今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

震災10日目

2011年3月21日

 

人は誰しも現実生活におおかれすくなかれの困難を抱えている。
それゆえに、ひとたび目の前の危険が避けられれば、意図も簡単に注意はそれてしまう。
しかし状況は、まったく収束しているようには思えない。地震の事だ。
* * *

収束して見えるのは、「自分」が、平時とほとんど変わらぬ仕事をし、食事もし、雨風寒さをしのげる屋根の下で過ごしているからかもしれない。
職場のテレビは徐々に通常放送に戻りつつある。うちにもテレビなんていうものがあったら、きっと地震の事を忘れてしまうのではないか。
恐ろしいことに「地震のニュースはあきたな」と思うかもしれない。被災地で愛する人を亡くし嗚咽する人をみても、なんとも思わなくなるかもしれない。

人間とはかように残酷な生き物だ。時として。

* * *
しかし
人間は残酷なだけではない。(はっきりいってよくわからない生き物だ)
「夜と霧」は人間の極限状態を描いている。ナチスの収容所において、強制労働すらできなくなった病人に、一日の食事である自分のパンをそっと置いておく人間がいた。人間にはそういうこともできる。

本能と理性の間に生きている生物。

* * *
さて
いま大事なのは
・油断をしないこと
・落ち着いてどっしり構えること
・冷静に、情報を吟味すること。
だと思う。

* * *
たとえば
買いだめや買占めなどはいまの空気では「悪」となっている。それはメディアによって形成された概念である。
買占めは略奪と同じだと。
手段が金か、力かの違いだと。
普段より買う量を多くしたりする行為は 不安に反応した、誰にも備わる自己防衛の本能によるものだとおもう。
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節電はどうか。
毎日職場でも自宅でも電気利用はは極力控えているが・・・そもそも
電気が足りないと誰が言ったのか? 
東京電力管内の他の原子力発電所、火力発電所、水力発電所、すべての総発電量は、予想需要より大幅に余裕があるという試算は、ネット上で調べればすぐわかる。
計画停電は、実は原子力が生活に必要不可欠だというプロパガンダでないとだれがいえる?

* * *
極度の疑心暗鬼や不安は、ネガティブであり嫌われるが、
必要なことだ。

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ついでに。
都内における大気浮遊塵中の核反応生成物の測定結果についてhttp://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.jp/whats-new/measurement.html 

ことに15日のデータ。
当日は東京の大気に、「直ちに人体に影響のである値ではない」と数値ばかり公表されていたように思う。
自分が思うに、放射線も危険だが、放射性物質を体内に取り込んだ場合、はるかに危険だと思う。
ヨウ素の半減期が8日。セシウムは30年。体内に入って蓄積された場合二つは別次元といえるくらいひらきがある。このことはあまり報道されていない。すくなくとも、「直ちに人体に影響のである値ではない」ということばより。

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今後の動向に注意しようとおもった。
(されたし と書いたら日記じゃなくなっちゃうね)

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