今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
三泊の旅最終日は色根島で釣れない釣りをして、浜辺でごろごろして過ごした。
今回立ち寄った、神津島、新島、色根島はシーズンはずれのため、山でも海でもすれ違う人はまばらで、話した人もほとんどいない。
かつて流罪になったり、漂流したりしてこの島々で故郷を思いつつ生涯を閉じた人たち。
明治になって、ときに自然の恵みをうけ、ときには自然の厳しさに打ちひしがれ、島を切り拓いた人たち。
ずっと一人でそんな過去の人たちに思いをはせつつ、鎌倉に帰ってきた。
旅は終わっていない。来月からのここでの生活や仕事は、まだ未知だし、帰ってきた新しい家でかさえ、どこか知らない土地の宿のように慣れない。
だけど、「初めは危ない谷の小川の橋を渡るような心配事は、後に平和に収まる、迷うことなし」と、島の神社のおみくじいわく。神様を信じよう。
旅の途中で、いつも思うのは、もっと身軽になりたいということ。厳選された本当に必要なものだけを残して。それは日々の暮らしでも同じである。
おおむね人は年齢を重ねるにつれ、所有する荷物が増えていく。それに加え、こころにもさまざまな記憶や感情も蓄積していく。
そしてそれは、時として身に余る重荷になることがある、
みみずくは思う。これは他の人に当てはまるかはわからないけれど、持ち物の多さ、は、こころに抱えこんでいるもの、に比例するということ。
家がごちゃごちゃものであふれていたとき、頭もごちゃごちゃしているように。
荷物もこころに背負い込むものも、取捨選択して整理しないといけない。
というわけで、今日は荷物を全部置き去りにし、服すらも脱いで海に飛び込んできた。
前述したとおりならば
浜は人もいないし水着も本当はいらなかっただろうにちゃんと履いていたのは、みみずくのこころが社会的な何かにとらわれているからかもしれない。
神津島2日目は、昼のフェリーまで時間があったので島を形づくる天上山に登った。
登山道入り口でで必要のない荷物を置いていって、標高572mを海抜0mから二時間かけて登る。山頂は、這松と岩と砂漠のような地形で、太平洋の天上のような世界だった。
港へかけて大きな崩落のあとがあり、昔この島の人たちが島を守るために大変な治山工事をしたとのことである。
こんな時期山にはいる人などいない。かつて伊豆七島神が持ち帰っていった残りの水だろうか。山頂には苔むした草むらのなかに小さな水たまりがあって、幾分ちかくなった空を映していた。
神津島(こうづしま)泊
その昔、伊豆七島の神々が、この島の中央の山で、貴重な水の分配を決める会議をした。
結局、翌朝の到着順で分配を決めることになった。翌朝、御蔵島の神が一番のり。最後についた式根島の神が、ほとんどのこっていない水を見て怒って暴れ、飛び散った水が、この神津島の豊富な湧水になったらしい。
誰もいない、風の強い海岸を歩きつづけて1日が終わる。
こんな小さな島にも特養があること。そして島の小学生の元気なこと!
明日はどこへいこうか。
竹芝桟橋のフェリーターミナルの猫。堂々としていて。
特養での仕事は無事終わり次の仕事まで一週間休みがある。
余りにも最後の仕事が忙しくて、計画なしの旅行。
芝桟橋からジェット船に搭乗して、行き先は一番遠いからという理由だけで神津島を選んだ。
74�/hでいま東京湾をでた。
台風は通り過ぎ、無事荷物は新しい部屋の収まるべきところに収まり、静かに沈黙していた。
* * *
一軒目は、あえて下から攻める。ぴんぽーん。
無言…
二軒目は人気がない。ぴんぽーん。
がさごそ… そして静まる。
夜の8時。時間が遅すぎたか?三軒目は自分の部屋がある二階だ。いわばお隣近所だ。ちょっと恐る恐る、ぴんぽーん。
無反応。
隣部屋の4軒目。怯えはじめたみみずくの意表をついてぴんぽーん、は故障中の張りがみ。
こんこん…こんばんは(小さな声で)
反応がないの過去の三回の経験から容易に推察された。これを演繹法というのか帰納法というのか、あるいはどちらにも当てはまらいのか、わからない。
みみずくは怪しいセールスもしないし、宗教の勧誘もしない。ただ引っ越しの挨拶と、洗剤をお届けに上がったのです。
私は一人。たった一人この新しい町で誰も知る人のいない三日目の夜を迎える。
神様、誰かと話がしたい。
黄昏どき
家に帰るという実感がまだわかない。
まだ台風は紀伊半島、遠いはずなのに、横浜はわりと激しい雨が降っている。
本日、金沢→鎌倉へ引っ越し。
時間をすぎた。まだ業者から連絡が来ない。
新しい住居は、海岸にちかく、川の州にある。
引っ越し初日に、避難勧告がでなませんように。
2011年の十五夜も過ぎた。
老いたる身の生活と生命を支えているはずのこの自分は、
老いを敬うことなく、敬老の日も過ぎた。
退職と引越しが目前に迫っている。そんな今日この頃。
数えても残りわずかなのに、明日の仕事が嫌だ。
間違いなく過去でない今の自分は、明日が来なければいいと思う。
なにが嫌なのだろう?
過去の日記見て、気がつくのは、いま、世界が、新鮮さを失い、色あせ、くすんでいること。
月を見ても、なにも感じない。
成長しない、むしろ退化した、無感動なわたし。
* * *
いつまでも続くかと思われた病気は、去った。
あの時の呼吸のできないくらいの重苦しい瞬間をいまはよく思い出せない。
そのかわり、いま
なにをみても心が動かない。
朝露に濡れた草木を見ても、果てしなく広がる鎌倉の海をみても。
* * *
凛と澄んでいた空気。
夜半に聞こえるフクロウの鳴き声。
朝も夜も鳴く、消え入るような秋の虫たちの音。
晩秋の北信で過ごした。仲間がたくさんいて、なのに孤独にさいなまれ病的で訳のわからない憂鬱、苦しみから少しでも逃れようとしてできなかった一日一日のほうが、なぜだろう、いまより比べようもないくらい「生きて」いた実感を伴っていた。
* * *
神様はいま、自分になにをせよといっている?
暗闇に耳を澄ましても、なにも聴こえない。
今日、みみずくは横浜から鎌倉に住所を移した。
来月から向こうで新しい生活と仕事をはじめる。それがどんなに退屈な記事でも、このブログは日記なのだから仕方ない。
9月も半分すぎたというのに、朝比奈の峠空にはマグリットの岩のような入道雲が浮かんでいるし、焼けるような日差しが
…実際街をゆく人々の肌を赤く焼いていた……降り注いでいた。
このブログでは、これまで自分の少ないながら体験してきた高齢者介護の仕事について、フィクションですとか附記しつつ、ごまかして書いてきたけれど、
次の仕事は、福祉の仕事ではあるけれど高齢者介護事業ではなく、職場がさらに容易に特定されてしまいしたがって書くことはできにくい。
(例えば、その仕事がまるまる街の山の麓の、少年更生施設だとか、刑務所だったら、いったいどうしてその施設の中で起こる具体的な事象を書くことができる?
それが命の電話のカウンセラーボランティアが、その仕事内容を死ぬまで秘密にするのと一緒のこと
郵便配達人が読んでしまったハガキの裏の内容を死ぬまで秘密するのと一緒のこと
いまや守秘義務がない仕事なんてない。
だから、どうしようか。
気持ちや考えを表現できないとみみずくは、満月の夜に狂って狼になってしまう。
ブログはやめて、全部フィクションの物語をつくろうか…