今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

こんどこそおしまい

2011年12月28日

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写真の本とは全く関係ないが、

区切りがよいところで放置気味のプログを一新したい。


いままでは統一性のない私的な日記だったが、


これからは読む人のささやかな役に立つ情報発信のプログをめざす。


記事の基本構成は


みみずくの関心があり、なおかつ生活の中心として実践もしている2つのカテゴリーに分ける。


1福祉、とりわけ重心での仕事に関する記事

2野外活動から防災に関する記事


来年度、五年あまりつづいた月夜のみみずくは変わります。ご期待下さい。


それではね。よいお年を。

夢の結婚式

2011年12月16日

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みみずくは親友の家にいる。ここは地方都市で夕方であたりは暗くなりはじめて。こんなにのんびりしてちゃ式にまにあわないんじゃないの? ひとりだけあわてている。


式場のある東京に向かう手段は友人の車だけ。もう式場は多くの人が集まっている頃だろう。


東京にいくのに、なぜかのんびりと山の装備を揃えている先輩がいる。アウトドアメーカーに勤めていたので、


みみずくは、自分が買ったばかりの薄いモンベルのインナーダウンをみせて、「これじゃあ寒いですかね…」


友人の女の子の結婚式の時間は迫っている。


高速を飛ばしてもつくのは暗くなってしまう。


いつも大事なとき、こんなにのんびりしている仲間・・・




「早いよね、こんな日が来るなんて」そうだれかが小さく呟いた。

視界が光に包まれ白くなってゆく・・・


* * *


目が覚めた。


みみずくの友だちである彼女は結婚もしていないし、その予定もない。


ただいずれそんな日も来るだろう。

妙に懐かしい感じの夢だった。

眠れないので続きを

2011年12月14日

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先ほどの話ではないのだが、


最近なんで自分が福祉なんて仕事をやっているのか考えてる。それもきまって便失禁おむつを替えているときだ。


介護の仕事の基本中の基本、なおかつその一挙一動で介護経験数がバレてしまうもっとも高度な職人技が求められる排泄介助。


その排泄介助をしているとき、みみずくは狐につままれた?気分になる。


これまでオムツなどというシロモノに無縁だった人生を歩んできた我。みみずくの育った環境は福祉と無縁だったし、それに 教師は家業みたいなものがあって、教育大を出たし、実際いまでも教師にならなくっちゃというおぞましい脅迫観念がある。


思いあたるのは…

それはまだみみずくがひよっこ学生だった、ある深夜の衝撃的な一光景であった。


病院のなかだ。


みみずくはやはり今日と同じように不眠だった。不眠といえば格好よい。それは明け方に服用する大量の睡眠薬と、それを超える日中の惰眠によってもたらされる不眠であった。

生まれてはじめての入院
ナースステーションの廊下 で本を読んでいた。かろうじて本を読む、ないしは読むふりをすることが、「わたしは入院しているがここにいる人たちとは違う」学生なんだというわめて脆いアイデンティティを保っていたのだろう。病識がないというやつである。実際のみみずくは突如歌いだしたり、泣き出したり、怒りだしたり、制御困難な立派な患者であった。ここにはかけない恥ずかしいこともいっぱいある。


さてその廊下の一番の奥の病室から、仲間である精神病者の叫びこえが聞こえたと思うと黒いものかげが廊下に飛びだしてきた。


黒いものかげは患者であり、なおかつその黒いものかげは、大量の同じ黒い液体を闇の中でも白い廊下にだらだらと流している。


その直後もうひとり別のものかげも飛びだしてきた。


恐怖感が0から一気にそこなし沼になる。


(続く)

いまのわたし?

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久しぶりの投稿になる。
しかもみみずくらしいマイナス思考がたの投稿である。


blogに毎日のように書き込みをしていた時期もあった。大学生の時は1日に何回か、という日も。


それがいまや月一だ。


精神活動の衰退。表現欲求の低下。


日々の生活に入り浸ると、脳は必要以上に働かない。語彙は目に見えて減りIQは低下する。


もはやみみずくは小学校の漢字をすべて書ける自信がない。
ついこの間も「摂取」とかくべきところを「接取」と間違えた。


そうでなくとも一般に人間の知能指数は25歳あたりを境に低下してゆくらしい。諸行無常、自然の摂理。

さてIQを高めるためには、IQのすこぶる高い人と接すればいいと云う説があるらしいことを知った。英語のスピードラーニングとに似ていて、ただ聴いてりゃ自分の脳が自然のシフトチェンジをするのだ。なんと楽な。


というわけで、メディアをとおして天才といわれる人の会話をいろいろ聞いてみたりする。


しかし天才という人の話は、ようするに、本人の頭脳のなかでは繋がっている思考が、コトバという表現手段になると、とびとびすぎて、一般人のみみずくのサビたあたまが万一影響されでもしたら、ただの支離滅裂になってしまう。


こんな方法ではなくて、もいちど勉強をしたいとも少しは思う。漢文の素読とか。日本史のある特定の部分とか。


でも日々の仕事でいっぱいいっぱいだ。


重心の仕事3ヶ月目となった。