2011年の十五夜も過ぎた。
老いたる身の生活と生命を支えているはずのこの自分は、
老いを敬うことなく、敬老の日も過ぎた。
退職と引越しが目前に迫っている。そんな今日この頃。
数えても残りわずかなのに、明日の仕事が嫌だ。
間違いなく過去でない今の自分は、明日が来なければいいと思う。
なにが嫌なのだろう?
過去の日記見て、気がつくのは、いま、世界が、新鮮さを失い、色あせ、くすんでいること。
月を見ても、なにも感じない。
成長しない、むしろ退化した、無感動なわたし。
* * *
いつまでも続くかと思われた病気は、去った。
あの時の呼吸のできないくらいの重苦しい瞬間をいまはよく思い出せない。
そのかわり、いま
なにをみても心が動かない。
朝露に濡れた草木を見ても、果てしなく広がる鎌倉の海をみても。
* * *
凛と澄んでいた空気。
夜半に聞こえるフクロウの鳴き声。
朝も夜も鳴く、消え入るような秋の虫たちの音。
晩秋の北信で過ごした。仲間がたくさんいて、なのに孤独にさいなまれ病的で訳のわからない憂鬱、苦しみから少しでも逃れようとしてできなかった一日一日のほうが、なぜだろう、いまより比べようもないくらい「生きて」いた実感を伴っていた。
* * *
神様はいま、自分になにをせよといっている?
暗闇に耳を澄ましても、なにも聴こえない。
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2011年9月19日
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