つきつめていえば、給料なんて、どうでもいい。自分を養うだけもらえれば。大事なのは精神の安定を保ちつつ、自立した一人暮らしを継続できること。そして、自分がまあ、まっとうに生きていると実感できる確かな手応えのある仕事をしたいだけ。
などと達観したふうに書いたが、給料が下がるのはやっぱり……いい気はしない。
4月から。夜勤手当がなくなった。よく考えれば雇用契約にはもともと夜勤手当なるものは書いていなかった。以降法律で決められた25%増し額が支給される。いわば法にふれない最低限の賃金である。
残業代は申請しなければまったくでなくなった。時間内に業務をこなし、定時に帰れるのが評価される職員なのだ、とうちの会社の上層部は考えた。
自分が従業員でなく、経営者ならまあ当然そう考えるだろう。たとえ現実に時間内に仕事をおわらせられる「有能」な社員がそういないにしても。
社会福祉法人が拡大するための経営
=合理化
=削れるもの全て削る。
といってじばばをテレビの前に座らせて、三食納豆ご飯にするわけにはいかない。サービスの質はをおとせない。だから人件費を削る。人件費を削ってもサービスの質は落とすな!
転倒してじじばばが入院すれば施設は一日いくらの赤字がでます。だから転ばせるな!転ばせたのは、職員がその時間帯、フロアをまわすのが一人しかいないからじゃない!一人で全てみろ。背中にも目をつけろ。
ようするに、給料を減らしつつ、人を減らしつつ、もっとじじばばの為にに働けといっている。いやじじばばのためではないかもしれぬ。もしかしたら…
とにかく、会社とは、無理難題を押し付けてくるものだ。その無理難題を解決すれば、成長するとでもいうのか?
ひとつ言えること。
サービスに関して、施設の運営に関して、なにが正しいのかなにが間違ってるのか。それは簡単なものさしがある。
自分がしわくちゃのじいさんばあさんになって、老いを背負うたとき、自分んとこの施設で暮らしたいと思えるか。
これに尽きる。
(明日に続く)
今宵も月夜に導かれ、
あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。
いったいどこへ行き着くのやら。
そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録
2011年6月2日
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