近代以降、人間は、自然と隔離された、あるいは排除した生活のなかで、感性や感覚が鈍くなった。気象予報がいくら発展しても、それを生かすことができないために、毎年多くの人が亡くなる。
このたびの北海道トムラウシでの遭難事故は、危険の予兆がありすぎたのに、それを無視した、あるいは無視せざるをえなかったために、残念な結果となった。
どちらにしろ自然を甘く見過ぎてしまった結果だ。だれを責めることもできないが、だれかが責任をとるのがこの社会のきまりだ。
結果的に誤った判断をし、生きのこったガイドや企画会社の人たちは、今どんな気持ちでいるのだろう。また、自分が生きるために、力つきた人を登山道に置いていかざるをえなかった人たちは、いま、どんな気持ちでいるのだろう。
その場にいなければわからないとはいえ、極限状態に陥ったとき、はじめてむき出しになったおのれの本性に、このさき苦むであろうことは、容易に察しがつく。
みみずくだったらどうしていただろう。やっぱり自分だけ助かるべく下山するのだろうか?
あなたならどうするか。
さて、昨日の日食の際は、異様に鳥たちが騒いでいた。ここは横浜だが、やや薄暗くなった曇天の空を、カラスやキジたちが落ち着かず、不安そうに鳴いていた。庭に珍しくキジが舞い降り、周囲の様子をうかがっていた。まるで嵐か地震かが迫っているように、不吉な印象をうけた。
日々、身の回りの生命の変化に敏感であるべきだ。人間の感覚を超越した動物たちの予感と行動は、往々にして、人間を災害から助う。
このこともあわせて 頭に入れておかなくちゃいけない大切なことだと、みみずくは思う。自分も周りも助かりたいのであれば。
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