今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

つきまたぎ

2008年7月31日

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なんとなくここ数日、憂鬱。鬱ではなく憂鬱。先週から不安薬のソラナックスを減らしたのが原因か。それとも大学へ復帰する日が近いからか……

沸き立つ世の中への漠たる不安。消せぬ己への猜疑心。(……どうせいつものことだから、そのうち消えると相手にしないからだいじょうぶだけど)


以下、記録のために
現在処方されている薬
・テシプール1mg×2
・トピナ100mg
・パキシル40mg×4


だいぶ減ったが、24歳以下はまれに重篤な副作用として「自殺する」畏れがある(……と明記することが義務づけられている)というパキシル。まっこと怖いお薬だ。みみずくはあと数日で22歳。

いちにちのおわり

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「今日はなんもせず、無駄な1日を過ごしてしまった……」とつぶやいて床につく日は実際、無駄にして過ごしてしまった日である。

ああ、停滞。

森の画廊

2008年7月26日

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障害を持つひとが描いた絵、森の木に一枚一枚貼っていく。今日も千葉の森にきた。


昨日、入院していた精神病院で親しくなった患者さんから手紙。「いっしゅん一夜の思いでありがとね なんだか元気になれた自分に気ずきます。くもうすこしおつきあいしたいと思いました。」

「しずかにではなく「すこやかによろこんではたらきますっての」


「清水先生が来て色に二Fえだって強せい入院にしますかだって自分が強制的に私もにんい入院をしたよはじめてだとおもってうそをついてもだめだ顔も亡き人うそ元気がたりないがりないきがしたんですに」


いつかいた手紙だろう。だいぶ病状が悪くなったみたい。外はカエルの大合唱。雨はずっと降らないのに。

友だちと横浜を巡る

2008年7月20日

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信州からきた親友2人が横浜に遊びにきた。一緒にランドマークタワーに登る。今日はみなとみらいの花火大会、混雑していたけれど、いい思い出になったかな。


花火をみて、すっかり夏になったことを実感した。もうすぐ、本当に復帰できる日がくる。

2008年7月19日

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久里浜港

神さまからの言葉

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<消えたものより、残されたもの>岸壁で寝ていたらふとこの言葉がみみずくのなかで何度も繰り返され、目が覚めた。


消えたものより、とは不遜なものいいかもしれない。けれども、亡くなった人への最大の供養とは、彼や彼女の間違いなく生きたという証を、自らの生に生かすことではないか?


そして彼女の夢は、一人前の教師になることではなかったか?


<故人の意志を継いで弔いとす>


ああ、やっと乗り越えた。

やけ走り

2008年7月18日

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松本から連続14時間、360キロ走った。こんなにこきつかってリトルカブに申し訳ない。いまにもエンジンが燃えそうだ。なんだかもうやけだ。目的もなにもあったもんじゃない。


金谷行きフェリーターミナルについた。こんな時間に船はでているのか?お金は足りるのか?


ここまできた以上、なにがなんでも千葉へわたってやる!!

南へ南へ

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長野から原チャでついに横浜まできちゃったよ。実家を通り過ぎて三浦半島へ向かってる。自分でも意味がわからん。

2008年7月17日

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愛犬のハナ。前きた僕のこと覚えてるだろうか。

ご両親と、いろいろ話す。在りし日のこと。みみずくも覚えいる限りのことを伝える。お墓の前で、オカリナをふく。どうかこの音が、天国に届きますよう。お父さまから短歌をいただいた。


<命終いし吾子の掌にのこされしもの わが生あるかぎり永遠に解らず>

<二週間たしかに藍は先生なりき鉛筆手向ける晴れわたる朝>


夕方まで農作業を手伝って、再訪を約束して、高原を後にした。いただいたブルーベリーとレタスは寮に置いておくことに。寮にかえってまる2日間眠りつづけた。


いまはカブで松本をめざしている。この現実感のなさ……現実から遊離しているような感覚。


<なぜという問いの果てのらせん渦尽きることなきこれは修羅道>


いまはなにもかも色褪せて見える。が、寿命あるまで迷いながら生きよう、と思った。

弔問 飯綱高原へ

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<野良しごと終えて帰りし車庫の隅原付は主無く佇みおりたり>


火曜日、眠らぬまま先輩の実家へ向かった。仏間には僕と先輩が山のなかで映った写真。線香たむける。日本テレビの久能アナウンサーが後ろに控えていた。近所に住んでいるという。

3ヶ月ぶりの帰宅

2008年7月15日

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写真は13日、千葉の森で管理人さんとヤギと。

(NPO地球学園 http://www.chikyu-gakuen.jp/


14日、およそ3ヶ月ぶり、長野の寮に戻ってきた。告別式の日以来だ。一週間、ここで過ごしまた横浜へ戻らなければならない。静まり返った寮一階のみみずくの部屋は、古い旅館の匂いがしてなんだか懐かしかった。


以前と変わったところといえば、僕の知らない後輩が入ってきたこと、そして先輩たちがいなくなったこと。このおんぼろ寮は何十年ものあいだ、巣立っていく学生たちを見送り続けてきたのだ。そしてこれからもおそらくは相当の間。そう思うとすごくいとおしい。

雌鹿

2008年7月12日

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先週かけた罠に雌の鹿がかかった。いまから解体しにいくという。みみずくはやぎと留守番……。

鹿の肉はやぎの匂いがした。台所でばらばらにして、体中に野生の匂いがしみつく。もちろん無駄なくすべてをいただく。

夜はヒルの実験。

泳げない湘南ッ子

2008年7月11日

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北鎌倉の喫茶店、笛で画家のSさんと会ってお話をする。手作りの木の家にところ狭しと並べられた楽器や作品。いくつもの古時計がこちこちと時を刻む。ひとつひとつの時計が<一人ひとりの時間が違ってもいい>、と教えてくれているように。みみずくの時間は、淀んで見えない川面のように、そっと流れている。ゆっくりと。なにか大切なものを見落とさないように。


月夜のみみずく、生まれは湘南。人はかつてこの界隈に集う若者を湘南ボーイと呼んだ。サーフィンはおろか浮き輪で泳ぐのさえあやういみみずくだが。理想は仰ぐ富士の峰、希望は広き相模灘、とはみみずくがまだひよっこだった小学校の校歌である。今日は何年かぶりにこの地を訪れた。といっても通り過ぎただけだが。懐かしい友だちがそのままの姿ででてきそうな気がした。


空想は過去未来と巡ることができる。が、川の水がいつしか海へたどり着くように、人の命もしかり、決して時の流れに抗うことはできぬ。


ならば時の流れに身を任せることに、なぜみみずくはそんなに恐れるのか。

2008年7月6日

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ほたるともうひとつ印象的だったのは、やぎの手術。原因不明で左前味を骨折したメスやぎのギブスを一時間くらいかけて外した。足は腫れ上がり、出血していて、見ていられなかった。自分の足を見つめるやぎ。痛みに耐えかねて、ときどき悲鳴をあげる。が決して暴れまわらない。


「こいつは自分がなにされてるかちゃんとわかってんだ」


これだけ情をかけた動物をかりそめにも殺すことなんてできるだろうか。ましてその肉を食べられるだろうか。みみずくは哺乳類をしめた経験はまだない。


かわいそうと思いながら、そのくせだれかがしめた肉を平気で食べているみみずく。食べものを粗末にすることなんてできない。米ひと粒。魚の骨まで。

ほたると人の魂

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土日を君津亀山の森で過ごした。ログハウスに使う間伐された杉の木をころで運び出したり、作品に使うため、伐採されたさくらの大木を探しにいったり。二日目は、害獣対策会議のメンバーとシカの罠をかけ講習に出かけ、実際に罠を仕掛けてきた。よいことなのか、わるいことなのか、みみずくにはわからない。国際法で戦争において散弾銃はたしか認められていなかったと思う。それがシカやイノシシなどの野生動物にはいいという。今日も近隣の山で散弾銃を使った猟が行われている。


昨晩、民家の近くで、画家のSさんと、はじめてここにきた会社員のお兄さんと話をしていた。自然と人間について。教育についてなどなど。みみずく、本来ならばいまは採用試験を受けているころだ。それがいま、神様のいたずらが、明かりのない田んぼのなかにいる。不思議だ。


一匹のほたるがこちらへふわりと飛んできた。仲間からはぐれ、新しい水辺を探しているのだろうか。たったいっぴきで。話題は「人間の死」へとむかっていった。この自然を死んだIさんに見せてあげられたらと思うと涙がでてきた。叶わないことだから。


Iさんはほたるの名所、辰野町で亡くなった。精神病院のなかでみみずくは、数日間天国のその人へ手紙を書いた。
「Iさんは辰野のほたるになるのかな?」


夕べ見たいっぴきのほたる、まるでなにかを伝えたかったかのようにあらわれた。ひょっとしたら、と思う。

卒業アルバム

2008年7月5日

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土日は千葉にいく。夜が明けたらまた森へ行ける。図書館にいってヒルの生態についてばっちりおさえた休学中の大学生。

帰宅し、ダンボールのなかからカンナをさがすと記憶の隅に追いやられた思い出の品々が出てきた。


ためらいながら深夜、一人でこっそり開く小学校の卒業アルバム。"10年後の私へ"のページを見て息をのむ。1999年度にかかれたもの。このうちの何人かは、少なくとも一人は……ああ… もう旅立ってしまった。


文集もついていた。自分のは小学校生活をざっとまとめたものだった。
「これから自分の生き方を変える大きな山があるかもしれません。」
……いまはきっとその山のどこかだろうか。


「つらいことでも深く考え過ぎず、前向きに生きよう。」
……君のいうとおり。今は焦らず、いい方向に考えていかなくっちゃね。


「何十年先の自分もきっとこの文章を読んでくれているはず」
……読んでるよ。忘れてないよ。ちゃんと僕は僕のことを覚えてるよ。


「小学校卒業するほんの少し前のぼくは健康で楽しい生活を送っています……そちらもがんばって」


……うぐ、泣かせてくれるじゃねえの。過去から他でもない自分への応援メッセージ。頑張ります。頑張ります。うつ病はがんばっちゃいけないんだけど、治すことにみみずく、全力をかけます。

文集のタイトルのようにもういちど"はばたき"! するだ。

ひぐらし 生を全うするということ

2008年7月3日

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夏から秋にかけて、その日一日の始まりと終わりを鳴く蜩(ひぐらし)……

過ぎ去ったことを嘆き、まだ見ぬ行く先を憂い、みみずくは神さまから与えられた一日、一日を無為に苦しみながら過ごしている。


4月に先輩が亡くなった日、何も知らぬ僕は精神病院の鉄格子の中にいた。朝、一日三本までのたばこをもらいにいくと、もうなかった。若い女の看護士さんが「じゃあ、それが最後の一本だと知らずに吸ったのね」と笑った。妙な暗示になってしまった。


「……けだし人命も同じようなものだ。明日が来るとは誰にもいいきれない。」そう思いしらされたのはそれから数日後のこと。通夜の晩、「この"くそ格子"から今すぐだせ! もうまにあわないんだ!!」と医師、看護士と喧嘩をし、叶わないと知ってくらくらした。今から思えば、病院を責めることはできない。


"ひぐらし"は、短い成虫のあいだ、一日一日を精一杯鳴きながら生きる様子からきたのかもしれない。みみずくも皮をぬがなければならない時期にきた。

家に閉じこもり

2008年7月1日

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千葉からの帰り道、東京湾の海中を横断するアクアラインを通った。人間はかくも壮大なものを作る高度な科学技術をもちついには海の下まで人間の領域を広げたのだ。東京湾に浮かぶ人工の島、海ほたるの上にたち、月夜のみみずく、唸る。人間ってなんていう生き物。


しかし、と思う。地球規模で一人ひとりの人間をみてみるとやっぱり、人間もはかない存在にすぎぬ。人間は自然との関係性のなかでしか生きられないのは自明だ。それに気づきはじめたのがいまの時代かも知れない。


そんな偉そうなことをいっているが、千葉から帰って二日間、家に閉じこもってようやく行き着いた結論がこれなのである。君津の森にいたときからずっと、画家のSさんとヒル談義をしていた。(あわよくば、ヒルを寄せつけない素材を開発し特許をとって、活動資金にしようと……) ヒルの生態、性質、繁殖の原因、危険性、駆除法、有効利用の道……しゃくとりむしのようなそれは、地球の生物とは思えなかった。根本の原因は、人間にある。人間がかつてオオカミを殺し、その結果シカが繁殖、シカの蹄に寄生し、こんなにもヒルが増えすぎたのだ。


シカにも、ヒルにも、実はなんの罪もない。人間が自然の領域を犯しすぎたことが過ちだったのに、ヒル研究に夢中になるみみずく、シカを殺せば問題が済むと思っている住民たち。考えてみれば愚かだ。


洞爺湖サミットが今週末開かれ、地球温暖化対策が重要懸案として掲げられている。いつの時代も先が見えないのは同じだが、人類史上もっとも先が見えない時代、そして生き残りをかけた人間の英知が試される時が今なのかもしれない。


夜に先の心配をして考えこむな。生きることはまず大変なことなんだと思っていれば間違いない。亡き祖父はこういっていたのを思いだし、そろそろ薬のんで寝なきゃだ。あー、てめえのことでせいいっぱいなのに、人類の心配までしてたらみみずく、くたばってまう(笑)。