今宵も月夜に導かれ、

あっちの止まり木へふわり、こっちの止まり木にふわり。

いったいどこへ行き着くのやら。

そんな「月夜のみみずく」の自分のための備忘録

災害の予見

2009年7月23日

 

嵐がくるまえに、動物たちは早々と退避行動にうつる。


近代以降、人間は、自然と隔離された、あるいは排除した生活のなかで、感性や感覚が鈍くなった。気象予報がいくら発展しても、それを生かすことができないために、毎年多くの人が亡くなる。

このたびの北海道トムラウシでの遭難事故は、危険の予兆がありすぎたのに、それを無視した、あるいは無視せざるをえなかったために、残念な結果となった。


どちらにしろ自然を甘く見過ぎてしまった結果だ。だれを責めることもできないが、だれかが責任をとるのがこの社会のきまりだ。


結果的に誤った判断をし、生きのこったガイドや企画会社の人たちは、今どんな気持ちでいるのだろう。また、自分が生きるために、力つきた人を登山道に置いていかざるをえなかった人たちは、いま、どんな気持ちでいるのだろう。


その場にいなければわからないとはいえ、極限状態に陥ったとき、はじめてむき出しになったおのれの本性に、このさき苦むであろうことは、容易に察しがつく。


みみずくだったらどうしていただろう。やっぱり自分だけ助かるべく下山するのだろうか?


あなたならどうするか。

さて、昨日の日食の際は、異様に鳥たちが騒いでいた。ここは横浜だが、やや薄暗くなった曇天の空を、カラスやキジたちが落ち着かず、不安そうに鳴いていた。庭に珍しくキジが舞い降り、周囲の様子をうかがっていた。まるで嵐か地震かが迫っているように、不吉な印象をうけた。


日々、身の回りの生命の変化に敏感であるべきだ。人間の感覚を超越した動物たちの予感と行動は、往々にして、人間を災害から助う。


このこともあわせて 頭に入れておかなくちゃいけない大切なことだと、みみずくは思う。自分も周りも助かりたいのであれば。

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