今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

弄便

2010年4月7日

 

昨晩、気を許したすきに、Aさんが弄便したのを見つけた。


弄便(ろうべん)とは、自分の排泄物を、手でつかんで、もてあそぶこと。

弄便という行為だけをとらまえると明らかに異常な行動です。しかし、認知症の高齢者は無意味に便をいじっているわけではないのです。誰でも、オムツに排便すれば気持ち悪くなります。気持ちが悪く不快になればオムツをはずそうとするのも当然です。きちんとオムツをはずして、処理ができれば問題がないわけですが、これがうまくいかずに手や衣類、寝具や周囲を汚す結果となってしまうわけです。いわゆる弄便の動機は健康で正常な日常生活行動ですが、この目的をうまく達成できない日常生活行動障害といえます。このように、問題行動の多くは、目的をもった正常な日常生活行動ととらえることができます。したがって、認知症高齢者はその目的をうまく達成できない日常生活行動障害者と定義できるわけです。この弄便を防ぐために、上下つなぎ服を使用する場合がありますが、正常な日常生活行動を抑制する身体拘束にあたると思います。弄便や不潔行為は汚れたらすぐに変えてあげれば防げることですので、その工夫をすることが第一であり、安易に抑制をすることは介護の放棄であり人権侵害にあたると考えます。http://www.chihou.net/kaigo/care/mondai/home.html「認知症ネット」より部分引用


ようするに認知症が進むと、それを便とは理解できない。


みみずくが初めてその行為をみたときは複雑な心境だった。もちろん汚いと思ったのは、正直な思い。だってふつうそんなもの触らないもん。そのあと絶対だれにも非難させないぞ!という気持ちになった。

弄便をさせたのは介護するものの責任。 本人はすでに失禁をしていて、それを介護者が見逃していたからだ。

オムツが汚れたから、その不快なものを、取り除こうとしている。当然の行い。ただしその方法が障害によってわからない。

汚物が手について、それをきれいにしようと壁や布団で、拭おうとしたり、恥ずかしいから箪笥にしまったり、それが便であることも忘れれば、食べ物と誤って認知することもある。

問題は実はそのことではない。

そのあと便まみれになった机と椅子を 消毒している際に 他のかたが 近寄ってきたのだ。

みみずくは手をだして、「現場」にその方が入るのを制した。弄便をみたことで、変わる人間関係があってはならないと思ったからだ。 これをきれいにして差し上げるのは、介護者のだけでよい。


翌日。近づこうとした方は みみずくの制止した訳を気にしたよ、と大きな声でたずねてきた。食事中だった。みみずくは混乱した。先輩職員に目配せする。(紙に書いて渡したら?)

“失禁して・・・です”

その方は煮え切らないみみずくを怒った。

「はっきりそのときにいってくれればいいに!」

板ばさみの状態とはこのこと。

何が正しいのか。

5 コメントはこちら:

ta.no.sea さんのコメント...

難しいね。なかなか自分の想いを伝えるのは困難。
でも、決してまちがっていないと思う。
配慮して、そういう行動をとったんだよ。ってことがその人に伝わるといいな。

人間関係ってむずかしい。

モバゲー さんのコメント...
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グリー さんのコメント...
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ツイッター さんのコメント...
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モテる度チェッカー さんのコメント...
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