今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

夜間想定、避難訓練

2011年3月26日

 

認知症対応型グループホーム。

みみずくにとって最後の大仕事が今日終わった。一ヶ月にわたり、27人全員を救出する入念に計画をたてた避難訓練。


震災のため、監督する消防士こそこれなかったが、職員も揃いあとはその手順どおり避難すればよかった。


が。


予想外に訓練開始直前のみみずくの説明中に、参加者どうし議論がわきおこり、形ではなくもっと現実的な避難のありかたが検討された。


だれも口にしない。


だが、だれしもが、先日の地震のことを考えていた。


訓練は現実のためにあるという、当たり前のことを、だれもが、身に染みて感じていたように思う。

* * *


情報を閉ざせば世界は黙する。

だか、現実は同じ夜空のもとで日本中が混乱している。一万人が死んだ。まだ何千人が瓦礫のなかかもしれない。故郷をおわれ、見知らぬ土地に避難するバスで涙をながす人の姿も……目にうかぶ。


被災地から離れた人びとは、冷静なのか、現実から目を逸らせているのかわからない。ただ気休めていどの自己防衛をしたあとは、ネガティブな情報を語るのをやめ、前向きに必死に平常を戻そうとしている気がする。


まるであしたにはなにもかもが元通りになるかのように。


しかし、そうはならない。元通りの同じ世界に、戻ることはできない。これから先に用意されていない未来があるだけだ。


不幸と悲しみを乗りこえ、これまでのありかたを修正し、日本が生まれかわる日がいつくるか、いまは語れない。


だからといって、未来が悲観的だとは決まっていない。それは、これから作るものだ。訓練ではない本番に遭遇し、生き残った、生かされた全ての人が。

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