今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

ひぐらし 生を全うするということ

2008年7月3日

 

夏から秋にかけて、その日一日の始まりと終わりを鳴く蜩(ひぐらし)……

過ぎ去ったことを嘆き、まだ見ぬ行く先を憂い、みみずくは神さまから与えられた一日、一日を無為に苦しみながら過ごしている。


4月に先輩が亡くなった日、何も知らぬ僕は精神病院の鉄格子の中にいた。朝、一日三本までのたばこをもらいにいくと、もうなかった。若い女の看護士さんが「じゃあ、それが最後の一本だと知らずに吸ったのね」と笑った。妙な暗示になってしまった。


「……けだし人命も同じようなものだ。明日が来るとは誰にもいいきれない。」そう思いしらされたのはそれから数日後のこと。通夜の晩、「この"くそ格子"から今すぐだせ! もうまにあわないんだ!!」と医師、看護士と喧嘩をし、叶わないと知ってくらくらした。今から思えば、病院を責めることはできない。


"ひぐらし"は、短い成虫のあいだ、一日一日を精一杯鳴きながら生きる様子からきたのかもしれない。みみずくも皮をぬがなければならない時期にきた。

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