特養に異動になる前、認知症のかたが入居するグループホームで働いていた。
仕事としての介護は初めてだった。認知症という脳の萎縮による症状に対面するのも初めてだった。(多重人格など精神障害には、自身が入院してやや理解があった。大学で留学する人より、隔離病棟に入院する人が少ないなんて!)
さてそのグループホームのアルバイト、思えば答えのない、難しい仕事だった。目的は、まざまな働きかけと受容によって、古いこばでいうとと問題行動、徘徊や暴言暴力など原因があって生じるさまざまな周辺症状を緩和すること、さらに生きがいや楽しみ、があって幸せと思える人生の最後のお手伝いをすることにあった。
それは理想であり、完璧に果たすことはできない。介護の途中に、こちらが理不尽に思ってしまったり、時間に追われ苛立ってしまうこともあった。受容することは、相手の生きてきた人生のエネルギーをまともに受けることで、生半可な気持ちでは続けられない。
おいしいといってもらえるような料理、きれいといってもられる料理の腕を磨いたり、夏を前に畑を耕したり、野原の花を摘んで飾ったり、楽器片手に一緒に歌ったりする。
嵐の合間に、そんな、小さな、ことをたくさんする。記憶はなくなっても、"感情のようなもの"は残ると思った。たとえばストレスはたまるものであり、忘れて0になるということがないように。
それが仕事だった。いいやそれは仕事というより、単純に人との人間的な関わりだった気がする。
明後日からは高齢者介護とは離れる。
でも福祉は身体のもつまでは、まだ辞めない。
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