今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

「明日の記憶」

2009年6月19日

 

昨晩、映画を立て続けに二本、観た。ユングの共時性は科学的には立証されていないけれども、適当に選んで借りてきた映画が二本とも、みみずくのいまの大きな疑問と重なった。

それは「記憶の喪失」という問題。

1 アルツハイマー病になって、次第に現実から乖離してゆく妻を殺害した刑事。その真の理由を探ってゆく物語。記憶を失うことは魂が滅ぶことなのか……『半落ち』


2 大企業企業戦士がある日、もの忘れが激しくなり、それから少しずつ記憶を失っていく姿があまりにも辛い。けれども……『明日の記憶』


みみずく、珍しく、誰かに観てほしいと思った。でもうまく言えない。ぜひ観てください!


映画というフィクションではあるけれど、ふたつの作品とも、誰しもが直面する大切な問題を抽出している。人間の肉体は生まれて十数年成長し、あとは衰退してゆく。医学はそれを遅らせることはできても、止めることはできない。それを自覚することで、もう一度、自分の価値観を見直せるのではないか。

記憶を失うこと、いいかえれば脳が萎縮していくこと、その人の尊厳が消えていくこととは違う。

心臓が止まること、脳が死ぬこと、いまちょうど盛んに議論されていることだが、それはあくまで人間の作りだす基準に過ぎない。だから不確実だ。


確かなことは、人は死んでも、時に生きているときと違ったかたちで、またはそれ以上の影響を世界に与えるということだと思う。今日の自分のたったひとつの〈ことば〉でも、世界は変わる。たとえそれが目に見えない僅かにであっても、明日の世界は変わる。

写真は『明日の記憶』から 現実から乖離しはじめた主人公が、自らの意識と意志で、入所施設に訪れたところ。

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