寝ている時間が多いが、寝ても覚めても卒論である。こころの教育である。
調べれば調べるほど胡散臭いことばだ。曰わくいまの子どもは生と死の境の意識が希薄だ。それは核家族化によって死に接する機会がないなどの生活体験の不足、生物の生き死に接する自然体験の不足による。命の大切さを子どもに伝えるためには、自然体験をさせたり介護体験をさせればいい、ペットを飼って、つまりは死なせればよい、はてはクラスメイトの父母の死を授業で扱えばいい。
……これが正気なら、残酷である。確かに死を扱うことは、極端にタブーになっているかもしれない。しかし、誰もがそんな簡単に扱えるものではなかろうに。まして意図的に教えるられるものなのか。
真剣に会議や懇談会を開いてギロンするのは結構だ。しかし、いくらなんでもこんな提言はなかろうよ。日本の教育行政や有識者といわれる人たちの考えをくむことができない……「こころのノート」を作って、実際自分でも授業をして賞賛している河合隼雄さんは、心底それがいいと思っていたのだろうか。なぜ臨床心理学の権威がこんな右ならえの教材を作ってしまったのか。もしかしたら身を削ってまでの皮肉なんじゃないのかとも思う。そうだとしたら偉大な人だ。
人間の奢りか。名誉教授だの文化庁長官などという権威を手にすれば人はだめになるのか?せめて嘘ツキクラブの部長ぐらいでいたら、もっと違っていただろうに。
生きているなら、京都大学までこのことを本人の前でいいたい。
卒論が複雑怪奇になってしまうのはあなたのせいです、なんていったら、どう返されるだろうか。
1 コメントはこちら:
俺の友達で(アメリカ人やけど)心理学を専門にしてて、PHD(Physical Docter)の学生がおるで!せやから力になれるかもしれんからなんかあったら相談してくれ!!
てか卒論はどんなかんじでいくんかな?もし教えてくれたらその人に聞いてみるわ!
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