今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
「今後の小麦価格上昇する今という、これとない機会に際して。
私は覚悟を決め、ここに、秘伝のレシピを公開したい」
by .kokia.
Japanese translation rights arrangeed with the Author
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以下、訳文。
このレシピは完全にオリジナルであり、おそらくは世界中の誰も知らない。
それがかりそめにもあなたの未熟な生活経験から、誇張に聞こえるのなら、いいかえよう。すくなくとも、私が生きた24年間、このパスタの味に勝る味を再現したパスタを食べたことがない。
それの味を忠実に再現する方法を、もし一人の利己的な人間が独占するならば、少なくとも関東近郊の小麦を主たる原料にする外食産業は、致命的なダメージをうけるであろう。パート社員はクビになるかもしれない。正社員でも、来夏のボーナスはカットだろう。サイゼリアとか。
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しかし、そんなことは許されない。そのために、あえてこのパスタの調理法を、速やかに全世界にむけ、公開しなければならない。
いつの時代も重要な発見は、わずかな時間差においてなされるものだからだ。そしてそれが、かつてダイナマイトのように戦争のため、あるいは平和のために利用されるかは、発見者の意思と行動力に大きく関係する。
神に誓って。私はこの料理法を、善意ある温厚な市民のために役立てたい。
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料理研究家としてのこれまでの人生を告白しよう。
私は親を棄て、恋人も棄て棄てられ、仕事も棄てつつ、しかしして、これまでの人生の大半を、このパスタの研究に第一をおき、費やしてきた。極寒期にもしぶとく生き残るゴキブリと闘いながらこの狭いアパートにおいて。
しかしながらそんなことよりも、このレシピを公開することにより、業種を理由に、所得をに制限された一人暮らしの人間の生活を救うことのほうを私は選んだ。それは私個人というより、なんらかの神がかった意思を感じて。
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料理名
「具なしパスタ」
パスタは500g 97円の商品名:地中海パスタ。どんな安いパスタでもかまわないということだ。しかし、この価格で入手できるのは今のうちまもしれぬ。
これを主食とすると、米より、芋より安い。
材料は、ほかにマヨネーズ、ニンニク、サラダ油、塩コショウ、コンソメである。
通常この材料だけでパスタを作る場合のやり方は、万人ほぼ同じである。
「ゆでたパスタに、ニンニクを刻んで油でいためたものをまぜる」という。
しかしそれでは、この「具なしパスタ」の10パーセントの味も表現できない。
ポイントは普通にゆでたパスタに、ニンニクを別の形で調理したものを加えることである。
サラダ油を100ml空ビンにいれ、それに細かく切ったかつぶしたかニンニク2~10粒をいれ、湯煎をかける。<アホエンオイル>。ニンニク由来のアホエンという物質は油になじみ、なおかつ100℃を越えると、理論的に地球上では破壊されてしまう性質を持つので、通常の料理方法ではほとんどど生成されない(アホエンオイルと検索して調べれば大体このとおり)
ゆでたパスタにそのアホエンオイルと、塩コショウ、マヨネーズ、コンソメを加えれば、それで完成である。
これを読んでいても到底その味を想像することはできない。
実際に作ってみなければ!
栄養価はジャンクフードであるが、空腹を水意外で満たすカロリー補充という点においての食事を余儀なくされている諸君にとっては、さほど重要なことではないだろう。
付言するとアホエンは記憶力をたかめ、認知症すらを予防するという可能性が近年、世界中大企業のゴキブリのいない研究所で証明されつつある。
なにより、この料理は、お金がなくてもできる。
ガス代がきになるなら、パスタはゆでるのではなく、必要最低限のひたひたの水で茹で、水をすべて蒸発させてしまえばいい。
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信じるか信じないかはあなたしだい。これを知ったら長期保存の点でも優れたパスタを買いだめしておくことをお勧めする。
この味は、あなたの主食を変える可能性を持っている。
この食料価格高騰の危機に果敢に挑み、乗り越えるあなたを私は信じている。
あなたは死んだ。
私はあなたの最後の将棋相手。そしてあなたが最後に負かした相手。
あなたは昨日死んだ。
海の見える綺麗な病院で。
最後の写真をとったのは私。最後に話した他人も私。最後に花をあげたのも私。
最後に関わったにんげんが、僕なんかで。申し訳ない気持ちがいっぱいだけど、できるはんいで精一杯やったんだよ。信じてよ。
なにもわからなくなり、体も動かなくなっていくあなたは、もういない。
介護は機能向上だとか自立支援の仕事だけではない。
確実に沈みゆく夕方の時間を、隣で一緒に過ごすのも、また介護の仕事だ。
月夜のみみずくのこれまで、すべての記事は、要約するとこうなる。
「ああだった。
こうだった。
こんな気持ちになった」
みみずくは話したがりやで、秘密とか、いわなくてもいいような話まで、全部、話したい。三日坊主の自分が、こんなに長いあいだブログを続けていられるのは、話したがりやだからだったと気づいた。
カウンセリングと同じように、みみずくは感情を言葉に書き起こすことで、脆い精神の安定をはかる。心の均衡を保つ。
誰に読んでもらうためでもない月夜のみみずくのひとりごと。
気持ちの整理箪笥。
感情の冷凍庫。
あるいは焼却炉。
辛かった、悲しかった、嬉しかった、溢れる感情のすべてをここに書き込むことで、心のなかに相手の話しを聴ける余裕を作れればいいと思った。
悪口を書きたい。 ある特定の人の! 仕事の!
こうかくと、たいていの人は眉をひそめる。
だが、自分はいい人間ではないので、悪口を言いたくもなるし、悪態もつきたくなる時がある。
もう、その人の事を、できる限りの醜い言葉で、さんざんけなしてやりたい。反論もできなくなるくらい、いい負かしてやりたい。
それこそ、何のために今まで勉強してきたか? それは、道筋だった完璧な論理と、緻密に練られた感情的な言葉で、その人と戦うためだと思えるくらい。
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争いごとは嫌いだった。
世の中のあらゆることは白黒ではなく。灰色だ。どんな揉め事の原因も、どちらか一方にあるということはない。相手にもあるし、自分にもある。
自分は、いつも先に、自分の非を認め、謝って事を収めようとしていた。
あるいは、その人とは相性がよくないということで、近づかないでやり過ごす人間だった。
今回はもうそんなことは辞めたい。
自分が正しいと思ったこと、考えたことはを貫きとおしたい・・・・・・
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でも、たいていそんなときは、相手もそう思っている。
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どんな嫌で嫌でたまらない相手でも、同じ釜の飯を食らい、おなじ風呂に入り、一緒に飲めば、一週間で分かり合えるのに。
社会に出ると、そうはできない。どうしても敵ができてしまう。
お互い、事情はあるのに。
分かり合えない。それが哀しい。
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翌日。
昨日の話はそれでおしまいのつもりだった。
上司にも今回の件は相談するつもりはなかった。
今日出勤すると・・・相手から自分宛のクレームの電話が・・・
クレームといってもサービス利用者からではなく、いわば協力関係にある側の人だ。
そして電話した上さらに、夕方職場に会いにくるという。僕と、職場の責任者に苦情を言うために。相当、怒っている。
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上司からの事前のアドバイスは、とにかく相手の言うことを聞き、もう一度、謝れとのこと。
事情だとか、正しいとか間違っているとかではない。相手の怒りを買うまでに至った対応がミスであると!
確かにそのとおりかもしれない。
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上司は、握りこぶしを見せた。
「たとえあなたが、ふざけるなこのやろうと思っても、先に自分の否を認め、謝ること」
「この手で何度壁を殴りつけたか」
そういいつつ僕のフォローだけでなく、ちゃんと相手のフォローもしていた。
「たばこ吸ってちょっと話そう」
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昨日まで問題を一人で抱え込んでいた。
今日、問題が悪化した。
でも気持ちを聞いてくれる人が周りにはたくさんいた。
それが嬉しかった。
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相手は、涙ぐみながら(自分にはそう見えた)、呼び出すつもりはなかったといって、帰っていった。
あなたは悪くない。
そう、あなたは悪い人ではないんだ。
また日々の仕事を続ける。
くしくも、今日、特別養護老人ホームへの異動が決まった。
遅くに仕事が終わり、横浜の西口に向かう。
ネットで知り合ったある人に会って話をするため。
休日前の街は、遅い時間にも関わらずとても混雑していた。
改札の柱の下で、車椅子に乗ったその人はいた。
相鉄の二階の改札の外を出ると、エレベーターはもう時間外で使えない。
駅員に頼んで、ホームをとおり、構内のエレベーターを使って私たちは1階におりた。駅の外を出ると、階段や段差、点字ブロックなどで、路面はでこぼこで、それはとにかく人ごみで。僕はあらかじめ行く場所を調べておかなかった自分を後悔しつつ、連れ添った。
スタバで二時間くらいか。話をする。
その内容はとにかくとして。
当たり前のかもしれないが、人の一生は、「分かれ道」があってそのどちらかを選ぶことによって決まるだけのものではない。もっと些細なことで、生き方は修正され、目に見えないなにかによって導かれていく。
例えばそれはコミュニケーションだ。たった一時間の会話が、たとえ何年かして、その話の内容すらも忘れてしまったとしても、無意識に働きかけ、自分の軌道に働きかける。
つながりのないようなことが、つながっていく。
会うはずのない人が、めぐり合う。
不思議なことだ。
生き方を決めるのは自分だとみな思っている。それは間違いではない。だが、思っている以上に、目に見えない何かに動かされている部分がある。
それは人によっては神、というのかもしれない。