今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

福祉の現場の活気

2009年6月29日

0 コメントはこちら  

現場で介護・家事援助にあたっている職員は、子育てもひと段落、あるいはだいぶまえにおわった女性が多い。


ことばは悪いか元気のよいおばちゃんである。冗談をとばしまくり、とにかく強い。なんでもでき、たいていのことはわかっている。


みみずくは経験の浅いひよっこで、頻繁に失敗をする。昼食の焼きそばを作っていたら「こんなのじゃ関西人に殺されるよ」といわれ、本当に殺される思いがした。


管理職から経験が浅い新入りだからこそ見える欠点があるといわれるが、とてもみつからないし、あったとしてもみみずくには口にできない雰囲気である。


入居者の一人がみみずくにぼそっと「あまり勢いがあるのもね……」と漏らし、味方を得た気がした。活気がないのは困るがありすぎると周りがつかれる。鬱病患者がテレビでお笑いなんかが流れていると死にたくなるのと似ていはしないか。
老いてなお求めるのは活気ではなく、平穏ではないか。


自分の足りないところは素直に認める。それでもなお、意見があるのだとしたら、それは伝えるべきだと自分に言い聞かせ、ため息をつく。


お腹がいたい。

久しぶりの夢の話2

2009年6月24日

0 コメントはこちら  

今日の夢は「教員採用の筆記試験」であった。


みみずくは、一番右奥の薄くらい机。

問題用紙が配られる。


開始直前になって、やっと試験監督が用紙をもってきた。バケツいっぱい分の乱雑な書類の山を渡される。


み「え……なんで?」


試験がはじまる。周囲の受験者は猛スピードで鉛筆を走らせる。みみずくは、書類の山をかき分け、一問目を探すが、みつからない。


焦りが頂点に達したころ、やっと問題用紙らしき紙を発見。


み「……9次関数……多次元ベクトル……洗濯機数と漂白剤の関係を数式で表せ……なんじゃそりゃああー」


ああ……きっとこれは受験者を惑わす、いじわる問題だ。飛ばせ。


次の問題は文章題だった。しかし1日かかっても、読み切れなさそうな分量。

み「悪夢だ!  これはなにかの間違いだ、さもなくば間違いのなにかだ


時間はもはや終わりに近づき、ほかの受験者は、もうときおわったのか、別の会場にいってしまった。


試験監督「そんな問題も解けないんですか」


み「……」

     * * *

夢は現実とごっちゃになって、なにをか知らしめる。

久しぶりの夢の話

2009年6月23日

0 コメントはこちら  

夢は精神衛生上のバロメーターだとしたら、今朝みた夢は まさにレッドゾーンだった。以下、夢の話。

大人たちがみみずくを囲んで、なにか怖いことをされている。罵っているように聞こえる。気がつくとガラスと血があたりいちめんに飛散している。誰もいない空きビルの一室。からだ中にガラスが突き刺さっていて痛い。どうやら僕は暴れたようだった。次に僕は<生まれたばかりの赤ん坊>を盗んできて窓から放り出す。要するに殺してしまった。しばらくして電話が鳴った。その子を生んだ母親からだった。「子どもがいなくなって心配だ」といった。自責の念で死のうと思い、エレベーターに乗って屋上を目指した。二十二階でエレベーターは停止した。故障したのだろうか。急に死ぬことが怖くなって、狭い箱の中でガタガタ震えだす。狂った己の頭のほんの一握りの理性も消え果てた。その時、どこからか「どんなことがあっても死んではだめだ」という声が聞こえた。

……ホラー映画作家にでもなれそうな内容だ。せめて夢のなかくらいゆっくりさせてほしいのに……スティーブンキングは毎晩こんな夢をみてるんだろうか。


神様、平穏が来ますように、そう願いつつ、いまから寝る。

畑ちがい

2009年6月21日

0 コメントはこちら  

黙秘義務があるから仕事場のことを書くときは、気をつけないといけない。けれども書きたいことがたくさんある。これから書ことは、実在ではなく、「仮に」ということで書かせていただきます。現実に起こったことではありません。


今日で四日目の仕事場。介護の技術はまったくの素人のみみずく。


仕事場の先輩「君、大学、何学部だったの?」


みみずく「…教育学です」


先「あ〜、ダメだ。教育なんて、人を'教える'人間が介護なんて」


み「……」

思わず、「はい!」と答えそうになる。確かに、たかだか四年の教育学部生は、福祉の世界にいきなり飛びこんできて、心がまえも技術という点もまるで、通用しない。たとえ「ケプラーの楕円軌道」を数式にあらわせても、おむつは簡単に変えられない。


たとえ「ゆとり教育」ついて一時間言えても、ゆとりをもって、からだを移動させることはできない。


畑ちがいの人間。


みみずくは叱られると気落ちはするほうだ。自慢ではなく小さなとき、誉められてばかりで育ったから。


けれど、いつもより引きずらない気もする。


根っこは違っても、お日様に向かって生えるのは同じ!


と自分にいいきかせ明日も頑張りたい。

「明日の記憶」

2009年6月19日

昨晩、映画を立て続けに二本、観た。ユングの共時性は科学的には立証されていないけれども、適当に選んで借りてきた映画が二本とも、みみずくのいまの大きな疑問と重なった。

それは「記憶の喪失」という問題。

1 アルツハイマー病になって、次第に現実から乖離してゆく妻を殺害した刑事。その真の理由を探ってゆく物語。記憶を失うことは魂が滅ぶことなのか……『半落ち』


2 大企業企業戦士がある日、もの忘れが激しくなり、それから少しずつ記憶を失っていく姿があまりにも辛い。けれども……『明日の記憶』


みみずく、珍しく、誰かに観てほしいと思った。でもうまく言えない。ぜひ観てください!


映画というフィクションではあるけれど、ふたつの作品とも、誰しもが直面する大切な問題を抽出している。人間の肉体は生まれて十数年成長し、あとは衰退してゆく。医学はそれを遅らせることはできても、止めることはできない。それを自覚することで、もう一度、自分の価値観を見直せるのではないか。

記憶を失うこと、いいかえれば脳が萎縮していくこと、その人の尊厳が消えていくこととは違う。

心臓が止まること、脳が死ぬこと、いまちょうど盛んに議論されていることだが、それはあくまで人間の作りだす基準に過ぎない。だから不確実だ。


確かなことは、人は死んでも、時に生きているときと違ったかたちで、またはそれ以上の影響を世界に与えるということだと思う。今日の自分のたったひとつの〈ことば〉でも、世界は変わる。たとえそれが目に見えない僅かにであっても、明日の世界は変わる。

写真は『明日の記憶』から 現実から乖離しはじめた主人公が、自らの意識と意志で、入所施設に訪れたところ。

植物も人間も

2009年6月16日

0 コメントはこちら  

朝、庭のトマトとジャガイモ、マメたちに話かける。その時、うっかり一本を折ってしまった。


昨日今日と9時間働いて笑って、走って、怒られれて、へなへなになって夕方戻ると、なんと!折れたトマトが再生してくっついていた。


み「なんともはや…」


生きるのに必死な姿をみて、負けられないと思う。

入社とタヌキ

2009年6月15日

0 コメントはこちら  

健康診断で心電図に「所見あり」だったためか、施設の上司に再度面接のため呼ばれた。


念のため朝いちばんで、もう一度、内科にいく。右心房かどこかを流れる電流が遅いのだという。よくわからないが、みみずくの鼓動は、人類のそれとちがう、波形なのかもしれぬ。心臓に関して 情報を得た得たみみずくは、万全を期したと思い、面接に行った。


しかし勘違いしていた。一時間ちかい面接でわかったのは、この法人が要非常勤といえど採用に慎重だということ。


社としての、介護の姿勢や理念も伝えられ、そして、みみずくの精神面を仕事をする上で、差し支えがないか非常に気にしていた。


「とにかく、3ヶ月の雇用で、適性をみます。」

み「誠心誠意頑張ってみます。しかしながら意に添えず、役立たなかったら、いつでもクビにしてください!」

こんなことをいう労働者はどうかとあとから思ったが、とにかくこんどこそ採用になった。

さて、夜、家族が寝静まってから裏庭にでて、いつものように天国の人たちに、報告していると、突然、それに答えるかのようにいるはずのないタヌキ(!)が近づいてきた。


よく、人生の節目の時に、みみずくはいるはずのない珍しい動物をみることがある。


明日からどうなるか。タヌキはクンクン鼻をならして、なにもしゃへらずどこかへ消えていった。

蟻のお葬式 逗子の海

2009年6月13日

0 コメントはこちら  

図書館の中庭で、学習指導要領の文章とにらめっこをして一時間。


こういった法律の文章は固い。固い文章は、記憶に残らない。何の味わいも、書き手の表情も見えないからだ。ましてや目的が試験対策の暗記となってしまうと、それは火星語と書かれているとしか思えない。


だれもが納得しそうな理念に紛れ、国家の戦略や経済界の企てのようなものが透けて見えるような気もする。 (最近、言い訳ばかりのみみずく・・・)


気がつけば目線は、〈膝元の文字の羅列〉から、〈足元の蟻の行列〉にうつっていた。


君たちは、何もしらない僕ら人間に踏み潰されて死んだ仲間を、一生懸命、本当に一生懸命、巣に運んでいるね。


それは、悲しい虫たちの葬列。

あ、いかん。このままでは来月の試験に受からず、こちらが社会に踏み潰され、くたばってしまう。すでに30日をきり、もはや手遅れともいえるか。

だけれど、今日はずっと昔住んだ、逗子の海を見にいった。すこし元気。

肺に影 頭に靄

2009年6月12日

0 コメントはこちら  

親不孝になりたいなんていっていた自分……いちばんの親不孝は親より先に逝くこと。


今日は朝はやくから健康診断の結果をもらいにいった。普段は能弁な内科医だが…。


内科医「血液検査その外は全く問題ないんですが……」


みみずく「やっぱり、ここですか?(頭をさす)」


み「あ、その、パキシルなんて劇薬を毎日飲んでるので……」


内科医みみずくの言葉を遮り、おもむろにレントゲン写真を取り出した。

内「はっきりいいます。ここに影があります、大丈夫だとは思うんですが、レントゲンだけはどうも……紹介状を書きます」


内「そこで改めてCTで精密に調べてもらって下さい」


み「(肺に影……再検査……煙草……肺ガン……余命……)」


じつは一年前、長野で入院したとき、やはり同じところに影があり、半年後に再検査を受けるよう指示されていたのを思い出した。


この日、ある男がカブにまたがり、レントゲン写真を抱えて、市内のべ4カ所の病院をさ迷った。診察費もなくなり、悲壮な顔はまさに病人であった。


結果は忘れた。
誰しも、一年先、いや、明日生きているのかだって不確定なのだ。

今日の夕方から施設で働く。

両親のとの口論

0 コメントはこちら  

父母に、施設で働くための保証人の印を押してもらう。


その間小言、文句、を絶え間なく言われる。そんなにだめ人間なんだろうか。そんなに家族に迷惑かけているのだろうか。まるで「価値のない人間は死ね」と言われているかのように聞こえた。なんでここにいる?
ともいわれた。


苛立ちがつのる。やるせなさも募る。けれども黙っている。印を押してもらわないと施設ではたらけない。


親には主に資金面(!)でこれまでずっと支えられてきているけれど、その分、束縛も受けている。


距離をおきたかった。だから長野に四年間いた。なのに不本意に帰ってきてしまった。


まだ自立できないことが、苦しい。


親不孝になりたい。

みみずくの信仰と宗教

2009年6月10日

0 コメントはこちら  

昨日の朝刊でふと目に留まった記事があった。


この五年間でタイからの独立を求めるイスラム過激派が、教職員を100人以上殺害しているという。今年もすでに5人が銃殺されており、現地では軍が教職員の通勤に護衛をつけるという非常事態が続いている。公立学校も二百以上放火された。


タイは仏教従が95%を占めるが、マレーシア付近の数県では、イスラム教徒がほとんどを占め、子どもたちに仏教の価値観を教える教師が過激派に敵対視されているのだ。

一方ではこんな記事も。長野県では有名だがラブホテルには謎の看板「宇宙なんとか学会」というのがある……要するに、宗教のお布施ということで収益を得て、脱税しているのである。ラブホテルと宇宙と、何の関係があるんじゃ。


神は存在しない。少なくとも人間のためには。
殺人の為に、私利私欲の為に宗教がある。


嘘だ。神など存在しない。少なくとも人間の思い描くような。


みみずくは、じつは信仰をもっている。それは科学だ。科学は科学でも核兵器を作るような応用科学ではない。森羅万象を探求する自然科学だ。


日本人は治安が悪いようで世界と比較すると、まだいいほうだ。監視国家のなかで国民は平和ボケしている。戦争や飢餓、災害、疫病の危機は間近にある。


みみずくの信じる「宗教」つまり自然科学の探求のさきに「神」がいるのだとしたら、「神」は間違いなく人間に天罰をくだす。迷惑なのは動物たち、外の生き物たちだ.

平穏な幸せ、と今週末からの仕事について

2009年6月8日

0 コメントはこちら  

歩いてもだめ、泳いでもだめ、呪文「寝るより楽はなかりけり」を呟いてもだめ……あげくの果ては寮の屋上から飛び降りる夢なんかもみた。しかも五階から落ちたのに、ちゃんと生きていた。


躁鬱病の北杜夫は娘との対談でそんなときは「ただじっとしていなさい」といっていた。確かにそれがいちばんなのだと思う。布団のなかでダンゴ虫みたいに丸くなってひたすら、じっとしている。何時間も。トイレくらいいくけれど。


そんなこんなで2、3日、寝ても覚めてもぐったり病んでいたが、いまは、こころ穏やか。


なぜ?


波がある。


あまりに苦しいばっかりに(自分でいうのはなんだが苦しいのは苦しいのだ…)、逆にいまのような静かなとき、言葉にできない幸福を感じる。ただ生きていて、明日があることだけが、なによりもありかたいことに気づく。これ以上なにもいらないと思う。ただ、少し考えなおして、「このまま平穏が続けばいいのに」と思う。


今週末から町外れのグループホームで働けることになった。どんな場所か、まだわからない。認知症をもつ福祉施設であるらしい。いまのところ役たたずの「小学校教員免許」はあるけれど「ヘルパー」の資格はない。うっかり募集要項を見落としたおばかさんは、そのままのこのこ面接にいった。


けれども面接でその日のうちに採用になってしまった。


出来る限り頑張る。施設の人の為に、そして自分の為に。

自殺を責めることより大切なこと

2009年6月6日

0 コメントはこちら  

問題が頭のなかでごちゃ混ぜに押し寄せてきて、それに対処できず、いま…昔もらった頓服薬を一気に三倍飲んでしまった。衝動がおさえられなかった…情けなくて悔しくて、なにより心臓がえぐられるように重くて…


「明日生きたくても生きれないひとがいる。だから自殺なんてもってのほか」という話がよくある。信じない。


誰だって本当は生きたい。けれどもなかにはいま、そしてこれからも続くであろう苦痛に耐えきれず、家族や多くの人に迷惑をかけ、悲しみを与えてしまうのを承知で自殺する人がいる……だれがその人を責めることができよう?


どんな形であっても自殺してしまった人を責めることは、僕にはできない。他者を責めるほど余裕のある人は、そのぶん、まわりの誰かの苦痛に気がつくべきだ。


以前は酷かったけれどたまに揺れもどる夜がある。けれども大丈夫だから…大丈夫だから…大丈夫だから!


亡くなった人の果たせなかったことを叶えるまでは月夜のみみずく、踏んでも蹴られてもしぶとく生きてやる! 何が何でも。