今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

闇夜のみみずく

2008年9月29日

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そして、やぎ科でないヒト科のミミズクは、いま、早朝の千葉駅にいる。

一晩、駅で明かした。悪夢を見ているようだった。監視カメラがびっしりある地下道で寝てると、「直ちにに移動しなさい」と放送が流れる。


むくむくと起き上がった隣の女性と目があった。新潟からきて、体を売って、日々暮らしているのだと平然と話す。


みみずくは思わずいった。「女はいいですね」……なんと残酷な言葉であったか。でも自分の本心なのを知って嫌気がさした。僕も、彼女も醜悪だった。


夜の駅はホームレスのひとたちが集まる。その脇を着飾った若い男女が、通りすぎていく。なんなんだろう?この世界は?なんのために、みんな生きているのだろう?


「ヒトなんて、滅びてしまえばいいのに」


ぐむはあああぅ、我ながらいつにもまして暗い。ますます希望をうしないそうになる、そんな長い夜が明けていく。早く夜が明けてしまえと思う、闇夜のみみずく。

おりんはやっぱり仔やぎだった

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仔やぎは、みかけは小さな大人のやぎ。でも、草村の中をはしゃいぎまわる様子、母親が見えなくなると悲しいそうに「めぇー」と鳴く様子、やっぱりまだ赤ん坊だ。


おりんは、やんちゃなくせに、夕方、母親が見えなくなると、まるでこの地球上の孤独と悲哀のいっさいすべてを背負ったような切ない声で何度も鳴くのだ。


動物たちはときに人間よりも人間らしい……親子のやぎを見ていて、思った。……ほんとに人間よりずっと。

子やぎのおりん

2008年9月27日

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最後の土日、仔やぎのおりんに会いにはるばる千葉まできてしまった!


おりんのふたごの兄弟はもう、しんじゃってた。

夜に着いたのだが管理人さん宅には誰もいなかったばかりでなく、荷物もないようだった。電気も水道もないもっと山奥に引っ越してしまったのだ!


母屋の鍵をあけてもらい、今晩は一人ここでとまる。明日は、テラスを作る作業を手伝う予定。


みみずくも、山のなかで暮らしたい。

さあ苦しむなら苦しめ!

2008年9月26日

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木曜日から日曜日まで喫茶バイトが休みだし、夏休みも最後だから、どこかいこうかと思ったけれど、結局でずじまいだった。長野市から新潟はすぐだし、直江津から佐渡へわたろうとも思ったんだけれど・・・なんだかしり込みしてしまった。うつのどん底の時は屋久島まで行ったくせに。


一ヶ月ぶりにインターネットにつながった。今処方されているなぞの薬「トピナ100mg錠」という薬を調べてみた。抗てんかん薬だった。なぜだろう? それにうつ患者には処方に注意することみたいなことが書いてあった。


最近の調子。ここ数日ちょっと重苦しい気がする。抗うつ薬は減らしていないのに。いやだな、もう治ったと思っているつもりだったのに・・・・・・気のせいだと思いたい。もう後期がはじまるんだよ? 復学するんだよ? その焦りだろうか? しかし、だとするとたかだかそれくらいのストレスで、みみずくの頭はどうして調子が悪くなるんだ? たぶん、どこかで故障したのだろう! 



始終元気でやっていられるひとと比較することはやめよう。すぐ不安になって、憂鬱になってしまう自分を責めるのはやめよう。むりに明るくなろうとしなくたっていい。苦しい時は悲壮な顔をして、この世を呪い、生まれたことを呪えばいい。死にたいと思うだけなら思ってもいいのだ。

なので、最近、みみずくはいつも悲壮な顔をしている。

こうかくとじつに安っぽいロマン主義的イロニー?だが、この厄介な病気は、喘息のそれに匹敵するほど苦しい・・・。

無免許運転

2008年9月23日

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昨日、寮友の車を少し運転させてもらった(もちろん公道ではなく)。ここのところ無免許つづきだ。


あんな重い物体が、手と足の操作で動くなんてびっくりした。老人にとって杖が体の一部になるように、身体の範囲が広がる、不思議な感覚であった。トラックの運転手、さらには飛行機の操縦士は、広大な身体を、ふだんは一人分の体を動かす精神で制御するのだから、すごいと思う。もちろん慣れもあるのだろうが。


この構図は権力者、政治家や官僚、資本家にちょっと似ている。すごい、とばかりはいっていられない。慣れとは、どちらの場合にせよ、往々にして恐ろしい過ちを犯すこともある……


みみずくは、車はまだ、いいや。

動物たち

2008年9月20日

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原付の免許を更新しに、篠ノ井までいったが、休みだった。かれこれ、無免許運転、一カ月。


松代のほうまで走った。適当に舗装されていない林道に入ったら三時間くらい出口がみつからなくなった。途中、シカくらいの大きさで頭が白と黒の四つ足の動物をみかけた。 みたことない。


やっと舗装された道にでたら二匹の小さな雑種犬に出会った。小さいほうの雄がメスをしつこ追いかけ回し回り、拒絶されていた。首輪をしたメスがよってきたので、抱きかかえて原チャにのせ、一緒にふもとまで一気に下る。


「じゃーね!この仔はみみずくが預かった!」


すると、オスはだらしない格好でどこまでも追いかけくる……足で軽くけとばしたら、腕をかまれた!


執念に負けて、メスを下ろしてあげた。メスはトコトコ逃げる。オスも後ろ足を引きずるようにだらしない格好で追っかけていく。


あとは知らない。

何もかも日常

2008年9月19日

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はっきりいってしうと、僕は、春に入院してたとき突然大切な人を失って、半年たったいまも、まだ整理がついていない。毎日、毎晩、彼女を思いだす。哀しみが大半、ときたま憤り、諦め、自暴自棄になることもある。みみずくの部屋に置き手紙と役たたずのツーサイクルのエンジンオイルだけ残して、それから原因もわからず、逝ってしまった彼女のことで、まだもやもやしている。わだかまっている。


叶うなら、自分の命を引きかえにしたいくらい。……でも、そう思う自分をなぜか情けなく思う。

原因を突き止めに、彼女の最後の言葉を頼りに、生前を探りにいこうかとも思った。気にかかることはいくつかあるのだ。でも、自分のすべきことじゃないような気がして止めた。退院して、実家に行ったときご両親もそうらしいことを察した。もう、遅いんだ。命は一度きりしかないのだから。


寮はあたりまえだが、日常だ。どこかしこで若者の元気な声が聞こえる。もう少したてば寮祭の時期がくる。こうして、一人の命が忘れ去られていくかもしれないことが、たまらなく、悔しい。

奈良堂

2008年9月17日

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みみずくはイトーヨーカ堂の前にある喫茶店でアルバイトをしている…路面電車が走っていた頃からあるというからこの店は権藤界隈でもかなり古いほうだ。喫茶店はバラの木に囲まれ、あるいは守られているかのようにたたずんでいる。あたりは県下もっとも物騒な街だ。


今宵も客は10人くらいしかこない。半分は馴染みのお客さま。みみずくはたくさんの実をつけたバラという植物が、冬になるとどうなるのかが気になる。この時期にも花を咲かせているのだから、ひょっとすると、冬まで咲くのかも知れぬ。客の残したお冷やをかけ、たいくつまぎれにバラに話かける。先月分の給与がまだ未払いなこと。クビにされそうな顔の知れぬもう一人の信大生のこと。寝ても覚めても眠たいこと。これじゃ来月からやってけるのか心配なこと。エトセトラ、エトセトラ。

ときたま……チケットを入れた帳簿の黄ばみ具合からして、ここのお店はあの世の中のお客さま、具体的にはもうくたばってしまったお客さまのほうが多いのかもしれないと思い、誰もいない二階にも気を配るようにする。失礼のないように。ここが常に安らぐ場所であるように……


あと数十年もすればここの店もなくなくなるだろうか。半世紀もすれば真新しいビルが立っているだろうか。いや存外、いまとはそんなに変わっていないのかもしれない。なにしろ、半世紀後、みみずくが生きていたとしても、まだここのマスターより10も若いのだから。

美的実存の断崖絶壁

2008年9月16日

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……株価は暴落の兆しを見せはじめ、世界経済が瓦解し、食料危機が訪れんことを憂い、みみずくは畑に秋野菜の種を蒔いた。大根、レタス、芋類、エトセトラ。


それが半分しか芽を出さんとはどういうことなんだろうか!


そんなことより、もっと現実的に卒論にとりかかるべきなのではないか。卒業後の就職先も、未定。羅針盤は半年前に壊れてしまったからしかたない。しかたないことは、生きている以上いくらでもある。もはや叶わぬことなんてゴマンとある。

でも、芽が出たものは、なんとか育てよう、と寝そべりながら考えるみみずくであった。

2008年9月14日

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カブを取りに、あと、病院で紹介状を書いてもらうために、一週間横浜に帰っていた。


山梨経由で長野につく。ここしばらく、なんだか調子が悪い。なんだか頭にもやがかかっているようで…… 毎日が実に意味のない繰り返し。なぜ生きてるのと問われれば、いつか死ぬためにと答えられそう。だれでも結局はそうなのではないか。


そういえば、薬を止めたら再発は30パーセントといわれた。もう、脅されるのもうんざりだ。