今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

雛祭り

2010年3月2日

 

3月。明日は上巳の節句、雛祭り。


春の本格的な訪れ。


そして長い冬の終わりでもある。


冬の間に力を温存して、花を咲かせるものもある。力尽きてしまうものもある。年間でもっとも自殺者が多いのも、この3月だ。


そんなニュースを複雑な思いで聞いている。


明日は雛祭り。


生まれてきたことを皆に祝福され、幸せを願われたのなら、大人になって誰も知らずに死んでゆく人がいるのは、悲痛の限りだ。


この人間の世の中はどこも歪んでいる。


その歪みを直す、そのために僕は働けるか。

3 コメントはこちら:

匿名 さんのコメント...

「月夜のみみずく」さん、こんばんは。
そうだね。人間の世の中、歪んでいるよネ。不条理なことって、いっぱいあるよネ。
僕もイヤに感じることたくさんあるヨ。

でも、それかりでもないような気もする。
自分のまわりにチョット目を配ると、気持ちの良い光景に遭遇したりして、「あっ、世の中捨てたものでもないナ」って思う時もあるんだヨ。
最近のテレビとか観ていると比較的暗い話題が多いけど、そうばかりとも限らないと思うんだ。新聞の小さな記事なんかに、時々心温まるニュースが出ていたりするだろ。

僕たち、もう少し心の視野を広げてみようヨ。君のように真剣に毎日を過ごしている人にはきっと気付くハズだよ。身の回りの小さな幸せを。

どんなに優秀な野球の選手だって、年間打率3割を打つのは珍しいことだろ?
世の中には悪いことや理不尽なことがたくさんある一方で、楽しいことやうれしいこともきっとあるヨ。

明日からチョット君の横を観てごらん。小さな喜びが顔を出しているヨ。そんな気にさせる春がもうすぐそこに来ているヨ。

また、君のブログ読むよ。

-- 君ヶ崎 譲 ---

Tsukiyo-no-Mimizuku さんのコメント...

君ヶ崎さん、コメントありがとうございます。前向きなお言葉に励まされてました。

幸せは、世の中はあふれています。そのことをみみずくも知っています。厳しい冬のあとに必ず春がくることも。忙しさにかまけて時々忘れはしますが、小さな幸せに目を向ける視線を失っているわけではありません。

でも……悲しいこと、叶わないこと、もう取り戻せないこと、それがあまりにも多いのです。今日も、子どもを餓死させた親のニュースが頭から離れません。海の向こうでは、余震と略奪に恐
怖する人の姿が忘れられない。

みみずくの見えないところで、この世とお別れしようとしている人がいる。

そんなことを考えると、自分にとって幸せと思える日は、来ないと思ってしまいます。矛盾を感じてしまいます。

匿名 さんのコメント...

「月夜のみみずく」さん、こんばんは。
さっそく返事くれてありがとう。

世の中ずいぶんと悲惨なことが起こっているネ。大切な人間の命が、あまりにも粗末にされているのを見聞きすると、僕もやるせない気持ちになります。

「月夜のみみずく」さんは介護の仕事をしているようだから、職場の人や、入所者の人や、その家族の人と色々な話をする機会があるでしょ。きっと、その人たちの過去の人生や、日々の生活ぶりなどもたくさん聞いていることと思います。皆さんがそれぞれの生き方に一生懸命になっていることを感じてると思います。テレビのドラマのような派手な生活ではないけれど、毎日「生きる」ということに必死になって取り組んでいることを感じ取ることがあると思います。
毎日毎日のことだから、時には誤りをしたり、悪いことと思ってもやってしまうこともあるのでしょう.... 人間だもの。極端に犯罪まで行ってしまうのは論外としても、僕たち普通の人間がチョットした誤り・失敗をするのは当たり前のことと思います。
そんな風に進んだり、後退したり、時には寄り道したりしながら人間は人生の年輪を重ねて行くんだと思います(チョット話が年寄りじみて来た 笑)。

今度仕事がお休みの時に、少し肩の力を抜いて、青空の白い雲でも眺めながら思い出してみてください ... 君にとっての「幸せと思える日」はどこからかやって来るのではなく、普段君の身の回りにある幸せに君自身が気が付く日のことだと僕は考えています。それがどんなに小さなことでも、「あっ、これって僕にとっての幸せなのかな?」と君が感じた時が、その日かもしれません。

これからも、君のブログ観てます。迷惑でなかったら、またコメントさせてくださいネ。

-- 君ヶ崎 譲 ---