8月1日のバイク事故をかわきりに、少しづつ前へ踏み出している今日この頃。
転職は、はじめハローワークや人材ハケン会社のおかげで、決まった。高齢者介護とは少し異なる福祉施設だ。公には求人は出ていないようで、もし個人で探していたらとても転職は難しかったと思う。
押入れに封印していた教員免許状が思わぬところで役に立って、介護福祉士の資格がないのに、児童指導員として雇ってもらえることになった。
ヘルパー2級も今の会社から取らなくていいといわれていたが、とっておいてよかった。2級なしで、介護経験二年半ですなんていったら、果たして雇ってもらえたかどうか。
* * *
そして秋が来ると同時に、鎌倉に引っ越すことになった。江ノ島の近く。みみずくの故郷の湘南の海。きっと生まれてはじめて見た海も、記憶の最初の海も、湘南の海だった。対岸のないどこまでも広い藍色の海。
希望は広き 相模灘・・・
理想は仰ぐ 富士の嶺・・・
湘南の海をみると小学校の校歌を思い出す。子どもの時、海はもっと狭いものに思っていた。いいや、海の広さなんて。考えが及ぶまえに、狭い町のすべてが好奇心の対象だった。
25年で、逗子、横浜、松本、長野、横浜、鎌倉と住まいは変わり、5回目の引越しとなる。
5回だなんて。
いちいち数えるなんて、よほど過去を振り返る人なんだなと笑われてしまいそうだが。
でもね。
後、人生で引越しは何回あるのさ?
明日が必ず来るなんて誰にもいえない。
だから、みみずくは、日記を書き、その土地土地での思い出を振り返り、真夜中に後悔したり、恥ずかしくて叫んだり、たまにほっこりしたり、する。
思い出や過去は形がない、残らない、という。だから人は死んだら、それで終わりなのだと。
でもほんとうはそうではない。
たった一秒前の一呼吸すら、地球や宇宙のその後を多かれ少なかれ変えていく。
バタフライ効果といって一匹の蝶のはばたきが、結果、遠く離れた場所で嵐を呼び起こすこともある。
江戸時代の「恩送り」や「情けは人のためならず」という言葉は、小さなの行いでも、それがまるで水面の波紋のように広がり世の中を巡りめぐっていくことをいっている。
* * *
親しい人が亡くなったとき、介護をしていたお年寄りが亡くなったとき、こう考えると、楽になれる気がする。
生きていることが、誰かに影響を与える営みであるならば、人は命を失っても、永遠に生き続けている、と。現に、過去失った人は、今日の自分の行動を決めるほどの力をみみずくに与えてくれているのだから。
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2011年8月28日
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