今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

残雪と「おひさま」と

2011年5月17日

 





日曜日、小さな森のコンサートにいってきた。
http://www.kinominomori.com/

山梨県内の授産園や作業所が、八ヶ岳のふもとの農場に集まって、日ごろ作っている製品の販売をしたり、バンドを招いてコンサートをしたり、踊ったり、シャボン玉飛ばしたり、みんでわいわいがやがや。

五月の空はどこまでも青くて、緑が都会のそれに比べ、まぶしいくらいみずみずしくて。日焼けをしてしまうくらい日差しが強くて。

何より、こんな時期まで雪が残るくらいの山。

中央線に乗ると、なんだかこころも気持ちも、昔に戻った気がする。
昔といっても信州に住んでいた数年間のことだけれど。

* * *

帰ってきて、朝早く仕事に出かけ、ちょうど朝食の忙しい頃、テレビでは「おひさま」が流れている。http://www9.nhk.or.jp/ohisama/story/week07.html
脚本 http://www9.nhk.or.jp/ohisama/special/okada/

柔らか食事がどれ、減塩がどれ、糖尿がなんだと、一人任されたユニットをくるくる回っているから、毎日流れていてもどんな話なのかわからないけれど

どうも、ヒロインは信濃大町で、なりたての教師で、戦中か戦後の貧しい時代の話らしい。先生のおすそ分けをもらいたくて、わざと弁当を忘れた子どもたちが、野草を集めて粥を作っていたりしていたから…

戦争に突き進んでいった時代の捻じ曲げられた教育であるけれど、どこかそれは今の教育より健全というか、生き生きとしていた。(ドラマはドラマだが、そうではなくって、昔信州が誇った信濃教育のこと)

kokiaは「おひさま」の主人公が行った長野師範学校の後身である学校に行き、たぶん根っこは同じの学生寮に住んでいた。

でも教師にはならず(なれず)、介護のシゴトをしている。

だから、

ちょっとまぶしい「おひさま」でもある。

ことに山梨で連なる山の残雪をみたあとは。

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