今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

七夕の夜

2009年7月7日

 

乱れた文字で書かれた「資料」を見ると、その人の連れは死んだらしい。。


自らの心を、固い殻で覆い守るかのように、(老いたる身ゆえの)視界の淀みが、連れの幻を、みせる。白い、まぼろし。幻覚。


夕餉の支度のころ、小さな童が2人いる、連れも、近くにいるという。連れが口をきかないけれど、暗くなるまでに一緒に帰りたいという。


人間の五感が知覚できるのは 自然科学でわかっているだけの(数値で表せる現象の、あるいは波長の)、さらにそのまた一部だとすると、あながち幻覚が幻といいきれるのかみみずくはわからなくなる。脳の萎縮が、すべての機能の低下を意味すると……いいきれるのか。


本当のことは言えない。といって場あたりの嘘をつくこともはばかる。生活を支え、養護するのが、いまのみみずく仕事。安給料でも、契約でも派遣でも臨時でもなんでも、責任はかわらない。


誰の脳の機能も心臓の鼓動も、すべての臓器細胞もいずれは衰え、やがて死ぬ。恒久的に消える。生きている人でそれを経験した人はいないのだから、若輩者のみみずくは、体の一部になったり、話を聴いて差し上げることしかできない。

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