今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

たまに漫画にはまる

2010年3月24日

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つづき

最近ニュースで連載が終わったときいた「かわぐちかいじ」の『ジパング』を見つけてしまった。http://www.youtube.com/watch?v=hYts2YRgiT0

むかし寮に、漫画部屋と称する、居室をまるまる漫画で埋め尽くした部屋があった。歴代の先輩たちが、おそらく後輩のためにおいていったのか、あるいは引越しの際に捨てていったのか、とにかく、そこには床から天井まで漫画で埋め尽くされていた。

そこでたまたま揃っていた(たいていは各巻ばらばらに天井から床まで散っている・・・)「沈黙の艦隊」を読み、かわぐちかいじの描く絵が好きになったのだか、さいきんまたYOUTUBEで「ジパング」をみつけ、ちょっと興味を持っていた。

一人暮らしを始めたころから、うちには昔からテレビがない。

だから、たまに映像?が観たいときは、朝までかけて、とことん観る。

閑話休題、ようするに、休日は、その「ジパング」を読みふけってしまっておわったのだった。内容が第二次大戦なので、かつて日本史専攻だったが、頭の悪いみみずくは一冊読むのに2時間かかった。三冊読んで、いま、ぐったりとしてしまった。

こんな感じで休日は終わったが・・・それがでも、ドクターのいう休養なのだろう。

ことのいきさつ

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三週間……


薬も切らしたし、いこういかなきゃと思って、いかなかった。


病院にいく。


「あなた直す気があるのか」と主治医からいわれるのが怖くて、遅れるたび、ますます足が遠のいていた。


薬は1日に飲むべき量を2日にわけて飲んでいたので、まだ、鼓動がおかしくなったり、めまいというような心臓離脱症状?はでていないけれど…

「いまは大丈夫でも、また波が来るから、仕事を減らし、なにもしない日を作ってもいいよね」


先生は優しかった。


1ヶ月分の薬をいただく。

さてさて

「今日はマンガでも読んで、ひたすら、ゴロゴロしよ……」


そう思って古本屋にいったのだが……

最後まで残るもの

2010年3月17日

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強欲な人をいさめるために「あの世にはお金も何ももっていけない」とよくいうが、最近みみずくは、


「あの世どころか!」


と思う。


「あの世の手前まで持っていけるかどうか」

自分が自分をはっきりと認識できなくなった時から、人はもう、何も持てないと思える。


だったら余計なものは持ち歩かない方が賢明だとも。


……Mさんはもうだいぶまえからボケてしまった。そしていまはボケボケになってしまった。言葉が悪いなら、認知症の末期を迎えた……持ち物はおろか、家族の名前、自分の名前すら覚えてはいない。


みみずくが言う。「シャンプーしますね」


その人は笑顔で聞きかえす「サンプン待ち、し、ます?」


「顔洗って下さい」といえば、便器の水をすくおうとするし、「これ美味しいから食べて」といえば、みみずくの口へ入れようとする。

みみずく「あったかいいうどんと冷たいうどんどちらが好きです?」


「そうね、やっぱしあったかいうどんの方が好きだね」


みみずく「冷たいうどんとあったかいうどんどちらが好きです?」


「そうね、やっぱし冷たいうどん」


「あっちいってみてきよ(こよ)」といってはカーテンを引きずりおろし、「こっちいってみてきよ」といえば台所の洗いものを、ゴミ箱にいれ……

人形をもてば、服をぬぎおっぱいを飲ませようとし、座布団をもてば背中に背負い、あやしたり……


やることなすことがすべて、トンチンカンなのに、一生懸命、母親の時代に戻り仕事をしようとするMさん……


そんな状態が不幸か?
とんでもない!!


名前を 忘れても 会いにきてくれる人、名前を呼んでくれる人、住んでいる場所は常に心地よく、お風呂にも入り、ささやかながら美味しいものを食べ……ゆったりしながらニコニコつながらない会話を楽しんでいるのだから。


自分が幸せかどうかは自分が決めるものだが、みみずくからみる限り、Mさんはピンピンコロリに勝る幸せな余生を送っている。

今日みた光景は職員みんな、あっと息をのんでしまった。


前傾斜(自然と体がまえのめりになってしまう)方のとなりに座っていたMさんは「どっかわるいの?」とおでこをささえて持ち上げていたのだ。

人はいつしか心だけ持っていくんだと思った。


やがて体すら置いてゆく日がくる……その心、どんな心にするかは、自分の生き方しだいである。

2010年3月12日

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押入れをがさごそしていると、実家に住んでいた去年の秋に職場のベランダに落ちていて、保護したメジロの写真がでてきた。


まだ雛だった。

ペットショップに行って、介抱の仕方を聞いたり、スポイトで、鍋で煮た粟粒を餌付けをしたり。いろいろあった後のことだから「生きていてほしい」その一心だった。


実家の窓際に置いていたら、明け方、外から聞こえるメジロの鳴き声に応じて、ないていたので、僕は反射的に窓をあけた。


すると、飛べないと決めつけていた雛は、飛びたち、ないていた成鳥のとまる電線へひとっとび。頼りない羽ばたきで……


彼らは会話していた。 一列に並んで。雛を真ん中にして。


職場から自宅は、かなりの距離があったので、あれは血のつながらない、親鳥のつがいであることは間違いなかった。 信じられないことに!


きっと僕が、数年前から庭の梅の木で、餌付けしていたつがいが、みみずくの拾った、ひとつの命を救ってくれた。


そう信じている。


あれから半年。彼らの音沙汰はないけれども。

「早く死にたい」

2010年3月8日

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って時々もらしていたお年寄りが、今日の夕方、

「もうちょっと生きてみたい」とつぶやいたのを、みみずくは聞き逃さなかった。

3日連続で別々の子どもが来訪してくれた後のこと。

どんなにサービスのよいグループホームでも、親しい人と一緒に生活できればそれに越したことはない。でも、現実、それがかなわないことが多い。そんな時、最大の励ましは、肉親の思いやりなんだと思う。

疲労を忘れて、QOL(生活の質)の向上ため昼夜働く。それでもかなわないのが、肉親の力。

みみずくは、もし、老いたとき、だれかそばにいてくれるのかな・・・・・・

雛祭り

2010年3月2日

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3月。明日は上巳の節句、雛祭り。


春の本格的な訪れ。


そして長い冬の終わりでもある。


冬の間に力を温存して、花を咲かせるものもある。力尽きてしまうものもある。年間でもっとも自殺者が多いのも、この3月だ。


そんなニュースを複雑な思いで聞いている。


明日は雛祭り。


生まれてきたことを皆に祝福され、幸せを願われたのなら、大人になって誰も知らずに死んでゆく人がいるのは、悲痛の限りだ。


この人間の世の中はどこも歪んでいる。


その歪みを直す、そのために僕は働けるか。