今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2008年2月29日
二週間の旅とお墓参りから帰ったら反動が……医師のいうとおり、こころのエネルギー使い果たしてしまいました。得たものも多かったけれど。
病院へ行く。2ヶ月たって、薬が効かないので、1日一回3錠が、1日三回14錠に。この若さで、この薬。月夜のみみずく、薬物中毒で暁前に死んでしまうがな。
医師を信頼し、月単位で様子をみて、バイトもボラも学業もなるべくしません。採用試験が迫っているけど、なんぼのもんじゃ。いまは親、友人に負担をかけてしまってるが、病気をなおしてから、恩送りをしよう。
「恩送り」は恩返しとちがって、人から受けた恩を、誰か別の人や自然に送るという江戸時代のことば。
死ぬにたくなるくらいつらい時間が、1日何回かやってくるけれど、それでも自分は恵まれていると、今日は思った。
2008年2月26日
もうすぐ朝の4時……月夜のみみずくは寝酒でいつも眠りに入るのだが、その量が半端でなかったため、母上からアル中よりはまし、と入眠剤をいただく。
みみずくの母「半粒で爆睡だから」
月夜みみずく、間をあけて結局三粒のんだが効果なし。運動はしてるし、昼寝はしてないのに……ただ心はそんなに重くなくなってきた気がする。
受験生が聞いたらなんと贅沢な。SSRIが効きすぎて不眠とは、躁になったということか?
人間のこころは複雑だ。
夕方、母とともに、亡くなった小学校時代の友だちにお線香をあげにいく。母も僕も、泣き崩れた。
昨晩編集した音楽をお母さんに渡す。沖縄系のあたたかい曲。逆に親子励まされて帰りみち。
天まで、響け。
2008年2月24日
明日は半年まえ亡くなった小学校時代の友人宅にお線香をあげにいきます。「千の風になって」という以前CDをいただいたので、お返しに夏川りみの魂の曲を編集して、明日渡そうと思ってます。
2008年2月23日
屋久島でであったお兄さん、ロケット発射されたようですよ。長い旅になりましたね。
明日、実家の墓参りにいきます。
寝てしまった。悪夢ばかりでうなされる……いまはない生まれた逗子の家を自分で壊したり、遊んでいる兄に意地悪したり、大地震があったり……
下のつづきはまた書きます。本日、実家へ帰宅せよとのこと。横浜へ帰ります。
2008年2月22日
満月が過ぎた晩、月夜のみみずくは、久しぶりに巣に戻り、自炊をする……大阪で知り合ったホームレスのおっちゃんからもらった高麗人参入り、カレーライス。体を動かすようになってから食欲が徐々に出てきたようだ。先月はほとんど何も食べなくても、平気だったのに……こんな静かな晩、月夜のみみずくは深呼吸して、瞑想する。こころはそうやすやすと、穏やかになるものではない。行く先の不安との重荷を背負いながら、……それはもちろん誰しも人間なら、多かれ少なかれ同じことだけれど。 四国と九州への旅について、まとめようと思う。このブログは自己省察のためのものなのだから。
そもそものきっかけ
新年が明けるとともに、月夜のみみずくは月のない闇夜でひっそりと苦痛に耐えていた、いや正確に書くと耐え切れないでいた。<原因のわからない>心の重さ、底知れぬ胸の苦しみ、一瞬一瞬が針の筵のような夜がいく夜も続いていた。酒を飲んでも心休まらず、友と語り合っても、心休まらない。時は一刻一刻と過ぎていく。試験もある、バイトもある、ゼミもある、友人は就活や勉強に勤しんでいる。なのに自分はなにもする気力がない。半年後には、教員採用試験も迫っている。 精神病院、心療内科、メンタルクリニック。過去に一回だけ診察に行こうとしたことがあったが、二ヶ月先まで予約一杯とのこと。世の中、自分より苦しいひとが大勢いることをして、自分はまだ軽いと思い、そのときは思いとどまった。そして次第に普通の生活ができるようになっていた。けれども、今度だけは、死にたいくらい苦しく、病院を探した。原付でいくつもの病院を廻るが、年末年始でどこも休み。やっと見つけた善光寺うらの病院で、僕は中度のうつ病という判断が下された。ただの堕落ではないかという思いを何とか消そうとしたが、誤診であれ、なんであれ自分はとにかくこのままじゃ死んでしまうと思った。言うとおりにしよう。
投薬が始まる。すぐには治らない。短くて半年、薬を飲み続け、必要最低限だけのことをするようにといわれた。……試験を翌日にひかえたある晩、親友2人にすべてを打ち明け、助けを求めた。最後に手帳に書いてくれた「俺との約束」五箇条。帰って、テキストを開くも、苦しくて文字が読めない。今日の分の薬はもう飲んだ。足りないのか? 棚に手を伸ばした瞬間、約束を思い出し、手が止まった。ならどうすればいい?? 混乱するみみずく、もう一つの約束「散歩しろ!!(辛いときこそ)」。 深夜、行く当ても無かったが、善光寺まで行った。手を合わせても心休まらず。とぼとぼ帰り道、公園で座っていて夜空を見上げた。「どこか遠くに行こう」そのとき、唐突に思い浮かんだ。 医師にははじめ反対されたが、最後には許可が下りた。昔、通っていたワークランドという織物工房の知り合いの<こころひめ>さんに相談し、四国に行くことになった。仕事も、バイトもボラも全部キャンセルして。
四国の一週間は、ひとことでいえば救いを求める祈りの旅だった。月夜のみみずくは神さまのことはわからない。一応、お墓は空海の真言宗、大日如来だけれど。本土から出るフェリーターミナルで一人、何時間も待つ。最初は真新しい景色、久しぶりに見る海や空に見とれていたが、じっと建物の中にいると、また心の沈みがきた。薬はもう飲んだ。もうじきフェリーも来る。そう思って椅子に座っていた。……TVから僕の好きな槇原さんが「Flrefly ~僕は生きていく」を歌っていた。〈♪自分に生きていく価値を見つけられないのであれば、だれかの小さなきっかけになりたい だから僕は生きていく〉……霊場、お墓、夕日、生きとし生けるものすべてに祈る。「自分の病気はなんとします。それより善光寺さんの後ろに住む友人を苦しめた自分を許して下さい。その人の幸せ、お願いしまします。本当にお願いします」手を合わせることで、自分の心が少しずつ穏やかになっていくような気がした。
四国の巡礼から一週間。ゼミの卒ゼミ式の司会をし、久しぶりに大緊張してしまい、翌日反動がきてしまった。月夜のみみずくにはまだ休養が必要。休養は怠惰と似ている。だから寮で寝ていても苦しかった。バイトで稼いだささやかなお金も尽きた。迷ったが、親の仕送りから借り、屋久島へ行こうと思った。屋久島は、僕が善意のつもりで苦しめてしまった友人が行ったことがあると聞いたからと、もう一つ昔見た映画、山田洋次の「学校」の少年が、屋久杉に会って、一人前になる力をもらったのを思い出したから。
旅の途中、下の投稿のように、いろんな人に出会った。特に影響をうけたのは「スローラ~イフ」と呪文を唱えるお兄さん。ためたお金で一年間旅をしている。このお兄さんと縄文杉まで登ったが、途中途中ある名もない屋久杉をみては、そのたびに立ち止まり「はぁ」とか「ほぉ」とか感嘆している。「縄文杉だけがすごいとは思いません。どの杉もみんな立派だ」。ゆったり生きるお兄さんから、ゆっくり生きることを学びました。
2008年2月20日
最終日の今朝早く、<民宿愛船>を原付で出発。宿主の教えてくれた、水平線で地球の丸さがわかるという、島最北部の岬とウミガメの産卵地に向かいました。
駐車場の写真=だれもいない岬で、何頭もの屋久鹿に出会い、感激していたら、……昨日一緒に登山したユースのお姉さんがあがってきて、びっくり。偶然、再会。左はその人の車、右は自分の原付、そして中央には、鹿が集まっている。
砂浜の写真=ウミガメの日本一の産卵地。月夜の晩、息をきらしながら上陸する母ガメを思った。
原付とバイクの写真=昨日、縄文杉登山の後に別れた元自衛隊のお兄さん。島で短い間だったが、いろんな話をし、感性の豊かな人だと思った。
長野への帰り道。日常と現実への帰り道。さまざまな思い出がよぎる。人生の転機、かもしれない旅だった。
帰ったら、今回の四国、九州の旅のまとめをアップしようと思います。
そういえば、このフェリーに乗れたのも、あるひとのお陰だった。夕方、宮崎駅で港行きのバスを待っていた。ベンチはサラリーマンの荷物と、座ってるおばあちゃんでいっぱい。月夜のみみずく、疲れてたので、隙間に荷物を置くと、おばあちゃんが気づいて詰めてくれた。
座る月夜のみみずく。なにげない会話が始まった。お互いの人生について、自分の旅のことなど。
ニューモラルという小さな冊子を三冊もらった。娘が編集に携わっているらしい。お返しに、なにかわたそうと思い、けれどもなにもないので屋久島で拾ったきれいな貝をプレゼントした。
……バスがきた。乗ろうとしたみみずく、これは行き先の違うバスだった。「よく気をつけなきゃだめよ」、とおばあちゃんが引き止めくたおかげで、こうして無事、フェリーに乗れたのだった。
2008年2月19日
10時間におよぶ登山と原付での大移動で肉体的に疲れはてました。よいことです。
屋久杉の森の写真や、そのほかのできごとは、またあらためて書き込みます。
コメントを下さっているかた、ありがとうございました。携帯からは見ることができないので後日コメントをお返ししますね。
50CCの原付と、125CCのオフロードバイクで、朝四時、まっくらな荒川登山口を目指す。かなり寒い。YHのねーちゃんとは6時合流の予定。三人で屋久杉を目指す。往復十一時間。
出発は、安房の土産屋さんの上。素泊まり1800ちょっと。昨晩は誰もいない簡易宿泊施設で、盛大に夕食を作って食べる。ラーメンだけど、なんと肉、餃子、ニンニク、わかめ、梅干、しいたけ、にんじん、白菜入り。ご飯も。「明日は戦い」と種子島からのロケット発射を待っている元自衛隊員のお兄さんは言う。でも「スローラ~イフ、スローラ~イフ」と呪文のように唱えてた。今日の登山中はその人といろんなことを話した。
YHのねーちゃんは、山慣れして体力があり、年明けから運動不足の月夜のみみずくはついていくのがせいいっぱい。登山道は雪で、アイゼンがないとかなりすべる。道はやや険しい。遭難して亡くなる人も年に数人いるこの屋久島。油断はできぬ。曇りだったが、縄文杉の目の前に来た瞬間青空が広がった。
・・・いまはバイクのお兄さんと別れ、明日のフェリー到着をまち、原付を貸してくださった店のお勧め、2000円の素敵な民宿「愛舟」。YHより安く、小さいけれどきれい。ご主人さんも、宿泊客3人も、とても親切でほっとした。縄文杉と対面した感想は、またいつか書きます。この人とであっていなかったらいまごろ非難小屋で寒さで震えて、死んでたかもしれない。
2008年2月18日
昨晩ちょこと話しけられた人と共に島を回る。島南端のユースから、バスで宮之島まで一人でいき、原付を借りて、安房で合流。再び南下して、島西南部の海岸で、貝殻や珊瑚の石を拾っていた。
貝殻も珊瑚の石も、いってしまえば<お骨>のようなものだ。ひとつひとつ色、形、手触りが異なる。四国の桂浜の宝石のよう。
今日は安房にもどって一番安い宿に二人でとまる。明朝、原付とバイクで登山口を目指すよてい。屋久島ユースの従業員のお姉さんと合流して、屋久杉を目指す。
屋久島の杉は、土中の栄養が少ないため、年輪が細くまかい。何千年も毎年、そうしてゆっくりと生き続けたのだ。
2008年2月17日
下のしゃしん。大学でもらったプリムスのガス缶が残りわずかなのを話していたら、おっちゃんがエピガスのガス缶をただでくれた。
……自分の持ってるバーナーは、キャプテンスタッグのガス缶ようだから、ほんとはいけないんだけどね。使えるから使ってしまおう。
月夜のみみずく、死のにおいがするところばかりにいってる。明日は登山計画をたて、今晩しりあった人といっしょに屋久杉までいくことになった。
フェリーで知りあった方に、今晩宿泊予定の屋久島ユースまで送っていただいた。自転車をいくあてもなくこぐ。
しばらく海沿いを走っていて、安む場所を探していたら、道の脇に藤に似たピンク色な花を見つけた。ここでちょっとひとやすみ……と奥に小さな家がある。そこまでいって、中から窓の外に出ようと必死にばたばたしているウグイス……外に出してあげようと、「こんにちは?」……返事がないので……その廃屋に入った。
家の中は手紙やら雑誌やらが散乱。そういえば家の前にあった木の箱…………たぶんここで一人亡くなった人の遺骨だ。
亡くなったまましばらく発見されず、こうしたままになっているのだろう。少なくとももう10年は野ざらしだったのだ。
月夜のみみずく、今晩ここに泊まる! かなりこわいし、ユースのおやじにキャンセルの電話をいれたら、ものすごく不機嫌そうに、「お金はいただきますよ」
廃屋のなかは埃と蜘蛛の巣だらけ。むろん真っ暗。でも大丈夫。ウグイスを助けたのはなにかの縁だと思うし、遺骨に向かって「今晩泊まっていいですか」って聞いたから。
暗くなるまでに、自炊の準備をととのえよう。
船酔いの人あれば、
ゆりかごと感じ、眠れた人もいる。月夜のみみずくは後者。
昨晩は疲れすぎた。今日はまったりいきます。
順調だったと思っていた旅の途中……いろんなひと話し、困っている人を助けたり、風で枯れかけた植木を直したり、祈りつづけてきた。そして逆に励まされることもなんどもあった。
……でも、また思いだしてしまい……半年にわたり、ある人の支えになろうとたことが、結果的に苦しめてしまったこと……突然、連絡を拒絶された1月。あの時の苦しさが蘇ってきてしまった。
最後に送ったメール。
* * *
《思いもしなかった。人を思うことが、こんなにも仇になるとは。思いもしなかった。人から疎まれることが、こんなにも苦しいことだなんて。尽くそうとしたことが、現実に苦しみ葛藤してるあの子をかき乱し、いばらの棘となって僕を突きかえした。ただひとつだけ願うこと。この棘の痛みがひどければひどいほど、この棘の毒が、苦しみをませばますほど、その分、その人を丸くし、毒を抜いたことにつながるように。》
返信はもうなかった。
以下はその数日あと見た夢、寝ぼけて書いた、まったく意味不明の詩。なんでメモなんかとったんだろう。
* * *
「しこくのたびきで」
《きゅうし〜ゆきふぇりーかくにんのためのれず
ねーさん事務員ぼくのかーどもってさきふねにいってしまう
まちにもどるぼく
川沿いの緑色にらいとあっぷされたせいしんびょういん
やたら高圧でんせんがつなかってこわい
電話かかってきておんなじむいんかえってきていっしょにせいしびょういんへはいる まっくら なかにげーせん、ぐろいひょうほん えろほんなどらんざつ
ぼくいう、くらいこころムンクにひかれるようにこういうくらいものにひかれるんじゃ
三人ではしってつぎのふねへ。
この文章を不幸な?にささげる.
……一字一句すべて原文そのまま。解釈できないが、なにか混沌としていたのだろう。……医師のいったとおりだった。<一般的な精神科医ならば旅は禁止する。こころのエネルギーを使ってしまうから、という>
反動がきたらしい。薬を飲んでも眠れない。とにかく船は早朝、屋久島に着く。
2008年2月16日
なかでいろいろありましたが、携帯の電池ぎれ、自家発電も大変なのでお休みです。
そして、話しかけるきっけかけは、先日使った折り紙作戦。小学生以下の子ども限定だけど。
月夜のみみずく:「なんか好きな動物とかいる?」
子「えーと…鶴が好きです」
月夜のみみずく:「よし、ちょいまっとって」
子どもは折り紙をみて、きっと普通の折鶴を想像する。ところが……出来上がるのは輪になって羽をつないだ12匹の鶴なのです。
「わーすごい」そういったら興味をもったお父さんお母さんに話しかけられ、会話が始まるのじゃ。作品のリクエストにも応えます。写真は別れ際にもらった飴玉。
「お願いします!! 1年に1回、乗ってください。」
この路線は第三セクターによる経営で、年々赤字が続き、廃線の危機がせまっているというのだ。沿線住民30万人が一年に一回のれば概算で年間1700万の黒字。JRとの接続の見直しや、イベント列車等々、いろんなアイデアで、営業している。
もうひとつ。鈍行列車なのに車内販売。製造から販売まで地元の高校生3年生が手がけている。
月夜のみみずく、今まで、なんとなく、「ものを買う」行為に軽い罪悪感を感じてたけれど、うーんなんでだろう……あ、いけない……いまは深く考えると鬱への袋小路に入ってしまうので、思考中断。
旦那さんの遺骨を前に、お香をたいて十字架に手をあわせ、出発。2人の「ペアレントさん、お幸せに。いつまでもこのユースを守って下さい」といったら、昨晩の涙が微笑みにかわってくださった。感謝。
噴火口までは登れない。鈍行で夕方までに鹿児島までいくから。駅舎前の農産物売りのおばちゃん。少量のウコンと梅干し買ったら、ウコンおまけしてくれた。
阿蘇の俳句二首
「行けど萩 行けど薄 原広し」漱石
「酒のめば いとど寝られぬ 夜の雪」芭蕉
乾燥若芽&椎茸&ニンニク入り棒ラーメンをコッフェルで食べてたら、ペアレントのおばちゃんのら二時間くらいずっとお話を聴く。
クリスチャンでもあるおばちゃんは兄4人、妹4人の三女。兄も姉も、は戦争を乗り越え生きて帰れたものの、みな事故や病気で想像を絶する死にかたをしていらっしゃるとう。二時間壮絶なお話を聴いていて、言葉が出なかった……
お話の最後、夫のことに触れた。……先月亡くなったのだそうだ……気づかなかったが、食堂に大きな祭壇と遺骨、花……
自分の思っていた以上、苦しみに耐えて、それでもなお生きている人が多いことをこれまでの旅で知った。
テレビが、踏切で自殺をしようとした女性を助け殉職した警察官のドラマをやっていた。心拍が停止する場面でおばちゃんも僕もこっそり泣いてしまう。このペアレントさん、何回、肉親との死別を経験してきたのだろうか……
今晩の同部屋はイギリス人2人。ドラマの内容を、涙をこらえて、つたない英語で通訳した。
深夜、阿蘇ユースにて。
とことこ階段をおりると、小学生の女の子2人とすれちがい、「こんにちは!」といきなり挨拶されてびっくり! 彫刻のことを聞くと、「初めて聞いた〜」といって2人でああだこうだと議論をしはじめた。結局、片方の子がゴリラらしきもの(?)を発見し、さよなら。
うわー山の子どもは純粋や……
駅舎にもどり、おばあちゃんに重荷になっていたポンカンをあげた。
月夜のみみずく:「あの絶壁にある仏像のことしってますか?」
おばあちゃん:「知らんだにゃ〜、それより、あんたわしの孫にそっくりじゃ」
もう一方の写真は、算数科指導法で知った折り紙作品。「イルカ」と「花」電車のなかで、これまたちっちゃな双子と相対し、なんとなくぐずっていたから、その場で作って別れ際にあげた。……いろんな人と逢う。一期一会。
1「貧乏パン」を買う。
やや固いスティック状で、高級なものにはチョコチップが配合されている。グラム数でいえば、食パンには劣るものの、パンの中でもっとも安い部類に属する。
2水を飲む
水分は水で補給。時に贅沢、紅茶のTバックをいれる。
3乾麺自炊
水とパンだけでは、活動できない。塩分がないゆえ。そこでラーメンを作る。もちろん、カップラーメンは高い。そこで写真のような古風な乾燥麺を買う。二食入り、70円〜100円。ガス缶とバーナーでゆでてお召し上がりください。
4炭水化物以外
食事は健康を左右する。もちろん心にも。偏った栄養バランスを修正するため、野菜ジュースや、そこら辺に実っている植物の実(果実)で補正をかける。
5 乾燥食品
椎茸、ワカメ、大根、等々、魅力は軽いこと、ラーメンの具にどうぞ。
仲良くなって、はじめは2人で遊んでいた。
月夜のみみずく:「ほら、こうやって針に餌つけて糸でたらすんだよ」
フェリーの窓から釣りの真似をしてみせると…
男の子:「<たい>がつれたぁ!!」
最初2人だけだった小さな畳の上に親子、学生、乗客がなんとなく集まってきた。そこでたまたま折り紙をもっていた月夜のみみずく(算数科指導法の講義で落とされるたびに買わされるのです…) 折り紙をさっきの男の子が、集まってきた大人、子どもに配りはじめ、めいめいが折りはじめ、それがきっかけでいろんなお話ができました。
最近、徐々に人と話すことに抵抗が減った気がする。(医師はそういう回復期こそ危険だといっていた。たしかにそうかもしれない)
だからこのままの調子で、焦らず、ゆっくりと旅を続けていこう。
2008年2月14日
いまは自分が一番大事なのはわかってる。鬱のきっかけは、自分が弱いのに、ある人を助けようとして失敗したからだ………その問題はすんだ。さよならという形で。
だけど、だからといって誰かに何もしないではいられない。手紙くらいは書けます。
通り過ぎた尼崎はたしか槙原敬之さんの出身地。<♪少し口が悪くても、誰かのことを思う人の、言葉は本当に優しくて、思い出すたび、笑顔になる。………見上げた尼崎の夜空を僕はたまに思い出す>(槙原敬之「尼崎の夜空を見上げて」)
いま、ちょうど二週間前、同じ時間に乗った神戸の船<さんふらわ>に乗りました。まさかこんなにすぐ、ここを再訪するとは…………と、母親から電話。…………昨日の夢に現れた、亡くなった僕の友だちのお母さんがまだ苦しんでるんだって。まだお線香もあげにいっていないから屋久島から、手紙を送ろう。必ず、送ろう。
途中、教育学部の前で転んで泣いてる女の子。大丈夫ってなぐさめる。
途中、郵便局のなかで、送金の仕方が分からないおばあちゃん。一緒にやる。
<嬉しいことがあればきっとその前に嬉しいことを誰かにしたのでしょう……悲しいことがあればきっとその前に、誰かに辛い思いをさせてしまったのでしょう>(槙原敬之)
昨日の医師の忠告どおり、<こころのエネルギー>をなるべく減らさずに、旅してきます。
旅立ちの前夜、夢を見る。
小学校五年のとき転校した能見台小学校の時の親友……去年自殺したと聞く……その親友と夢で出会った。なんだ、元気そうじゃないか。きっと君は天国にいるんだね。
月夜のみみずくを見守っててください。僕は君のこと、いつも忘れません。
2008年2月13日
午後、抗鬱薬と精神安定剤をもらいに病院へいきました。待合室での二時間は置いてあった鬱の論文をよんだり、臓器提供のドナーカードを書いたりして時間を待ちます。気分の波のふれ幅が減ってきたことを医師につげ、増薬はしないで欲しいという意思を伝えました。寮にいると、部屋にこもってしまい、アルコールに頼ってしまうので、明日から一週間、九州まで行きたいというと、一般的な精神科医としては反対する、とのこと。
「旅は思った以上にエネルギーをつかい、反動がくる。今のあなたの力は、平常時の30%以下。回復しつつあるという時が一番危ない」
1月の初診日、院長が書いたカルテには、僕には自殺願望があると書いてあったそうです。自分で気づいていなくても、無意識に引き込まれることがある……と。
月夜のみみずくは先週、足摺岬へいきましたが、引き込まれはしませんでした。死んでたまるか。
相談の結果、寮にこもって意志の弱さに負け、酒を飲んで鬱を悪化させるか、あるいは多少のリスクを承知で旅にでるか、2つの選択肢のうち、後者を選びました。
SSRIと精神安定剤は増やさず、頓服薬として、デパスを追加。明日、九州へ出発します。
2008年2月12日
追いコンが終わって、反動がきてる。寮に帰ってくると、部屋にこもってしまう。深夜、わが部屋を訪れる猫も、四国にいっているあいだ、ほっておいたので、姿を見せない。けだし、月夜のみみずくにはまだ休みが必要だ。堕落にならない程度の休みが必要だ。一ヶ月なにもしないことなんて、そんなことができる環境にあるなんて、ひょっとしたら一生のうちで今くらいかも知れない。
小学校のお手伝いのほうは、教頭先生にお電話して、3日ほどお休みをいただいたら、教育事務所のほうから電話があって、しばらく休んだほうがいいよって言ってくださった。事務所に来れば、おいしいコーヒーだすからさって。本当にやさしい人なんだ。
家庭教師のほうも、あの子には迷惑かけるけど、思い切って2月いっぱいお休みさせてもらうことにしました。いつもりんごや柿をくださるおばあちゃん、ありがとうね。
今日も本当は学科の卒業論文発表会だったのですが、行きませんでした。いや行けませんでした。先輩、すみません。同期のみんな手伝えなくてごめんなさい。
したがって2月の僕のなすべき残りの仕事は、
①理科支援の教科書を、事務所に返しに行くこと
②病院にいって、薬をもらうこと。
③風呂掃除を一回すること
だけになりました。教員採用試験の対策も、今は忘れます。
そして、部屋にいると、寮友やお酒に頼りすぎてしまい、休養を超え、堕落していく自分を感じます。なので、今月の収入は0円なんですけど、先月の収入+実家からの仕送りを使わせていただいて、再び、どこかへ行ってこようと思います。考えているのは九州です。福岡には高校時代の友人もいます。
2008年2月10日
秋からミーティングを重ねた大イベント、4年生の追いコンが終わりました。
今日はしんどかったけど楽しかった。 先輩と最後に話せる二次会、三次会は参加したかったけれど反動が来ると怖いから辞めます。
あのあと長野行き最終電車内で大変だった。耳にドーナツくらいのピアスをした金髪の兄ちゃん(兄弟)二人が、酔っ払ったおっさんに、エセ外国語でしゃべりかけ、ふざけて絡んでた。
で、月夜のみみずく、落ち込んでたくせに、なぜか自分も参加したくなり、隣にうつってその三人に加わり、金髪の入れ墨傷だらけの弟の兄のほうが吊革でアクロバットをしはじめたから、こっちも対抗して車内で三点倒立とパントマイムをひろうしてやったら、妙に親しくなってしまい、さらに酔っ払いのおっさんがもう一人が加わって、しまいには電車内で雪合戦をはじめた。まわりのお客様は迷惑そうな顔をしつつ、爆笑してて、なんだか変な1日でした。であった金髪二人はなんと中学生。暴力事件で少年院の経験もある。弟は、先輩にいたぶられて両腕にタバコの火を押し当てたあと十箇所ほど、ナイフで切られた傷が数十本があったりで驚いた。不登校なんだって。そして深夜にもかかわらずこれから先輩と決闘しに行くのだそうだ。
今兄弟は、中学校の先生の紹介でとび職をしているという。
月夜のみみずく:「先生は好き?」
兄弟「中学校は嫌い」
月夜のみみずく「僕、教師目指してんだ。」
兄弟「生徒の心がわかるような先生じゃないとだめだよ、な?」
人懐っこい人なんだ。二人とも本当に。
兄弟「人は見かけで判断しちゃだめだよ」
先輩は武器を使うが、俺たちは素手で戦うといっていた。月夜のみみずくは、相手を絶対に殺しちゃだめだといった。怪我はいい。人の命を奪うことは最悪な事態であることは間違いないから・・・
隣に乗ってた3年ぶりの友人へ。びっくりしたでしょ。月夜のみみずく、めったに見せない変人ぶりを発揮してしまいました。ごめんなさい…変人といえば今日の追いコン中もだった。司会が緊張して、しんどくて雪積もる外にでてタバコをすおうと思ったら、アスファルトと噴水の氷とをまちがえ、飛び込み、下半身ずぶぬれになったりして・・・あとね、帰り道、ドーナツありがとう。僕と話していると笑顔で和むよっていってくれた。初めて聞いた、そんなこと・・・・。
明日は寮当番。今日の負担は相当だったから、明日はゆっくり休みます。今日の様子を見るとこれは鬱が反転して躁状態だ。薬、減らしてもらうべきかも知れない。
2008年2月8日
高速バスで19時に長野着。
善光寺、最後の巡礼。感謝。
友だちの手伝い。深夜2時に終わる。
寮に帰る。鍵が無い。部屋に入れない。
廊下で呆然としている。
鍵のスペアをもっている後輩が居酒屋でバイト中と聞く。
原付で駅前までいき、鍵を借りる。氷点下。
今の時刻、朝の3:56。
明日、午前から小学校。
日本文学のレポート締め切り明日まで。白紙。
そのあとも予定がぎっしり。
頑張っちゃいけないのに仕事の山。
でもめげません。ちょっと寝よう。
とはいえ心は穏やかです。
これは旅で出会った人たちのお陰です。
困難は山ほどありますが、なんとかなるのです。
旅の最終日ワークランドであった出来事や、
旅の総括は、また書きます。
一番お世話になったこころひめさん、昨晩はごめんさい。
そしてありがとうございました。
2008年2月5日
新製品開発(?)の参考品になると思い、小豆島の<オリーブ染>をもって参ります。たぶんワークでも、オリーブ染めは初めてだと思います。楽しみにしてて下さいね。
大歩危駅から雪の山道をひたすら登っていく……道は車しか通らない。途中、平家屋敷の資料館によりました。ここの祖先、堀川内記は安徳帝に使えた医者で、平家滅亡ののち、この薬草が豊富な祖谷に逃げ延びたということです。800年とう時の流れを感じました。
さらに登っていくと、全長1キロ近いトンネル。ここで前から測ろうとおもっていた自分の時速計算。結果、時速4.8km。
途中、車が目の前にとまり、親切にもかずら橋まで乗せてくださいました。およそ一時間の節約。祖谷温泉の方、感謝です。
さて、有名なかずら橋ですが、文字通り太いかずらで編んだ揺れるつり橋です。さ、平氏がわたったこの橋を自分も……思ったら、な、なんと、わたり料500円……そんなのイヤダニということで、眺めるだけ。月夜のみみずくは観光客ではない。残金わずか。
朝食は頼んでいないのに、おむすびが用意されてありました。親切なペアレントさん、ありがとうございました(合掌)。今日は四国最終日。ぼちぼち、出発します。
2008年2月4日
市内からあるくこと二時間、川をこえ、山に登り、古刹 竹林寺に参拝してきました。もう時間的に高知巡礼はここまで。お寺は一つしかまわれなかったけれど、何度も、深く祈りました。今日はお遍路さんも多くすれ違いました。それぞれの人がいろんな思いを抱いて、この八十八箇所巡礼をしているのです。迷いや苦悩を断ち切るために。寺内あちこちにある願い事の寄せ書き。・・・・・見ると月夜のみみずくよりずっと深刻な問題を抱え、仏に救いを求めていることが分かりました。人と比較してもしょうがないのですがね・・・・・・「神の国」四国滞在も残り少なくなっていきました。 旅を少し急ぎます。といっても、これから乗るのは「鈍行」。大歩危、小歩危をすぎ、阿波池田にむかいます。
・・・・・・追記 電車の中で数日の旅の疲れが出て、爆睡してしまいました。YHの旅は、寝る時間、起きる時間が決まっているので、自然と規則正しい生活に矯正されるのです。おきたら終着駅の阿波池田駅でした。YHの人が車で向かいにきて下さいました。車に入るとお香のにおい?? そう住職さんだったんです。つまり今ここにいる、今夜の宿泊地はお寺、ということです。
旅人は自分ひとり。昨日もそうだった。この時期はYHは寂しい。でも親切なペアレントさん(住職の奥さん)とと話して、すこし元気になりました。明日の朝、朝のお勤めにご一緒させてもらおうと思いつき、頼んでみたところ、OKが出ました。あとそうそう、ここは一転して四国の山の上。雪が積もっています、少し。だんだんと心が穏やかになってきた月夜のみみづくです。
ご覧になってくださっている方、さいきんグチや弱音、感傷的なことばかりのブログでごめんなさい。今日も閲覧してくださってありがとうございました。
どこにいこうか街角にすわって本を調べていたら、二人の人に声をかけられました。一人め。おばあちゃん。「今何時?」二人め「おにいちゃんどこいくの?」
「わしはこうみえても歴史家や」アドバイスにしたがって、竹林寺まであるきます。
2008年2月3日
桂浜の石と落日 話し掛けたアヒル夫婦
桂浜、夕日はもう沈んでたのでしばらく砂浜でたたずんでいた。砂浜とはいうけれど、ここの浜には大きめの砂利がたくさんある。まるで、いろとりどりの宝石をちりばめたようなんです。ひとつひとつの丸い小石が違う色形をしていて、しばしその美しさに見入ってしまいました。……ふと顔をあげて、西の方をみると、大きな巌のうえに赤い鳥居があるのを発見、浜辺を走って上にのぼると、ああ、ちょうど、燃えるような夕日が海に沈む瞬間でした。思わず手を合わせ、そのまま五分くらい祈りつづけ……こんなに長いあいた、手をあわせたのは初めてだと思う。祈りがとどきますように……本当にお願いしますと何度もあたまを下げて。
……帰りぎわ、浜辺に水族館があって、その敷地に大きな網の檻をみつけた。なかには数匹のウミネコ……そして岩のかげに二羽よりそうアヒルの夫婦。保護しているのかと思ったらそうじゃなくて、巨大な鳥かごのなかで飼育されているのです。メスのほうでしょうか、アヒルの一羽は首をすくめ、じっと動きません。……思わず、アヒルにこう話かけました。
「なあ、せまい檻のなかで、幸せ? 外にでたい? そうだよね。だってほら、あんなきれいな海と空がすぐ近くにあるんだもん……奥さん、元気ないみたいだね……ひょっとして鬱?僕がもってる薬は人間用だからあげられないよ……」
だんなさんのほうは、首をすくめた奥さんのそばからはなれず、僕をじっとみつめてた……
「いつも励ましてるんだね」
急に首をたてにふるオスに僕はそれほど驚かなかった。ひとと動物と心がつながることもあるから。
「……その気持ちすごく、すごくわかる。励ましても、いまはだめかもしれないね。すくなくとも、相手を思いやるあなたのやさしさは僕はわかるよ、本当だよ」
尾をふりふりしてオスが応える。メスはずっとうなだれたまま。
「元気でね。いつか自由になれる日がくることを祈ってる。さよなら」
月のみみずく、四国の神々、自然、いきるもの、さまざまに話かけ、そのたびに、自分が励まされていることにきづく。
だって、だれかに小さな幸せへの願いを送ること、それが人の生きる意味だと思うから。
月のみみずく……僕はゆとりを忘れてたのかもしれない。昔の旅は、もっとゆっくりだった。仮に落日に間に合わなくても、いい。黄昏の砂浜でごろ寝でもすれば、いい。 一昨日、杜甫の漢詩で、<浮雲>が旅人にたとえられたと書いたけれど<落日>もそうなんだ。別れた李白を思って。
<浮雲>と<落日>。白と赤、天と地の対比。大地のおおいなる営み。
窪川駅で、大学からただでもらったガス缶でラーメンを作ってた。こりゃはたから見ればあきらかに貧乏学生だなぁ。
ベンチで湯を沸かしてたら、目の前に、おんぼろ自転車でふらふらと、おじいさんがやってきた。
灰入れのフタをあけて、なかから火の消えていないたばこ吸い殻をひょいとつまむ。
月のみみずくも実は喫煙者。ピースを少々もっていたので差し出したところ……
「わりいよ、二十円でいい?」
月夜のみみずく「いえ、吸いすぎるんで差し上げます」
ピース3本と、キャラメル5個を交換しましたとさ。おしまい。
くろしお鉄道の一両電車で土佐の国にはいりました。春のあたたかさです。長野も東京も雪だというのに。 次の下車駅、窪川でのまち時間が少ないので三十七番の岩本寺はあきらめ、たぶん高知駅からお寺をまわると思います。