこの時点でヘリから突き落とされる。


高度数百メートルの大気に僕は放り出され、ぐるぐる回転している。


落下していく僕にヘリの中からインストラクターが叫ぶ「すんません、まだ肝心のパラシュートつけてませんでした!」


死に物狂いでインストラクターがヘリから飛び出し、落下していく僕に近づき、パラシュートを装着させようとするがうまくいくはずもなく。


みみずくは平然という「いいんですよ、慌てないで。僕、生きることにそんなには未練ないですから……」


自然とこんな言葉が出て、自分でも驚く


霧に包まれた視界のなかで、眼下に森が見えてくる。


僕は落ちていく……


「それより、あなたが致命的なミスをして、僕を殺したことを、どうか重荷にしないで生きてください」


夢のなかの意識が途絶え、現実に目覚める……汗が…止まらない。

<猫ちゃん>とのこと

2010年4月25日

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今日は……予定なら猫ちゃんとの散歩の約束の日だった。

猫ちゃんとみみずくは 八重桜の咲き乱れる頃、つまりごくごく最近、お付き合いを始めた。<彼女さま>とかくのが恥ずかしいし、慣れないので<猫ちゃん>と書く。

みみずく23年間の法則は突然の彼女の出現によって、覆された。

まさか、みみずくが誰かを好きになるなんて。好きになるだけでなくて、お付き合いするなんて。考えても見なかった。夢想はしたけれど、いつも寂しかったけれど、そんなことはもうないと、諦めていたのに……

さて……

今日は二回のデートだった。猫ちゃんも働いているから、なかなか会えない。この日を待ちわびて、みみずくは働きに働き、猫ちゃんも楽しみにしていてくれた。

空は晴れ渡り、みみずくは考えごとで徹夜の朝だった。

猫ちゃんから、待ち合わせの直前になって電話が……

猫「ごめんみみずく、今日、行けなくなった・・・」

み「(……行けなくなった!?えっ??えっ??×△◇○??)」

急にかわれない仕事がはいったという。

僕は電話を切る。

一瞬でも疑った僕を彼女は許してくれるだろうか……

もう一度電話がかかってきた。


猫ちゃんは泣いていた……

いままで一人で虚勢をはって生きてきたみみずく。

猫ちゃんはそんな僕に突然舞い降りてきた天使。
それも不器用で世界一愛くるしい……

木の実の森

2010年4月24日

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http://www.kinominomori.com/

山梨の自然と授産園など福祉施設を取り巻き、活動している人たちです。

みみずくも数回だけ、イベントやキャンプに参加したことがあり、今年の5月30日は、………なんとコンサートの司会の役を仰せつかってしまいました。


何百人もくるだよ!?
みみずくがしていいの?みみずくにできるの?
僕はいったい……!?


頭はいま真っ白です。
とにかくやることだけが決まっている……


……先ほど、小学校の演劇の舞台の天井で照明をいじっていたら、転落、いきなりライトを浴び、隣の女の子の踊りを見よう見真似で、「練習しないでごめんね」といいわけしつつ冷や汗たらたら・・・でたらめに踊り、そのあとマイクをもって司会をしている夢をみた 汗

どえりゃーことだよ

これは、いったい・・・


木の実の森
http://www.kinominomori.com/
大学の先輩が描いた絵本のページもあります。 http://www.kinominomori.com/mizugaki2009/book1.pdf
追加報告します。

愛しい人へ 1・2

2010年4月14日

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こんばんは。

今日の仕事が終わりました。就職して以来いちばん長い日でもありました。

昨日今日、職場で僕は大きなミスをし、その対応に早朝から追われていましたが、誰一人責める人なく、逆に励まされ、本当に申し訳ない気持ちと、こういう職場で働けていることに感謝しています。

さて、ですけど。あなたと最後に会ってから、早いもので2年が過ぎます。こうしてあっという間に人の一生の時間は過ぎてゆくのでしょうか。それはわからないけれど、僕はなんとか、一人でやっています。これもあなたのおかげです。

こうして手紙を書いているうちにも、親しい友だちからメールが来たりして、筆をとめてしまいます。

僕は前ほど、あなたのことを、そう頻繁には思い出さなくなりました。あなたが消えてからの夏、親しい人にタロット占いをしてもらう機会がありました。そうしたら、、「一人の女性の存在が、あなたに大きな影響を与えている」っていわれてそのとおりだと、びっくりしたものです。でも今は、ときより、あなたを感じ、思い出すくらいです。だからって寂しがらないでね。僕はずっとあなたと一緒にいますから。。

去年の秋に、一人暮らしを再開したんですけど、新しいアパートの一室に、まっさきに飾ったのが寮祭の時の写真です。善光寺の参道を、雑巾がけして、そのあとに「電車ごっこ」をした時のだよ。僕は映っていないけれど、その写真ではあなたは紐で結ばれて、みんなと一緒に笑ってる。茶色のおおきいマフラーをして、両手は前でつないでいる。朝日が、顔を照らしていて
、みんな幸せそうな表情をしていてね。僕の一番好きな写真です。

写真の前においたハイボール、飲んだかな。最近、はやっているらしいよ。僕はすぐ自分のを飲んでしまって、あなたのを飲んでしまうけれど。

あなたがお酒が好きだったかどうか、飲める人だったか、それすらも全然知らないほど、藍さんのこと、知らないんだ。だって一緒に住んでいたけれど、たまにしか話さなかったから。お互い・・・・・・いやあの頃の・・・・・・いまもそうだろうけれど・・・・・・「家族」はみんな夢に向かってまっしぐらだったし。忙しい毎日だったもんね。

僕は、好きな人にしか、手紙やメールをよこさない。僕はあなたが好きでした。あなたにとって最期の大晦日も、一緒に事務室で飲んでいましたよね。そのとき、いうべきいわないべきか迷っていたんです。いまだからいえることだけどね。

そのあと僕は、苦しかったです。信州の自然は、いっせいに芽吹く頃だったけれども。病院に通って、入院して、それが地球上での、僕と君との最期の隔絶。

あなたは死後、お父さんや、僕の前に、何度か形になってあらわれてくれたね。千葉の森の中で、深夜、あなたの話をしていて、きっと蛍になったんだって・・・そうしたら、本当に蛍が一匹、僕の頭の上を通り過ぎていきました。・・・・・・僕は想像します。僕たち人間には想像もできないような、生き物たちに囲まれ慈愛に満ちた美しい世界に生きているのでしょうね。

きっとそうだと思います。

東京は昨日、何十年ぶりの降雪を記録したそうです。これが最後の冬だと思います。これから、あなたの住んでいた信州の高原でも、一気に雪解けが始まるのでしょう。いつか一緒に筍をとりに行った日が懐かしい・・・・・・・あのときは厳しい季節を乗り越えた新緑がみずみずしく輝いていました。世界中が幸せであるような気持ちでした。

そういう僕も、初めての職場で、初めての春を迎えています。小さなグループホーム。なんとか、という感じで、まだまだ頼りない存在ですが、ようやく誰かの支えになれていると実感がわいてきています。

そして、あなたと過ごした日々が、本当にごくわずかなものだけれど、いまの僕を大きく支えてくれてる。ありがとう。

教師になる夢はまだまだ叶えられません。でも、あなたの思いをついで、少しでも今の世界がよいものになるように、小さな喜びを糧にして、働いていこうと思います。

本当にありがとう。

また逢いましょう。いつでも、逢える、のだから。そうどちらかが望めば、ね。

僕たちをそっと見守っていてください。遠からぬ将来そのうちまた逢える日がくるまで。

春の大決起集会

2010年4月12日

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という名前ではなかったが、そんな感じの法人全体のパーティーに参加した。


みなとみらいの某有名ホテルにて……


日本一の社会福祉法人を目指すと意気揚々の挨拶。みみずくのように、末端の介護現場で働くものから、理事長、はてまた政治家や医師、銀行の頭取、地元の有力者が顔をそろえていた。


少なくとも、給与の低い分、ビールをしこたま呑んで穴埋めしようと企んでいたら、なかなかどうして、新入社員の演奏あり、政治家の出馬協力要請あり、職員の表彰あり、拍手をする時間の方が長くなってしまった。
ジョッキは片手でもたねばならないが 拍手は両手を使うので 呑めない……


これは誤算であった。


たぶん法人で一番、闘志のない職員はみみずくだと思った。


民間企業には向かない。

弄便

2010年4月7日

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昨晩、気を許したすきに、Aさんが弄便したのを見つけた。


弄便(ろうべん)とは、自分の排泄物を、手でつかんで、もてあそぶこと。

弄便という行為だけをとらまえると明らかに異常な行動です。しかし、認知症の高齢者は無意味に便をいじっているわけではないのです。誰でも、オムツに排便すれば気持ち悪くなります。気持ちが悪く不快になればオムツをはずそうとするのも当然です。きちんとオムツをはずして、処理ができれば問題がないわけですが、これがうまくいかずに手や衣類、寝具や周囲を汚す結果となってしまうわけです。いわゆる弄便の動機は健康で正常な日常生活行動ですが、この目的をうまく達成できない日常生活行動障害といえます。このように、問題行動の多くは、目的をもった正常な日常生活行動ととらえることができます。したがって、認知症高齢者はその目的をうまく達成できない日常生活行動障害者と定義できるわけです。この弄便を防ぐために、上下つなぎ服を使用する場合がありますが、正常な日常生活行動を抑制する身体拘束にあたると思います。弄便や不潔行為は汚れたらすぐに変えてあげれば防げることですので、その工夫をすることが第一であり、安易に抑制をすることは介護の放棄であり人権侵害にあたると考えます。http://www.chihou.net/kaigo/care/mondai/home.html「認知症ネット」より部分引用


ようするに認知症が進むと、それを便とは理解できない。


みみずくが初めてその行為をみたときは複雑な心境だった。もちろん汚いと思ったのは、正直な思い。だってふつうそんなもの触らないもん。そのあと絶対だれにも非難させないぞ!という気持ちになった。

弄便をさせたのは介護するものの責任。 本人はすでに失禁をしていて、それを介護者が見逃していたからだ。

オムツが汚れたから、その不快なものを、取り除こうとしている。当然の行い。ただしその方法が障害によってわからない。

汚物が手について、それをきれいにしようと壁や布団で、拭おうとしたり、恥ずかしいから箪笥にしまったり、それが便であることも忘れれば、食べ物と誤って認知することもある。

問題は実はそのことではない。

そのあと便まみれになった机と椅子を 消毒している際に 他のかたが 近寄ってきたのだ。

みみずくは手をだして、「現場」にその方が入るのを制した。弄便をみたことで、変わる人間関係があってはならないと思ったからだ。 これをきれいにして差し上げるのは、介護者のだけでよい。


翌日。近づこうとした方は みみずくの制止した訳を気にしたよ、と大きな声でたずねてきた。食事中だった。みみずくは混乱した。先輩職員に目配せする。(紙に書いて渡したら?)

“失禁して・・・です”

その方は煮え切らないみみずくを怒った。

「はっきりそのときにいってくれればいいに!」

板ばさみの状態とはこのこと。

何が正しいのか。

みみずくの一日

2010年4月4日

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春休み

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なので職員の子どもたちが毎日グループホームに遊びにくる。


桜がさいたとはいえ、寒空のなか、庭を駆け回って。


子どもどうしってすぐに仲良くなれるみたい。


ベランダの洗濯バサミをみて唖然……


雑草がぶら下げられている。


なんでも、干してからスープに入れて食べるんだとか。


遊びは、なんでも意味があるし、それが大人になっいく勉強になっていくんだと思う。