今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2009年2月25日
2009年2月24日
このブログの一番最初の記事が、自ゼミの追いコンのときだったから、もう丸二年がたった。
なにごとにも三日坊主の僕だが、どういうわけか中学時代から日記だけは続けている。偽りや醜いところを含め、自分のありのままの感情を書き連ねることは、結果的に不安定な心を落ちつかせていたし、自分の生きかたを少しはかえりみることができたと思う。
ブログはノートに書く日記とは違い、不特定の誰かが閲覧できるという点では、ありのままの自分を書くことの妨げにはなるけれど、たまに励ましのコメントを寄せてもらえることが、僕をどれほど勇気づけてくれたことか。
今日は朝から寮職員のおばちゃん三人につかまり、卓球をしたり、深夜3時まで大人数の人と接して、だいぶ負担が大きかった。せっかく自分たちを送る会を開いてもらって、途中友の言葉に不覚にも涙してしまったりしたのだけど、それらを全部含め、ぐったりと疲れてしまった。
これは決してまわりのせいではなく、自分のこころの体力のなさにある。どんなに親しい仲間でも、僕はひとりの時間がないと、すりへってしまうみたいだ。よく、四六時中団体行動している大学生がいるけれど、僕にはそれはできない。いや、いつからかできなくなってしまった。
だから将来、自分が家庭を築くことができないような気がして不安になる。祖母が人間ぎらいでつきあいを全くせず、ずっと一人で暮らしているが、僕もその血をうけついでしまったのかもしれない。
誰かをこころから好きになることができない。でも孤独にも耐えられない。だから僕は動物や植物に話しかけ、自分と対話するための日記を書く。
こんな生き方をしているから、僕の頭は故障してしまったのかもしれない。でも仕方がなかった。そしてある程度、幸せである。
2009年2月21日
朝から夕方まで松本で、仲間とゼミの後輩へ贈る箸を一本一本削る。
長野へ帰ってきたのは日付が変わってから。寮の食堂で、電動のこをつかい、小枝をきり、箸袋の留め具をつくる。
食堂を通るひとたち。陽気な酔っ払いの女の子。別れた男がしつこいと、繰り返し、どことなく、引き留めることを待ちわびているかのような……
深夜二時、ぬるま湯の風呂で、一時間くらい寮の友達とはなす。性格は真逆、あいては寮一の楽天的、初対面でこいつとは付き合えないと思っていたけれど、時々だいぶ深い話をする。律法社会において女風呂をいかに安全にのぞくかについて等々下らない話始まり、親孝行と不幸について、教育について、生き方について死について……気づけばもう風呂は水になり、外は氷点下。
深夜三時、食堂のすみでウクレレをひとり、「3月9日」、をポロポロ。ウクレレは陽気な楽器なのに、時々、悲しみを乗り越えたあとの、心の穏やかさを奏でているような音色を奏でる。
「3月9日」この曲が似合う季節がまたやってくる。一昨年、寮祭で先輩たちが合唱していて、気づくとあの人を思いだしてしまう。
瞳をとじればあなたが
瞼の裏にいることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私もそうでありたい
……風呂のなかで、亡くなる前日に偶然電車のなかで会い、悩みを聞いていた寮の先輩がいたということを、いまはじめてきいた。初任のクラスが学級崩壊だったらしいことも聞いた。話が、なぜかそういう方向にいってしまったのは、これから彼にとっても僕に取っても立ち向かうべき問題を、そこに認めたからなのかもしれない。大きな、社会をとりまく、歪みという……
彼女を思いだすとき、もしも、前日に会ったのが自分だったら、もしも、もっとまわりに気をつけていたら、もしも、気持ちを整理して事前に伝えていれば…不幸は訪れなかったんじゃないか……と思ってしまう。
こんなふうに「もしも」といままで何百回考えただろう。そのたびに、一瞬だけ、亡き人が笑顔で僕の瞼のうちに蘇える。
「あなたにとってもそうでありたい」……いまからでも遅くないだろうか。僕は、誰かにとって価値のある存在、命を支える人間になれるだろうか?
客観的に生きる意味なんか存在しないのは、自明のことだと僕は思っている。そんななか、ひとつ確実にいえるのは、自分が生きるためには、他の生を奪っているという紛れもない真実。それだけの価値がないのなら、人はみんな動物に食べられて死んでも仕方ない。
命を奪って生きるなら、命を奪われるリスクを背負ってこそ生命の平等は保たれる。人間は自然から逸脱しすぎた。けれども、いま地球では、人間がもとの地位にもどるよう、力が働いているかのようだ。それに立ち向かうべきなのか。
2009年2月16日
君津:NPO地球学園
夜中寒くて何度も目覚めた。長野は長野で寒いが、千葉は千葉でそれなりに寒い。二人用の小さなテントの中でバーナーをつけるとすぐ暖かくなった。キャプテンスタッグの一番安いバーナーは、本来の使途以外に、こんなときに役に立つ。
ヤギ小屋の掃除をして、間伐材の樹皮をむいていたら、あっというまに帰る時間に。管理人さんが買出しのついでに、久留里駅まで乗せていって下さった。
2009年2月15日
山のなかで一人、焚き火をしている。テント泊のひとりキャンプ。
2009年2月9日
このメンバーが集まれば、無人島に放りだされても、絶対に仲違いせず、生きていける気がする、そんな仲間。
四六時中は困るけど、一生付き合いっていたいと思える友だち。
五時間、狭い部屋のなかで騒ぎまくる。
……卒論でだいぶ引きこもりをしていて、なんだか久しぶりに人と話をした気がして、ちょっと大げさに書いたけれど。
そんな友だちがいて、いまさらながら、みみずくは幸せなのだと思った。