今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

すれ違い

2011年2月11日

 

遅くに仕事が終わり、横浜の西口に向かう。
ネットで知り合ったある人に会って話をするため。

休日前の街は、遅い時間にも関わらずとても混雑していた。
改札の柱の下で、車椅子に乗ったその人はいた。

相鉄の二階の改札の外を出ると、エレベーターはもう時間外で使えない。

駅員に頼んで、ホームをとおり、構内のエレベーターを使って私たちは1階におりた。駅の外を出ると、階段や段差、点字ブロックなどで、路面はでこぼこで、それはとにかく人ごみで。僕はあらかじめ行く場所を調べておかなかった自分を後悔しつつ、連れ添った。

スタバで二時間くらいか。話をする。
その内容はとにかくとして。

当たり前のかもしれないが、人の一生は、「分かれ道」があってそのどちらかを選ぶことによって決まるだけのものではない。もっと些細なことで、生き方は修正され、目に見えないなにかによって導かれていく。

例えばそれはコミュニケーションだ。たった一時間の会話が、たとえ何年かして、その話の内容すらも忘れてしまったとしても、無意識に働きかけ、自分の軌道に働きかける。

つながりのないようなことが、つながっていく。
会うはずのない人が、めぐり合う。

不思議なことだ。

生き方を決めるのは自分だとみな思っている。それは間違いではない。だが、思っている以上に、目に見えない何かに動かされている部分がある。

それは人によっては神、というのかもしれない。

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